第八十九話 原点、高みを目指して
ロットの母親、『スピネ・ガレー』。
その名前を直近で聞いたのは、パーマネトラにおいてロットがベルナという少女に因縁を付けられた際であることが記憶に新しい。
高名な冒険者であり、自身が使っていた遺物、ヒヒイロカネの槍を、その詳細までは知らなかった様だが、惜しげも無く息子に譲り渡した女性だ。
そして息子を一人ミネリア王国に残し、今もなお、世界を股にかけ現役で活躍しているという。
ロットがあまり母親の事を話さないので、正直な所、私は彼女の事を良くは知らないでいる。
私達は手元に届いた手紙を読むため、一路ライラの家に戻る事にした。
ロットは道中、最近はあまり顔を覗かせなくなっていた思春期男子の顔をしていた。
会えていない母親から手紙を貰った事が嬉しいのだが、それを表に出すのがどうにも恥ずかしいといった顔だ。
思い出す事は困難だが、私にも確かそんな時期が有った。
ライラの家に着き、お客に茶を振る舞う準備を手伝うと、私はそんな彼を変に弄る事無く自分に届いた手紙の確認を行い始めた。
読み終わった手紙は机の上に置いて、ライラ達にも読める様にする。
なるほど。
一読しただけだが、やはりそれぞれ含蓄のある内容を返してくれていた。
ガルナは基礎能力向上、ダイクンは精神面において内面の追及、トレト老人などは生活習慣に対する言及までしている等、内容は様々だった。
特にガルナの手紙には、近いうちにまた会う事になる可能性が書かれていた。バトランドに来る際は、ロット君も是非にとの事だ。
一旦それは無視し、内容を更に確認する。
そうして読み比べてみれば、それぞれに一貫して主張されている部分が存在していた。
それは即ち『迷ったなら原点に立ち返れ』である。
今でこそ様々な戦いを経験し、強さもそれなり以上のものがある。
しかし所詮は只の一般人。どんなに基礎的な事であっても、こうして指導してもらえるのは有難い話だった。
因みに今回の件、先にグレースにも聞いたのだが、彼が実に実践派であることが改めて理解出来た以上の成果は得られなかった。
動きの修正など、直接指導してくれる分には彼は非常に優秀なのだが、文章に纏めたりする等の間接的、論理的手法を取ろうとすると、途端に理解不能な指導に化けてしまうのだ。
さて原点とは、という事に話を戻す。
私にとってのそれは『敵を倒して強くなる』という事に他ならない。
けれどもそれは、今現在も冒険者ギルドで依頼をこなす等して散々に行っている行為でしか無い。
そう考えた時、私にとっての原点という物が朧気ながらに見えてきたのだった。
この世界で私が生まれた場所。
魔窟である。
魔窟を攻略する中で得られる経験は莫大だ。
まず、都市の外で散発的に現れる魔物を討伐するよりもずっと効率が良い。
何より魔物である私にとって、魔窟核を討伐する事でそれが内包する魔力を吸収出来ると言うのが非常に大きかった。
だが。
「最近新しく魔窟は発見されてませんねー」
ライラがお茶を飲みながら呟く。
私もそれは把握していた。人間社会にとっては実に良い事だ。
良い事なのだが、今私が思いついた策を実行するにあたっては不都合だった。
では既に確保してある魔窟に潜って修行をすれば良いのかというと、それも難しい。
私の生まれ故郷がそうであったように、討伐されずに確保される魔窟というのは、人間にとって鉱山のそれと同じ存在に考えられている。
要は、ぬるいのだ。
勿論、魔物が蔓延っている以上事故が起こる確率こそゼロでは無いが、可能な限り危険は抑えられ、そこを探索する事を生業の一つにしている冒険者達が立ち行く様に調整してある。
確保済みの魔窟の核を破壊するなどテロ行為以外の何物でもないし、弱い魔物をいくら倒したところで、今の私には大した経験にならない。
「おおむかしは〜、しゅぎょ〜よ〜の魔窟がけっこうあったっぽいけど〜」
自分の遺物である大きな本を捲りながら、メルメルが視線だけでそこに記述されている記録を確認していた。
中々上手く行かないものだ。
「いや、今もあるぜ」
そんな中、母親からの手紙を読んでいたロットが唐突にそう告げる。
私たちの視線を浴びた彼は、自分の手の中にあった手紙を私に向けて差し出してきた。
「読んでも良いのか?」
「アダムも読むべきだと思う。それに母ちゃんが書いた事が本当なら、多分また遠征が組まれるぜ」
私は慎んで彼宛の手紙を受け取った。
そしてその内容を確認し、驚愕する羽目になった。
ーー『覇者の塔』を攻略する為に英傑都市に向かう途中、変な魔物を拾った。
要約すればそういった事が書かれていた。
それ以外にも気になる単語が数多く出てくる手紙だったが、私が特に注目したのは次の二点だ。
『覇者の塔』、そして『変な魔物』だ。
後者は可能性でしか無い為此処で論ずる事はしないが、前者について確認しようとした所、メルメルがあっと声を上げた。
「そ〜だ〜! バトランドの超大型魔窟〜! あれは〜げんえき〜」
その言葉で私はガルナの手紙に書かれていた内容を思い出す。
あの元老将軍、やはりどうにも耳が早い。
私は、随分と塔に縁があるものだと考えながら、再びの旅立ちの予感を感じるのだった。