終章
次に目を開けてみれば、そこは先程とは正反対の光に満ちた世界だった。
余りに眩い光に目が眩み、春は寝転んだまま再び目を閉じた。
この光は人の世のものではない。
主様の下に呼び寄せられたに違いなかった。
己の使命を投げ捨てた上に、よりにもよって社を傷つけたのだ。
当然、罰は受けなければならない。
きっと、神使の任を剥奪され死んでいくのだろう。
人間と同じように。
けれど怖さは全く無かった。
「人のように死ねるなら、きっと会えるよね……真白」
「まだ早いよ、春」
「……!!」
自分の呟きに応える声。
慌てて飛び起きた春の目が大きく見開かれた。
会いたくて堪らなかった人が、すぐ前にいた。
「真白? ……真白! 会いたかった。ずっと……ずっと会いたかったよ」
春に抱きしめられた真白は、その頭を優しく撫でた。
「うん。私も会いたかった」
「真白に会えるなら、消えたって平気だ」
「……本当に?」
「え? 何、言ってるの?」
真白は笑った。
少し困ったようなその笑顔は、春が焦がれたあの陽光を宿していた。
「春はもう見つけたでしょう? ……あなたが生きるべき場所を」
「そんなことないよ! 真琴も……夏野も、別に僕がいなくても平気だし、僕だって」
「あんなに命懸けで助けてくれたのに? 春は二人の言葉が聞こえたから自分を取り戻せたんじゃないの?」
「やめてよ、真白。もういいんだ、そんなことは」
むきになって反発する春。
真白は笑みを浮かべたまま、春から身を離しその手を取った。
「よくない。……春には私の分も、うんと幸せになって生きてもらわなきゃ。そしていつかまた会えた時、あなたが見つけたたくさんの出会いの話を聞かせて」
「真白……」
真白は春の背の向こうに視線をやった。
つられて振り返れば、そこに主様の姿がある。
慌ててその場に平伏した。
「あ……あの、申し訳ありません」
「なかなか派手にやってくれたな。しかし悪くない」
「え?」
「あの社はもう限界だろう。彼らはそろそろあの閉ざされた世界を出なければならない」
何者かを犠牲にして得られる幸福など哀しいだけなのだから、と。
そう言って主様は深い眼差しで春を見つめる。
「だからお前ももう、社に縛られることはない」
その言葉の意味が分からなかった。
「僕は社を出たことでずっと体調を崩していました。お社が無ければ存在できないのだと、そう思って、いたのですが……あの、主様?」
春の言葉を聞いて楽しそうに笑う主様。
戸惑う春は、言葉が上手く出てこない。
「それは別に病ではないよ。元ある流れに戻ろうとしているだけだ。春、お前はもともと人間の子なのだ。行き倒れていたお前を拾い、私が神使に取り立てた。その時から人としてのお前の時は止まった訳だが、もしも私の力が及ばなくなったとすれば、再び時は流れ始める。ただそれだけのことだ。……もっとも止めた時間を埋めるためにあれ程睡眠を要するとは、私も知らなかったよ。冬眠、とはよく言ったものだ」
春にはよく分からなかったが、主様はそう言ってまた笑った。
「僕は……人間、だったのですか?」
「より正確に言うと今も人間、だ。これからは普通に年をとり、いつか必ず死ぬ。どうしてもそれが嫌だというのならば、今回のことは不問にしても構わない。お前は神使のまま、別の社に行けるように取り計らおう。……選べ、春」
試すようにこちらを見る主様。
困惑して真白を見返しても、彼女は変わらず笑顔のままだ。
春は無言でよく考えた、ふりをした。
本当は答えなんて初めから決まっている。
そして主様も真白も、自分が選ぶ答えを知っているのだから。
「これまでお世話になりました。ありがとうございます、主様」
「心を決めたならば、早く戻れ。人の時は短いからな」
「はい」
「幸せになれよ、春」
息が出来ない程体を縮めて平伏した。
そして立ち上がり、真白に向き直る。
「もう、行くよ」
「うん。……またね」
人として生きて、そしていつか死ぬ。
でもその時には必ずまた会えると分かったから。
だから今、別れの言葉はいらない。
時々は寂しくなるだろうけど、きっと大丈夫だ。
「またね、真白」
真白の笑顔を、その目に焼き付けた。
***
始めに見えたのは、高い天井。
「「春!!」」
始めに聞こえたのは、大切な人達の声。
そして初めに感じたのは、強く自分を抱きしめる彼らの腕と、着物を濡らす涙。
「……心配かけて、ごめん」
二人は顔を見合わせて、そしてとても良く似た顔で笑った。
「お帰り、春」
春が寝かされていたのは、社の中の一室だった。
神使があれ程までに怒り狂う姿を見せたことは、当然ながら神官達の態度を一変させた。
畏敬の念というよりは恐怖に慄き、彼らはこの部屋を提供すると逃げるように出て行った。
きっと皆、少し離れた所に隠れ、いつこの部屋の戸が開くかと震えていることだろう。
二人からそう説明されて、春は思わず苦笑した。
そして代わりに、と主様から聞いた話を伝えた。
真琴も夏野も目を丸くして聞き入っていた。
息をするのも忘れていたかのようで、聞き終えると同時に大きく息をついた。
その光景が、また春を笑わせる。
「二人とも、本当にどんどん似てきたね。笑い方も驚き方もそっくりだ」
「そんな話を聞かされちゃ、誰だって同じように驚くだろう」
「そうだよ。でも……すごく嬉しい」
「僕もだ。……真琴。僕はこれからも一緒にいていいかな?」
知らずいつも真琴は、真白と自分を比べていた。
真白の姿は遥か遠く先で、自分にはとても及ばないから。
真白を失った春に対して申し訳ない気持ちが常にあった。
けれど、春自身が自分と共にあることを選んでくれた。
これからはもう、自分も正直に願っていいのだ―共にいたい、と。
うんうん、と言葉にならない声で真琴は何度も頷いた。
「俺は除け者なのか? 結構、頑張ったんだが……これでは報われないな」
残念そうに言って、夏野が溜息をつく。
全身に負った打身を強調するように、態とらしく体をさすってみせた。
どこまで本気か分からないが、全くの冗談でもなさそうだった。
「もちろん、夏野も一緒だ。……僕、今ならすごく那央の気持ちが分かるよ。あんた、目を離すとすぐに怪我したり厄介ごとに巻き込まれそうだからな」
心配だからそばにいてやるよ、と悪戯めいた表情で笑う春。
呆気にとられたような顔をしてから、夏野も笑う。
「心強いな。よろしく頼むよ」
***
三人はそのまますぐに旅立つことにした。
神官達は戸惑ったし夏野も真琴も心配したが、春はとても気分が良かった。
原因が分かって安心したのかもしれない。
随分と自分勝手なものだけれど。
それ程ずっと、人であることに憧れていたのかもしれない。
俯いて、そんな自分自身に小さく笑う。
それから春は表情を厳しくして顔を上げた。
目の前に集まった神官達。
彼等には申し訳ないけれど、自分がまだ神使であると信じているのならば、それを利用させてもらわなければならない。
それは主様に託された、神使であった自分の最後の役目だった。
出来るだけ恐ろしく聞こえるように、腹に力を込める。
「ここを立つ前に、我が主の命を伝える。幾年にも渡り代々の巫女に苦難を強い、罪を重ねた本社を看過すること能わず。今日を限りに廃社とすべし。我が主もこの我も、以後この地には決して戻らず。この娘も同様にして、今後その行方を追うこと決して許さず。万一この命に背くことあらばその時は……我によりこの村が失われるものと思え」
蒼白になった神官達がその場に平伏した。
最前に位置した年配の神官の前に、春はゆっくりと片膝をついた。
そして低く問いかける。
「申し開きがあるか」
「め、滅相もございません。全て仰せのままに致しますので、何とぞ村はお見逃しください」
「その言を違えることがなければな」
顔も上げられず身を震わせている神官達。
立ち上がり傍らの二人に目線を送ると、春は悠然と社を後にした。
***
「恰好よかったな、春」
「私もそう思う」
「そうかな?」
「ああ。やはり神の眷属様は伊達じゃなかったんだと感嘆した」
「何を今更。その眷属様に散々痛めつけられたんだろうが」
「まあな。でもこれからは互角だ。……いやいや、違う。どう見ても俺の方が上だろう。もう少し俺への態度に気をつけろよ」
山道を歩きながら交わされる二人の会話に、真琴が笑う。
今ならば恐らく、春にはまだ空間を曲げる力が残っている。
もしかすると真琴にもできるかもしれない。
けれど、誰もそれは言い出さなかった。
どんなに時間がかかろうと己の足で帰る、そう思っていた。
「……あ。しかし、そういえば金が無いな」
「何やってるんだよ」
「用意する間も無くこちらに来たんだ、仕方が無いだろう」
「どうしましょうか?」
「そのうち疾風に会えるだろう。……というより那央本人が飛んできそうだがな。もしも会えぬようなら俺が働いて金を貯めるよ」
「じゃあ、私も」
「二人でやってよ。僕はやらない」
「手のかかる弟だな」
「おい!」
ふと、目の前の景色が大きく開けた。
辿り着いたそこは広く遠くを見渡せる崖地で、三人は誰が言い出すでもなく足を止めた。
既に東の空際は明るく輝き、そこに漂う雲も茜色に染まっていた。
一方視線を転じれば、西の空ではまだ月が形を残している。
その美しい光景に、真琴の胸は震えた。
かつて自分が唯一存在を許された夜。
そこで幾度も見上げて思いを託した月が今、空の彼方へ消えていく。
辛く寂しかったはずのその日々は。
過ぎてみれば全て今、この時のためのものであったように思う。
夜明けとともに、希望に満ちた新たな日々が始まろうとしていた。
横を見れば、夏野と春が笑いかけてくれる。
那央や柚葉にも早く会いたい。
そして―。
震えたままの自分の胸に手を当てると、確かに声が聞こえた気がした。
お立ち寄りいただいた皆様、本当にありがとうございました。




