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一章



 世界のすべてが崩れ落ちるような音がした。

 僕の世界は、簡単に壊れてしまうほど、脆く、不安定だった。



「リーン!リーンハルト!」

 自分を呼ぶ声がし、少年、リーンハルトは小さく震えた。

「なに、お姉さま?」

 部屋の奥から顔を出した少女はミリィ。リーンハルトの実の姉だ。彼女は困った顔をしてリーンハルトに尋ねた。

「私の手鏡知らない?少し、大きめなのだけれど。」

 姉の質問に、リーンハルトは胸を針で突かれたような気持ちになった。

「ごめんなさい。わからないや。」

「そう……」

 ミリィは悲し気にそういうとリーンハルトの部屋を出ていく。

「どこいったのかしら。」

 ミリィが真剣な顔をして手鏡を探している姿を遠目から見ていた。

 彼女が探しているのは、亡き母の形見の手鏡だ。母はリーンハルトを産んだ日に亡くなってしまった。母の遺品である手鏡をミリィはとても大事にしていた。暇があればその鏡面を磨いて綺麗にしている。

(なんで、お姉さまはこの鏡を大切にしているんだろう。)

 まだ幼いリーンハルトには分からなかった。その鏡を覗いてみれば何かわかるだろうか。触ってみればわかるだろうか。

 その手鏡は派手な装飾もされてなく、シンプルなものだ。亡き母が大事にしていたというのもあり、少々古めかしさがあった。その鏡を覗くと、金髪の幼い少年の顔が不安げな顔をしてこちらをみていた。

 姉の大切な鏡に触れたのはほんの好奇心だった。

 しかし、その些細な好奇心が引き起こしてしまった。

「あっ……」

 手を滑らせてその鏡を落としてしまった。

 鈍い音を立てて、鏡が粉々に砕けた。

 粉々に砕けた鏡を見て、リーンハルトが最初に感じたのは怒られる恐怖よりも姉に見放されるという恐怖だった。

 父親は仕事で忙しく、あまり顔を見ることがない。家政婦もそれなりにリーンハルトをかまってくれるが、家政婦よりも姉のミリィと一緒にいることが一番幸せだった。

 リーンハルトの世界は姉を頼りに成り立っていた。

 もし、その姉に見放されてしまったら、自分はどうしたらいいのだろう。

(隠さなきゃ……)

 リーンハルトは箒と塵取りを持って鏡の破片を拾い、それを裏庭へ埋めた。姉のミリィがそれに気づくことはないだろう。

 しかし、鏡を探している姉が涙ぐむ姿を見て、リーンハルトの胸が締め付けられた。

 いつも優しく微笑んでくれる姉が、泣いている。とても大事にしていたものをリーンハルトが奪ってしまった。

(きっと僕は、お姉さまに嫌われてしまう。)

 小さな手でズボンをぎゅっと掴む。

「……リーン?そこにいるの?」

 ドアの向こうから姉の声がし、リーンハルトはその場から逃げ出した。

 屋敷を出て、森に入る。

 この森はよく姉と遊んでいたので多少奥に入っても迷うことはないだろう。いつも姉と遊んでいる場所についた。切り株があり、その周りには白くて小さな花が咲いている。いつも姉はその花を摘んでリーンハルトに冠を作ってくれていた。

 リーンハルトはその切り株に腰を下ろすと、膝を抱える。

「ごめんなさい。お姉さま。」

 その謝罪は姉には届かないとわかっている。リーンハルトはため息をつきながらその白い花を摘んだ。せめてもの償いと思い、姉の大好きな花を摘むのだ。自分は姉のように冠や指輪を編むことはできない。せめて大好きな花をプレゼントしようと思った。

 手にいっぱい積んだころ、気づけば陽が傾いていた。

「帰らなきゃ……!」

 リーンハルトは立ち上がり、歩いてきた道を引き返す。しかし、通ってきた道は薄暗さのせいで印象が変わっていた。

「あれ……?」

 いつもなら屋敷についているはずが、一向に屋敷が見えなかった。

「……お姉さま……」

 きっとこれは罰だ。姉の大事な鏡を壊し、さらには隠してしまった。怒った神様がリーンハルトに罰を与えたのだ。そう幼いながら確信した。

「ごめんなさい。ごめんなさい……」

 リーンハルトがこぼれる涙を拭きながら何度もつぶやいた。

「ごめんなさい……お姉さま……おねえさま……?」

 ふと顔を上げた時、奥に人影が見えた。

「?」

 それは自分と同じくらいの男の子だった。帽子を目深くかぶり、シャツにリボンタイを付け、サスペンダー付のズボンを着ている。彼はリーンハルトと目が合うと背を向けてしまった。

「待って!」

 リーンハルトが彼を追うと、彼がいた場所で足に何かが当たった。

「!!!」

 それは姉が大事にしていた形見の鏡と瓜二つの鏡だった。その鏡は鏡面だけ綺麗に抜き取られており、それ以外は形見の鏡とそっくりだ。ただ、この鏡の方か新しく見える。

「どうして……」

 あの男の子が落としたのだろうか。リーンハルトは鏡を抱えて男の子の後を追った。

「ねぇ!待って!待ってよ!!」

 いくらリーンハルトが呼びかけても、少年は止まる様子がない。

 しばらくすると、開けた場所にたどりついた。

「え……?」

 目の前にあったのは大きな門だった。門の向こうには少し古めかしい作りの屋敷が見える。たしか、自分の屋敷の近くにほかの屋敷はないはずだった。もしかしたら、自分でも気づかないうちに遠くに来てしまったのだろうか。

「あ……」

 少年が屋敷の中に入っていく。

「ねぇ、待って!!」

 リーンハルトが呼びかけると、少年がこちらに気付いて目が合った。しかし、彼はそのまま屋敷の中に入ってしまう。

「ちょっと!!!」

 人の家に勝手に入ることはいけないことだ。しかし、事情を説明すれば入れてくれるかもしれない。

 門を開けて玄関のノックを鳴らす。

 ゴンゴン!

 重い音が響くが、誰も中から出てこない。

「……?ごめんくださーい……」

 恐る恐るノブを回す。鍵はかかっていなかった。ドアを開けると、広いエントランスが広がる。しかし、もう夕暮れ時だというのに明かりは一つもなかった。

「すみません……誰かいませんか……?」

 たたたた、と廊下を駆ける音がし、奥を見ると先ほどの少年が奥の部屋へと消えた。

「ねえ、待って!君の落とし物!!!」

 リーンハルトは不躾だと思いながら、少年の後を追ったのだった。


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