追跡 2
ブリューナクを追って進むアーデたちは、視界一杯に広がる緑を掻き分けながら、森のさらに奥へと踏み入る。
周囲には苔の生した大岩などが散見されるようになってきたことから、オスタリカ皇国の国境線となっている岩石地帯へと近づいているように見えた。
国境線とはつまり、国家の境目を示す線である。
だが、国同士が隣接していたなど遠い昔の話だ。
今となっては、国境線を超えた先にあるのは、竜が跋扈する危険地帯のみ。
他国は、その竜たちの領域を抜けた遥か先にある。
より現実に即した表現をするならば、国家とは世界中に“点在”する人間の生活区域であり、それを区切る国境線とは保有戦力で維持可能な“防衛線”に過ぎない。
そして、国境に近付くということは、竜の領域へと近付いていることと同じなのだ。
ブリューナクの残した痕跡は、さらに奥へと真っ直ぐに続いている。
当初は足跡などを探しながら進むつもりだったのだが、そんな面倒なことをする必要がないと、誰もがすぐに気付いた。
引き千切られ、叩き潰され、黒焦げになった竜の死骸が、進む先には無数に転がっていたからだ。
その数は、先ほどの広場で見たものも含めて、とうに五十は超えている。
まるで道標のように続く死骸の道を進み、やがてアーデたちは、ある場所へと辿り着いた。
*****
『まさか、ここに入るんじゃないだろうな……』
アーベルがうんざりした口調でそうぼやくが、アーデもサイラスも、さも当然といった様子で準備を進めている。
彼らの眼前、その地面には、巨大な洞窟が真っ黒な口をぽっかりと開けていた。
竜騎兵でも問題なく入れる大きさの穴は、落盤しないよう丸太組みでしっかりと補強されている。
どうやら大昔の採掘場跡らしい。
この辺りでは昔、銀鉱石が採れたという話はどこかで聞いたことがあるが、何十年も前に鉱床は枯れ果て、そのまま打ち捨てられたという。
アーデも実際に採掘場を見るのは初めてだった。
そして入口には、恐らく近辺に生息していたであろう石鱗竜が、真っ二つの屍となって放り出されている。
見当たらない下半身は、ブリューナクが中へと引きずって行ったのだろう。
石鱗竜の体液で描かれた線が、まるで奥へ来いとでも言わんばかりに採掘場の内部へと続いていた。
穴の奥からは、時折あの不気味な鳴き声が響いてくる。
複雑に入り組んだ内部で反響し増幅された音は、まるで侵入者を威圧するように入口から噴き出していた。
間違いなく、奥で戦闘になる。
『竜騎兵を使って採掘していたらしいから、このまま入っても大丈夫だろう。とはいえ、さすがに六騎は多すぎるな』
見たところ、三騎で進むのが限界だろうか。
それ以上はお互い邪魔になって効率が悪いだけだ。
三騎となると、アーデに加えてアーベルとサイラスという構成が妥当だ。
護衛騎士たちは閉所での戦闘には慣れていないし、彼らが焦ってバンカーなど使おうものなら、崩落で生き埋めになる危険もある。
『私とアーベル、そしてサイラスで中に入る。他はここで待機だ。援軍の狼煙を上げて、本陣にこの場所を伝えてくれ。竜除けを焚くのを忘れるなよ』
了解しました、と返事をして、三人の騎士が竜騎兵を降り、それぞれ作業を始めた。
アーベルも、やれやれと言いつつ、準備にかかる。
内心ではブリューナクの操縦者が気にかかっているのだろう。
アーデたちは、運搬してきた武器の中から使えそうなものを選別し、自騎の換装を始める。
カノンや大型バリスタなどは狭すぎて使えないし、サイラスのアクスバンカーのように威力が高すぎる兵器も危険だ。
使えるものといえば、小型のバリスタや連発式で威力の劣るバンカー、あとはブレードくらいのものだろう。
武装としては正直言って心許ないが、何も奥まで行って寄生竜を全滅させようというわけではない。
内部を調査し、標的の存在を確認できれば、あとは本体と合流後に爆薬で落盤させるなり、煙で燻り殺すなり、やりようは幾らでもある。
その脇で騎士たちが火を焚き、そこへ拳大の丸薬のようなものを放り込む。
すると、みるみるうちに煙は朱に染まり、援軍要請を表す赤い線が上空へと伸びていく。
本陣がこの煙を発見すれば、じきにアルベンスタン率いる本隊がここへとやって来るだろう。
『さて、では我々も進むとするか』
そう言いつつ、装甲の各所に大きなカンテラを吊るした三騎の竜騎兵が、暗闇の中へと歩を進めていった。
*****
ぼんやりとしたカンテラの明かりの中を、慎重に進んで行く。
盾を構えて前衛を務めるのは、アーデのクラウソラスとサイラス騎。
その後ろ、数歩離れた場所で、アーベル騎が小型バリスタを構えて前方を狙っていた。
内部は基本的には一本道なのだが、想像以上に曲がりくねっており、前方の視界が悪い。
『暗がりからいきなり襲われたら一巻の終わりだな、こりゃ』
と、比較的安全なポジションのアーベルがぼやく。
冗談めかした台詞だが、前を進む二人にとっては冗談では済まされない。
この状態だと、どう足掻いても格闘戦以外の選択肢はないだろう。
『頼むから、間違って撃たないでくれよ』
というアーデの言葉に『はいはい、分かってますよ』とアーベルは軽く答えるが、実はこちらも内心では落ち着いてなどいられなかった。
格闘戦にもつれ込んだ場合、前衛は盾での防御に全力を傾けざるをえない。
そして彼らの生死は、攻撃を担当する後衛の腕にかかっているのだ。
しかしながら、辺りは暗くしかも狭い。
先ほどアーデが言ったように、誤射の危険性が非常に高い状況だ。
割に合わない仕事だな、と感じたところで、今さらどうしようもない。
どろりと粘り付くような濃い闇を、カンテラの炎がゆっくりと溶かしていく。
やがて何度目かわからない曲がり角に差し掛かり、全員が最大級の緊張感をもって奥へと歩を進めた。
が、その先にあったのは、真っ暗な空間。
両脇を囲んでいた壁もどこかへ消え失せ、前方と同じような底なしの闇だけが続く。
数瞬経って、ようやくそこが広い空間なのだと気付いた。
『サイラス、発光筒を撒いてくれ』
アーデの指示で、サイラスは自騎のポーチから大きな筒状の物体をいくつか取り出した。
それらの先端をカンテラの火にかざすと、途端に激しい光を放ちながら燃え上がる。
発光筒には輝鉄と呼ばれる卑金属を練り込んだ発火剤が仕込まれており、短時間ながら強い光を発して闇を照らすことができる。
その発光筒をサイラス騎がひとつ、ふたつと点火し、それぞれ別の方向へと放り投げた。
カンテラの柔らかい光に慣れた目が、突然の強烈な光に驚き、視界が白く染まる。
やがて目が慣れ、目の前に広がる空間を認識できるようになると、全員がその異様さに息を飲んだ。
巨大なホール状の空間。
その壁という壁、天井に至るまでを、絹のような純白の何かが覆っている。
そしてやや高い天井からは、白い何かで編まれた繭のようなものがぶら下がっている。
発光筒の強い光でやや透けて見えるその中には、獣や鳥、果ては竜までもが、干乾びた死骸となって封じ込められていた。




