最高の夏休み 1
朝。
まだ完全には目を覚ましていない住宅街に、やけに元気な音が響いた。
「おっはよーございまーす!!」
玄関のドアが勢いよく開き、ほぼ同時に翔の家の静寂が吹き飛ぶ。
「声でかっ!」
リビングのソファでスマホをいじっていた翔が、反射的に叫んだ。
「朝なんだから元気出さなきゃでしょ!」
靴を脱ぎながら言い返す結衣の声も、十分うるさい。
「いや、元気なのは分かるけど限度ってもんがあるだろ……」
「翔くん、まだ寝起きの顔してるね」
後ろから顔を出した夏樹が、くすっと笑った。
「そりゃ起きて五分だし」
「五分でこの騒がしさ耐えてるの、逆に偉くない?」
「それ褒めてる?」
玄関からは、さらに足音。
「お邪魔しまーす!」
響の声が響き、その後ろで柊が静かに頭を下げた。
「……毎回思うけど、ここ来ると一日が始まった感あるな」
「分かる。なんか基地みたいだよな」
「おい、勝手に拠点扱いすんな」
翔が言い返すが、否定しきれない自分もいる。
そんなやり取りを、少し離れた位置から菜々が見ていた。
今日は私服。
柔らかい色合いのトップスに、動きやすそうなスカート。
派手ではないが、ちゃんと“遊びに行く日”の服装だった。
「皆さん、おはようございます」
その一言で、空気が少しだけ落ち着く。
「おはよー、菜々ちゃん!」
「今日も安定の可愛さだな!」
「ありがとうございます」
控えめな笑顔。
でも、その場に自然と馴染んでいる。
翔は一瞬、その光景を見て思った。
(……もう、当たり前なんだよな)
菜々がここにいることも。
この家が、みんなの集合場所になっていることも。
◆
キッチンから、翔の母が顔を出した。
「……修学旅行?」
「修学旅行じゃありません!」
結衣が即座に否定する。
「ただの夏休みです!」
「一番騒がしいタイプのやつね」
苦笑しながらも、母はどこか楽しそうだった。
「怪我しないでね。あと、翔」
「なに」
「ちゃんとみんなに合わせて歩きなさい」
「……俺子どもか」
「迷子常習犯でしょ」
「否定できねぇ……」
菜々が一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。
「いってきます、お母様」
「いってらっしゃい。翔のこと、お願いね」
「はい」
その返事には、迷いも、照れもなかった。
◆
大型ショッピングモール。
駅を降りた瞬間、人の多さに圧倒される。
「うわ、人多っ」
翔が言う。
「夏休みだもんね」
夏樹が周囲を見渡しながら答える。
「家族連れも多いし、学生も多い」
「この空気だけでテンション上がるわ」
結衣が伸びをする。
「まずどこ行く?」
翔が聞くと、ほぼ全員が同時に言った。
「ゲーセン!」
「即決かよ」
◆
ゲームセンター。
電子音、歓声、クレーンの作動音。
どこを見ても人、人、人。
「うわ、久しぶりだわゲーセン!」
結衣が走り出す。
「走るなって!」
翔の制止は間に合わない。
「翔さん、これ!」
菜々がぬいぐるみの筐体を指差す。
中には、やたらと存在感のあるクマ。
「……でかくね?」
「可愛いです」
「それ基準か」
「取ってほしいです」
即答。
「……一回だけな」
「はい!」
クレーンを操作する翔。
自然と全員が後ろに集まる。
「角度、もうちょい左」
「アーム弱そうだな」
柊と響がそれぞれ口を出す。
「うるさい!」
翔が言いながらも、言われた通り微調整。
一回目、失敗。
「惜しい!」
「大丈夫です」
菜々の声は落ち着いている。
二回目、途中まで持ち上がるが落下。
「……もう一回」
三回目。
クマがしっかり掴まれ、ゆっくりと運ばれる。
「来た……!」
ガコン。
「取れた!」
「やったぁ……!」
菜々はクマを抱きしめ、小さく笑った。
「ありがとうございます」
その一言が、妙に胸に残る。
◆
ゲーセンの奥。
電子音と歓声が入り混じる一角で、
ひときわ目立つ赤い機械があった。
パンチングマシーン。
「……あっ」
それを見つけたのは結衣だった。
「ねえ響」
「ん?」
「これ、やってよ」
有無を言わさない口調。
「は?」
響はマシーンを見上げる。
「なんで俺」
「ボクシング部でしょ」
「いや、だからって——」
「パンチ力あるんでしょ?」
結衣がニヤリと笑う。
「見せてみてよ」
「煽ってんなぁ……」
響は肩を回す。
「言っとくけど、壊れても知らねぇぞ?」
「壊すなよ?そんなことは無いだろうけど」
翔が即座に釘を刺す。
「ちっ」
響はコインを入れ、グローブをはめる。
「よし……」
構える姿は、さすがに様になっていた。
「……意外と本気じゃん」
柊が呟く。
カウントダウン。
3、2、1——
ドンッ!!
重い音が響く。
数字が跳ね上がる。
「おおおお!?」
結衣が身を乗り出す。
「すごっ!」
「まぁまぁだな」
響は余裕ぶるが、口元が緩んでいる。
「はい次!」
結衣が即座に言う。
「は?」
「私もやる」
「お前やったら指折れるぞ」
「失礼すぎ!」
結衣はグローブを受け取る。
「女だからって舐めないで」
構えは完全に素人。
でも、目だけは本気。
「……せーの!」
ドン。
音は軽い。
数字も低い。
「……」
一瞬の沈黙。
「ほら!だから言ったじゃん!」
響が爆笑する。
「ちょ、うるさい!」
結衣は真っ赤になった。
「もう一回!」
「金もったいねぇ!」
「翔!」
「え、俺!?」
突然振られる。
「やって!」
「いや、俺は——」
「逃げるな!」
半ば強引にグローブを渡される。
翔は苦笑しながら構える。
「…勝手がわからん」
ドン。
数字は、結衣より少し上。
「微妙!」
「平均的すぎ!」
「普通代表だな」
散々言われる。
その横で。
「……私も、やってみたいです」
小さく言ったのは菜々だった。
全員が一斉に見る。
「菜々?」
「え、いいの?」
「……はい」
グローブをつける菜々。
構えはぎこちない。
でも、目は真剣。
(……力じゃない)
そう言うように、一歩踏み込んで——
コツン。
小さな音。
数字は、最低だった。
「……」
「菜々!」
結衣が慌てる。
「気にしなくていいからな!?」
菜々は、少しだけ笑った。
「大丈夫です。予想通りなので」
翔が、少し慌てて言った。
「……でもさ、菜々の方がちゃんとフォーム綺麗だったぞ」
「え……?」
「ほら、なんか……真面目に打ってる感あった」
菜々は一瞬きょとんとしてから、
小さく笑った。
「……そう言われると、嬉しいです」
その一言が、逆に場を和ませた。
「じゃあ」
夏樹が一歩前に出る。
「私、見本見せよっか」
「え」
「夏樹?」
軽く構えて、軽く打つ。
ドン。
数字は——翔と同じくらい。
「おお、安定!」
「狙った?」
夏樹は肩をすくめた。
「さあ?」
その笑顔を見て、柊が呟く。
「……全員、キャラ通りだな」
「じゃあ次、柊な」
響がニヤニヤしながら場所を譲る。
柊は一瞬だけ機械を見上げて、軽く肩を回した。
「……別に期待しないでくれ」
そう言って、構えも作らず、力を溜める素振りもなく――
ただ、コン、と地面を蹴る音の直後。
ドンッ!!
鈍くて重い衝撃音が響く。
表示パネルの数字が跳ね上がり、止まる。
《987》
「…………は?」
一拍遅れて、全員が同時に声を漏らした。
「え、ちょ、待て待て待て!?」
「響の記録、普通に超えてんだけど!?」
「なんでそんな感じでそんな数字出るの!?」
柊はグローブを外しながら、少しだけ首を傾げる。
「……昔、ちょっと空手やってただけだ」
夏樹は笑いながら拍手していたが、
その目だけ、ほんの一瞬だけ柊の拳を見ていた。
(……あれ、本気じゃない)
「“ちょっと”のレベルじゃねぇからな!?」
響のツッコミが、ゲーセンに虚しく響いた。
パンチングマシーンの前は、
笑い声で満ちていた。
菜々は拍手しながら、
なぜか胸の奥が少しだけざわついた。
(……この人、なんでこんなに色々隠してるんだろう)
◆
ゲーセンの空気は、まだまだザワついている。
「……マジで意味わからん」
響がパネルを見上げたまま、頭を抱える。
「俺、ボクシング部だぞ?なんで素人みたいな顔してる柊に負けてんだよ……」
「いや、顔は関係ないだろ」
結衣が即座にツッコむ。
「でもあれはズルいって!なんかこう……才能の暴力じゃん!」
柊は少しだけ困った顔をして、視線を逸らした。
「……悪い」
「謝るな!余計ムカつくわ!」
響は大きくため息をついてから、急にパン、と手を叩いた。
「よし、切り替え!」
「お?」
翔が眉を上げる。
「力勝負はもういい。完全に俺の負けだ。だから次は――運と頭使う勝負しようぜ」
その瞬間、結衣の目が光った。
「……なにそれ」
「クレーンゲーム対決だ!」
響がビシッとアームコーナーを指差す。
「男チームと女チームで分かれてさ、一時間でどんだけ景品取れるか勝負!」
「負けたチームは?」
夏樹が興味ありげに聞く。
「勝ったチームの荷物持ちな!」
「うわ、雑用押し付けルール来た」
結衣が笑いながら言う。
「でもまあ……面白そうじゃん」
菜々が、ぬいぐるみが並ぶ棚を見つめながら、小さく頷いた。
「……やります」
その声が、やけに真剣で。
「絶対、負けたくないです」
夏樹が、小さく笑った。
「……じゃあ、今日は“遊び”じゃなくて“戦い”だね。
負けたくないの、私も一緒」
その瞬間。
「よっしゃ決まりな!」
響が両手を上げて叫ぶ。
「じゃあ、チームは男チーム対女チームな!」
「ちょ、勝手に決めんな!」
「いいじゃん、ここらで男の威厳見せたらあ!」
笑い声が広がって、
ゲーセンの一角が、完全に“戦場”になった。




