第8話
『へえ、それで、雪菜のクラスは大正喫茶なんていうよく分からない模擬店に落ち着いたワケね』
携帯電話から聞こえてくる茜の声は、笑いをこらえているように感じられた。分かるなあ、私だって、茜の立場だったら、きっと笑いをこらえるのに必死だと思うから。でも、今の私は茜の立場に立って物事を考えている余裕なんかないんだ。
「まあ、メイド喫茶じゃなくなったのはありがたいんだけど……、大正喫茶って何かな?」
『大正時代の女学生のコスプレをして接客するだけじゃない。単なるコスプレ喫茶よ、露出が少ないだけの』
「身も蓋もない言い方だなあ……」
『雪菜がさっき説明した事に、少しだけ事実を付け加えただけじゃない』
「そうなんだけどね……」
日課となった茜との電話。その内容は、今日のLHRの話題に集中していた。
『でも、良かったじゃない、メイド喫茶にならなくて』
そう、それは助かった。心からそう思っているんだけど……。
「何でその事知っているの?」
私は教えていない筈なんだけどなあ……。子供の頃、父さんに買ってもらったトール(クマのぬいぐるみ)を抱きしめながら、茜との会話を続ける。
『そりゃ、雪菜のクラスの出来事だからね。皆知っているよ。凄い噂だもの』
何で、私のクラスの出来事だと、皆知っている事になるのかな? よく分からない情報網が我が東桜高校には存在するよね。
『でも、メイド喫茶をしたいって神代君が言った時、雪菜は神代君に「私のメイド服姿、見たいの?」って言ったそうじゃない? 他の男子には一言もそんな事聞かなかったのに、何で神代君にだけメイド服姿見たいか、って聞いたの?』
そう言われればそうだ。確かにあの時、男子の「メイド、メイド!!」の合唱が怖くなって、助けを求めるつもりで神代君にメイド服姿を見たいかどうか、聞いたんだっけ。……男の子って皆、メイド服が好きなのかな? それとも、メイドが好きなのかな?
「何でだろう? 神代君なら助けてくれるって思ったのかな?」
いつの日か、神代君の前でメイド服を着てみようかな……? それで、上目づかいで頬を赤らめて「ご主人様」トカ言ってみたら、神代君はどうなるかな? ……ハッ、私はいったい何を考えているのだろう?
『雪菜、あんた今いったい何を考えていたの?』
「な、何も考えていないよ? 神代君の前でメイド服を着てみようかな、とかそれで彼の反応を見てみようかなとか考えていないよ? まったくもってそんな事考えていないんだからね?」
『…………語るに落ちたわね、雪菜』
……ハッ!?
「わ、罠よ、これは、茜の罠!! 違うんだから、私はそんな事考えていないんだから!!」
「そんな事って何かな?」
うぐ……、口喧嘩では茜に勝てない。ここでひきさがろう。傷口を広げる前に、いや、広げられる前に。そう、これは敗北ではない。戦略的撤退ってヤツだよ。
「ま、まあ、そんな事はどうでもいいじゃない。うん、どうでもいい事だよ。そろそろきるね。明日の授業の予習もしないといけないからね」
まあ、全くの嘘だけど。何故なら明日は土曜日で学校休みだから。……我ながら苦しい言い訳だなあ。
『何言っているの、明日学校休みじゃない。今日は少しくらい長話したって、雪菜のご両親も文句言わないでしょ?』
まあ、茜とならどれだけ話をしても一定の金額以上にはならないから、別にいいんだけどね。携帯電話会社の通話プランには、声を大にしてお礼を言いたいね。
『でさ、気付いている、雪菜?』
「何?」
茜は私が通話プランに感謝している事など気にもせず、話を続けていた。そりゃそうだよね。私が通話プランに感謝している事に気付いていたら、もう、茜に隠し事なんて出来なくなっちゃうよ。隠したい事くらいあってもおかしくないよね、例え親友が相手でも、さ。
『雪菜との電話でさ、神代君の話題、結構多いんだよね』
「そうだっけ?」
気にした事ないなあ……。
『しかも、二週間前からだけど、ね。ね、何かあったの、神代君と?』
二週間前……、きっと、初めて神代君が夕暮れの教室でギターを弾いていたのを見た頃の事かな?
「二週間前……。そうか……」
やっぱりあの頃から、私は神代君の事、凄く気にしだしたのかも知れない。それが、彼に対して好意を抱いていたのか、ただ単に彼の事が気になりだしたのか、私にはまだ分からないけれども。
『何かあったの?』
「あのね……」
私は観念して神代君と話すきっかけになった事を茜に話した。今まで話した事もあった気もするけど、自分の心を整理するのもいいかもしれない。
「と、いうわけなんだけど……」
『ごめん、寝ぼけていて聞いていなかった』
「ちょっ、茜さん!?」
つい、変な口調になってしまっていた。私の覚悟を決めた話を、寝ぼけていたですと?
『冗談、冗談。あんたなら、いい男よりどりみどりだと思うんだけどねえ……』
何を言っているのだろう?
『それにしても、神代君かあ……、ま、頑張れ。彼なら競争相手、少ないと思うよ?』
何の競争相手だろう? 勉強? 勉強なら確かに彼、下から数えた方が早いけどね。まあ、私は東桜高校でトップクラスの成績だから、彼とは勝負にならないけどね。
『ねえ雪菜、あんたまたおかしな、ううん、可笑しな事考えているでしょ?』
何で分かるのだろう?
『たぶんだけど、雪菜、貴女やっぱり神代君に恋しているんだと思うな』
「鯉? 広島?」
『誰がプロ野球の事を話題にしているもんですか!!』
怒られてしまった。解せぬ。……じゃなかった、仕方ないね。
「恋? そうかなあ……?」
自分ではよく分からないなあ。でも、神代君の事がだいぶ気になりだしたのは、事実かなあ? ねえ、トール、貴方はどう思う?
……熊のぬいぐるみが返事するわけないじゃん……。
『広島はいつになったら優勝するんだろうね……?』
「最下位にならないだけマシじゃん」
そう、最下位はだいたい、いつもあのチームなのだから。
その後は色々な話をして、電話をきった。
もう、今日はトールをギュッと抱きしめて眠ろう。いい夢を見られますように。
あ、神代君からCD借りるの忘れてた。メールをしておこうっと。
数分後、返信が来た。もう、日付が変わる頃だというのに、凄い速いな、返信。
『僕を●島と呼ぶな!!』
……? アレ? 送信済みメールをチェックすると、『●島君、月曜日にCD貸してね』って書いてあった。寝ぼけていたからって、酷いな、私。
一応、謝罪メールを送っておいた。 月曜日に会った時、怒っていなければいいけれど……。
「ごめん、許してってば、神代君」
「いいや、許さん。僕を●島と呼び続けた罰だ。コレを着たまえ」
……数分後。
「ゆ、許してください、ご主人様」
目の前には、血走った目で鼻血ダラダラの神代君がいた。そして、何故か衣服を脱ぎながら飛び上がり襲いかかって来た。これが、噂に聞くル●ンダイブだろうか?
「うわぁぁぁぁぁッ!?」
私はその晩、恐ろしい夢を見て、飛び起きたのだった。
――――※※※――――
いやあ、教師にも休みは必要だよ。運動系の部活の顧問なんてしないで良かった。
今日は、ゆっくり酒でも飲もうじゃないか……一人で。
寂しくなんか、ないよ。慣れたもんね、一人に。否、独りに。
まあいい、今日は●島、じゃなかった、神代からとりあげたCDでも聞きながら一晩過ごそうじゃないか。
私も九十年代の音楽はそんなに知らないからな。何故なら若いから。
お、この歌は聞いた事があるな。車のCMソングか何かでカバーされていたな。
……凄いな。いやはや、上手い歌手がいたモノだな。これは、神代に感謝だな。
気が付けば、ネットレンタルに手を染めていた。
ベストアルバムに収録されていない曲も聞きたくなってきたからだ。どうしよう、シングルのカップリング曲はアルバムに収録されていない曲もあるだと……、よろしい、ならば明日はちょっと中古CDショップ巡りだ。買い集めてみせる!! そう、今の私は狩人。絶対に買い集めてみせる!!
八インチシングルCDは、もうほとんどの中古CDショップじゃ取り扱っていないだと……? 早く言ってよ。情報弱者たる私が悪いのか?
中古CDショップ巡りをして、徒労に終わった私は、八インチシングルCDを求めて、ネットの海を泳ぎ渡った。ハハハ、着弾待ちだ。楽しみだなあ。……次の給料日まで、生き残れるだろうか? 酒を、控えなければ、な。
金欠の事など忘れて明日までは、音楽三昧だ!!