3. なんやかんやで、1歳になりました
ゾンビに囲まれ、悪夢の日々を泣き叫びながら過ごしたにもかかわらず、私はすくすくと大きくなった。
赤ちゃんの時に飲まされていたのは母乳でもミルクでもなく、透明なキラキラ光る水のような液体だった。特に味はないが、それを飲めばお腹が満たされ、満足感を得られた。あとで知った事だが、どうやらそれは世界樹から解け出た魔力を含んだ水らしい。この世界の人間や魔物、私のような化け物や、植物や動物など、ありとあらゆるものが、この世界樹の魔力を含んだ水を栄養としている。それを体に取り入れる事により、この世界の生物は全て、世界樹の魔力を体内に蓄えている。魔力を含んだ動物や植物を食べることで、それが栄養となるのだ。やはり、魔力を含んだ水だけでは、寝てばかりの赤ちゃんはともかく、活動するには栄養が足りないのだろう。
この世界のゾンビ=アンデッドは、ただの死体ではなく、赤ちゃんとして生まれ成長するらしい。成長速度は人間と同じくらいで、1歳になった私は、よちよち歩きが出来るようになった。言葉も話せるようになって、日々、周りを驚かせている。1歳児にしては、よくしゃべる子らしい。そりゃそうか。私はもう大人だからね。話す内容も、普通のゾンビの赤ちゃんより、きっと大人びているのだろう。
「ねえ、マリー。どうして最近、城の中がくさいの?」
私はすでに見慣れた、いつも私の側に控えるゾンビメイドに尋ねる。彼女はこの世界に転生して、一番初めに目にした灰色の肌のメイドである。初めて見た時には失神し、抱かれては大泣きしたものだが、1年の間、ずっと彼女にお世話をされた今では、彼女の顔を見ると安心する程である。慣れとは本当に恐ろしい。
1年前、この世界に誕生した時にも感じた、あの腐ったにおいが、ここ最近、急にお城中でにおい出したのである。この城の中には、各所に年中、ピンク色の大輪のバラが飾ってある。とても匂いの強い品種で、毎日嗅いでいても、一向に慣れることなく、むせ返る匂いだ。それが最近、腐ったにおいと混ざり合い、お互いを打ち消すことなく、両者の強烈な香りが主張し合っていて、頭痛を覚える。
マリーは申し訳なさそうに眉を下げる。
「ああ、これは、体が腐っているにおいですわね。毎年、暖かくなって、雨の多い時期になると、いっつもこうですわ。体にカビも生えやすいですし、腐りやすくなりますものー」
へ!? か、体が腐ってるにおい~~~!?!?
ヒクヒクと唇が引きつる。ゾンビに慣れてきたといっても、その単語は聞き捨てならない。わ、私の体も腐ってるの!?
慌てて自身の体の匂いや色を確かめる。くんくんとにおいを嗅ぐも、自分のにおいはよく分からない。もうゾンビやだ~~~!! 涙目である。
「まあ、姫様!? うふふ、姫様は大丈夫ですよー。アンデッドにしてはみずみずしい、新鮮なお肌をしてますからね。ただ…普段からカビっぽい人は、ますますカビが広がってくさくなりますし、見た目も悪くなりますよねー。私のこの肌もカビが生えちゃってるんですよ? ほら、色が変でしょう?」
驚いてマリーの顔を見た。この灰色の肌は、カビが生えてるからなの!?
「えへへ。私、こんなだから、未だに嫁の貰い手がないんですよー」
照れ笑いしながら頭を掻くマリーを、呆然と見つめた。
「私、カビの生えやすい体質みたいで、お風呂上りは、ちゃんと乾かしてから寝てるんですけどね。でも一旦、カビが生えちゃうと、落としてもすぐに繁殖するし、一回色がつくと、ぜんぜん落ちないんですよー」
体が腐敗したりカビが生えるなんて気持ち悪い~!と拒絶していた感情が、マリーの言葉を聞いて消え去った。結婚年齢は過ぎてしまったが、まだまだ若い女性であるマリーが、そんな悩みを抱えているなんて…。ただただ彼女が哀れに思えた。ゾンビに同情する日が来るなんて、前世では思いもしなかったんだけれど。
「お薬とかで、なんとか出来ないの?」
マリーは悲しそうに首を横に振る。
「他国にはカビを落とす強力な薬剤があるらしいんですけど、肌に合うか分かりませんし、そんなものを取り寄せるお金がありませんわ。もし、アンデッド王国に出回ってるなら、みんなこぞって買い求めるでしょうねー」
カビを落とす薬剤って…漂白剤みたいなものかな? そんなのを体に振りかけて害がないとは思えないけど。
「誰も試した事はないの? 少しだけなら取り寄せられるんじゃないの? お父様にお願いすれば?」
「いいえ」と、マリーはまたも首を横に振る。
「そのような贅沢品を国王様には頼めませんわー。それよりも必要な物がたくさんありますもの。他国には便利な魔道具もいろいろあるそうですしね。この国も徐々に揃えられればいいですわねー」
マリーは眉を下げて、ふふふと笑った。
あれれ? もしかして、アンデッド国って、他国と比べてだいぶ遅れてるの? まさか…!?と、部屋の中にある家具を見回す。
私の使っている部屋は広さはあるものの、家具が全てアンティークのように古びている。使っているベッドやソファはスプリングがきかないし、カーテンは破れたところが繕ってある。大きな姿見の鏡も、端の方が割れていて、一部欠けている。今、私が来ているドレスも、古着のように色あせていた。
「ねえ、マリー。まさかと思うけど、この城の中の装飾って、ホラー感を出す為に、わざと古びた感じにしてあるわけじゃないの!?」
はあ?と、マリーは首をかしげる。
「ホラー感って、なんのことですか? 確かに、少し古めかしいですよねー。あ、でも、姫様のお部屋は、なるべく新しい物を使っているんですよ。私の部屋はカーテンの生地が弱くなっちゃってるんで、触れないんですよー。すぐ破けちゃうんで」
「お父様!!」
私はよちよちと駆け足で国王の執務室前まで来ると、ドンドンと扉を叩いた。慌てて王の側近がドアを開ける。一人で来た私に、目を丸くして驚いている。
「おや、イザメリーラ! お前、一人で来たのかい!?」
王は、ドアの外にたった1人で立つ私に、驚いて声を上げた。その少しあとに、息を切らし、マリーが扉前にたどり着いた。
「ひ、姫様、急にどうしたのですか!? いけませんよ、国王様は今はお仕事中です!」
荒い呼吸のまま、マリーが慌てて私の手を取った。
「これ、まあ、よい。可愛いイザメリーラや、どうしたんだい? お父様になにか御用かな?」
国王は目尻を下げて私を手招きした。
部屋の中で豪奢な椅子に腰かけ、書類の乗った大きな机で仕事中のこのゾンビは、この国、アンデッド王国の国王、シュステムハイツ・ファイグ・ウィーダリッチ。私のお父様である。アンデッド国はまだこの世界では新しい国で、まだ建国300年ほどである。前は人間が治める、違う名前の国だったらしい。何故、今はアンデッドの住む国になっているのかは知らない。どうしてそんな事を知っているかというと、ゲームの中でそういった話が出てきたからだ。
基本、この城の人達はお父様を含め、私に対して、ものすごーく甘い。なにをしても、お父様に叱られたことなど今までに一度もない。怒られないのが分かっていたから、一番偉い人に聞いた方が早いと思って、ここに突撃したのだ。私が言うのもなんだが、こんなに甘やかしたら、将来、ロクな子に育たないと思う。ああ…だから、ゲームの中のイザメリーラは、あんなに切れやすく我儘だったのか。
私は部屋の中へと入り、国王に単刀直入に聞いた。
「お父様、我が国は貧乏なのですか?」
ううっ…と、国王はうろたえる。側近らは、おろおろと私と王を交互に見た。
「だ、誰がそんな事を言っていたのかな?」
「お父様、我が国は、外国からお薬や魔道具を買うお金がないのですか? この国でお薬は作れないのですか? 体が腐ったり、カビが生えたりしているのに、なにもしないのですか?」
1歳の娘に詰め寄られた国王は、ううう…と情けない声で唸るばかりで、なにも答えられない。仕方なく、側近の一人が口を開いた。
「姫様、我が国の特産品をご存じですか?」
うーん…と首をひねる。特産品かあ…。当然のことながら、私はまだ、なんの教育も受けていない。まだ1歳になったばっかりだからね!
「…もしかして、バラですか?」
側近は驚いた顔をしたあと、気まずそうに続けた。分かるわけないと思っていたようだ。
「せ、正解です! …よく、分かりましたね」
なんとなくで答えてみたけど、正解したようだ。この城の中には、年中、バラが活けてある。日本のように気候が変動するこの国でバラが年中あるのは、温室があるからだろう。この貧乏そうな国で温室があるなんて、ちょっと珍しいことなのかもと思っただけだ。
「我が国が一年を通して取引のある輸出品がバラです。これは何百年も前の王が、品種を改良し、美しく良い香りのバラの開発に力を入れた結果です。このバラこそは、世界に誇れる我が国の財産です」
側近は誇らしそうに言葉に力を込める。確かにあのバラは、見た目は大きく立派で、淡いピンク色の綺麗な色合いをしている。しかし、匂いが強すぎて、私にとっては、あまり好きな香りではないんだけどね…
「…しかし、それしか…ごにょごにょ」
「はい?」
小さな声で言った側近の言葉がよく聞こえなかった。私は耳を澄ましてもう一度と促す。
「それしかないのです! わが国には、他国へ輸出できるようなものは、他に何もないのです!」
「えっと…、ということは、薬や魔道具は高くて輸入できないって事ですか?」
「…はい、そうです」
側近は肩を落として俯いた。お父様は涙目になっている。「薬の研究は…」と言いかけた私を遮って、もう一人の側近が口を開いた。
「研究するにも資金が要ります。そのような事に予算は回せません」
「さあ、お帰りください」と、部屋から追い出されてしまった。扉を閉める時、側近の大きなため息と「ああ、また王の仕事が滞る…」という、愚痴が聞こえた。
お父様はショックを受けると、しばらく引きこもってしまう体質のようだ。前にお父様の頬ずりを泣いて拒否したら、丸一日、寝室にこもってしまったとマリーが言っていた。その頃は、まだゾンビに全然慣れてなかったからしょうがない。今は少しの時間なら、なんとか我慢出来るようになった。
それにしても、やっぱりそうか! この国は貧乏なんだ! 家具や衣類が古いのも、ただ買い替えるお金がなかっただけか。てっきりホラー要素の一部だと思ってたんだけどな。
ほうーっと、大きなため息が聞こえて横を見上げる。マリーが微笑んで眉を下げた。
「お咎めがなくて良かったですねー。さあ、お部屋へ帰りましょうね。今日はお天気が良くないですから、お部屋の中で遊びましょー」
マリーに手を引かれて部屋へと帰りかけた。しかし、私はマリーと繋がった手を振りほどくと、もう一度、執務室の扉を叩いた。側近らは、またか!と困った顔をする。構わず私は思ったことを口にした。
「お父様、お願いがあります! 私に書物庫へ入る許可をください!」
翌日、綺麗に掃除された書庫の中へと入った。この国で一番、本がたくさん置かれているのが、この王城の中にあるここ、大書庫であろう。2階にまで伸びた、かなり大きな部屋の中に、背の高い立派な本棚がずらりと何重にも置かれ、本がびっしりと詰まっている。この書庫に入れるのは王と、その側近、国政に携わっている役人の中で位が高い者たちだ。それ以外の者が入るには、王や地位の高い者の許可がいる。私がここへ立ち入るのは、今が初めて。まあ、普通、一歳児はこんな所で遊ばないからね。昨日、王に許可をもらった後、私が汚れたり怪我をしたりしないよう、昨日の内にメイドさんらが総出で、書庫の整理や掃除をしたらしい。
「姫様ー、書庫でなにをするんですか? まだ姫様には読めないでしょうに。大事な御本ばかりですから、傷つけないよう気を付けてくださいねー」
私はこくんと頷くと、背の高い本棚に並んだ本を眺める。
!! やっぱり読める! 転生した瞬間から言葉が分かったし、文字も読めるんじゃないかなあと期待していたけど、やっぱりそうだった。神様はいくつか特典を与えてくれるって言っていたから、これは神様がくれた能力なんだろう。まだ、他にも便利な能力があるのかもしれないが、今はまだ分からなかった。
手の届く一番下の棚の本を、一冊抜き取る。お、重い…
「あ、姫様! それを読んで欲しいんですか? では、貸してくださいー」
マリーの言葉に首を横に振り、私は、よいしょ!と本を広げた。
ふむふむ…。これは、この国の地図か…。さっそく、役に立ちそうな本を見つけられたんじゃない? 持っているようにとマリーに言って、本を渡す。ええっと、薬や薬草が載っている本はないかなー…っと。本棚を見上げながらうろうろと書庫内をうろつく私を、様子を見に来た側近が微笑んで見ている。私が指さした高い位置にある本を取ってくれた。
テーブルの上に、探してきた本をずらっと並べる。とりあえず目についた、薬草や薬の効能、ポーションに関する本、全部で10冊ほどだ。
「姫様…。もしかして、字が読めているんですか?」
昨日のお父様とのやり取りを聞いていたマリーは、私が取ってきた本を見て気付いたようだ。こくんと頷いて肯定する。よし、調べますかー!
薬草と薬の効能が書いてあるページを探し、気になる箇所に、用意してきたしおりを挟んでいく。地図を広げ、薬草の生育場所を調べる。ふむふむ。民間療法的な簡単な薬なら、この国に生えている草を使って出来そうだ。
用意した紙に、ペンでスラスラと材料と製法を書き写す私を、マリーと側近は固まって見ていた。
「薄々気付いておりましたが、姫様は、やっぱり天才でしたー」
「読み書きは完璧にマスターしておられます」
王の執務室で、マリーと王の側近は、大書庫でのイザメリーラの様子を王に報告する。王は大きく目を見開いたあと、息を吐きながら「そうか」と頷いた。同じく部屋の中でそれを聞いていた王妃は、困った顔で微笑んだ。
「陛下、あの子の正体が何者でも、私はあの子を愛していますわ」
「そうだね。もしかしたら、あの子は何かの役目を持って生まれてきたのかもしれないね。今はあの子を見守っていこう」
王と王妃、側近らは頷き合う。
こうして、1歳児とは思えぬ私の行動も、理解ある国のトップによって、温かい目でもって、受け入れられたのであった。
本で調べた薬になる材料をマリーや警護の騎士らに話すと、翌日からせっせと持ってきてくれるようになった。土付きで持ってきてくれた薬草は、城の中庭に作ってもらった畑に植えてもらう。自分でやってしまいたいところだが、なにしろまだ1歳なので、体力的にも無理である。マリーやお城のみんなを治してあげたいと始めたことなのに、かえってみんなの仕事を増やしてしまった。
今日も、マリーらメイドや庭師が、交代で薬草畑の世話をしていた。
「こちらのタププ草は、随分増えてきましたねー。姫様、こちらはもうこの位のスペースでやめときますか?」
「そうね。乾燥させてある在庫もけっこうあるから、そんなもんでいいわ。こっちのキューババ草がもっと欲しいのだけど…」
「じゃあ、あちらの新しい畑にはキューババを植えることにいたしましょう」
タププ草は、荒れた肌を整える作用があり、乾燥させて保存することもできる。キューババ草は摘み取ったばかりの新鮮なものから汁を絞り出して使う。殺菌効果がある草だ。絞り出した汁をお風呂に混ぜたり、体に塗りやすいよう、クリーム状の薬にする。他にも漂白効果のある鉱石や、保湿効果のある木の樹液、消臭効果のある木の葉など、集めれるだけ集めている。
他には、花の咲いている野草を集めて、香りの研究も始めた。体に塗る物だからね。なるべく良い香りがした方がいいだろう。この国の者達は、何故かあの強烈な匂いのするバラが好きだけど、私としては、他の香りを試したい。
「マリー、次はこれを使ってみて!」
私は今朝出来たばかりのクリームが入った瓶をマリーに手渡す。薬の実験体に、マリーは自ら志願してくれて、今まで作った薬をすべて試してもらっている。自分で試すと言ったのだけど、マリーやお父様、お母様に猛反対された。
マリーはひと月ほど前から、漂白+保湿成分の入ったボディークリームを使っている。漂白成分の入ったクリームなど顔に塗ったら痛いだろうと心配していたが、なんと、アンデッドは、痛みを感じないのだ! 私は生まれてから一度も痛い目にはあっていないので分からなかったのだが、そりゃあそうか。体が腐っているのに、普通に生活出来ているのだ。触られれば感覚があるし、目の見え方も耳の聞こえ方も普通だし、匂いも味も分かる。しかし、痛覚だけは人間とは違うのだ。体に力が加わった時、ある一定を越えると、そこから先はどれほどの負荷を加えても変化を感じないのだ。漂白成分の入ったクリームを塗っているマリーは、「少しピリピリいたしますー」と言うだけで、平気で日常を送っていた。
クリームのおかげか、随分と灰色の肌が占める面積が狭まってきていた。もともとの色である青白い色が、顔の半分ほどに広がっていた。
「このお薬は、どんな効果があるんですかー?」
「頭を洗った後、このクリームを髪に塗って少し置いてから洗い流してね」
いわゆるトリートメントだ。彼女は肌の色もそうだが、髪の毛に一番問題があると思っている。パッサパサのとうもろこしの穂のような髪をしているのだ。これを使えば、少しは改善するかもしれない。
「ありがとうございます。さっそく今晩から試してみますねー」
トリートメントの効果は、予想以上のものだった。マリーが使った翌日、誰もが目を疑うこととなった。彼女の髪は艶やかな流れるような金髪に変わっていたのだ! 他のメイドたちはこぞってこのトリートメントを欲しがって、城にいる女性はみんな艶のある髪へと変わった。お母様もいつの間にか手に入れていて、以前はギュッと上に束ねていた髪を、ふんわりと後ろに下ろす髪型へと変わっていた。
綺麗になったお城のメイドたちは成婚率が上がり、次々とメイドを辞めて嫁いでいった。少々行き遅れていたマリーも、無事にいいお家との縁談がまとまり、お城から離れていったのだった。