第10話 世界の壁
### 第十話 世界の壁
訓練場に静寂が落ちていた。
先ほどまで響いていた木剣の打ち合う音も、兵士たちの掛け声も、すべて止まっている。勇者たち三十人は、砂地の中央で向き合う二人の姿をただ見つめていた。
一人は赤い髪の少女――ヤスナ。
もう一人は黒い外套を羽織った冒険者――トバリ。
砂を踏む音だけが、静かに響いている。
トバリは剣を肩に担いだまま、軽く首を傾げた。
「久しぶりだね」
気楽な声だった。
まるで散歩の途中で知り合いに会ったかのような調子だ。
ヤスナは鼻を鳴らす。
「昨日も会った」
「そうだっけ」
「忘れるな」
苛立った声。
だがその目には、わずかな笑みが浮かんでいる。
グラドが小さく息を吐いた。
(やれやれ)
完全に始まる流れだ。
だが、ここで止めるわけにもいかない。
むしろ――
勇者たちに見せるには、ちょうどいい。
この世界の強さを。
勇者たちはまだ理解していない。
自分たちがどれほど未熟なのかを。
「トバリ」
グラドが言う。
「軽くでいい」
トバリは肩をすくめた。
「そのつもり」
そして剣を下ろす。
細身の剣。
どこにでもありそうな冒険者用の剣だった。
ヤスナは手ぶらだ。
だが。
誰も、それを不利だとは思っていなかった。
「じゃあ」
トバリが言う。
「ほどほどに」
次の瞬間。
空気が弾けた。
ヤスナが消える。
勇者たちの視界から、完全に姿が消えた。
「え?」
彩葉が声を漏らす。
次の瞬間、衝撃音が訓練場に響いた。
ドンッ!
砂が爆発する。
ヤスナの拳がトバリの剣に叩きつけられていた。
その速度は、先ほどの戦いとは比べ物にならない。
「おっと」
トバリが軽く後ろへ跳ぶ。
だがヤスナは止まらない。
踏み込み。
回転。
蹴り。
拳。
すべてが人間の目で追える速度ではなかった。
衝撃音が連続する。
ドン、ドン、ドンッ!
砂が舞い上がり、訓練場の中央が土煙に包まれる。
勇者たちは動けない。
「……なんだよ、これ」
東堂が呟く。
さっきまで自分たちが戦っていた場所だ。
なのに。
今、そこで起きている戦いはまるで別の世界だった。
グラドが小さく言う。
「見ておけ」
勇者たちは息を呑む。
砂煙の中で、二つの影が高速で交差する。
剣と拳。
金属音。
衝撃波。
そのたびに砂が舞い上がり、空気が震えた。
やがて。
ヤスナが距離を取る。
地面を滑るように止まった。
「やっぱり強いね」
ヤスナが笑う。
トバリは肩を回した。
「少しは手加減してよ」
「嫌」
ヤスナが踏み込む。
次の瞬間、拳が振り抜かれる。
今度は真っ直ぐ。
トバリの胸へ。
だが。
剣が動いた。
最小の動き。
ヤスナの拳が弾かれる。
「……!」
その瞬間、トバリの剣がヤスナの喉元で止まっていた。
完全な間合い。
完全な勝ち。
訓練場が静まり返る。
ヤスナはしばらく動かなかった。
そして。
「つまんない」
そう言って剣を軽く押し返した。
「また今度」
そのままくるりと背を向ける。
城壁へ歩く。
そして軽く跳ぶと、壁の上へと消えた。
静寂。
しばらく誰も動かなかった。
最初に口を開いたのは東堂だった。
「……今の」
「人間か?」
グラドが振り返る。
「この世界の強さだ」
短く言った。
「魔族、魔獣、そして……英雄」
勇者たちを見渡す。
「君たちはまだ、その入口に立っただけだ」
沈黙が落ちる。
誰も反論しない。
今見たものは、それほど圧倒的だった。
トバリが剣を肩に担ぐ。
「まあ」
軽く言う。
「焦らなくていいよ」
勇者たちを見る。
「少しずつ強くなればいい」
その視線が、唯愛で止まった。
唯愛は息を呑む。
胸がまた強く鳴る。
この人。
どこかで――
「……?」
トバリはすぐに視線を逸らした。
「じゃあ、続きをやろうか」
グラドが頷く。
「頼む」
そして勇者たちは、再び剣を握った。
だが。
さっきまでとは違う。
今見た戦いが、はっきりと刻まれていた。
この世界の強さを。
そして――
その頂点にいる存在を。




