第3話:焦燥の炎と鋼の蹂躙
カイルは走っていた。
肺が焼け付くような息苦しさを無視して、ただ村へと続く獣道を駆け抜けていた。
小屋で寝ていたカイルは、今まで感じたことの無い、何とも形容し難い感覚で目が覚めたのだ。
空気が、泣き叫んでいた。
小屋を飛び出したカイルの視界には、いつも世界を穏やかに満たしているはずの「光の粒子」が、おぞましい赤黒い色に染まり、捻じ切れるように渦巻いているのがはっきりと見えた。
それは明らかに自然の現象ではない。
強大な力を持つ何者かが、周囲のエネルギーを強引に搾取し、暴走させている証拠だった。
風に乗って、焦げた木材の臭いと、微かな悲鳴が鼻腔を突く。
「……くそっ!」
無意識のうちに悪態が口をついて出た。
なぜ自分がここまで焦っているのか、カイル自身にも分からなかった。
あの村には、自分を蔑む者しかいない。
「精霊に嫌われた欠落者」
物心ついた時からそう呼ばれ、石を投げられたことすら一度や二度ではない。
村がどうなろうと、自分には関係ないはずだ。
あの静寂の村リトに、自分の居場所など最初から無いのだから。
それでも、足は止まらなかった。
理不尽な暴力によって、平穏な日常が一方的に奪い去られることへの、本能的な怒り。
ただそれだけが、カイルの背中を強烈に押していた。
森を抜け、視界が開けた瞬間。
カイルの目に飛び込んできたのは、赤々と燃え上がる村の惨状だった。
精霊の加護によって守られていたはずの防壁は、まるで紙細工のように無残に破壊されている。
「ひ、ひぃぃっ!」
「お願いです、許して……!」
広場には村人たちが集められ、地に伏して震えていた。
彼らを取り囲んでいるのは、黒い甲冑に身を包んだ屈強な兵士たち。
その装甲には、剣と盾を交差させた帝国の紋章が深く刻み込まれていた。
「……帝国軍」
リアナの言葉は真実だった。
彼女を追って、この辺境の地にまで軍隊が乗り込んできたのだ。
広場の中央では、ひときわ巨体を誇る男が、初老の村長の胸ぐらを片手で軽々と吊り上げていた。
男の顔には深い傷跡があり、その目は獲物をいたぶる肉食獣のように冷酷だった。
帝国軍百人隊長、ガルカス。
「もう一度だけ聞くぞ、老いぼれ」
ガルカスの声は、地鳴りのように低く響いた。
「銀髪の小娘がこの辺りに逃げ込んだはずだ。どこに隠した?」
「ほ、本当に知らないのです……!我々の村には、そのような者は……!」
必死に弁解する村長。
嘘ではない。カイルが匿っている以上、村の誰もリアナの存在を知るはずがない。
だが、ガルカスは不快そうに舌打ちをした。
「知らぬ、存ぜぬ、か。辺境のネズミ共はどいつもこいつも同じ鳴き声しか出せんな」
ガルカスが空いている右手を軽く天に掲げる。
その瞬間、カイルの視界で、大地のエーテルが悲鳴を上げてガルカスの手に吸い寄せられるのが見えた。
精霊への祈りでも、対価の支払いでもない。
圧倒的な魔力による、強引な「搾取」。
「ヒィィッ……!」
ゴゴゴゴゴッ、という重い地響きと共に、広場の地面が割れた。
そこから巨大な岩の槍が突き出し、近くにあった民家を一瞬にして串刺しにして粉砕した。
家屋が崩れ落ちる轟音と、舞い上がる土煙。
村人たちの絶叫が響き渡る。
「次はないぞ。言わねば、次はこの槍が貴様の心臓を貫くことになる」
ガルカスの言葉に、村長は絶望に顔を歪めた。
その光景を見た瞬間、カイルの中で張り詰めていた何かの糸が切れた。
カイルは大地を強く蹴り、背中に背負っていた古びた大剣を引き抜いた。
「そこまでだ!!」
怒声を張り上げながら、広場の中央へと躍り出る。
「……カイル!?」
「お前、なんでここに……!」
伏せていた村人たちが、信じられないものを見るような目でカイルを見上げた。
精霊に見放され、村の厄介者扱いされていた少年が、自分たちのために帝国軍の前に立ちはだかっている。
その皮肉な状況に、一番戸惑っているのは村人たち自身だった。
「ほう?」
ガルカスは村長を乱暴に放り投げると、興味深そうにカイルを見下ろした。
「ずいぶんと威勢のいいガキが飛び出してきたな。お前が小娘の居場所を知っているのか?」
「知らないな。だが、これ以上俺の村で好き勝手するのは許さない」
カイルは剣を構え、ガルカスを真っ直ぐに睨みつけた。
ガルカスはカイルの構えを見て、フッと鼻で笑った。
「見え透いた嘘を。それに、なんだそのナマクラは。精霊の力の一滴も感じられんぞ」
ガルカスの言う通りだった。
この世界において、戦士の武器とは精霊の力を宿してこそ真価を発揮する。
ただの鋼の塊など、子どもの玩具に等しい。
「精霊の声が聞こえないのか?哀れな欠落者め。死をもって自分の無力さを知るがいい!」
ガルカスが右腕を振り下ろす。
先ほど民家を粉砕した巨大な岩の槍が、今度は真っ直ぐにカイルを狙って射出された。
空気を引き裂きながら迫る、圧倒的な質量の暴力。
普通なら、逃げる間もなく押し潰される必殺の一撃。
だが。
カイルの目には、岩の槍がどのような軌道で、どの部分にエーテルが集中して構成されているのかが、手に取るように見えていた。
「……遅い」
カイルは岩の槍が直撃する寸前で、最小限の動きで体を捻った。
轟音と共に、岩の槍がカイルのすぐ横をすり抜け、背後の地面に深く突き刺さる。
「なっ……!?」
ガルカスが驚愕に目を見開く。
まぐれではない。完全に軌道を見切り、避けたのだ。
カイルは岩の槍を避けた勢いを殺さず、そのまま地面を蹴ってガルカスの懐へと肉薄した。
「もらった!!」
振り被った古剣を、ガルカスの胴体に向けて全力で薙ぎ払う。
ガァァァンッ!!
鈍い金属音が響き渡り、カイルの手首に強烈な痺れが走った。
「くっ……!」
カイルは咄嗟に後ろに跳び退き、間合いを取る。
ガルカスの胴体には、いつの間にか分厚い岩の装甲が形成されていた。
カイルの全力の一撃は、その岩の表面をわずかに削っただけで、完全に防がれてしまっていた。
「チッ……素早いネズミだ。だが、その程度の爪で俺の『土精霊の鎧』を貫けると思ったか!」
ガルカスが余裕の笑みを浮かべる。
カイルは顔をしかめながら、痛む手首をさすった。
相手の攻撃の軌道は読める。力の流れも見える。
だが、決定的に「攻撃力」が足りない。
純粋な物理攻撃だけでは、精霊術によって強化された装甲を破ることはできない。
このままでは、いずれスタミナを削られて押し潰されるのは明白だった。
その時だった。
「やめなさい!!」
広場の入り口から、凛とした、しかし悲壮感に満ちた声が響き渡った。
全員の視線が一斉に声の方向へと向く。
そこには、息を乱し、肩を上下させながら立っているリアナの姿があった。
「……リアナ!なぜ出てきた!」
カイルが叫ぶ。
隠れ家にいろと言ったのに、彼女はカイルを心配して追いかけてきてしまったのだ。
燃え盛る炎に照らされ、彼女の銀色の髪が淡く輝いている。
その姿を見たガルカスは、醜く顔を歪めて凶悪な笑い声を上げた。
「ハァッハッハ!探す手間が省けたぞ!まさか自ら出てくるとはな、エルディアの生き残りめ!」
リアナは恐怖に足が震えるのを必死に堪えながら、ガルカスを強く睨み返した。
「私を追ってきたのでしょう!その人たちは関係ないわ、解放しなさい!」
「交渉できる立場だと思っているのか、お姫様?貴様を捕らえれば、この村のネズミ共など生かしておく価値もない」
ガルカスの目に、冷酷な殺意が宿る。
彼は再び大地からエーテルを搾取し、周囲の空気が重圧でミシミシと軋み始めた。
先ほどとは比べ物にならない、膨大な魔力の奔流。
「カイル……逃げて……!」
リアナが悲痛な声を上げる。
しかし、カイルは逃げなかった。
逃げるわけにはいかなかった。
ここで逃げれば、自分のすべてを否定することになる。
カイルは折れかけた古剣を両手で強く握り直し、圧倒的な力を持つガルカスの前に、再び立ちはだかった。




