第10話
憂鬱だ……、ところで、憂鬱って漢字で書けるかい? 僕は書けない。数年前に大ヒットしたラノベのタイトルに使われている字の為、マニアな連中は何故かこの字を書ける奴も多いという話だ。本当かどうかは知らない。後、薔薇という漢字も書ける人間も多い。あんなに難しいのに、だ。マニアというのは本当によく分からない。いわゆるヤンキー連中が“喧嘩上等”やら、“天上天下唯我独尊”やら、“夜露死苦”だの、簡単に書けるのと近いモノがあるのかもしれない。……天上天下唯我独尊くらいなら、僕だって何も見ずに書けるけどね。高校二年生、バカにすんなよ? 意味? 俺様サイコー、じゃないの? 違う?
はあ……、朝っぱらから僕はいったい何を考えているのだろう?
結局、夜中の三時までかかって宿題をやったけど、睡魔に襲われて、よく分からない文字が書きあがっていた。まあいいや、松本の宿題を写させてもらえばいいや。……あいつが宿題、やっているかな?
あまりにも遅くまで起きていたもんだから、今日は電車の中で眠りたいと思い、いつも乗る電車の二つ前に乗った。この時間帯なら、座れるからだ。
家を出る前に通学カバンをチェックする。宿題、本来なら金曜日に岩月さんに貸すはずだったCDをいくつか。教科書類はもちろん入っていない……、よくこんな状態で宿題をしたな、自分。そりゃ、問題の意味も解答に至るヒントも分からないわけだよ。
まあ、怒られた時はその時だ。廊下でバケツでも持って立っておこう。
そして、空いていた二人掛けの席に座り、うつらうつらしていた時、隣からいい匂いがしてきた。いい香り、と表現した方がいいのかもしれないけど、今の僕には、そんな余裕はない。ちくせう、学校に着くまで眠っておきたかったのに……。
でも、僕のそんなねじ曲がった思考は、隣に座った人の笑顔で、かき消された。
「おはよう、今日は早いね。どうしたの?」
彼女の太陽のような笑顔は、いつ見ても、いや、特にこういう睡魔に支配されそうな時に見る彼女の笑顔こそ、僕にとって世界さえ変える笑顔だ。そして、近くにいる学生から向けられる殺意は、どことなく心地いい。……男子から向けられる殺意は何とも思わないんだけど、結構な数の女子からも殺意を向けられるのは、何故だ? もしかして、女子の中にも岩月雪菜非公認ファンクラブの会員はいるのだろうか?
「おはよう」
寝ぼけ声のまま、返事してしまった。僕は悪くない。睡魔が悪いんだ。世界が明るく華やいだモノになったと言っても、奴らは完全に消えたワケじゃない。
「もしかして、昨日夜遅くまでギターの練習してたの? あんまり頑張り過ぎないでね? 体調壊して本番のステージに立てなくなったら、元も子もないよ」
……言えない。連休中の宿題を忘れていて、日付が変わった頃から始めて、しかもまだ終わっていないなんて言えないよ。
「いや、まあ、そんなところ……」
誤魔化してしまえ。
「ふふふ、嘘ばっかり。宿題していません、って顔に書いてあるよ」
「え? マジ?」
ああ、悲しいかな、図星をさされて慌てふためいてしまう僕よ。
「やっぱり……。ただ単に忘れていただけでしょ?」
はったりだったの? うーん、僕は思った事が表情に出やすいのだろうか? いや、違うな。岩月さんの前だからだ。うん、そう思う事にしよう。
「すみません。完全に忘れていました」
「仕方ないなあ……、私の見せてあげるから。所々変えて写して提出してね」
そう言いながら、プリントやら、ノートやらを貸してくれた。もうこの際だ、今のうちに渡しておこう。
「じゃあ、コレ。僕オススメのCD。返すのはいつでもいいから」
「やった。連休中に本当は聞きこむ予定だったんだけどね。ふふ、念のため今日も持ってきていたんだよね」
そう言いながら、ポータブルCDプレイヤーに早速CDをセットする岩月さん。CDをセットする動作さえ、僕がするのとは全然違う。雅ささえ感じてしまう。だいぶ僕は岩月さんに惹かれているのだろう。岩月さんの動き全てが美しく見えてしまうのだから。でも、やっぱりこの時代にポータブルCDプレイヤーは古いだろうか? つい、そんな事も考えてしまう。
そして、電車が学校の最寄駅に着くまで(たった二駅だけだけど)、岩月さんの隣に座るという幸福を味わえた僕は、学校まで一緒に歩く事にした。
今日は、江藤さんとも近藤先生とも会わずに、二人でゆっくりと歩くことにした。
「やっぱり、九十年代の歌手が好きなんだね?」
「九十年代には詳しくないよ。ただ、好きになったバンドが九十年代前半から半ばに結構売れた人たちなだけなんだよね」
元々、某長寿アニメの第三シリーズ(?)のオープニングやエンディングを歌っていたバンドの人たちの曲が好きでベストアルバムやらオリジナルアルバムを集めたんだ。そこから、いわゆるビーイング系のバンドのアルバムとかを集めたんだ。まあ、そこまで説明する必要はないかな。
「近頃の曲は好きじゃないの?」
「今度の学際でやるのは、近頃の曲だよ。一枚、彼らのベストアルバムも、今回貸したのに入れてあるから」
「そうなんだ、じゃあ、そっちを先に聞いてみるね」
そこまでメジャーなバンドではないから、学園祭で弾いても、盛り上がるかどうか、ちょっと心配なところではあるけれど。噂では僕以外のバンドメンバーが布教しているらしいから、まったく盛り上がらないなんて事はないだろう、たぶん。
でも、やっぱり楽しい。
世間一般から見ても美少女の岩月さんと、こうして一緒に登下校したりするのは。いつも独りだったからなあ……。うん、いいモノだ。
ああ、こういう時間が長く続けばいいんだけどなあ……。
まあ、しかし、好事魔多しというか、いい事は長く続かないというか、どんな言葉が一番しっくり来るのかは分からないけれど、僕の幸せは長続きしなかった。
教室に着き、僕はせっせと岩月さんの宿題を写す事に集中していた。もちろん、ところどころ少しずつ変えながら、という小細工をしつつではあるので、多少時間はかかるのだけれど。岩月さんは岩月さんで、僕が貸したCDを聞くのに熱中していた。リズムをとっているのだろうか? 軽く体が揺れている。目を閉じ、微笑みながら。本当は見惚れていたいところだ。何人かのクラスメイトは見惚れている。その笑顔を僕だけに向けて欲しいと願うのは、強欲だろうか?
僕の机の周りには何人かのクラスメイト。先生が来たりしたら声をかけてくれ、とお願いしておいた。宿題を写しているのをバレたらお終いだからね。
クラスメイトは快く了解してくれた。彼には後で僕が写した方のノートを貸す事になっている。僕もクラスメイトも、気を抜いていたワケじゃない。教室前方のドアには注意をしっかりと払っていた。もちろん、カモフラージュだってしている。
しかし、敵は後方のドアからやって来た。しかも、上機嫌で。
「おおい、神代。お前から借りていたCDを返しに来たぞ!!」
近藤先生であった。何故か少し上機嫌だ。普段なら彼女の朗らかな声を聞くのもいいモノだが、今の僕には死刑宣告に等しかった。
さっと、ノートやプリントを机の中に隠したが、もちろん近藤先生に見つかってしまった。
「おい神代、今隠したモノを出せ」
「何の事でしょう?」
とりあえず、とぼけてみた。抗ってみるのも悪くない。
「バカ言え、ばれてるんだよ。どうせ、誰かから宿題を借りて写している作業だろう? さっさと出せ、今なら怒られるのはお前だけだ」
まあ、そうなるよね。岩月さんに害が及ばないようにしなければならないね。
僕は机の中から岩月さんのノートやらプリントを出す。抵抗は、無意味だ。
「へえ、岩月のねえ。あ、そうだ、CD返すぞ。これのおかげで有意義な週末
になった。その事には感謝する」
「じゃあ、見逃してください」
「それとこれとは、話が別だ」
ですよね。
そして、岩月さんのノートやプリントを持って、彼女の席へと向かう。岩月さんはまだ気付いていないのか、微笑みながらリズムをとっている。
「幸せそうな顔しやがって……。独り者の私にはキツイ。一発ぶん殴るべきか?」
そう言いながら、岩月さんの頭頂部にチョップを振り下ろす。
「きゃん!!」
可愛い悲鳴が聞こえてきた。
「な、何するんですか……って、近藤先生!?」
「幸せそうないい笑顔だなあ……、岩月。先生はお前が羨ましいよ。ところで、何を聞いているんだ?」
「か、神代君オススメのバンドの曲です……」
「ほう、私も聞かせてもらおうか。あ、これ、返すぞ。神代が『やはり、自力で解いてこそ男、否、漢』とか言っていたのでな」
そんな事言ってねえよ!?
僕の心の声が聞こえたワケじゃないだろうが、近藤先生は岩月さんの前の席に腰かけ、イヤフォンを一つ岩月さんの耳から抜き取り、自分の耳へと入れた。そして、僕に見せつけるかのような笑顔を向ける。
ぐっ、元が美人なだけあって、なんだか様になっているぞ……。羨ましい、超羨ましい。近藤先生、そのポジションを僕に譲ってください。お願いだから。今なら土下座をしてもいいかもしれない。
「へえ、疾走感のあるいい曲じゃないか」
「ですよね。神代君はいいバンドを紹介してくれました」
「まあ、それでも、宿題を自力でしてこないのは頂けないがな」
「……ですよね」
結局、その日の僕は散々であった。
そうとしか言いようのない一日を過ごしたのであった。
学園祭が、少しずつ、少しずつ近付いてきていた。
本文中で出てくる某長寿アニメは、ドラゴ●ボールです。
無印→Z→GT。




