夏樹との平和?なデート〜裏〜
夏樹が家を出た、その十分後。
同じ時間帯に、同じ住宅街の別の角で、四つの人影が不自然に固まっていた。
「……確認するけどさ」
結衣が低い声で言う。
「これ、ほんとに“見守り”だよな?」
「見守りです」
菜々が即答した。
一切の迷いもなく、はっきりと。
「尾行じゃないです。観察です」
「言い換えただけじゃねぇか」
響がぼそっと突っ込む。
その後ろで、柊は無言でスマホの地図アプリを操作していた。
「……とりあえず、翔の家から出てくるのを確認してから動く。距離は二十メートル以上。視界には入らない。建物を挟む」
「お前、慣れてない?」
手馴れた柊の動きに、響のツッコミが飛ぶ。
柊は顔を上げずに答えた。
「もう三回目だから、慣れもするだろーよ。お前らくれぐれも冷静にな」
その言葉に、全員が一瞬黙る。
一番冷静でいなきゃいけないのは、本当は誰なのか。 分かっているから、誰も突っ込まない。
◆
少しして、翔の家の玄関が開いた。
私服。 いつもより少し整えているのが、遠目でも分かる。
その直後。
「……来た」
結衣が小さく呟く。
門の前に、夏樹が立っていた。
「うわ……」
響が思わず声を漏らす。
「今日の夏樹、気合入ってんな……」
「声」
柊が即座に制する。
夏樹の服装は、普段の学校の延長じゃない。 派手じゃないのに、明らかに“選んでる”。 隣に立つ翔との距離が、一気に縮まったのが分かった。
翔が何か言って、夏樹が笑う。
その笑顔が、やけに柔らかい。
「……あー、無理」
結衣が顔を背けた。
「何が?」
「心臓に悪い」
「まだ始まってもないぞ」
「始まってるんだよ!」
声を荒げそうになって、結衣は自分で口を塞ぐ。
菜々は、黙ってその光景を見ていた。
表情は、いつも通り。 背筋も伸びている。
でも、指先だけが、わずかに強く握られていた。
◆
二人は並んで歩き出す。
距離は近すぎず、遠すぎず。 肩が触れそうで触れない、絶妙な間。
「……あの歩き方」
結衣がぼそっと言う。
「完全にデートのやつじゃん」
「デートだからね」
響が返す。
「点数で勝ったんだし」
「分かってる!」
分かっているから、腹が立つ。
柊が前を見たまま言った。
「右折するな。あの角、ガラス張りだ」
全員が一斉に止まる。
二人は気づかず、そのまま進む。
「……危な」
結衣が息を吐いた。
「見られたら終わりだった」
「見られたら、ですか?」
菜々が静かに言う。
「“誰に”です?」
結衣が一瞬言葉に詰まる。
「……翔に」
「それだけですか?」
菜々は、視線を前から外さない。
「夏樹さんに見られたら、どうなりますか?」
沈黙。
結衣は歯を噛みしめた。
「……それは」
分かっている。 一番気づいてほしくないのは、夏樹だ。
◆
二人がカフェに入る。
外から見える位置ではない。 だが、窓の配置と反射で、中の様子は何となく分かる。
「……座ったな」
響が小声で言う。
「向かい合わせだ」
「最悪の配置」
結衣が即答する。
「逃げ場ゼロじゃん」
柊がスマホを操作しながら言った。
「店の外周、ぐるっと回れる。非常口側に窓がある」
「お前ほんとに高校生か?」
「今は“見守り隊”だから」
「その肩書きやめろ」
◆
しばらく、沈黙。
カフェの中では、二人が話している。
何を話しているかは聞こえない。 でも、雰囲気だけは分かる。
夏樹が笑っている。 翔も、笑っている。
「……翔、あんな顔すんだ」
結衣が小さく呟く。
「私といる時、あんなに力抜けてたっけ」
響が言葉を探して、やめる。
柊がぽつりと落とす。
「夏樹、すごいな」
「何が」
「追い詰めてない」
全員が、はっとする。
「距離近いのに、逃げ道残してる」
「……それ」
結衣が苦しそうに言う。
「一番ズルいやつ」
菜々は、何も言わなかった。
ただ、ガラス越しの二人を、じっと見つめている。
◆
カフェを出る。
二人は並んで歩く。 さっきより、少しだけ距離が縮んだ気がした。
「本屋だ」
柊が言う。
「中、見えるぞ」
「うわ……」
響が息を呑む。
夏樹が、本を手に取って翔に差し出す。
翔が苦笑する。
「……あれ、絶対ラブコメ」
結衣が即座に判断する。
「刺してくるタイプのやつ」
「夏樹、分かってやってるだろ」
響が言う。
菜々が、初めて口を開いた。
「……あれは、偶然じゃないです」
全員が一瞬、菜々を見る。
「夏樹さんは、選んでます」
「何を」
「言葉も、場所も、距離も」
淡々とした声。
でも、どこか冷えている。
「“今日は逃げなくていい日”を、ちゃんと作ってます」
結衣は唇を噛む。
「……私、それできてたかな」
誰も答えない。
◆
次に二人が向かったのは、雑貨屋だった。
小物。 キーホルダー。 ペア商品。
「……おい」
響が声を震わせる。
「まさか」
「まさか、だな」
柊も、視線を逸らさない。
夏樹が、二つ並んだキーホルダーを手に取る。 翔が迷う。 迷って、頷く。
「買った」
結衣が目を伏せた。
菜々は、その瞬間だけ、視線を落とした。
ほんの一瞬。 でも、確かに。
◆
夕方。
二人は、少し落ち着いた店に入った。
照明が柔らかい。 外から中は見えない。
「ここからは……」
響が言葉を切る。
「想像したくないな」
「同意」
結衣も頷く。
「でも、ここで引くわけにはいかない」
「お前ら、なんでそんな使命感あるんだよ」
「だって」
結衣が言う。
「私たち、もう“当事者”だから」
誰も否定できない。
◆
夜。
店を出た二人は、駅とは逆方向へ歩き出す。
「帰り道だ」
柊が言う。
「……来るぞ」
分かれ道。
街灯。
夕焼けと夜の境目。
「……」
全員が、息を潜める。
距離が、詰まる。
夏樹が、何かを言っている。 翔が、固まっている。
「……告白…した?」
結衣が、ほとんど音にならない声で言う。
夏樹が、一歩近づく。
翔は、動かない。
一瞬、抱き合うような影。
「……ハグだ」
響が言う。
「軽いやつ……でも」
「でも、決定打だな」
柊が続ける。
菜々は、その瞬間を、目を逸らさずに見ていた。
瞬きもせずに。
◆
夏樹が、離れる。
何かを言って、背を向ける。
数歩進んで、止まる。
振り返らずに、口を開く。
「……やっぱり、皆居たんだね」
その言葉に。
見守り隊全員の心臓が、同時に跳ねた。
「……気づいてた」
結衣が息を吸う。
「いつから」
「最初からかもな」
響が言う。
柊が、静かに言った。
「……だから、あの距離だった」
誰にも踏み込ませない距離。 誰にも壊させない距離。
そして、誰にも誤魔化させない距離。
夏樹はそれ以上は何も言わず、歩いていった。
◆
しばらく、誰も動けなかった。
「……帰るか」
最初に言ったのは、柊だった。
結衣は、黙って頷く。
響は、無理に笑おうとして、失敗した。
「なんかさ」
「ん?」
「平和なデートだったな」
誰も笑わない。
菜々が、最後に口を開いた。
「……はい」
声は、いつも通り。
「平和、でしたね」
でも、その目は。
もう、平和の中にいなかった




