この世界には6人の主人公がいるらしい
買ったばかりの革のジャンパーに手を通し、俺は鏡の前でポージングを決める。この日の為に、学生の少ない小遣いをかき集めて買ったのだ。多少似合ってなくても着るしかない。こんな服も、早沢と出会わなければ一生買うこともなかっただろう。
待ち合わせの20時15分前に、駅前の広場に着いた。中央には巨大なクリスマスツリーが建てられ、イルミネーションが7色の光を発していた。俺はその根本にあるベンチに腰を下ろし、早沢の到着を待った。雪が降りそうな夜だ。マフラーでも巻いてくればよかった。周りを見ると、みな携帯電話を片手に誰かを待っているようだった。ピースのもう片方が揃えば、この場所を離れていく。その様子を見ていると、待っていることも苦ではなかった。
5分前になった。早沢はまだ来ない。
少しだけ、焦っている自分がいた。待ち合わせをすると早沢が俺より遅くくることはなかった。といっても、俺だって10分前から15分前に来ているのに、決まって待ち合わせ場所には早沢がいた。だから今日は、俺の方が早かったと茶化すつもりだった。まるで早沢が来ることを大前提に、妄想を広げていた。
携帯に着信を入れてみたが、出る気配はない。雪が降ってきた。
不意に、視界が暗くなった。
それは既視感。もしくはデジャヴ。俺はこの夜を知っている。俺のなにが欠けていたのかも、これから欠ける欠けがえのない人のことも。時計を見た。もうすぐ20時、約束の時間だ。
俺は思い出した。なぜここにいるのか。なんのために全てを捨てたのか。
何もかもが、あの『偽り』だった世界と同じだ。俺が望み、絶望し、捨てた世界が、そのままの形で俺の前に立ちはだかっていた。
俺は運命を変えたくて、なにも失いたくなかったから、全てを失うことを選んだのに。
立ち上がった。その直後、20時を知らせるベルが、クリスマスツリーから流れた。
ポケットの中で、携帯電話が着信を告げた。
電車で、リエルという天使に会った。
リエルは言った。「この世界には7人の主人公がいる」と。
残る6人の主人公と接触し、物語を観測することこそ、『観測者』に選ばれた俺の使命なのだと。
あの日から、俺の『偽り』は始まった。
『偽り』の世界では、俺は何でも出来た。
異世界に行けた。
人の心を操作した。
幽霊が見えた。
特定の技能が著しく向上した。
他人と体を共有した。
全てにおいて万能であることこそ、『偽り』の証明だった。あの世界の俺は『偽り』そのものだった。
だが、俺はそれを受け入れた。
本当の世界を取り戻すと言いながら、『偽り』の世界が終わってしまうことを恐れ、躊躇した。
結果として、あの日、俺は俺を恨んだ。
12月24日、その日は俺にとって、大切な1日になるはずだった。20時のベルと共に、俺の『日常』は消えてなくなった。
携帯電話を取りだし、耳に当てる。しばらく呆然としていた。目の前で、早沢夕はこちらに手を振ると、持っていた携帯電話をバッグにしまった。俺の手からは携帯電話がするりと落ち、地面に叩きつけられた。
「いたいた。ごめん、これにギリギリまで時間とられて……、ど、どうしたの?」
早沢は不安げに尋ねた。待ち合わせた男が顔を歪めて泣き出したのだから、その表情も合理的だ。昨日会っているはずなのに、まるで1年近く会ってなかったような気分だ。声も、体も、表情も、全てが懐かしく、いとおしい。
早沢は取り繕うように、持っていたものを差し出した。手には紙袋が握られている。早沢は中身を取り出した。真っ白なマフラーだ。ずっと前から、それは何より欲していたものだ。俺は早沢を抱き締めた。マフラーは紙袋に収まると、そのまま地面に落ちた。背中に手をまわし、早沢の髪に頬をうずめる。早沢は俺の肩口にその顔をうずめた。
2人で体温を共有した。指の末端も、顔も、太ももも、胸も、全てが暖かかった。雪が平等に2人の上に積もったが、すぐに溶けてなくなった。しばらくの間、俺と早沢は互いの存在を確かめ合うように、ただじっと抱き締め合った。
もう10分はそうしていただろうと時計をみやると、既に30分あまりが経過していた。駅前を待ち合わせにしていたカップルのほとんどが、クリスマスイヴの街へと消えており、今いるのは21時のローテーション組だ。早沢は紙袋を拾うと、マフラーを俺の首にかける。その温もりは早沢の体温をしていた。手編みなんだ、と早沢は照れくさそうに笑った。
1つだけ分からないことがあった。今までさんざん運命の通りに進んできた物語が、どうして最後になって、その進路を変えたのか。
ふと、ポケットの中でなにかが擦れる音がした。新品のジャンパーになにが入っているのかと、俺はポケットに手を突っ込み、1枚の紙片を取り出した。
クリスマスツリーのイルミネーションが、それを照らした。
『これもバタフライ効果です』
この字の主も、どういう場面で書かれたかも、その時彼がどんな顔をしていたかも、俺は思い出した。失っていた『鉛筆の線』。リエルに出会い、そして失うまでの半年間の記憶が、俺の脳を駆け回った。それは頭痛を伴い、俺の意識を掠め取った。
雪がゆっくりと、俺の体温を奪った。けれど、それ以上に手を、体を温める存在が今の俺にはあった。
その日の予定は全て無駄になった。予約を取っていたレストランに丁度団体客が入り、明日へ回してもいいと言われたのが不幸中の幸いか。3日続けてデートをする口実ができた、と早沢は笑った。その今にも消えてしまいそうな笑顔に恐怖を感じ、俺は早沢の唇に自分の唇を重ねた。また長時間を費やし、もう疲れた、と呟くと、俺は笑った。
雪の降る街を、俺と早沢は踏みしめるように肩を寄せて歩いた。
『鉛筆の線』と『ペンの線』のどちらとも早沢と出会い、終わりこそ違えど同じ経緯を辿っている。俺は初めから、文芸部を中心とした『物語』の中にいたのかもしれない。そんなことをふと思った。
それだけではない。『観測者』に選ばれなかったこの世界でも、俺は全ての物語に何らしかの形で関わっている。
神さまが俺を『観測者』に選んだ理由は、俺がそもそも全ての物語に関わっていたからではないだろうか。出来ればその答え合わせだけでもしてもらいたかった。
委員長は委員長のままだった。相変わらず明るく、人見知りをせず、ピンク色の髪。ただし彼女は神様ではなくなった。
どうやらこの世界でミケと猫井の件を解決したのは委員長らしい。委員長の『霊が見える』能力は、もともと委員長が持っていたようだ。
リエルは……、あのハンサム面も、見ないなら見ないで正直言って寂しい。果たして神さまはまた、別の誰かを『観測者』に指名して観察会を開いているのだろうか。おそらく今はしていないと思う。何故なら彼らのことを俺が覚えているからだ。しかしそれもいつまで続くかは分からない。
もうひとつ、こればかりはどうすることもできない。『偽り』の世界で生きていたはずの人間が、『バタフライ効果』によって、この元の世界では死んでいる可能性がある。俺が殺したも同然だ。それを死んだ彼ら彼女らは知らない。例えそれが元々の運命だったとしても、選択した責任を背負って生きていかねばならない。
春になった。赤坂とは違うクラスになり、代わりに早沢、津川と同じクラスになった。
『四次元半』には行けなくなった。ついうっかり『右手』を意識してしまって、あっと気付く。
今の俺は、『鉛筆の線』について書き記した手帳がないと、そのことをすぐに忘れてしまう状態にある。きっと、全てを失うとはそういうことだ。その傾向は、『ペンの線』との違いが大きいほど早くに出た。
赤坂と津川が『リベレート』であること、『四次元半』という空間があるということ。
早沢の誕生日パーティーに参加したこと、早沢以外の文芸部員ともそこそこ親しかったこと。
幽霊と話したこと、成仏させたこと。
砂浜での後悔。
どちらの世界を取るかの葛藤。
神さまのこと、リエルのこと。
『観測者』だったこと。
俺は手帳を捨てた。夜寝て、朝起きたときにはもう忘れているかもしれない。それでもいいと、今ならはっきり思える。
『バタフライ効果』があるなら、手帳を捨てたことで遠い将来また会えるかもしれない。そう考えて、俺は眠りについた。




