30. レンバート
どれくらい眠っていたのか。
傍らに立つ人の気配に気づいて目を開けた。
「…え? レンバート?」
マテウスの秘書であるレンバートが何故か私の部屋にいる。
私と目が合うと、彼はゆっくりとベッドの脇に跪いた。
扉の前にはベントが立っている。エミリの姿は見えない。
「マテウスは?」
「マテウス様は交流会に参加しておられます。王立劇場で芝居をご観覧中です」
レンバートの言葉に頷く。
今日は本来、神樹レスポート王国自慢の劇団による劇を観覧する日程だった。
私が寝込んでしまったために、マテウスを1人で行かすはめになってしまった。
「ごめんなさいね。こんな時に風邪をひいてしまうなんて…。マテウスにも迷惑をかけてしまったわ」
私は大きく息を吐き、体を起こした。
「…まったくです」
低い声で言い放ったレンバートの言葉に驚いて、彼の顔を見た。
端正な顔の眉間に皺を寄せ、不機嫌さを隠そうともしない。
「あなたは薬でも作って、大人しく待っていれば良かったのです。わざわざ命の危険があるこの国へ来る必要はなかった。ご自身の能力以上の無理をなさるからこんな事態に…」
「………」
何も言い返せず、私は唇を引き結んだ。
悔しくて、でも下を向いたまま布団をギュッと握りしめることしか出来ない。こんな大事な時に風邪をひいたのは私の責任だ。
レンバートは溜息をついて立ち上がる。
「周りに有能な人材はいくらでもいるでしょう。その者たちに任せればいいのです。あなたのようなお方がいくら頑張っても、結果が変わるとは思えませんし」
私はレンバートを見上げる。
「確かに、あなたの言う事は理解できます。でも、神ロージスは誰でもない、私に依頼されました。人に任せ、逃げ出すことなど出来ません!」
眼鏡の奥の厳しい視線に負けないように睨み返す。
レンバートは哀れむような顔をしたのち視線を下げた。
「…マテウス様が大層心配しておいでです。完治なさるまで、こちらの事は心配無用とのことです。では」
うやうやしく頭を下げると部屋から出て行った。
ベントも彼の後に続いて部屋から出る。
「おいおい、ずいぶんと偉そうなことを言うじゃないか?」
ベントの言葉に、階段を下りようとしていたレンバートが振り返る。
「私を罰しますか?」
ベントは笑いながら頭を振った。
「姫様は優しいからな。そんな事しないさ。お前、命拾いしたな。エミリ様がいたら半殺しの目に会ってるぞ? …いやしかし、本当に気づいてないんだな。正体を知った時のお前の顔が見てみたいよ。さぞかし見物だろうな」
「は? 何ですか?」
「ああ、こっちの話。じゃあな、気を付けて帰れよ!」
ベントはバンバンとレンバートの肩を強く叩いて押し出した。
レンバートは訝し気な視線をベントに向けて、叩かれた肩を押さえながら帰っていった。
ベントは部屋に戻ると、ベッドに横たわる王女が泣いているのに気付いた。
向こうの壁に顔を向け見られないようにしているが、肩を震わせグスグスと鼻を鳴らす小さな音が聞こえる。
あいつ…!
もっときつく言ってやればよかった!
ベントは後悔した。
「失望させてしまったかしら…」
いつもと打って変わって姫様の声は元気がない。
「いやいや、あんな偉そうなことを言ってますが、あいつ姫様の正体に気づいてさえいないんですよ? 姫様がリーラだって知ったら仰天するでしょうね」
「本当に気づいてないのかな。気付いてて知らない振りをしてるのかも…」
「あれは本当に気づいてないですって! 気付いてたら、自分の先生にあんな偉そうな口きけませんよ!」
ああー、エミリ様、早く帰ってきてくださいよー!
姫様が泣いておられますよー!
ベントはオロオロするしかなかった。
王女イザメリーラとしてマテウスの秘書となったレンバートと対面したのはひと月前だ。
だが、お忍び姿でリーラとして彼と会ったのは6年前だった。
当時の私は11歳。
王都の観光地化を思いつき、頻繁に街へ出かけていた頃だ。
観光名所となりうる場所の視察やそこに住まう人々の意見を聞いて回っていた。
王女として視察するより、一般人を装ったほうが素直な意見を聞けると思って、リーラの姿で街を巡った。
そこで目に留まったのが、みすぼらしい身なりで働く子供たちだ。
この国に義務教育はないが、王都に住む7~15歳くらいの子供は学校に通うのが普通だ。
読み書きや計算が安い月謝で学べるので、貧しい家庭であっても子供の将来を考え、大概の親は子供を学校へ通わせている。
「この子達は孤児なの?」
私は護衛の騎士に尋ねる。
騎士らは正体がバレないよう、私と同様お忍び姿だ。一般人に見える服装で付き添っている。
「いいえ、孤児は孤児院にいます。多分、彼等の親は何らかの事情で働けず、代わりに彼らが働かざるを得ないのだと思います」
私は子供と、彼らを使う店主に事情を聞いた。
やはり片親しかいなかったり、親が病気で食うに困り、わずかな賃金を得るために集まる子供たちだった。
店主は不憫に思い、わざわざ彼らの出来る仕事を探し与えているのだという。
私は子供たちに学校へ通う気はあるのかと尋ねた。
彼らはそんな時間はないと言った。学校は朝8時から午後2時まで。長い時間拘束されてしまい、稼ぎが減るのだと言った。
「じゃあ、夜に学校があったら通う?」
子供たちは顔を見合わせて、そしてこくりと頷いた。
私は早速、夜間学校の開設に取り組んだ。
前世ではそんな家庭には市町村から補助金が出ていたと思う。だが、この世界…というかアンデッド王国には福利厚生や弱い立場の者を救う制度はまだない。徐々に整えなければと思うが、そこまで社会が成熟していない。
江戸時代には小学校はまだなく、庶民は寺子屋へ通っていた。夜間学校は寺子屋や個人塾のような役割を果たしてくれればと思う。
まずは場所と教師の確保だ。
王都に数か所ある学校を訪れ、彼らと話をした。
その中の一校に、夜の教室を使わせてくれる約束をなんとか取り付けた。
だが、教師の確保に手こずった。
本職の教師らは夜まで教える事には渋った。
わずかな生徒しか見込めないし、そんな彼らのために夜まで学校に来て教えるのは身体的に辛いと言われた。
そりゃあそうだ。
しっかり休んで翌日の授業の準備もしたいよね。昼間も夜もなんて過酷だ。
本職の教師じゃなくても教えられる人がいないか町の人達に聞いて回った。
そして紹介されたのがレンバートだった。
彼は学校を卒業したばかりの15歳。首席で卒業した秀才と名高い男だった。
だが、卒業後は定職に就かず、もっぱら本を読んで生活しているらしい。
報酬は私のポケットマネーから出すつもりだ。勝手に始める事だし、運営資金はすべて私の懐から捻出しようと決めていた。
平民で無職なんて珍しい。優秀なのに仕事につかないのは彼自身に問題があるのかもと心配はあったが、夜の短時間の仕事だし、簡単に引き受けてくれるだろうと高をくくっていた。
だが、彼の勧誘は難航した。
「それを引き受けることで、僕に何かメリットはあるのか?」
私が年下の少女だからか、レンバートは高慢な態度で聞き返した。
「人に教える時間があるのなら、自分の勉強を優先したい」とつれない。
「えっと…、そんなに勉強したいなら、他国の書物をプレゼントするわよ?」
「いや、結構だ。叔父は商人だから、欲しい本は全部頼めば入手できる」
私はぐぬぬ…!と歯噛みする。
「じゃ、じゃあ、私が勉強を教えてあげるわ! もっと勉強したいんでしょ!?」
私の言葉にレンバートは笑い出した。
「君が僕に教えるっていうのかい? いったい、何を教えられるっていうんだ?」
「算術でも語学でも地理や歴史でも、なんでも教えてあげられるわ!」
「へえ、だったら、君が彼らに教えればいいじゃないか?」
「私は毎日通う時間がないのよ! あなたには週1か週2で教えてあげるわ!」
「君は僕より年下だろ? なのに、僕より知識が上だと言うのか? だったら証明してみろよ」
「いいわ。勝負しましょ! 私が勝ったら引き受けていただきますからね!」
「ああ、いいよ」
レンバートは面白そうに笑った。
勝負は一週間後に決まった。
彼の叔父が入手した最新の文官試験の予想問題集から出題される。
文官試験は成績いかんによっては国の重要ポストにつくことが出来る重要な試験だ。毎年大勢の貴族や平民が試験に臨み、ほんの一握りの者が合格通知を受け取るのだ。
国内のみならず、諸外国の事情にも詳しくなければ合格することは難しい。かなりの難問が出され、幅広い知識が問われる試験だ。
当日、彼の家を訪れた私は、彼の母親が見守る中、向かい合ってテーブルに座った。
頼むわよー、国のトップレベル、最高の知識を誇る教育係の先生方から指導を受けた私の脳!
今こそ王女教育の成果を示す時!!
「公平を期すため、僕はまだこの問題集を見ていない。母には適当にページを開いてもらう。そのページの問題を順に解いていこう」
「あら、良かったのに。先に勉強しておいて構わなかったのよ?」
私は高慢にふふんと笑ってやった。
レンバートは一瞬ムッとして、そしてハッと息を吐く。
「では、始めよう」
彼の言葉で、母親は真新しい7センチほどの厚みのある問題集をおずおずと開いた。
私とレンバートはページを覗き込み、目の前に置かれたそれぞれのノートに答えを書いていく。
それを10回繰り返した。
見開き2ページには8~12問ほどの問題が載っており、全部で100問ほどを解いた。
ノートを入れ替えると、問題集の後ろにある答えのページを開き、答え合わせをしていく。
「へえ、なかなか良く出来てるじゃないの」
私は赤いペンでマルバツをつけていく。
レンバートの顔は徐々に青ざめ、そして最後はピンクに染まった。
「そんな…、馬鹿なっ!」
「あらあら、どうかした? さあ、どちらの成績が上だったかしら?」
ノートを取り上げ見比べた。
「これは…私の勝ちね。では、さっそく来週からお願いしますね」
にっこりと微笑んだ。
レンバートは俯いてプルプルと震えていた。しかし、諦めたようにコクリと頷いた。
いやあ、焦ったわー!
負けたらどうしようかと思った。
いや、私の方が年下だし王女だってバレてないから失う物はなにもないか。
王女教育を2歳から始めてもらって良かった。それに、ただの王女だったら、ここまでの教育は受けられなかったかもしれない。
私が次期国王と期待されていたから、文官並、いやそれ以上の知識を授けてもらえたのだ。
それと、彼には悪いが一部チートを発動させてもらった。外国語の問題は満点でした。ごめんね。
その翌週から、学校が休みの日に彼の家に赴き、週に一度、彼に勉強を教える日が続いた。
人に教えたことなどないと言っていたので心配していたが、彼の生徒たちの評判は意外に良かった。
夜間学校の噂を聞きつけた貧しい家の子供たちがさらに増え、1クラス30人ほどの席がいっぱいになるほどだった。もっと教師を雇ったほうがいいかもしれない。そのうちクラス数が増えそうだ。
月謝が無料なのが良かったのかも。わずかな月謝が払えず学校に行けなかった子供たちが結構大勢いたのだ。
レンバートは私に負けたのがよほど悔しかったのか、3カ月後には私が教えられることはほとんどなくなった。というか、すでに抜かれた気さえする。
どんだけ勉強したんだよ!?
私の天下は短かった。トホホ…
唯一、教えられるのは外国語だ。勉強家の彼でも、スキルの力には及ばない。
流行りの造語や、あまり使われない言葉は辞書には載っていないため、それらを質問され答えていく。
それでも数点質問されるだけで、教えているなんて言える状態じゃなかった。
私が彼の家を訪ねる回数は徐々に減り、月に一度の訪問になった。
そして1年後。
「それにしてもすごいわね。もう文官の知識レベルを超えてるんじゃない? 本当に勉強が好きなのね」
小さな子供に勉強を教えているだけなんて、もったいない気がする。
彼の母親がふふふと笑った。
「勉強が出来ても定職にもつかず、ずっと家にいて本を読んでいるだけで将来を心配していました。でも、リーラさんのおかげで仕事をしてくれるようになって、本当にありがたく思っています」
頭を下げる彼女に、私はいえいえと手を横に振る。
「私のとっさの考えで夜間学校を開こうと決めたはいいけど、教師がいなくて困り果ててました。彼が引き受けてくれて、とっても助かりました」
母親は微笑んだ後、言いにくそうに口を開いた。
「聞いてはいけないかと今まで聞けませんでしたが、あなたは一体どちらのお嬢様なのでしょうか? 貧しい者達の援助を進んでなさるなんて、まさか貴族様なのでは?」
彼らと知り合って、すでに1年。
今まで聞かずにいてくれた事に甘えて、正体を名乗らなかった。だが彼らに感謝を示す為にも、聞かれた事に正直に答えよう。
そう思ったのだが私が口を開くより早く、レンバートが笑い声を上げた。
「ハハハ! 母さん、こいつが貴族の訳がないだろう。こんな庶民的な貴族がいるもんか。せいぜい商人の娘…そうだ! あのスティーバ商会の関係者なんだろ。あそこはずいぶんと羽振りがいいからな」
ななっ!?
しょ、庶民的ーー!?
庶民の振りをしていても高貴な雰囲気が自然とにじみ出て、いつバレるかと心配していたのに! そんな心配は全く不要でしたか? ああ、そうですか。
しかし、スティーバ商会の関係者か…。あながち間違いではないかも。
私が複雑な顔をして言い淀んでいると、母親がホッとしたように頷いた。
「そうよね。私もそうだと思っていたけど、ちょっと心配になってしまって」
「え? 私が貴族だと何か問題があるの?」
「ええ、まあねえ。私もレンバートもずいぶんと失礼な物言いをしてしまっていたし、頻繁にこんなボロ屋へ来ていただいてたなんて申し訳なさすぎるもの。でもリーラちゃんがスティーバ商会の人なら納得がいくわ」
「ああ、あそこは最近じゃあ慈善事業も始めているからな。孤児院に薬を寄付したり」
ああ…と私は頷く。
そういえば、そんな話を聞いた事がある。
アンデッド王国内でスティーバ商会は一人勝ち状態だもんね。ほかの商会や商店主からのやっかみが強いから、福祉事業も始めたようだ。
「商人が庶民の暮らしを助けているってのに、貴族や王族は何をしてるんだかっ」
吐き捨てるようにレンバートは言った。
「学校のことだって、君じゃなく王族が考えることじゃないか? 運営資金は国が負担すべきものだ! やつらは平民のことなど考えてやしないのさ!」
「ちゃ、ちゃんと考えているわ! 私だってこうして…!」
思わず言い返してしまったが、ハッとして口をつぐんだ。
窓の外で今日の護衛のベントが手でバッテンを作っている。
うっ、やっぱ言っちゃダメかな?
「じゃ、じゃあ、あなたがやればいいじゃない。そんな人任せな言い方しないでさ! 文官になればいいのよ! 優秀な頭脳をお持ちなんだから、国政に携わる仕事につけばいいのよ!」
私の言葉に、母親が頷いた。
「私もそう思うわ。教師は別の人を探せばいい。あなたは普段から国政に興味があるみたいだもの。そうしたらいいと思うわ」
母親と顔を見合わせ微笑み合った。
だが、レンバートの顔は暗い。
「文官試験には受かっても、平民の僕がそんな要職につけるかどうか…」
「そこは私に任せて! あなたは安心して試験を受けなさいよ! こう見えてコネがあるんだから! 不正は出来ないけど、実力に見合った部署につけるよう働きかけてあげる!」
胸を叩く私を見て、レンバートは驚いていた。
それから3カ月後の文官試験を首席で合格したレンバートは市政局の重職についた。
口添えをしたが、特別に彼を優遇してもらったわけではない。
ただ私はお父様に、身分を問わず、優秀な者には能力に見合った部署につかせて欲しいとお願いしただけだ。
自身の能力を存分に発揮したレンバートは功績が認められ、次代の王となるマテウスの秘書に任命された。
王の側近の1人も民間からの起用だし、国の重要ポストに平民が抜擢されるのは珍しいことだがあり得ないことではなかった。
マテウスの留学時には彼も一緒について行った。
レンバートが文官となってから、私は1度も彼と会わなかった。
そして、次に会ったのがひと月前だ。
久しぶりの再会に心が浮足立った。
だが、彼の反応は淡白だった。丁寧に臣下としての挨拶をするだけだった。
ベントの言うように、本当に気付かなかったのかな?
町娘の姿ではなかったし、カツラも被っていない。でも、顔まで変えていたわけではないのに…
気を取り直して立ち上がった。
またも汗をたくさんかいてしまったが、朝よりも体が軽い。薬が効いたようだ。
さすが私の作った薬! すごい効き目だ。
窓の外を見るとお日様が真上近い。もうお昼のようだ。
その時、1階から男の怒鳴り声が響いた。
「おい、ふざけるなよ!? 何だよ、これはっ!!」
私はベントと顔を見合わせた。




