第九十八話 インターミッション
「ふぇにふぇに……」
その受け入れているのか、いないのか分からん鳴き声やめろ。
「まあ、気にするなふぇに子。仮名だよ、仮名」
私は彼女に順位表の名前を読み取る様に促した。
そこには、知り合いであるスピネなどのそれに混じり、明らかに本名ではないであろう不思議な名前がいくつも存在していた。
他の人間からの受け売りだが、冒険者として登録するにあたり、様々な事情から本名で登録できない人間はごまんといるらしい。
またあるいは、箔を付けるために大昔の偉人にあやかった名前で登録する事もあるようだ。
「だから今は取りあえず『ふぇに子』だ。良いのを思いついたら言ってくれ」
「なんか、何時の間にか定着してそうなんですけど……」
それは否定できない。
私達は受付の待つカウンターへと足を運んだ。
そこでは、職員の制服をかっちりと着こなし、艶のある黒髪を長く伸ばした『男性』が私達を迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。お二人とも、冒険者ギルドは初めてでいらっしゃいますか?」
私は、自分はギルドに登録済みで隣の女性が新規での登録である旨と、この魔窟への入場は二人とも初めてである旨を簡潔に説明した。
そして予め用意していた書類を受付さんへ手渡す。
彼は制服の胸ポケットから眼鏡を取り出すと、その書類を検め初める。
「これは、貴方様がアダム様、でいらっしゃったのですね。お噂はかねがね。同行される方も、魔物、でいらっしゃると」
黒髪の男性の瞳が、眼鏡のレンズ越しにふぇに子を捉える。
「おうふ……はいぃ……」
予想していたが、ふぇに子がだんだんと暖まって来た。良い調子だ。
私が発見された当初、魔物である私を外に出すだけでも、私自身が強力な力を持っている事もあって相当な苦労があった。まあ、それは当然だろう。
魔窟を出た後もそれはもう大変な手続きが連続し、当時はっきりとは知らないままライラに執着し、かつ書類に苦手意識の無い私でなければ諦めていた可能性が高いほどだ。
現在は数々の実績により私自身に社会的な信用が存在し、連合側もゼラという二例目を確認したことで本格的に手続き関係の整備が進んでいた。
それもあって、今回の様に魔物コンビでの行動が、誓約書は必要であるが可能になったのだった。
「ふぇに子、ここにサイン。文字は書けるよな? 手紙に書いてたし」
「ふ、ぇ、に、子……『子』ってどう書くの? 漢字って有り?」
今のところ、この世界で漢字に当たる文字は見たことが無い。
恐らく、この世界の標準文字で『ふぇに子』と表記した場合、多くの人には『フェニコ』と理解されるだろう。
つまり、音でしか伝わっていない。
勇者の名前は日本名ばかりだったが、どうにも正確に漢字表記を理解していたのは、直接交流した経験のあるシャール=シャラシャリーア等の龍ぐらいの様だった。
それでも一応、漢字で『子』と書き、その上にこの世界の文字で振り仮名を記載する形で書類にサインをさせる。
私は受付さんの様子を確認するが、彼は特に問題は無いという態度を取っていた。
眼鏡を取り外すと粛々と手続きを行う。
ふむ。杞憂だったか。
「これで書類上はふぇに子、爆誕だな」
「ふぇにふぇに……これやめようかな」
どうでもいい悩みを抱えた彼女は放っておいて、私は受付さんに入場用のピンタグを受け取る。
かなり簡素な作りで、小さな布が付属しているだけのピンだ。やろうと思えば偽造も簡単だろうが、発行数を考えるとこれぐらいが妥当なのだろう。
「初回入場という事なので簡単な説明を行わせていただきます。詳細は冊子をご用意させて頂いておりますので、そちらをご覧ください。文字が読めない方のための講習もございますが、参加される場合は掲示板の確認をお願いします」
彼が指し示したそれには時刻を示す時計の図案と、簡単な地図が描かれている。私は冊子の場所だけ教えて頂くと、彼の説明を受ける事にした。
「覇者の塔は全百階層の塔型魔窟でございます。貴方方から見て右手側から大回廊に進んで頂くと、側面に十階ごとの各階層への直通階段が並んでおります」
ではいきなり上の階へ挑戦出来るのかと言うと、勿論そんなことはなく、あくまでも自分が到達した階へのショートカットであるとの事だ。
正直、そんな都合の良い、複雑な構造に出来るのかと訝しんだが、この魔窟の現在の管理者は龍だ。
これほど高度な改変は人間には無理でも、世界の最上位存在である龍には可能という事なのだろう。
「基本的は皆さま第一階層から順に登って頂いておりますが、これまでの実績を考慮して『飛び階』も認められております。アダム様、貴方でしたら最大の五十階からの開始も可能でいらっしゃいますが、いかがなさいますか」
なるほど、スピネが既に六十階を超えていたのはこういうカラクリか。
「ご厚意は有難いですが、私も第一階層から始めさせて頂きます」
私のその言葉に、受付さんはふぇに子に一瞬視線を向け、静かな微笑みを浮かべた。
私は隣で煙を出すふぇに子を眺める。
ライラ達がどのルートを選ぶかは分からないが、競争はやはりこちらの負けかもな。
その後はお決まりの文句が続く。
所謂、何が起きても自己責任という奴だ。
「丁寧なご対応、ありがとうございました」
私は受付さんに一礼を行う。勇者達が広めたため、この世界でもこの文化は有効だ。
「また、ご用件がございましたら伺わせていただきます。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
明らかに異質な私達に対しても物腰の柔らかな対応を終始行って頂けた事に感謝し、私達は速やかに受付を終了しようとする。
だが、折角なので私は一つ質問を行う事にした。
「不躾で申し訳ございませんが、もしよろしければお名前をお伺いしても? 是非次回からも可能であれば貴方に受付をお願いしたいものです」
受付の制服には、どの人物にも名札に当たるものは無かった。
私の言葉を受けて、ふぇに子が熱量を増す。
ちょっと離れて。
黒髪の受付男性は少しだけはにかむと
「私は『ジギー』と申します。またお会いしましょう。アダム様」
もう一度お礼の言葉を述べ、私達は大回廊、覇者の塔のエントランスへと向かった。
ライラ達の姿は見当たらない。少しこちらの受付時間が長かったせいもあるだろう。
「あのー、アダムさん。さっきのはどういった意図で……?」
おずおずとふぇに子が話しかけてくる。
さっきの?
「受付のイケメンに、お名前を……」
「ああ、ちょっと興味があってな」
本心ではあれど、ちょっと効果を期待した発言だったが、それは予想以上の効果を発揮した。
簡単ふぇに子かよ。
或いは、単純にこいつが飢えているだけなのかもしれない。
これは、出来れば毎回ジギーさんの受付を通った方が効率が良いかもな。
私は凄まじく血色の良くなったふぇに子の袖にピンタグを留める。
もう、本人が持てば熱で破損するかもしれない。
「今なら、今ならスライムを倒せます!」
「そうだな。頑張ろう」
私の脳裏に、知り合いのシスコンスライムがピースサインをする姿が浮かび上がるが、それは無視した。
では、覇者の塔への挑戦を開始するとしよう。