第九十九話 最低時給レベリング
足を踏み入れたそこは、良く整備された建築物内部、そのものだった。
壁面も床も均され組み合わされた石材で構成され、壁には光を放つ鉱物が等間隔で配置されており薄暗さも無い。
通路幅もその高さも、複数の一党が同時に行動することを前提とした広さが確保されており、それはむしろ過分な程だった。
「おおー。ザ・ダンジョンって感じ」
これを普通と思ってもらっては正直困るのだが、事実として覇者の塔は、今は無き私の生まれ故郷と比較しても、施設として別格の存在だった。
私は受付の後に手に入れていた冊子を片手に周囲を見回す。
構造的には複数の玄室と、それに繋がる通路とを交互に経由することで、いくつか用意された次の階層への階段を目指すことを繰り返す事になるようだった。
ふぇに子の言う通り、私達地球の人間が思い描く『ダンジョン』が目の前には存在していた。
これが世界的には有名でないのだから、大戦が残した爪痕がこの世界を殊更に広くした事が伺える。
国内の事情はともかく、国家間で大規模な情報のやり取りが行えない為に、少なくとも他国の一般人は死ぬまでこの魔窟の事を知る事は無い訳だからな。
私が思考に耽っていると、少しやる気を出したふぇに子が私のローブの裾を引っ張る。
このローブに使用された布地は、染み込ませた染料と裏地に刺繍された呪文の効果で耐熱性を獲得した布だ。幸いなことに焦げたりはしていない。
「早くレベルあっぽーぺんしたいです」
何それ。
私は気持ちが先走るふぇに子に少しだけ注意を行う。
レベルと言う単語を使用した彼女だが、この世界はゲームの様に数値化されたステータスという物は存在しない。
極論、スピネやグレースといった歴戦の人物であっても、寝込みやらなんやらで不意を突いて心臓を刺されれば死ぬ。
それを行った相手が非力な子供でも結果は同じだ。
くれぐれも、ゲーム感覚は慎むように。
私達が今いる階層、第一階層は、態々一階から覇者の塔を登り始める人間と言うのが明らかに少数派な事もあって、今の所私達の貸し切りに近い。
一先ずは、先に進む事よりもふぇに子の現状を正確に把握することが最優先と考え、私は手ごろな玄室でそれを確認する事にした。
「手順を伝えるぞ。私が扉を開けて中を確認する。雑魚なら、ふぇに子が炎で遠くから焼く。君に無理そうなら、動けなくなる程度に痛めつけるから、それを焼いてくれ」
「あいあいさー!」
それでは玄室チャレンジ開始。
私は扉を開けて内部を確認する。
内部にぽつんと一体だけで居たのは、酸性ですら無い粘液を纏ったごく薄い青色のスライムだった。
正直、人間にはほぼ無害と言っても良いレベルの魔物だ。
森で虫の死骸とか枯れ葉を食っている奴だ。
「ふぇに子、ゴー」
「ふへへへ。私の炎が火を噴くぜ!」
そりゃあ炎は火を噴いているだろうさ。
ふぇに子は右手を大きく開くと、その五指の先端に小さな炎を灯す。
恐らく、元ネタはあれだろう。
それを見て、少なくとも炎を操る事自体は感覚的にできる事を知り、私は安堵した。
「喰らえ! フィンガー……」
眼を閉じて集中するふぇに子だったが、スライム君は元気よく飛び跳ねると、その成人男性の拳大の身体をふぇに子の鳩尾に向かって叩きつけて来た。
「ぐはあああああ!」
良い感じに体の中心を叩かれたふぇに子が無様な声を上げながら床に沈む。
仕方ないので、私は足でスライムを踏み潰すと、安全になった玄室の隅で反省会を行う事にした。
「大丈夫、大丈夫。火は出てた」
「うえええええ。もう帰るー」
頬を流れる涙が火の粉だから、まだ行けそうだな。
一度に五個も火を出そうとするのが行けなかったな。
一応、あれを実戦で使った事があるのか聞いてみた所、酒場で煙草に一度に火を付ける宴会芸として使った事はある旨を聞き出せた。
スピネ直伝の技との事だったが、彼女もそれ以上を求めたりはしてこなかっただろう。
なるほど、今のふぇに子では実戦的じゃ無いな。
「ちょっと練習しよう。一個で良いからちょい大きめで、ワンバンさせても良いから五メートル先に飛ばしてみよう」
「ふぁい」
それから少しの間、彼女の練習に付き合う事にした。
私に火の属性は全く存在しないが、土属性で投射系の魔法はいくつも模倣してきている。
ライラやメルメル達の様に学校で特別理論を学んだわけでは無いが、こういった魔法はイメージが非常に重要だ。
だから、実は先ほどのふぇに子のように、元ネタが有る魔法を真似てみるというのは理にかなっている。
ただ、実力が足りないだけだ。まあ、それが一番問題なのだが。
「初めてですよ、ここまでわたしをコケにしたおバカさんは……」
練習の甲斐あり、ふぇに子は人差し指をピンと立て、その先端にソフトボール程の大きさの火球を生み出す事に成功していた。
一々台詞と威力が噛み合わない娘だ。
「えいや!」
その火球は下手くそな投球フォームで投じられ、だがきちんと攻撃能力を有している事を証明するように、目標地点へボテボテに転がりながらも炸裂して床を焦がした。
「いえー! わたし、最強ですね! この技を『フェニックスボール』と名付けましょう!」
良いよ。ナイスフェニボ。締まって行こうか。
「――や、やっぱりやめときます」
それでは一旦通路に戻って別の玄室を確認しよう。
実際フェニボは人に向けてはいけない威力が有る。そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だ。
技の命名者が恥ずかしさで顔を赤くしながら、私の弄りに不満を伝えてくる。
この調子で火力を維持していかなければな。
ちらほらと見えるようになった他の冒険者達の迷惑にならないように挨拶を行いながら、私は少し離れた位置の玄室を確認する。
ゴブリンだ。
かなり小さいが、可愛らしさは欠片も存在しない。
少し迷ったので、中のゴブリンが私達に気付く前に一旦扉を閉める。
私はふぇに子に、人型の魔物に手を下す件について、強がりなどは一切要らないので、可能かどうかの確認を取った。
私達魔物の身体を持った存在は、その身体の本能に引っ張られる事でそういった事についての忌避感が薄れている。
しかし、全く無い訳では無い。
「ゴブリン!? シャー! ゴブリンは皆殺しです!」
何があったかは詳しくは聞かないでおいた。
ただ、身体を触られて、それで火傷したゴブリンが居た事だけは判明した。
「怒りの火の玉殺法! 喰らえーい! ……グロッ!」
ゴブリンを構成していた魔力の一部がふぇに子に吸収され、絶命したその存在は肉の身体を魔窟に還元され消えていく。
後には、ほんの小さな魔石が残るばかりだった。
私はそれを拾うと、功労者にそれを検めさせ、自分の腰に巻いてある腰紐に付随するポーチへと仕舞い込んだ。
ゴブリンを見事打倒したふぇに子は、天にも昇らん勢いではしゃいでいる。
「ところで、なんでウェストポーチを腰に付けてるんです?」
え、どういう意味?
ふぇに子の謎の疑問に答える術を持たなかった私は、それへの返答を保留する。
そして私達は、先ほどはふぇに子の独力で倒すことの出来なかったスライムがいた玄室へと戻る事にした。
だが残念ながら、玄室の扉は開かない。
この魔窟の仕様として、扉の開閉は内部の魔物の生存状況に依存しているらしく、先に進む事を目的に通路から玄室に向かう際、内部の魔物が既に倒されている場合はそこへの扉を開けることが出来ない。
玄室内部からは、魔物がいない場合は先に進むにしても戻るにしても自由なようだが。
要は、先に進む場合は必ず玄室の魔物を倒しながらでなければ進めないという仕様なのだった。
「まあ、初日だからな。こうやって確実に倒せる相手を増やしていって、残った素材やらなんやらを換金していこう」
地道な作業だが、確実なのが一番だ。
覇者の塔は先の仕様により連戦が基本の魔窟だ。油断すれば事故は常に起こりうる。
敵の打倒を繰り返して最上階に至る事を目的にするこの魔窟は、正にその『覇者の塔』という名前に恥じぬ魔窟なのだった。
それから暫く、第一階層最初の玄室の魔物が復活するのを待ってから、他の冒険者の攻略の邪魔にならないように細心の注意を払い同じことを繰り返した。
時折私達のやっている行動を目にしては、初心者育成方法として前例がある事を、同じ様に仲間の育成を目的として入場したであろう他の一党に教えられたりもした。
その際、携行食として持ち込んだという焼き菓子をほんの少し分けて貰ったりしながら、私達は特に問題も無く時間を過ごしていった。
そうして大分時間が経った頃、例の店でのふぇに子の夜のシフトの時間が近づいて来た。
因みに魔窟内でそれが分かったのは、私が懐中時計を持ち込んでいたからである。
ローブの下には、実は色々と仕込んであるのだ。
私は、換金や休息の時間も考慮して本日の攻略を終了する事にした。
結局、今日は一部屋分を繰り返し倒すばかりで、全体で見れば殆ど先へは進んでいなかった。
「わたし、強くなってますよね! ね!? 一時はどうなる事かと思いましたが、やはり、わたしってば強キャラですね!」
そうだな。ふぇに子は頑張ったな。
これからも仕事だろうが、頑張れよ。
うきうきと退場手続きを済ませたふぇに子は、本日の魔窟探索最後のお楽しみである換金作業を、私の隣で炎の宿るその目を輝かせながら眺めていた。
だが、清算結果を見てその炎も萎んでしまう。
「こんなものだ。こちらでの通貨単位は『グラン』だったか。合計で一二〇〇グラン。確か成人男性の一日の平均的な食費ぐらいだな」
結構長い間潜ってこれだから、私が立て替えた入場料一人五〇〇グランを加味すれば、儲けなどほぼゼロだ。
赤字で無いだけましという程度だった。
「わたしの時給が六〇〇グランですから……ひ、ひどい」
まあ、そうだな。
だがふぇに子。君が強くなって先に進める様になれば、効率はどんどん上がっていく。
私達は食事などの経費を削減出来るのだから、君が気に入った焼き菓子などを我慢すれば借金返済の目途は付くようになる。
何故残念そうな顔をする。菓子ぐらい……。
瞬間、ライラの顔が思い浮かんだ。
成程、これも燃料代か。
取りあえずの納得を得た私は、今回の稼ぎの分は全てふぇに子へと手渡す事にした。
流石に受け取りづらそうにする彼女だったが、連合の給料を貰いながらこの魔窟に来ている私と比べれば、この程度は彼女が取って然るべき取り分だと私は説得した。
「ありがとうございます。アダムさん。……はあ、これから、接客のお仕事ですか」
その辺りは完全に自業自得なのでどうしようも無い。
酒も食事も摂らない私では、席料ぐらいしか店の売り上げに貢献できないからな。
あの手の店に通って、まかり間違ってライラに嫌われるのも大問題だし。
そんな事を考えていると、私達の姿を確認したフレンがこちらに向かって来るのが遠目に確認出来た。
冒険者ギルド内で二日酔い組と共に入場組を待っていたようだ。
ふむ。
私は灰色に戻りつつあるふぇに子を見つめる。
「実は、顔の良いエルフ種族の仲間がいてな」
「何処です!?」
大人共の面倒を見てくれたお礼だ。
フレン、お酒を奢ってやろう。




