おんせん
「あーーー生き返るううううう…」
背中の温泉の方からリデアの声が聞こえてくる。
「リデアー、湯加減は大丈夫??ちゃんとアルコール飛ばせそう??」
「おう!!こっち見たら承知しないからね!!」
「はいはーい」
昨日から来ていた村アルカイアは村の温泉を観光スポットとして推しているらしい。
だが、観光スポットとしてはまだまだ整備中というだけあってまだ開拓されていない穴場が存在するということを今朝市場で教えてもらったのだ。
森の中にある天然温泉というだけあって魔物が現れる可能性もゼロではない。そのことも手伝ってかハーシュ達のほかにほとんど人はいなかったが、そのことはかえって好都合だった。
カインたちが村から歩いて半刻ぐらいたっただろうか、鬱蒼とした森の中を歩きすり鉢状の高低差のある湖のような場所を見つけた。
ここなら滅多なことで人目にはつかないし、魔物が急襲してくることもないだろうということで、まずは死に体だったリデアを先に浸からせることにした。
万が一魔物が急襲したとしても遅れをとるようなリデアとは思わなかったが、ハーシュとカインはそんな万が一に備えて二人並んで湖に背を向けて座っていた。
「ハーシュはリデアと一緒に入らないのか?」
「い、いやいや、流石にそれは………まずいでしょ」
ハーシュは顔を赤くしてかぶりを振った。
女になっても他の女の身体を見るのには抵抗があるようだった。
「ふむ、そんなものか??」
カインは納得することにした。
「あーようやく生き返ったわー」
しばらくしてからリデアは腰に剣をつけたまま、薄着で頭にタオルを乗せた格好で出てきた。
「お疲れ、はい、これ水」
「次、ハーシュ入っていいわよ」
「あ、大丈夫?カインは?」
「…オレはいい、遠慮しないで入ってこい」
「え、あ、うん、わかった」
ハーシュは湖のほとりに近づくと着衣を一つ一つ外して傍らに畳んだ。
ハーシュはちらりとカインとリデアのいる方を見たが、後頭部が微かに見えるだけだった。
(これ…友達の前で裸になるのって思ったよりもなんか変な感じだな…リデアは平気だったのかな??)
裸足で草を踏み分けると足の平にひやりとした心地よい感触が広がる。白濁した温泉につま先だけちゃぷと浸からせるとじんわりとした温かさが伝わった。そのままゆっくりと腰まで浸からせると身体が芯まで震えるようだ。
「ふう…いいお湯…」
もう一度ハーシュは振り返ると相変わらずカインの後頭部が見えるだけだった。
カインに覗かれるなどとは思わないが、やはり少し落ち着かない気持ちにはなるのだった。
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「いやー、さっぱりしたー」
「………」
カインは変に緊迫したような表情で俯いていた。もともと無表情なので怒っているようにも見える。
「…なによ黙りこくって」
「いや…別に…」
『ん~~…』
背中の温泉の方からハーシュが伸びをする声が聞こえる。
カインは、剣の柄をコツコツと指の先で叩いた。
何やら落ち着かない様子に見えるのは気のせいだろうか。
「なあ、リデア…」
「なによ…」
「最近のハーシュのことなんだが…」
「ハーシュがどうしたの?」
「なんというか…妙じゃないか?」
「は?」
『ふはぁー…』
温泉からハーシュの声が聞こえる。
リデアは、カインの剣の柄を叩くスピードが心なし上がった気がした。
カインは何事か言いづらそうに手のひらを額に当てた。
「なんだか妙に…女らしくなっていないか?」
「……まあ、そりゃあ…」
それはそうだろう、とリデアは思う。リデアから見てもそうなのだ。
しかも(絶対にカインには言わないが)正直自分がけしかけたところもないとは言えない。
(あんな意味深な物渡しといてこいつは一体今更何を言ってんだ…)
ため息をつきたいのはリデアの方だった。
こいつは一度本気で説教しないとどうにもならないのではないだろうか。
「で…だから何だっての」
「…??いや、ちょっと待てリデア…」
カインは不意に立ち上がると周囲を見渡し、そして足元の何かを探すようにうろつきだした。
「ちょ、なに、ごまかそうとしてんの?」
「ちがう」
カインは自分の手のひらほどの大きめの石を一つ、軽く上に向けて放り、キャッチした。
「ネズミが何匹かいる」
カインが突如見せた恐ろしく冷たい殺気を帯びた眼差しにリデアも思わず剣に素早く手を掛けて身構えた。
ヒュッ!!
カインは大きく振りかぶるとその手の石はカタパルトから射出されるような勢いで森の彼方へ飛び出していった。
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(さっきの赤髪の姉ちゃんも綺麗な体してたけど…)
(あっちの銀髪の姉ちゃんの方もいいな!!)
(あーもう!!煙でよく見えねえよ!!)
ゴッ!!バキ!!
「ん………何の音……?え…あれ…??」
少年たちが乗っかっていた枝がみるみるしなり、そして折れた。
「う、うわあああああああああ!!!???」
勢いよく水面に叩きつけられ大きな水音を立てた。
「っっっっ!!!???」
ハーシュは反射的に体の前面にタオルを押し付ける。
目の前に現れたのは、着衣のまま飛び込んできたよう…ように見える三人の少年たちだった。
「ぅゲホゲホ!!??」
少年たちは結構な高さから水面に叩きつけられ、悶絶し派手に咳き込んでいた。
「あの…??」
「ヒッ…!!?」
少年たちは身構えた。普段から冒険者たちの様子を知っていれば、まさか覗きをしていたことなどがばれたらひどいことになるということが少年たちはよくわかっていた。
「…どうしたの??…君たちも温泉入りに来たの??」
ハーシュはハーシュで女子としての羞恥心はまだ薄く、この幼い年頃の男子たちがよもや自分をそんな下心のこもった目で見ているとはつゆほども知らず話しかけた。
少年たちの目線はハーシュの顔、次いでその太ももや濡れたタオルに微かに透けて見える乳房などを眼前にし、その理性は一瞬にして風前の灯であった。
「お、お姉さん!!」
「ぼ、僕たちも一緒に入っていいですか!!」
「…おい」
命拾いをしたと思えたのは束の間だった。底冷えがするような殺気のこもった声が背中からかかり、少年たちはおそるおそる振り返ると…そこにいたのは大剣を手にした突き刺さるような切れ長の視線の男だった。
「ぎゃーーー!!!!!!!???????」
「殺されるぅーーーーーーー!!!!!!!??????」
「助けてーーーーーーーーーーーー!!!!!!???????」
「あ、カイン」
すると、不思議なことが起こった。
お姉さんから声がかかるや、人を一人や二人は確実に殺していると思えた顔が一瞬にして固まった。
少年たちは本能的にそれが自らの命を拾う最後の一瞬なのだと思い、覚悟を決めた。
「に、にに逃げろーーーーーーーーーーーーー!!????」
「う、うわあああああああああああああ!!!!」
少年たちは脱兎のように逃げ去っていった。
「え…!!??君たち温泉入っていかないの?!………………変なの…??」
ふとハーシュがカインの方を向くとカインが奇妙なポーズをとっていた。
カインは片手を鼻に、もう片手で後ろの首筋をトントンと叩いていた。
「か、カイン…??なんで上向いてるの??」
「いいから!おまえはさっさとあっちをむけ!!??」
「???」
「………てい」
どこからか現れたリデアがカインの首に手刀を喰らわすと、カインはカクンと首を下に曲げた。
「ああ!!??リデア!!??貴様ァ!!!????」
カインは慌てて顔を手で押さえる動きをした。その指の隙間からは赤い液体が漏れてきていた。どうみても血だった。
「え、ど、どうしたの??カインだいじょうぶ??」
「だからさっさとあっちを向けハアアアアーシュ!!」
悪そうな笑みを浮かべながらそれを眺めるリデア。
「ところでリデア…その手の中にある三人の男の子たちはどうしたの??」
よく見ると、さっき全力で走っていった少年たちだった。どうゆう原理かリデアが既に先回りして捕まえていたらしい。
気の毒なことにもう逃げる気力さえ恐怖で萎えたのかガタガタと震えるばかりだった。
「知ってるハーシュ??うら若き乙女の裸体を辱めることは…死よりも重罪なのよ」
「え?死?」
「さて、なんであたしの時には一切気が付かなったのか知らねええええええええ…?!カ・イ・ン??」
「ま、待てリデア…は、話せばわかる…!!」
「……………」
ハーシュは話がよく見えなかったが、リデアがものすごく怒っているということは理解できたのでリデアの気が済むまでは何も言わないでおこうと思った。




