第27話 会いに行けば
# 第27話 会いに行けば
足音が、やけに遠く聞こえた。
さっきまでの会話も、空気も、全部が一段奥へ引いたみたいに薄い。
それでも。
胸の奥に残ったものだけは、消えていなかった。
唯愛は歩きながら、自分の右手を見る。
何もない。
触れていない。
なのに。
そこにあったはずの感触だけが、残っている。
――消えない。
「……まだ、ある」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもなく。
ただ、確認するみたいに。
隣で、トバリの足がわずかに止まりかける。
でも、止まらない。
そのまま歩く。
何も言わない。
それが、余計に重い。
「……さっきの」
思わず口に出す。
言葉を探す前に。
トバリが短く返す。
「忘れていい」
即答だった。
迷いも、間もない。
それなのに。
どこか、優しすぎる。
突き放しているのに、突き放しきれていない。
その違和感に、唯愛は言葉を失う。
ヤスナが前を歩きながら、くつくつと笑う。
「忘れられるならな」
軽く言う。
振り返らないまま。
「じゃあさ」
足を止める。
振り向く。
そして。
何でもないみたいに言った。
「会いに行けば?」
空気が、止まる。
唯愛は瞬きをした。
意味が、分からない。
「……誰に?」
思わず聞く。
考えるより先に。
ヤスナは肩をすくめる。
「決まってんだろ」
少しだけ笑う。
軽い調子で。
でも。
目だけが、真っ直ぐだった。
「死んだやつ」
その一言で。
全部が、重くなる。
通路の空気が、変わる。
音が、遠のく。
唯愛の喉が、ひどく乾く。
死んだやつ。
その言葉が、頭の奥で反響する。
――誰。
聞かなくても、分かる気がした。
分かってしまうことが、怖い。
「年に一回だけな」
ヤスナが続ける。
壁にもたれながら。
「会える場所がある」
説明は、それだけ。
名前も言わない。
仕組みも言わない。
でも。
十分だった。
唯愛の胸が、強く鳴る。
理由は分からない。
でも。
その言葉に、引っ張られる。
行かなきゃいけない気がする。
どうしてかは、分からないのに。
隣で。
トバリの呼吸が、乱れる。
ほんの一瞬。
でも。
はっきりと。
唯愛は反射的にそちらを見る。
トバリが、動かない。
目を伏せたまま。
何かを押し殺すみたいに。
「……それは」
言葉が、途切れる。
続かない。
呼吸が、浅くなる。
そして。
「……やめろ」
低く、落ちる。
それだけ。
理由も、説明もない。
ただ、感情だけが出た言葉。
唯愛の胸が、ざわつく。
初めてだった。
こんな言い方。
こんな声音。
トバリが。
――違う。
タマモが。
“それ”に、反応している。
頭では理解できないのに。
身体が、理解している。
唯愛は、ゆっくりと息を吸った。
怖い。
でも。
それ以上に。
引っ張られる。
「……分かんないけど」
自分でも驚くくらい、静かな声だった。
でも。
止まらない。
「……行く」
言い切る。
理由はない。
説明もできない。
それでも。
そうするべきだと、分かる。
トバリが顔を上げる。
「やめろ」
さっきよりも強い。
でも。
唯愛は首を振る。
「やだ」
短く。
それだけ。
子供みたいに。
でも。
引かない。
ヤスナが笑う。
「いいじゃん」
軽く言う。
楽しそうに。
「どっちに会いに行くか、見ものだし」
その一言が、刺さる。
“どっち”。
唯愛の中で、何かが揺れる。
自分なのか。
それとも。
――誰か。
分からない。
分からないのに。
答えを知っている気がする。
唯愛は、自分の手を見る。
残っている。
消えない感覚。
触れた距離。
知っている関係。
全部。
まだ、ここにある。
喉の奥に、言葉が浮かぶ。
出せば、終わる。
でも。
出したくなる。
「私が会いたいのは——」
そこで。
止める。
言えない。
言ってしまえば、何かが決まる。
だから。
飲み込む。
でも。
消えない。
そのまま。
残る。
胸の奥に。




