第二章 第二話
両軍が動いたのは、まだ闇が抜けきらぬ早暁の刻。
その闇を割るような雄叫びが合図となり、竹槍や刀を構えた兵達が敵味方入り乱れて平原を埋め尽くした。
そして瞬く間に大地に倒れて動かぬ人影が増えていく。
「…………」
幾ら経験しても慣れることの無い、吐き気がするような嫌悪感。
目を逸らすなと己を叱咤する。
ここに自分の感情はいらない。
見たままを、伝えるのが自分に課せられた任務なのだから。
戦況は西に陣を置いた井斎氏が優勢と見えた。
相対する東の高沢氏と比べ兵力では劣っているものの、兵法を熟知しているものとみえ、攻め方に無駄が無い。
病死した父に代わり当主となった嫡男が相当な切れ者だ、という噂は以前から聞こえていたが、それは事実であるらしい。
「噂は本当らしいな」
己の感想と同じ言葉が背後から聞こえ、振り返らぬまま頷いた。
「全くだな。……昨夜は眠れたか、二人とも」
「はい。すみません、私達ばかり」
そこでようやく振り返り、いつも通りの顔で笑う。
「何故謝るんだ、それを承知で来たんだろう? 俺も那央もその条件を呑んだのだから、気にすることはない。そういう時は平然としてればいいんだよ」
「でも……」
「その点は少し春を見習うといい。見ろ、随分ふてぶてしいぞ」
「これが僕のいつもの顔だ」
「笑うと可愛いんだがな」
「うるさいぞっ、もういい!!」
どうにも夏野の調子に振り回されている気がする。
春は今後、夏野の言葉を無視することを固く心に決めた。
その横を、無言で真琴が通り過ぎていった。
そして夏野に並び、眼下に広がる戦場を見つめる。
先程よりも一層多くの屍が、戦い続ける兵達の足元を埋めていた。
「…………」
真琴は呆然とその光景を見ていたが、やがてその手がゆっくりと自分の耳を覆った。
「真琴? 大丈夫か?」
「……なぜ、なんでしょう」
逆に問われて、夏野は小さく首を傾げた。
「なぜ、あの人達は互いを傷つけあうんですか? あの人たちは皆、生きたいと叫んでいます。こんなに強く、その声が聞こえるのに。なぜ殺し合わなければならないんでしょうか」
「……!」
自分の心の内を読まれているのかと一瞬思い、夏野は目を瞠った。
もちろん、真琴が言うような声など聞こえない。
聞こえているのは陣太鼓や雄叫び。
そこに切れ切れに混じる末期の悲鳴もあるが、生きたいとは聞こえない。
ならば真琴は一体何を感じ取っているのだろうか。
無意識に夏野は、真琴の腕に触れた。
「真琴。お前、何を……」
「!!」
弾かれたように夏野を見た真琴。
驚いた顔で何かを言おうとしたようだったが、突然その体がぐらりと傾いだ。
「おい、真琴!」
「真琴!!」
そのまま夏野に抱きとめられた真琴は意識を失っていた。
春と那央も傍に飛んでくる。
「小屋で休ませよう。那央、急げ」
「わ、分かった」
足の速さなら自分よりも那央の方が上だ。
そう考え、那央に真琴を託した。
慌ててはいるものの、真剣な顔で頷いた那央は真琴を抱えて走り出した。
「お前も一度戻れ、春」
そう声をかけて視線を巡らせた夏野は再度目を瞠った。
目の前に立ちつくす春。
その青ざめた頬を、一筋の涙が伝う。
「春、お前は一人で何を背負っているんだ? ……俺では力になれないか?」
静かに問う夏野の声。
その声で自分の失態に気付いたのか、春は乱暴に手で顔を拭った。
「無理だよ。あんたには、絶対に。……でも、それでいいんだ。真琴を救ってくれるなら」
やはり春の言葉の真意は分からなかった。
だが問い質そうとするより前に、春はこちらに背を向け駆けて行った。
戦の勝敗は昼過ぎには決した。
番狂わせが起こることもなく、逃亡を図った若大将の首級が挙げられ、高沢軍は壊滅した。
あの嫡男を頭に据えた井斎氏は、今後間違いなく勢力を増し、周辺国の脅威となっていくはずだ。
***
小屋の中では、横たわった真琴の傍らに那央が心配そうに控えていた。
合戦を見届けて戻ってみれば、ずっとこの調子だ。
恐らくは夏野が戻る前からもずっとこの調子だったのだろう。
本当はすぐにでも那央に国元まで戻ってもらおうと考えていたのだが、すっかり計画が狂ってしまった。
一方の春は、少し離れた所でそんな二人を無表情に見つめている。
先程の涙が嘘のようなその態度も気になるが、今尋ねたところで正直に答えるとはとても思えなかった。
「なあ、那央。そんなにべったり張り付いてなくても、真琴は大丈夫だよ。きっと疲れも溜まってたんだろう。……追われる立場というのは例え大人であっても心を圧する。明るく振舞っていても、見た目以上に影響は大きかったはずだしな」
「分かってるよ。分かってるから……無理をさせちゃったのが苦しくて、さ」
呼吸も穏やかで、苦しそうな様子も無い。
だから命にかかわるような重大な状況であるとも思えなかった。
そう冷静に判断した夏野から諭されても、那央はまだ安心ができないようだった。
溜息をついて、夏野は小さく呟いた。
「……確かに、ここに連れてくるべきでは無かっただろうな」
だが、それを聞きとがめた春ははっきりと告げる。
「そんなことはない。この場所に来ることは必然だった」
「何故そう思う?」
それ以上は話す気が無いらしく、沈黙のまま。
いい加減に、春を相手のこの成立し難い会話にも慣れてきた。
夏野は苦笑して立ち上がった。
「俺は外にいるよ。お前たちも、少しは休んでおけよ」
それからしばらく後。
見張りをしているうちに少し微睡んでいたらしい。
ふと気づくと辺りは静寂に包まれていた。
顔を上げれば雲が見えない夜で、月もいつも以上に輝いて見える。
那央達は眠れているだろうか。
真琴は大丈夫だろうか。
そんなことを考えたと同時に、小屋から誰かが出てくる気配がした。
視線を向けて、その人物を認めた夏野は驚いた。
「真琴」
小屋から出てきた真琴は、こちらに笑いかけるとゆっくりと近づいてきた。
そして夏野の目の前で立ち止まる。
「大丈夫なのか」
真琴は笑みを浮かべたまま、黙って頷く。
「……すまなかった。お前の負担をもっと考慮すべきだったし、ここに来るのは是が非でも止めるべきだった。全て俺の失策だ」
「いいえ。違いますよ、夏野さん」
「……真琴?」
呼びかけたのは、真琴の口調に軽い違和感を感じたから。
その声はやけに落ち着いていて、まるで真琴では無いようだった。
-これは、誰だ?-
「あなたに名前を呼んでもらえただけで嬉しかった。でも、ここに来たことで、あなたにこうしてお会いすることも出来ました。決して叶わないと思っていたから……私、とても幸せです」
「……お前は」
真琴が少し悲しそうに目を伏せる。
「でも、私の思いが強くなればなる程、更に真琴を苦しめてしまう。……お願いです、どうか真琴を助けてください」
真琴の顔をして、真琴の心配をする、目の前の娘。
そんな馬鹿なと思う一方で、どこかで確信している。
これは真琴じゃない。
ならば-。
「真白、なのか」