クロエおねえちゃん
次の日、授業中にクラスから呼び出された俺は、校長室に来ていた。
テーブルの上に、透明な水晶玉がひとつ置かれている。
「じゃあ、ここに手を置いて」
言われるままに両手をのせると、ひんやりした感触が返ってきた。
「じゃあ、始めるわね。魔力を流すから、まずは感じてみて」
背後に回ったお母さんが、俺の肩に両手を置く。
じわり、と肩があたたかくなった。
そのあたたかさが、首から背中へ、背中から指先へと広がっていく。
「わぁ〜。あったかい」
「そうね。この感覚が、魔力を帯びてる感覚よ」
体の中に春が入ってきた。
うまく説明できないが、そんな感じだった。
ぽかぽかして、なんだか走り出したくなる。
とっても心地いい。
「じゃあ、強くするわよ」
「うん!」
その言葉と同時に、感覚が一気に大きくなった。
「わ、わ!」
春が暴走した。
体の中をぐるぐる駆け回って、じっとしていられない。
押さえようとしても、どこを押さえればいいのかわからない。
ぱりん。
気がつくと、水晶が割れていた。
「失敗ね。もう一度やってみましょう」
それから何度か繰り返した。
結果は全部同じだった。
ぱりん。ぱりん。ぱりん。
最後の一個が割れたところで、今日は終わりになった。
※
「あ、ルナちゃん」
休み時間。
廊下の隅で途方に暮れていると、すぐ上から声が降ってきた。
顔を上げると、クロエが立っていた。
「クロエおねえちゃん」
「……っ」
クロエが一瞬、顔をそらす。
「そ、その呼び方、やめなさいよ。べつに、あなたの姉じゃないでしょ」
「じゃあ、なんてよべばいいの?」
「他のならなんでもいいわよ」
「クロエおねえちゃんがいいの!」
「なんでそうなるの」
言いながら、直させる気はなさそうだった。
「勉強、頑張ってる?」
「うん! おべんきょうは、だいじょうぶなんだけど」
言いかけて、さっきの水晶を思い出した。
ぱりん、ぱりん、ぱりん。
「……ルナは、だめだめなんだよ」
言葉にしたら、落ち込んできた。
俺は自分のつま先を見る。
「え?」
俺の様子を見て、クロエの声が変わった。
すとん、と目の前にしゃがみこむ音がした。
「ど、どうしたの」
目線が合う。
クロエは俺の顔を見るように、床に膝をついている。
「ちょっと。何かあったの? 誰かに何か言われた?」
「ちがうの」
「じゃあ何。言いなさい」
「えっとね」
俺は、話せる範囲で話した。
魔力をうまく抑えられないこと。
あたたかいのが体の中を走り回って、止め方がわからないこと。
月菜にもライラにも教えてもらったけれど、言っていることがぜんぜんわからなかったこと。
「つきなおねえちゃんは、きゅって、するの、っていうの」
「うん」
「ライラおねえちゃんは、ふつうにすればいいって」
「あの子たちは……」
クロエがため息をつく。
「わかんないの。ルナ、なんにもわかんない」
言い終わると、鼻の奥がつんとした。
まずい。これはルナの体のせいだ。俺のせいじゃない。
クロエはしばらく黙っていた。
急かしもせず、慰めもせず、ただ俺の顔を見つめている。
「……あのね」
「うん」
「私も、最初は割ったの」
「おねえちゃんも?」
「水晶。たーくさんね。言っとくけど、うちの学校で一番失敗してるのは私よ」
ちょっと胸を張っている。
「だから、ルナちゃんがだめだめってことはないの」
クロエが俺の目をまっすぐ見た。
「わかった?」
「……うん」
「よろしい」
そう言って立ち上がりかけて、また座り直す。
「ルナちゃん、今日の放課後、時間ある?」
「ふえ?」
「私が特訓してあげるわ」
「とっくん」
「そう。たぶん、力になれると思うの」
「いいの?」
「じゃあ決まりね」
クロエが笑った。
少しつり目がちな青い瞳が細くなり、口元が綻ぶ。
制服のケープと一緒に、金髪のお団子も揺れていた。
「あ、そうだ。ルナちゃんに、いいものあげる」
クロエがポケットを探って、何かを取り出した。
「はい」
差し出された手のひらに、小さな飴がひとつのっていた。
透明な琥珀色の中に、金色の粒がいくつも散っている。
窓から入る光に当てると、粒が内側でゆっくり回った。
「わあ」
「きれいでしょ?」
「うん! なかで、ほしがまわってる」
「とっておきの飴よ。私もよく食べるの」
俺は両手で受け取って、目の高さまで持ち上げた。
角度を変えるたびに、中の粒の流れ方が変わる。
ずっと見ていられる。
「たべていいの?」
「もちろん。どうぞ」
「もったいないよぉ」
「ふふ」
クロエが少しだけ笑った。
「なくなったら、またあげるから」
「ほんと?」
「ええ」
包みを剥いて口に入れる。
思ったより甘くない。
かわりに、舌の上でしゅわしゅわとはじけた。
「しゅわしゅわする!」
ルナは単純だ。おいしいものがあれば解決する。
「……よかった」
クロエは俺の頭にぽんと手をのせて、そのまま歩いていった。
途中で一度だけ振り返る。
「放課後、校門ね。遅れないこと」
「はーい!」
俺は飴を舌の上で転がしながら、その背中を見送った。




