第1話:精霊に嫌われた少年
王道ファンタジー小説をお試しで4話だけ公開します。
辺境の村リト。
この世界において「精霊に愛されること」は、生きるための必須条件だった。
しかし、その絶対のルールから外れてしまった少年が、ここに一人。
「――火の精霊よ、我に暖を」
同年代の少年が短い祈りを捧げると、彼の手のひらにふわりと小さな赤い火の粉が舞い、やがて頼もしい種火へと変わった。
広場を囲む大人たちから、温かい拍手と感嘆の溜息が漏れる。
今日は、17歳を迎えた若者たちが正式に大人として認められる「精霊の儀式」の日だ。
「おお、見事な火の精霊だ」
「あの子は昔から精霊と仲が良かったからね」
次々と若者たちが祭壇に進み出ては、小さな水の球を浮かべたり、土を盛り上げたりと、それぞれの「精霊との対話」を披露していく。
その光景を、カイルは列の最後尾で静かに見つめていた。
(……また、俺だけか)
カイルは無意識に、右の手のひらを強く握りしめた。
彼の番が来た。
祭壇に進み出るカイルの背中には、先ほどまでの温かい空気とは全く違う、冷ややかな視線とひそひそ声が突き刺さる。
「カイルの奴、またダメなんだろう?」
「狩りの腕は村一番なのに、精霊に嫌われちゃあね」
「不吉な子だよ。両親も早くに……」
村長が咳払いをし、その声たちを制した。
「カイル。心を鎮め、祈りなさい。精霊は、常に我らと共にある」
カイルは深く深呼吸をし、目を閉じた。
両手を胸の前で組み、これまで何度も何度も繰り返してきた言葉を紡ぐ。
「……風の精霊よ、我に息吹を」
静寂。
鳥の鳴き声すら消えたような、重い沈黙が広場を支配した。
1秒、3秒、5秒。
カイルは薄く目を開け、自分の手のひらを見つめた。
そこには、何もない。
温かさも、冷たさも、風の揺らぎすらも、一切感じられない。
(……やっぱり、何も聞こえない)
精霊の声が聞こえなければ、契約を結ぶこともできない。魔法を使うこともできない。
それは、この世界において「欠落者」の烙印を押されることを意味していた。
「……もうよい、カイル」
村長の落胆した声が響く。
「残念だが、お前には精霊の加護が降りなかったようだ。儀式はこれまでとする」
広場に集まった村人たちが、腫れ物に触るような、あるいは蔑むような視線を投げかけながら散っていく。
カイルは無言のまま、祭壇を降りた。
誰と目を合わせることもなく、まっすぐに自分の家――村外れにある、小さな丸太小屋へと向かった。
家に戻ると、カイルは壁に立てかけてあった古い大剣を手に取った。
父親の形見だ。
刃こぼれが多く、柄の革もすり減っているが、毎日欠かさず油を引いて手入れをしているため、鈍い光を放っている。
カイルは小屋の裏にある開けた場所に出ると、大剣を上段に構え、一気に振り下ろした。
ブンッ!
空気を裂く重い音が響く。
(精霊の声が聞こえなくても)
ブンッ!
(魔法が使えなくても)
ブンッ!
(俺は、生きていける)
カイルは、ただひたすらに剣を振った。
彼には、他の誰にも言えない秘密があった。
「……また、色が濃くなってきたな」
カイルが汗を拭いながら空を見上げると、彼の目にだけ見える「奇妙な光景」が広がっていた。
木々の間を流れる青白い光の帯。
大地から立ち昇る、陽炎のような光の粒子。
それは、他の誰にも見えない、世界の裏側を流れるエネルギーの河だった。
カイルはそれを「精霊の息吹の欠片」だと自分に言い聞かせていたが、それがどれほど異常な見え方なのか、彼自身は知る由もなかった。
「……ん?」
突然、カイルの視界の端で、青白い光の帯が不自然に「歪んだ」。
それはまるで、清らかな水に一滴の墨を落としたかのように、禍々しい黒色を帯びていた。
(なんだ、あれは……?)
カイルは剣を背中に負い、黒い歪みが発生している方向――村人が「禁忌の森」と呼んで決して近づかない深い森の奥へと足を踏み入れた。
森の奥へ進むほど、空気は重く、冷たくなっていった。
普段なら微かに感じる動物たちの気配も、今は全くない。
まるで、森全体が「何か」に怯えて息を潜めているかのようだった。
カイルは足音を殺し、慎重に前へと進む。
やがて、小さな滝の近くにある古い遺跡の入り口が見えてきた。
その入り口の前に、誰かが倒れている。
カイルは息を呑んだ。
倒れていたのは、自分と同年代か、少し下くらいの少女だった。
ボロボロに引き裂かれたドレスは、かつては上質な絹であったことが窺える。
泥と血にまみれた金糸のような髪。
そして、彼女の細い首には、不気味な鈍色に光る銀の首輪が嵌められていた。
(こんなところに、人が……?)
カイルが駆け寄ろうとしたその時。
少女が薄く目を開け、素早い動きで腰から短剣を抜き放ち、カイルに向けた。
「……っ!」
カイルはとっさに足を止め、剣の柄に手をかけた。
少女の瞳は、恐怖と警戒心でギラギラと光っている。
「……帝国の、犬……?」
ひび割れた声で、少女が絞り出すように言った。
カイルはゆっくりと両手を挙げ、戦意がないことを示した。
「……いや。ただの精霊に見捨てられた、しがない狩人だ」
それが、精霊に愛されなかった少年と、すべてを奪われた王女の、運命の出会いだった。




