サキュバスは思考にふける
「おお、なかなか似合うじゃないか」
自らが与えた服を身に着けたメリューナを見て、騎士は満足そうに言った。
褒められたし、それに今のものは呆れられてのことではない。
「あ、ありがとうございます……」
メリューナはほっとして単純なお礼の言葉を言った。ここまでさんざん罵倒やらをぶつけられているのだから、褒められればそりゃあほっとするというもの。
騎士に着せられた、というか与えられたのは、黒を基調にしたワンピースである。
色こそ同じだが、ここへ着てきた色っぽいワンピースとは対極だった。シンプルな形で、肌など晒さない作り。
膝までのスカートはふんわりしていてボリュームがある。これは下にパニエとペチコートを仕込んでいるため。
スカートの裾と、半袖の袖口にはレース。若い女の子らしくて、かわいらしい雰囲気をプラスしている。
胸元にはリボンタイがついていた。暗い赤色で、かわいらしくも上品な印象。
そして一番上には白いエプロンを。これにもフリルがたっぷりとついていた。
足元は黒のシューズにソックス。頭にはカチューシャを。
ごくごく一般的なメイド服。身分ある者に仕える人間の衣装である。
この服自体はとてもかわいらしかったので、メリューナは自分の状況そっちのけで少し嬉しくなってしまった。
サキュバスとしては、普段、身に着けるのは色っぽい作りの衣装が基本であるので。
胸元は大胆に晒すし、脚だって太腿まで出すことが大半。そういう服も嫌いではないけれど、こういうおとなしい服もかわいらしい。着たことがないので新鮮であったし。
さて、メリューナがこのようなメイド服を着せられているのには理由があった。
話はこの、メリューナがメイド服を着て騎士の前に披露したのよりも、半日ほどさかのぼることになる。
「魔力が使えないだと」
ドアからも窓からも出られなかったメリューナ。至った結論は、認めたくなかったが『魔力が何故か使えなくなっている』ということであった。
このような事態は初めてで、メリューナ自身のほうが戸惑うばかりだった。しかし騎士もそれなりに動揺したらしい。メリューナが本当にサキュバスであることはもう、精気を与えてくれたときの様子から理解してくれているであろうし。
メリューナの『魔力が使えない』という結論には、そんな言葉と共に、盛大に眉間を押さえたため息をつかれた。
「つまりそれは、魔界だかどこだか知らんが、貴様の棲む世界に帰れないということなのでは」
大変言いづらいし認めたくない事実だが、それはそのとおりなのである。
「そういうことに……なりますね……」
お互い沈黙した。違う理由にであろうが。
しかしメリューナとしては、自分のほうが窮地であると主張したい。なにしろ暮らす世界に帰れないのだ。人間で言うなら、家に帰れなくなっている状態なのだから。
騎士のほうはどのような理由であるかメリューナにはわからなかったが。
変ないきものが入ってきて追い返せないから、かしら。
そのように推察した。
それには申し訳なくなる。お邪魔してしまっていることは一応、事実なので。
「どうする気だ」
質問されたけれど、それにも困ってしまう。どうするもなにも、どうにもできない。
「……どうしましょう。魔力が使えないことには……」
「まぁ、魔なる者ならそうだろうが」
また沈黙。いい解決策など、すぐに浮かぶはずもないではないか。
それは向こうも同じだったらしい。騎士は顔をしかめ、もう一度、眉間を押さえて首を振った。
「仕方ない。すぐにどうこうするのはとりあえず無理そうだ。とりあえず少し休むか。俺は精気を求めてフラフラしている貴様とは違って、明日も仕事なのでな」
その言葉には、ちょっとむっとしたメリューナであった。遊び暮らしているように言われるのは心外だ。
確かに人間のように労働をするわけではない。けれど、精気を得るのはとても大変なことで、生きるためにそれなりに努力しているというのに。
これを主張したところで意味がなさそうなので、言わなかったけれど。
「あの、私は、どこにお邪魔していれば……」
騎士は、さっさとベッドに潜り込んでしまった。もう深夜も回ろうとしている時間だろう。窓の外の月はだいぶ傾いてしまっていたので。
眠るつもりらしいのを見てとって、メリューナは困ってしまった。
よって、そのように質問したのだが。
「ヒナの添い寝はいらん。そのへんで適当に過ごしていろ。邪魔をするなよ」
ベッドの中から申し訳程度に手を出して、指差された。そこにはソファがある。とりあえず居場所を与えられたことには、ほっとした。
添い寝をするという発想は最初からなかったのだけど。それも言わないほうがいいかと思ったので、特にそこにはなにも言わなかったメリューナであった。
「はい」
よって、ただ答えて、ソファにちょこんと腰かけた。ソファはなかなか良いものらしくて、ふかふかしている。ひじ掛けには彫りが施されているし、脚は猫脚だ。見た目も質も上等品。
とはいえ、ソファがいくら豪華だろうと、することもないのでメリューナは思考にふけることになる。ソファに座った脚、白くて細い脚をふらふらさせるのを、見るともなく眺めながら。
これからどうしたらいいのかしら。
魔力が使えないってどういうことかしら。
さっきは精気を与えてもらえたのだから、あのときまではいつも通りだったと思うのだけど。
……さっきの精気が体に合わなかったとか?
その可能性はあるかもしれないけれど……。
思考はぐるぐると巡る。
だけど建設的で具体的なところへは辿り着かないし、思いつかない。
しかし当座、一番大切なのは『これからどうしたらいいのか』である。当たり前だ、魔界に帰れないのが一番困る。
魔力が使えない。
翼も出ない、つまり飛んで帰ることも出来ない。
八方ふさがりであった。こっそり部屋の外へ出たところでどうにもならないだろう。
それどころかメリューナの事情を知らない者、見回りの人間など、そういう者に見つかれば、賊かと思われるであろうし、コトは悪いほうに転がる気しかしなかった。
確かに自分は騎士を襲おうとしたけれど、別に命を狙ったわけではない。少なくとも今夜は。
一夜で人間の精気を吸い尽くすことなどできないので。それはメリューナが劣等生でなくても同じである。
なので賊と間違えられるのは不本意であるし、それにこの部屋の主である騎士に多大なる迷惑をかけてしまうことは目に見えていた。一応、精気も恵んでもらえたうえに、このような事態になってしまったのに部屋から叩きだされずに済んでいる。
言葉や行動はぶっきらぼうではあったが、メリューナにとっては大変助かることばかりであった。
その騎士は、ベッドで既に寝息を立てていた。その寝息が聞こえることに、ほっとする。
メリューナのような不審な者がいるというのに眠れるのは図太いことだが、戦いに出て野営などをすることもある騎士という仕事なのだ。そのくらい図太くなければ身が持たないのかもしれない。
しかしそれはメリューナに実害がないと、少なくとも自身の命に害がないと思われていることで。
サキュバスとしては大変不本意なことではある。劣等生ぶりを存分に晒してしまっていては、否定などできないけれど。
そんなことをぐるぐる考えているうちに、時間ばかりが経っていった。人間と違って、『なにかしていなければ暇』ということはないので、メリューナは考え事だけで満足していた。
ただ、その考え事があまり楽しくない、かつ先の見通しがまるでないというのは心地よくなかったけれど。
外が白みはじめた頃、メリューナは違うことが気になった。
それは、『精気を得る方法』である。
自分は、精気というのはくちづけをすることで奪うものだと思っていたし、それに実際、今夜は騎士からのくちづけで恵んでもらって得ることができたではないか。
だけど、どうやらその認識は間違っていたようだ。少なくとも完全に正解ではないらしい。騎士にはなにか、頭に浮かんでいることがあったようなので。
なにがあるのかしら。
メリューナは考え込んでしまう。
劣等生とはいえ馬鹿ではないので、推測くらいはできた。
胸に触っていた。
ワンピースの肩紐に触っていた。多分、脱がそうとしていたのだろう。もしくは肉体を見るとかそういう。
そのふたつから、どうやら肉体に関わりがあることだとメリューナは推察する。
けれどその先はどうしてもわからなかった。
そういえば、どうしてサキュバスは色っぽい衣装を着るのかしら。くちづけをするだけならば、美貌を持っているだけでじゅうぶんかもしれないのに。
そう考えたメリューナは、確かに馬鹿ではなかったのである。そこから『精気を得る行為』の答えに至らなかったのは……知識が足りな過ぎるせいなので、これはもうどうしようもなかったのだけど。
そんなあれそれを考えているだけで、夜は明けていた。騎士がごそりと身じろいで、ベッドから起き上がって、「……夢ではなかったのだな」と、失望したような顔で言ったのが、朝のはじまりであった。




