第1話 純白のドレスと、裏切りの通知
プロローグには、旅に出る理由となった「辛い出来事」が綴られています。
「せっかくの読書、嫌な男の話は飛ばして、すぐにでも機内食の香りを嗅ぎたい!」という方は、【日本編 第五話 成田空港、境界線の向こう側】からの搭乗がおすすめです。
主人公『小川すみれ』が自分を取り戻していく「再生の旅」を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください。さあ、片道切符を握りしめた『すみれ』と共に、刺激に満ちた異国への旅へ出かけましょう!
※ 作中の英文表記に『AI翻訳』を活用しているので、念のため『AI間接利用』を選択しております。
鏡の中には、ウェディングドレスを着た私が立っていた。
私は、二十代の女性から人気のあるアパレルブランドで、パタンナーとして働いている。自分のウェディングドレスを、自分でパターンから作る。それは、ずっとやってみたいと思っていた夢だった。
「小川様、本当にお綺麗です……。こんなにきれいなライン、既製品ではなかなか出せませんよ」
ブライダルコーディネーターの佐々木さんが、裾を整えながら言った。
私は小さく笑って、鏡越しに自分の姿を確認する。
二十八歳。仕事もプライベートも順調だった。学生の頃から付き合っている健一との結婚を一ヶ月後に控えている。
自分でパターンを引いたウェディングドレスを着て、彼と一緒にバージンロードを歩く。私は、そんな未来を当たり前のように思っていた。
「……二ミリ、浮いてるわ」
ふと、左胸のダーツに目が留まった。
「え?」
佐々木さんが聞き返す声が聞こえたけれど、私は答える前に、仕事用のまち針を手に取った。ほんのわずかに、余った生地を指先でつまみ、まち針を打つ。
「これで大丈夫」
そう呟いて、もう一度鏡を見た。
◇
フィッティングを終えて店を出たときには、夜の八時を過ぎていた。
一年前、婚約を機に一緒に暮らし始めたマンション。駅から近い築浅の物件で、二人でインテリアショップを巡って選んだ北欧風のソファが置いてある。そこに、私の仕事道具も少しずつ増えていった。
リビングでは、先に帰宅していた健一がソファでうたた寝をしていた。テーブルの上には、食べかけのコンビニ弁当と、彼のスマートフォン。
(ああ、もう。カレー、温めてってメモしておいたのに……)
私は呆れながら、彼を起こさないよう、脱ぎ捨てられた靴下を拾い上げた。
そのとき、スマートフォンの画面が短く震え、明るくなった。
どうして通知の内容が、そのまま表示されているんだろう。彼にやましいことがなかったから? それとも、ただの油断?
『昨日はずっと一緒にいたのに、もう会いたいよ。結婚式まであと一ヶ月、今のうちにたくさん会おうね』
心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。指先が冷たくなる。画面に表示された送り主の名前は、私の知らない女性のものだった。私は震える手で、スマートフォンを手に取った。
先週末、二人で色違いの最新機種に買い替えたばかりだった。そのとき、『パスコード、お互いの誕生日にしようか』『それじゃ、隠し事もできないね』なんて、二人で笑っていた。
あのときは、それが自然なことだと思っていた。今私は、その自分の誕生日を打ち込み、健一のスマホのロックを解除する。
私が震える指で恐る恐るメッセージアプリを開くと、そこには、私の知らない女とのやり取りが残っていた。
一週間前、出張だと言っていた夜。
私が残業で遅くなると連絡した、昨日の夜。
彼は、その女と一緒にいた。
メッセージを読み進めるうちに、結婚準備についてのやり取りまで出てきた。
『結婚式って、席次とか細かい取り決めがあって、面倒な儀式だよ』
「……あ」
声にならない息が漏れた。
その声で、健一が「ん……」と身じろぎし、目をこすりながら顔を上げ、私の手にあるスマートフォンに気づく。
一瞬で、健一の顔色が変わった。
「すみれ……おかえり。ん……それ……っ!」
「これ、なに?」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
健一は飛び起き、私の手からスマートフォンをひったくるように奪い返した。メッセージアプリが表示されていることに気がついた彼は、驚きの表情を浮かべた後、焦って何か言おうとして口を開き、けれど言葉が出てこない。
そして、彼は信じられないことを口にした。
「待って、違うんだ! これは、その……誘われて。一度きりの出来心っていうか。男なら誰でもあるっていうか……。結婚を前にして、ちょっと魔が差しただけなんだ。本当に、一度だけなんだよ!」
『一度だけ』。その言葉が、耳の奥にいつまでも残った。
一度なら許されると思っているのだろうか。たった一度なら、九年間一緒に過ごしてきた私との関係を裏切っても、なかったことにできると思っているのだろうか。
「ごめん! 悪かった! でも、一ヶ月後には式なんだぞ。会社関係に招待状も出したし、仲人は課長なんだよ。それに、お互いの友達や親だって楽しみにしてる。たった一度の遊びで、全部白紙にするなんて正気じゃないだろ?」
健一は必死に何かを訴えていた。でも、その言葉を聞いているうちに、胸の奥が冷たくなっていった。
私に対して謝罪しているようには聞こえなかった。健一が気にしているのは、結婚式を中止したら周りにどう思われるか、これまで準備してきたものがどうなるか、そんなことばかりだった。
何か言い返したかったけれど、言葉が出てこなかった。
九年間、一緒に過ごした愛しい人。なのに今、目の前にいる健一のことが、急に遠く感じた。
その夜、私は一睡もできなかった。ベッドの端で身を固くして、健一に背を向けて朝を待った。さっきまで当たり前にあると思っていた結婚も、その先の生活も、もう何を信じればいいのか分からなかった。
明日になれば、両親にも話さなければならない。きっと『一度くらい許してあげたら』『もうお式の日取りも決まっているんだから』と言われるのだろう。世間体を気にして、私に我慢するよう言うかもしれない。
そう考えるだけで、胃のあたりが重くなった。
私はパタンナーだ。布の歪みなら、アイロンをかけて直すことができる。でも、最初のカットを間違えてしまえば、その後どれだけ手を入れても、思い通りの形にはならない。
今までの私は、少しくらいのことなら我慢して、あとから考えればいいと思っていたのかもしれない。でも、今回は違う。もう、元には戻せない。
私の人生は、どうなってしまうのだろう。そう考えると、また涙が出そうになった。
結婚をやめればいい。そんなことは分かっている。あんな生々しいやり取りを見てしまった今、何事もなかったように健一と結婚するなんて、私にはできない。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
九年間も一緒にいた。結婚式まで、もう一ヶ月しかない。両親にも友達にも、職場の人たちにも、もう結婚すると伝えている。今さら全部やめるなんて、怖かった。
もし健一が本当に反省しているのなら。もう二度としないと約束してくれたら。今回だけなら、許したほうがいいのだろうか……。そんな考えが浮かんでは、すぐに消えていく。
でも、スマートフォンに残っていたあのメッセージを思い出すと、胸の奥がまた冷たくなった。
私は、何度も同じことを考える。『別れるべきか』『許すべきか』『結婚をやめて、これからどうすればいいのか』。答えは出なかった。
ただ、一つだけはっきりしていた。今まで通りには、もう戻れない。それだけだった。
周りがどう思うかなんて、今はもうどうでもいい。
両親に何と言われてもいい。九年間付き合ってきたからといって、この先も健一と一緒にいなければならない理由にはならない。でも……。
それでも、もう一度この人を信じることだけはできなかった。
窓の外が明るくなっていくのを見ながら、私はゆっくりと息を吐いた。
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