第4話
教室の中は騒然としていた。いきなり鬼瓦先輩が現れ、神代君を連れて行ってしまった。なんだか悲しそうな目で私を見ていた気がするけど、とてもじゃないけれど助けられる雰囲気じゃなかった。なんだか、あそこで神代君を止めると、私も連れて行かれそうな気がしたから。
「ああ、ドナドナが聞こえてきた気がするぜ」
松本君は確か神代君とバンドを組んで学園祭に出る予定の筈。気にならないのかな?
近くの席に腰かけていたので、聞いてみる事にした。
「ねえ、松本君は神代君の事、心配じゃないの?」
急に私が声をかけたからだろうか、少し驚いた表情で私を見つめてきた。
「へえ、直斗の事、心配なのか?」
なんだかからかうような声だけど、今は気にしている場合じゃないよね。
「それは、心配するよ。クラスメイトだもん。それに、連れて行ったのが鬼瓦先輩じゃない。あの人に殴られでもしたら、神代君死んじゃうんじゃないかな?」
神代君はお世辞にも、鍛えているとは言い難い体つきだもんね。もっとも、鍛えていたとしても、鬼瓦先輩のまともな攻撃をくらったら無事ではすみそうにないけれど。
「ああ、気にするな。鬼瓦先輩は事情もなくぶん殴ってくるような人間じゃねえよ。いかにもな顔と体つきで恐れられているけど、結構面倒見のいい人らしいし」
それは、そんな話は聞くけど……。
「それにな、あの人は岩月、お前が嫌がる事や泣きそうになる事はしねえよ」
「?」
何を言っているのだろう、松本君は? そして、何人かの男子と女子が彼の言葉に頷いている。何だろう? まるで私一人だけ何も分かっていないみたいでちょっと悔しい。
「ま、心配するな。直斗のヤツは無事戻ってくるよ。寝不足みたいなんでな、階段を踏み外して怪我くらいするかもしれねえが」
「いいんだよ、怪我したって。あいつ、俺を売ろうとしやがって……」
廊下側の席からそんな声が聞こえてきた。神代君が鬼瓦先輩から逃れようとして名前を騙っていた渡辺君だ。今はノートパソコンで何かかちゃかちゃやっている。もしかしたらエキサ●ト先生に英語の翻訳を頼んでいるかもしれない。その翻訳は、ほとんど無意味だよ?
「どうしたの、雪菜? 心配そうな顔をして」
ちょうどその時、隣のクラスから一緒に昼食をとろうとやって来た茜に声をかけられた。
「あのね……」
簡単に話を説明すると、茜も「ああ、心配する事はないよ」と言いだした。皆、いったい何を知っているんだろう?
「それよりもね、一年生への指導方法について相談があるんだけど……」
うーん、私は神代君の事、心配なんだけどなあ……。
――――※※※――――
屋上までやってきた。相変わらず頭の中ではドナドナが鳴り響いている。売られそうな仔馬の目で道行く学生を眺めてみたけど、大半の奴が苦笑するだけで助けてはくれなかった。
屋上には先客が二人いた。
一人は見た目いかにもインテリでございますと言わんばかりの長身の眼鏡マン。鬼瓦先輩と比べると、彼は随分とひょろく見えるが、実際ひょろい男である。
もう一人は、かなりのイケメンである。細マッチョと言ってもいいだろう。喧嘩しても勝てそうにないな。まあ、ひょろ眼鏡さんに勝てるかも怪しいけれどね、僕は。
「元空手部部長の鬼瓦じゃ!!」
「あ、それはさっき聞きましたんで」
何度も同じ事は聞きたくない。
「じゃあ、改めて自己紹介と行こうかのう!!」
いちいち声がデカいんだよね、この人。
「岩月雪菜非公認ファンクラブ会長、鬼瓦権三じゃ!!」
長男なのに、権三という素晴らしい名前の持ち主である鬼瓦先輩は、元空手部部長である岩のような男でありながら、岩月雪菜ファンクラブの会長もやっている男である。彼が岩月雪菜ファンクラブの会長をやっていると知った時、僕の中で鬼瓦先輩への尊敬の念は完全に崩れ去ったと言っても過言ではあるまい。団体戦で苦汁をなめている我が東桜高校も、個人戦だけなら県制覇を成し遂げているのである。
「岩月雪菜非公認ファンクラブ副会長の渡辺剛太です。よろしく」
剛太なんて、ごつい名前をしている癖に、ひょろい眼鏡マンはそう声をかけてきた。
「よろしく、ナベ先輩」
「俺をナベと呼ぶなぁッ!!」
もしかしたら、過去ナベと言われていじめられていたのかもしれない。だが、僕は気にしない。何故なら渡辺姓はだいたい“ナベ”と呼ばれるのだから。だいたい、親しくもない彼を他にどう呼べというのだ?
「渡辺先輩と呼べッ!!」
ビシッとポーズを決めながら僕の方を見つめてくるひょろ眼鏡。
「……よろしく、ナベ先輩」
僕は、そのナベ先輩の怒りに染まった視線を右から左へ受け流した。
「俺はもう一人の副会長、空手部現部長の石清水幻影だ。よろしく」
おい、このイケメン、今何と言った?
「済まない、もう一度言ってくれないか?」
「空手部現部長でもある石清水幻影だ。ま、今では“空手の貴公子”の二つ名の方が有名だけどな」
僕もその二つ名の方しか知らなかったよ。そう、我が校の“空手の貴公子”石清水は有名である。名字の方しかほとんどの人間は知らないだろうが。まあ、困ったことに他にも“テニスの貴公子”とか、“サッカーの貴公子”とか、我が校にはいっぱいいるんだけど。どこかおかしいよな、うちの高校。
「よろしく、幻影副会長。むしろ、幻の副会長」
「俺を名前で呼ぶんじゃないッ!!」
「ギャラクテ●カと言えば?」
「ふぁ、い、いや、マグナム……」
チッ、ひっかからなかったか。しかし、こいつ、ギャ●クティカで、思いっきり反応しやがった。きっと、名前のせいもあり、随分とからかわれたんだろうな。
「いいか。俺を名前で呼ぶんじゃない。今度名前で呼んでみろ、ばれないようにぶん殴ってやるッ!!」
やはり、その名前、気に入っていなかったんだね。いつの日か、改名出来るといいな。親を恨んで残りの人生を過ごすなよ?
「まあいい。今日来てもらったのは言うまでもない。神代、お主ファンクラブには入っていなかったな?」
「入っていないですよ」
何でクラスメイトになっているのに、ファンクラブに入らないといけないんだ? ……まともに会話をしたのが、十月に入ってからというのは悲しい話だけど。
「まあ、アレだ。今朝のお前たちを何人もの会員が目撃しているのでな。我らファンクラブの大半は彼女と直接会話をする度胸のない人間が多いのでな。笑顔を向けられたお前に対して血涙を流して悔しがった人間も多いのだ」
おいおい。
「一応、ファンクラブの中では抜け駆け禁止という約束事があるが、会員でなければ彼女とどのような付き合い方をしても構わん。ただ、お前のせいで彼女が危険な目に遭うとなれば、話は別だ。我らファンクラブ会員はお前の敵にもなりうるという事を忘れんで欲しい」
流石鬼瓦先輩だ。威圧感がハンパない。
「分かりました」
「一応、お前に対して危害を加える事は許さんと伝達はしてあるが、全員が全員それに従うかは分からん。お前も注意してくれ。完全に一枚岩ではないのだよ、岩月雪菜ファンクラブは」
「ま、お前が俺の天使雪菜に危害を加えた場合は、俺が直接お前をぶん殴ってやるがな」
「銀河をも砕く幻の左で?」
「そう、この俺のギャラクテ●カ・ファン……って、テメエ、何を言わせようとしているんだ!?」
このイケメン、からかうと面白いな。しかし、喧嘩になったら勝てやしないから、ここら辺でやめておこう。
「石清水をからかうのもそこまでにしたまえ。喧嘩しても勝てやしないだろう?」
「ナベ先輩には勝てるかもしれないな」
「フッ、僕が君に勝てるわけないだろう? 僕は、喧嘩なら小学校高学年にでも負ける自信がある」
何、情けない事をカミングアウトしちゃってるの、この人? 百八十くらいの身長が泣いているぜ? しかも、一人称が“僕”に変わっているぞ? もしかしたら、怒った時だけ“俺”に変わるのか?
結局、屋上まで連れていかれて話した事は、ファンクラブ会員の暴走に気をつけろ、という事だけだ。
おいおい、それだけで貴重な時間を無駄にしてくれたんですか?
やれやれ、教室に戻るか……。
予鈴が鳴った。昼飯、食ってねえ。しかも、今日は購買で弁当かパンを買う予定だったのに……。
英語の和訳を写す時間もない……。踏んだり蹴ったりだ。
教室に帰り、自分の席に座った。授業をサボる度胸のない、可哀相な僕よ。
机の上には、ルーズリーフが数枚置いてあった。
『今日の英語の和訳だよ。
授業、乗りきってね。
岩月』
と書かれていた付箋が一番上に貼られていた。
僕は思わず岩月さんの席に顔を向ける。
微笑みながら軽く手を振ってくれる岩月さんに、僕は両手を合わせて拝む仕草を見せた。
ああ、神様仏様雪菜様。今の僕には彼女が救いの女神に見えた。
持つべきものは成績優秀のクラスメイトだね!!
今日の近藤先生は、一味違った。
年が近く、さらに美人である為、生徒からの、特に男子生徒からの人気の高い彼女であったが、今日はおかしかった。
授業は滞りなく進んだ。
「じゃあ、次のページの和訳を、神代」
「はい」
岩月さんのノートがある僕にとって、英語の教科書の和訳など、あてられてもどうという事はない。スラスラと和訳を進めていく。ふむ、普段の僕の成績の悪さから考えて驚いている級友もいるが、何一つ気になることなどない。
「よし、そこまで。じゃあ、次のページの和訳を、神代」
「え?」
「どうした、神代?」
「わ、分かりました……」
聞き間違いじゃなかったんだ……。
「よし、そこまで。じゃあ、次のページの和訳を、神代」
「はい?」
ま、いいか。まだ岩月さんの和訳の続きは残っている。
「よし、そこまで。じゃあ、次のページの和訳を、神代」
「またですか?」
「なんだ、何か文句でもあるのか、神代?」
「い、いえ……」
逆らうのはやめておこう。
「よし、そこまで。じゃあ、次のページの和訳を、神代」
「もう、許してください」
「ダメだ。さっさと和訳しろ、神代」
「はい……」
結局、その日だけで二十ページ以上和訳が進んだ。十ページ目以降はエ●サイト先生も真っ青の和訳になった事を付け加えておこう。
「じゃあ、次回の授業も和訳は神代、頼むぞ。今度は誰かのノートの写しも、エキサ●ト先生も使うんじゃないぞ」
「勘弁してください……」
「あと、イチャイチャするなよ。独り身の私に見せつけやがって……!!」
「誰か助けてくださーい!!」
誰からも救いの手が差し伸べられる事はなかった。
高校の名前をS県立東桜高校にしてみました。
実在する学校とはかぶっていなければいいのですが……。
もし、そんな学校が実在するのであれば、ご一報くださると幸いです。
違う名前に変更しようと思います。