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サキュバスはメイドさん?

 そこからの一日は、メリューナにとって今まで経験したことがないことばかりだった。

「とりあえず朝の支度をするからもう少し大人しくしていろ」

 そう言いつけられたので、メリューナは言われた通りにソファでじっとしていた。

 その目の前で騎士は用意されていたらしき服に、さっさと着がえていった。

 騎士が着替える様子が目に入る。夜着を脱いで、背中を晒して。その体はまだ若々しい。

 筋肉がしっかりついていて、随分たくましい背中だった。剣を振るう、騎士らしい肉体だ。

 男性の体というものを、メリューナはよく見たことがなかった。同じ淫魔であるインキュバスは男性型の体を持っているが、一緒に暮らしているわけではないので、裸体など見たことがあろうはずがない。

 一応、人間を襲う者として、男性といういきものがどのような体をしているのか知識くらいはある。

 女性と違って胸が膨らんでおらず、下半身は……。

 考えてちょっと恥ずかしくなる。

 それがなにに使われるかなど、現状のメリューナに知識はなかったのだが、仮にも肉体というものを持ついきものとして、なんとなくそう感じてしまったのだ。本能的な部分ででだろう。

 今は下半身は脚くらいしか晒されなかったので、ほっとしたメリューナであった。

 騎士はそんなメリューナに構わず、さっさと着がえてしまった。

『騎士』という立場で想像していたような、鎧などはつけていない。それもそうだろう。戦いに出るよりほかの用事をしていることのほうが、ずっと多いだろうから。今日もそのたぐいで、屋敷か部屋で仕事をするのかもしれなかった。

 それなりの立場がある男性の着る、かっちりとはしているが、全体的に装飾が少なく、シンプルな服であった。布も仕立ても上等であるのは見ただけですぐにわかったけれど。

 しかし見るからに王族ではない。王族ならば普段着からもっと豪華な服を着るであろうから。これはやはり、いくら上級の存在であっても、屋敷に勤める者の服装。

 そのように服を着替え、その後は洗面所でなにやらしている様子で物音も聞こえてきたので、顔を洗うとか髪を整えるとかしていたのだと思う。

 メリューナはソファで大人しくしていたのだけど、そのうち洗面所から出てきた騎士を見て、ちょっと目を丸くしてしまった。

 長めだった前髪は持ち上げられていて、精悍な印象になっていた。涼しい目元の凛々しい顔立ちと相まって、とても男らしく魅力的な姿だ。夜のリラックスしていた姿よりも、ずっと見た目が良く見えた。夜のくつろいだ姿であってもとても見た目が良いと感じていたのに。

 なるほど、精気も美味しいはずだわ。

 メリューナはまた呑気を発揮してしまって、まぁサキュバスとしてはそう間違った思考ではないが、とりあえずこの場にあまりふさわしくないことは考えてしまった。

 メリューナの思考など読めるはずもないので、騎士はこちらを一瞥しただけでそれに関してはなにも言わなかった。

「では飯を食ってくる。それが終わったら貴様をどうにかするからもう少し大人しくしていろよ」

 そのような通達をされて、待つこと数十分。戻ってきた騎士によって、やっと向き合ってもらえたというわけだ。

 戻ってきた騎士は、女性ものの服を持っていた。それは随分シンプルだった。暗い藍色のワンピース。飾りは控えめにレースがついている程度。でもそれなりに質の良いものに見える。

 確か貴族の娘などがこういうものを着ているわ。

 メリューナは思って、そしてそれはその通りだった。

 それを着せられて、連れて行かれた先。

 そこは黒いかっちりとした、スーツ……というものに近い衣装を着ている男性の集まる部屋であった。

「遠い親戚の子なのですが、少々事情がありまして……しばらく私が面倒を見ることになったのです」

「遊ばせておくわけにはいきませんし、お荷物になってしまうでしょう。なので、不肖ではありますが、一時的に小間使いにでも使っていただけないでしょうか」

 騎士はそのように説明してくれた。メリューナは目を白黒させるしかなかったが。

 遠い親戚? 小間使い?

 メリューナにとっては縁がないと思っていた言葉ばかりである。

 口を開いてもどうにもならないと思ったので、なにも言わなかったが。

 そしてメリューナがただ立っているだけで、これからの話はあっさりと進んでいってしまったのである。

「綺麗なではないですか」

 一番身分のあると見えた、老齢に差し掛かった紳士がメリューナを見て言った。

「良いですよ。ちょうど良いのでグライフ様付きとして働いてもらったらいかがでしょう。先日おそばのメイドが一人辞めてしまったところでしょう」

「そうですね。一応身内なので……私の目の届くところですと安心いたします」

 騎士はしれっと言った。冷静で分析が正確なところは昨夜散々見せつけられていたが、ここでもそれは発揮されたようだ。

 そしてメリューナはここで初めて騎士の名を知った。『グライフ』という名らしい。

 そのようなやりとりで話は進み、メリューナはあれよあれよといううちに、ここ、インフェール王国の王宮に置いてもらえてしまうことになってしまったのである。



「見た目がいいだけあって、なにを着てもさまになるな」

 話は戻ってきて、メリューナは騎士、グライフにメイド服を改めて与えられ、早速身に着けてみたというわけだ。

 グライフは目を細めて、満足げに言った。椅子に深く腰掛けて脚を組みながら。

「あ、ありがとうございます」

 メリューナはお礼を言っておく。ぺこっと頭を下げた。

「ま、そんなわけだ。とりあえず、すぐには追い出さんから、せいぜいきりきり働くことだな」

「……ありがとうございます」

 不本意ではあったが、感謝をするところである。ここで叩きだされても、メリューナには行き場がない。

 魔力が使えないということは、魔界に帰れないので。街中を放浪するしかなかったろう。そしてそれではいつまで命が持つか保証はない。

 いわば、このグライフに命を助けられてしまったともいえる。

 メリューナに対する言葉づかいや態度はこれであるが、どうやら優しいひとのようだ。

「が、頑張ります!」

「劣等生にはあまり期待はしていないから安心しろ。とりあえず、目立たないようにしていろ。それくらいはしてもらわねば困るからな」

 感謝の気持ちをこめて、意気込みを述べたというのに、やはりばっさりと切り捨てられてしまった。メリューナはまた内心、がっくりした。昨夜の醜態からするに、反論などできないのであるが。

「ところでサキュバスにも名前くらいないのか。呼ぶに困る」

 言われて、はたとした。確かに自分は名乗ってもいなかった。

 仮にも世話になるというのに、無礼なことであった。メリューナは反省しつつ、やっと名乗る。

「メリューナ、と申します」

 ファミリーネームはない。人間ではないので。

 そのくらいは察されたのだろう。フルネームで、とは言われなかった。

「名まで美しいのだな。これで手腕さえ伴えば、相当優秀な淫魔だろうに」

 そうですね、なんて返すところだったがそれはあまりに惨めである。褒められているかそうでないか、微妙な線であるし。

「俺はグライフ=ヴェーラーという。無難にグライフ様、と呼んでおけ。訊かれたら母方の叔父とでも言え」

「はい。グライフ様」

「それでいい」

 それで遅ればせながらの自己紹介と、簡単な設定は済んでしまった。

「あの、グライフ様」

 メリューナはやっと自発的に口を開く。グライフが「なんだ」と言った。

 その彼に、メリューナは今度は丁寧にお辞儀をした。

「ありがとうございます。助けていただいて……。なるべく早く帰れるように頑張りますので」

 色々と辛辣なことも言われたが、助けてもらったのは確かである。ここを叩きだされてしまったら、相当困ってしまっただろう。

 心からの礼であった。それは伝わってくれたらしい。

「せいぜいそうしてくれよ。一応、お荷物であることに変わりはないのでな」

 素っ気ないがそう言ってくれて、さて、と立ち上がった。メリューナは彼を見る。

「俺は仕事だ。今日は会合に出る。一応俺付きのメイドだ。適当でいいから予定は把握しておけよ」

 言われたことに、メリューナはこくりと頷いた。

「はい。……あ。かしこまりました」

 ただ、はい、と言ってから言いなおした。『メイド』なのである。『主人』に対しては丁寧に、敬うように話さなければ。

「そうだ、そういう言葉遣いにしておけ」

 メリューナの返答は合格だったらしい。僅かに笑みらしきものを浮かべてくれた。

「貴様、……ああ、親戚という設定なら俺もこんな呼び方をするわけにはいかんな。お前はさっきの部屋に行け。あそこはこの王宮の執事や使用人のメイン待機ルームだ。色々習え。付け焼き刃でかまわんから」

「かしこまりました」

 そのようなやりとりで、今後のことはあっさりと決まってしまった。部屋から出て、向かうのは別方向であった。

「いってらっしゃいませ」

 廊下の逆へ歩いていくグライフに向かって、メリューナは言ってお辞儀をした。そのとき、自身が着ているワンピースとエプロンが目に入る。

 どうしてこんな事態になってしまったのかしら。

 数秒、考えてしまった。

 昨夜、王宮に忍び込んだときは考えもしなかった。

 まさか自分が魔力を失ってしまい、そしてメイドの真似事をすることになろうとは。

 これからどうなるのかしら。

 ぼんやりと思ったメリューナであったが、すぐに意識を切り替えた。

 魔力なんて、きっとすぐ戻るわ。

 グライフ様とやらの精気が合わなかったのであれば、それが体内からなくなれば戻るでしょうし。

 ええ、大丈夫大丈夫。すぐに魔界にも帰れるでしょう。

 そんな思考で自らを奮い立たせ、メリューナは廊下の逆のほうへ向かって一歩踏み出した。

 これから人間の振りをして、人間に仕事を習って、おまけに人間のする仕事などをすると思うと、不思議でならなかったけれど。

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