ていさつ
夜。俺は一人、草原の中を走っていた。
二人と一匹に、「少し出かけてくるから、先に休んでいて」と言って、【白昼夢】から出てきた。
白昼夢に戻るのは現在地関係なしにできるから、「少し出かける」だけで戻って来られるだろう、たぶん。
俺の【はいかい】スキルよ、さぁ、本気を見せてみろ!
俺はそう念じつつ、草原の中を走り続けた。
すでに近くまで来ているであろう人族達の追っ手を探す為だ。
これまでは、サキ、ユキがいた事もあって「誰にも出会うな」と念じ続けて歩いてきたけれど、いまは逆に「見つける」つもりで走っている。
ちなみに今日は偵察の三日目だ。昨夜と一昨日は空振りに終わっていた。
追っ手が来ているのは道具屋で聞いていたけれど、どの規模で今どこにいるのかは分からない。
見つかって欲しいのか、何も見つからないで欲しいのか、どちらとも言い難い複雑な心境で俺は走っていった。
はるか彼方から染み渡ってくる草原の夜。遠くをじっと見つめれば、本当にここは「迷宮」なのかと、あらためて疑問がわくほどの果てしなさを感じる。雲ひとつ無い星空が薄っすらとした光で大地を包み込み、想定外に明るく視界を保っているせいで、余計に草原の広大さを際立たせてしまう。
もともと静かな草原が、夜を纏い、より一層の沈黙に包まれている。
この草原にいる虫は鳴かない種類しかいないのだろう。吹き抜ける風が草を擦る音だけが時折、さざ波のように響き渡るだけだ。
賑やかに草を蹴りながら走っていく俺ばかりが目立ってしまって仕方がない。
それでも、草原には今、光も音もある。
もしも空が曇り、風が凪げば、視界も音も失った一面の黒一色の中で、俺は一歩も動けなくなってしまうかもしれない。いや、これはきっと...本当に......何か明かりを照らすような魔法か道具を用意できないか、今度、いろいろ試しておいた方が良さそうだ......
......そして、ついに見つけた。
草原の向こうに四角い影、人の住んでいそうな建物を。
一階建ての、やや大きめの、木材ではなく土か石で作ったような建物。
おそらくは誰かが作った中継地とか、駐屯地とか、そういった基地なのだろう。
建物の周囲には誰もいない。屋上に人影、あれが見張りだろう。
【はいかい】スキルは、やはり優秀だった。追っ手を探すつもりが、基地を見つけてしまったのは、運が良いやら悪いやら...
屋上の、やる気のなさそうな見張りの目をすり抜けて、建物に近づいた。
念の為に、魔法スキルで離れた場所に水をばら撒いて、草むらを部分的に動かしてみて相手の出方を伺ったのだが、見張りの人に全然気づいてもらえなかった。
...いや、別に良いけどさ。侵入者とか、寄ってくる気配とかに、見張りならもう少し気をつけたほうが良いと思うよ?
建物の周囲に罠や警報の類は無かった。
建物の壁、妙に壁面がなめらかで頑丈そうに見えるのは、何か建物を作る魔法でもあるのだろうか? 人の手で作るにはきれいすぎるし、建築資材をこの迷宮のどこから調達したのか想像がつかない。
それとも、実は迷宮にはところどころ建物も存在して......いや、今はそれを考える時間ではない、潜入の方に集中しよう。
建物の中には人の気配。動かないのは、寝静まっているからだろう。うん、健康的で良いね。夜はみんな、寝る時間だ。
様子を伺いつつ慎重に中へ。入ってすぐの大部屋、壁に立てかけてある武器や道具は迷宮探索に携帯するものだろう。
扉が複数、これらは居住区か寝室だろうか? 数人分の気配がある。【鑑定】スキルは直接目視するか接触するかしないと利かないから分からない。今はなんとなく「居る」ことしか、分からない。
...ん? なんで居ることが分かるんだ? ...きっと【まほう】か【けんせい】の効果か。うん、知らん。
...!?
もう片方の扉の向こう、こっちに「気づいている」。
そして......動きは、無い。こっちの様子を見ている? 気づいただけで何もしない?
俺はその扉を、そっと、開けた。
部屋には一人、猫耳の、小さな人影。
サキ、ユキが着ていたようなボロ布ではなく、ちゃんとした服。斥候という言葉が思いついた。鎧や盾はなく、軽装、走りやすそうな布の足甲と靴。剣とかの武装は見当たらない。
そして、首には鎖。
俺は、そっと部屋に入って、そっと扉を閉じて、うっかり尋ねてしまった。
「君は、捕まっているのか?」
「......」
ギィ。後ろで扉を開ける音。
「...おい、今、誰かと話していなかったか?」
「......」
「誰も、いないよな?」
「(コクリ)」
「...そうか、気のせいか」
ノックもせずに入ってきた男は、再び部屋を去っていった。
......あっぶねぇ!?
まさか、忍者みたいに天井の隅っこに貼り付く日が来るなんて、思ってもみなかったでござるよ!? ニンともカンとも......
建物の石壁に「小さな穴をつくる」のは、魔法スキルでどうにかなった。
ただしMPを大量消費して、加減を誤ればむしろ気を失いかねない危険な状態だった。次にやる時には、もっと気をつけよう......次にやる機会はもう無いはずだけど。
その咄嗟に作った、壁を強引に歪めた足場に飛びついて、俺はそのまま貼り付いて、男が去るのを見守った。
およそ一般人離れした「壁貼り付き」の技は、きっと職業が【がんばりや】だから乗り切ったのだろう。または前世が忍者だったのかもしれないでゴザルな。ニンニン。
なぜか一言も喋らないネコの子は一旦おいたまま、俺は男が出て行った扉の向こうの様子を伺った。
扉の向こうから、二人の男の会話が聞こえた。
「...誰もいなかったようだ」
「お前、よくあいつと会話する気になるな?」
「危害を加えなければ、何もしない。隷属の首輪もつけたままだ」
「どうだか。それにしても、あんな奴まで引っ張りだして探すなんて、そんなに逃げたゴブリンってのは必要なのか? 魔物だろ?」
「俺も詳しくは知らないが、見た目は人族の娘と変わらないらしいぞ?」
「...へぇ。それなら、頑張って見つけねぇとな。ウヘヘヘ...」
「おい、やめろよ? 傷つけずに持って帰らないと、報酬が減るぞ」
「チェッ。そうなんだよなぁ...あの持ってきたネコだって、戦闘要員だもんなぁ...もっとちゃんと、楽しめる奴隷を貸してくれよなぁ...」
「...明日も早いんだ。もう寝るぞ」
「へいへい。...ここだってもう【勇者】様が探した後なんだろ? 見つかりっこねぇって...」
扉の向こうの気配が奥へと引っ込むのを確認してから、俺はネコ耳の娘に話しかけた。
「...捕まっているなら、外に出るのを手伝おうか?」
「......」
俺の言葉に彼女は返事をしなかった。
闇に溶ける濃紺の髪、同じ色の耳。薄く輝く青い瞳。
細い手足。体型からおそらくは、女。身長は俺やサキ達よりも低い。
あどけない顔に、夜闇の奥で、瞳孔だけが獣のように光っている...
「...助けは必要ない、か?」
「(コクリ)」
無言でうなずいた。
話せない、というよりは、無口なだけなのかもしれない。
「ゴブリンの子を探しているのか?」
「(コクリ)」
「ゴブリンの子、嫌い?」
「......」
「仕事だから、やってるの?」
「(コクリ)」
「...分かった。できるだけ出会わないように、俺も努力する」
「(コクリ)」
「それじゃあ、俺はもう行くけど。本当に、ここから出さなくても、大丈夫?」
「(コクリ)」
「...それじゃぁ、...元気でね」
俺が後ろめたい気持ちになりながら立ち去ろうとした、その時、
「――えっ、【けんせい】っ!!?」
悲鳴にも近いその声に俺は振り向いた!
ネコ耳の娘はきっと俺を【鑑定】したんだ、俺は完全に油断していた!
一瞬だけ、彼女と目が合った。
だが、彼女は目をつぶり、下を向きながら――
「――行って!!」
その大声に、もう俺に選択肢は無くなった。
声を聞いた他の者が再び駆けつける前に、俺は建物を飛び出した...――
俺は見張りに見つかるのも覚悟して走り去ったが、振り向けば、見張りはあさっての方向を見て眠そうに立っているようだった。ありがとう、ちゃんと仕事しろ。
そのまま距離を置いて草むらに身を伏せながら、その建物が静けさを保ったままであることを確認した。どうやらあの最後の騒ぎ、誰も気が付かなかったのか、ネコ耳の娘が再び知らないふりを押し通したのだろう。
そして......俺はその建物を後にして去って行った。
...最後の彼女の叫びの意味は何だったのか? 俺にはさっぱり分からなかった。
だけど彼女の目......見開かれた瞳に、涙。
...落ち着け。あれが猟犬だったら、逃がしてあげようとか、見捨てたとか思わないはずだ。ここは、そういう世界なんだ。俺はまだ、自分の常識に囚われ過ぎなんだ......
俺は頭を振って切り替えながら、いま守るべきものが待つ場所へと引き返して行った。




