第六十六話 姉
「どうして来たんですか」
会議は一時中断となった。当り前である。
私達は闖入者を連れて自分達にあてがわれた部屋に戻った。
目の前にはその元凶となった幼女が、背もたれを前にした状態で椅子に座っている。
「いや、何、水饅頭が食いたくなってな。だがここにやって来て気付いたのじゃ。余は金なぞ持っていないという事を」
着く前に気付け。
この龍、さてはライラがゼブル爺さんに送った食レポを王都で読んでたな。
「余がシャール理論でごり押そうとしたが、この街の人間は余に厳しくてなー」
子供の冗談だと思ったんだろうな。思ってくれて助かった。国の恥過ぎる。
「ねーちょっとー! マジでどうなってんのー?」
突然、ゼラとサーレイン達御一行様も私達の部屋に乗り込んできた。良く出歩けたな。
「そりゃもう、シャール=シャラシャリーア様にご挨拶したいって名目でごり押しよ。余所に出る流れになってる以上、言う事を聞く義理も無いしね」
そうか、その言い分が使えるとなると多分他の国の面子もここに来るだろうな。
私はサーレインにお願いして、いつもの談話室を使わせてもらえるようにしてもらう。
ようやく窮屈さが無くなった所で事情聴取再開だ。
「余はこの国の守護龍ぞ。禁を破らないのであれば、国内ならば何処に行こうが、何をしようが勝手ぞ。初代ミネリア国王から許可証も発行されておる」
「それで下っ端の会議に乗り込んで来るのはどうなんだ」
「それは、金を出して貰おうと思ったら、偶然そうなっただけじゃ。余にはお主たちをあの場から一旦連れ出そうという意思は全く無かった」
その発言に私とナタリアは顔を見合わせる。
「ズヌバの気配がしたぞ。極めて薄い故、お主達では気づけないだろうがな。ここに来たのは別件じゃったが、厄介な事じゃ」
その発言は聞き捨てならない。あの会議室の中に邪血に汚染された人間がいたという事か?
「分からん。これまでに無く気配が薄いのでな。最近グラガナン=ガシャの様子がおかしいので、饅頭ついでに様子を見に来たのじゃ。そしたらこれよ」
シャール=シャラシャリーアの言葉に食いついたのはサーレインだった。
「お初お目にかかりますシャール=シャラシャリーア様。私は今代の水の巫女姫、サーレイン・ボイボスティアと申します。グラガナン=ガシャ様の様子がおかしいとはどういう事でしょうか?」
シャール=シャラシャリーアは意味深な目線をサーレインに向けながらその質問の答えを顎で示した。
その示す先にはゼラがいた。
「え? 何? こわ」
「そこなスライム娘がグラガナンのお膝元で生まれる事自体、本来あり得ん。アダム、そしてゼラと言ったな。お主達は勇者である前に『魔物』じゃ。魔力の流れを正すのが役割である龍の直轄地域で魔物が生まれるなど、何か問題が発生したとしか思えん」
だが、ゼラが生まれてから二ヶ月以上経っている。
何か起こっているにしても、もう少し早く気付けなかったのかと疑問に思っていると、ゼラの存在は大聖堂側によって秘されていた事実に思い至った。
私達の報告書でようやく事態に気付けたという事か。
「グラガナンからは何の連絡も無かった。あ奴の性格からして余に助けを求めたりはせんから仕方ないが、この都市の在り様にも問題はある」
目の前の龍による批判に対して、サーレインとイーヴァが謝罪の意を込め膝を付いた。
「ちょっと! サーレイン、ばあやもやめなさい! 貴女達には何の責任も無いのよ!」
「いえ……! ゼラ、いいえ。水の巫女姫として、私には責任が有ります。この街の繁栄を託された身として、パーマネトラの問題は私の不徳の致すところですから」
「だから! そんな訳ないでしょ! 悪いのはあの悪徳導師達なんだから!」
二人は私達を置いて揉め始める。
幼女龍、その何か拙いこと言った? みたいな顔やめろ。お前の言葉は、この都市で崇められている龍と同格という立場上、真の姿を知らない彼女にはかなり効く。
「貴女は何の自由も無く、権利も無いままこの檻に閉じ込められている! これはもう軟禁よ! だから私は……!」
「ゼラ。私はこの街で生まれ、この街のために力を持って生まれたのだと信じています。養父の為ではありません、言われたからでもありません。私がそうしたいのです。このパーマネトラに住む人、皆が好きなのです。彼らこそが、私の居場所だから」
ゼラはイーヴァに助けを求める様に身体を向けたが、彼女は力なく首を振るばかりだった。
「私は水の巫女姫。パーマネトラに寄り添い、そこに住む人々に水の恩寵を与える存在。捨て子だった私を育て、役割を与えてくれた街の皆に報いる義務が有ります」
その言葉に、ゼラの身体が僅かに泡立つ。
「バカ言うんじゃないの! 貴女は、貴女のために生きて良いの! やってみたい事、行きたい場所だってあるじゃない! だから私は貴女を逃がそうと……!」
「ゼラ、私は逃げるつもりも、何より逃げたいと思った事もありません。ここが、私の生きる場所なのです」
それははっきりとした拒絶の言葉だった。
ゼラは、くらりとふらついた。そして恐らくほぼ反射的にその言葉を口にした。
「どうしてお姉ちゃんの言う事が聞けないの!!」
口に出してからその言葉を放ったことに気付いたゼラは自分の口を押える。
「うそ。だめ、今の無し」
か細く、素早くそう言うと、ゼラは談話室から飛び出していった。
サーレインがそれを追おうとしたが、イーヴァさんによって止められていた。
私は他の仲間達に目くばせをすると、ゼラの後を追うため部屋の外へと出た。
既に彼女の姿は廊下には無い。思ったよりも素早いな。
そんなことを考えていると、廊下に水に濡れた足跡が残っている事に気付いた。
私はそれを追って行った。
暫くすると、何時かの夜、ゼラと二人で話した中庭に辿り着いていた。
ベンチに項垂れながら力なく座るゼラに私は近づく。
「追いかけてきてくれたんだ。ありがと」
顔を上げないまま、ゼラは呟いた。
「ああ」
簡単な相槌を行って、私はゼラの正面に屈みこんだ。
「隣に座らないの?」
「壊れてしまう。重いから」
その言葉でゼラは少し笑った。
屈みこんでも、私とゼラの頭の位置は殆ど変わらない。
彼女が顔を上げれば必然的に見つめ合う形となった。
「言っちゃった……。もう言わないつもりだったのにな」
「皆、きょとんとしていたよ。気づかれてはいない」
「そうじゃなくて、そうじゃなくてさ」
こんなにも気弱になっているゼラは初めて見た。
彼女はぽつりぽつりと話し続ける。
「死ぬ前の人生でさ。口論になると、いっつも私が妹に向かって言ってたの」
「『お姉ちゃんの』?」
「そう。で、あの子は渋々って感じで折れてくれるんだけど、最後に親が離婚する時、二人で話した時に言われたんだよね」
――それが一番嫌いだった。
ゼラは絞り出すようにその言葉を吐き出した。
「でも、結局さ、私の言う通りにしてれば、あの子死ななかったんだ。絶対そうなんだ。一緒に居れば良かったんだよ。絶対そうなの」
そのまま堰を切ったようにしゃべり出す。
そして激情に顔をゆがませたまま、私の肩を掴んだ。
「ねえ! ここは異世界なんでしょ! あの子達は生まれ変わったんでしょ! 私達だって全然違う見た目になってるじゃない! なんで同じ事が起こるの!?」
「ゼラ」
「何で変わってないのお……変わったはずじゃん。私がダメなのかなあ……」
「ゼラ」
私は掴まれた肩に自分の手をそっと添えた。
「泣くなゼラ」
私の言葉にゼラはふっと笑う。
「泣いてないよ。スライムってさ、泣けないんだよ。ほら見て」
瞬間、ゼラの目から滝の様に水が零れる。
「自由自在。ウソ泣きは簡単。でも、自然な涙は出てこないんだよね。あー、変わってた。私、魔物になってたわ。あーあ」
私は腕の力をほんの少し強めた。
「泣くな」
その言葉で、ゼラは座ったまま私にもたれかかる様に倒れた。
「泣いてないよ」
私はゼラが落ち着くまで、彼女の身体を支え続けたのだった。