魔術師
かつて、優秀な宮廷魔術師がいた。
ある日、王に召喚された魔術師は一つの命を受ける。
それは、出奔した天才魔女を探し出し、連れ戻すことだった。
魔術師は王命を遂行するため、故国を後にした。
◇ ◇ ◇
庭に造られた離れへ一人の青年が近付いていく。
黒いローブに身を包んだ青年は、ひび割れたガラスの入った窓と補修され一部色が違う建物の入口前に立つと、傷んで隙間だらけの木のドアをノックするため手を上げた。
「やったー! ついに完成したわー!!」
室内から、少女の歓声が聞こえてきて、青年は思わずノックを忘れて粗末な木のドアを開いた。
「よかったね。ミーナ」
闖入者を前にして、今にも小躍りしそうだった黒いマントととんがり帽の少女ミーナがキッと青年を睨みつける。
「ちょっとシヴァ。何勝手に入って来てるのよ!? 不法侵入で憲兵に突き出すわよ?」
「いやだな。俺はれっきとしたお客様だよ。きちんとミーナの家族に招き入れられて、正面から堂々と入って来たしね」
ミーナの強気の発言に怯むことなく、シヴァと呼ばれた青年がしれっと答えると、ミーナは頭を抱えた。
「家族って誰よ? 父? 母? 妹? まったく。取り込み中だから、アトリエには誰も通さないでって言ってたのに!」
口を尖らせ、ブツブツと文句を言うミーナをシヴァが愛しむような眼差しで見つめる。
「まあいいわ。むしろ、ある意味タイミングが良かったかも」
気を取り直したミーナが、プリズムを内包し、虹色に輝くどどめ色の液体を笑顔でシヴァに差し出す。
一目でヤバさがわかる代物を前にして、さすがのシヴァも顔を引きつらせた。
「今回の薬は、随分凄まじい色をしてるけど、本当に飲んで大丈夫? 人体に害とかは無いんだよね?」
「人体に害のある材料は使ってないから、大丈夫なはず(たぶん)」
「……最後、妙な間がなかった?」
「気のせい! 気のせいよ!! さあ、ぐぐいっと一息にいっちゃって!」
しばし、無言で見つめ合う二人。
室内には、怪しげな釜からコポコポと沸き立つ水泡の弾ける音だけが響いている。
◇ ◇ ◇
王命で天才魔女を追っていた魔術師は、数ヶ月掛けてようやく魔女の住処を探し当てた。
しかし、魔女は自分が住んでいる森の小屋周辺に結界を張っており、魔術師は近づくことが出来ない。
そこで魔術師は月に数回、魔女が買い出しのために近くの町へやって来る時を狙うことにした。
初めは怪しまれないよう自然にさり気なく、徐々に話題を広げていき、より親しくなるよう心を砕いた結果、その努力が実を結び、魔女も少しずつ魔術師に心を開いていった。
唯一の誤算は、いつしか魔術師も本気で魔女に惹かれていったことだけ。
魔術師は、このままこの地で平凡に暮らすのもいいかもしれないと思い始めていた。
だが、魔術師の幻想を打ち砕くかのように、故国からは矢のような催促がやって来る。
それらを無視していたある日、魔術師は怖い顔をした魔女から、水液の入った硝子の小瓶を手渡された。
「これは何か?」と軽い気持ちで訊いた魔術師は、その時の怒りと悲しみに満ちた魔女の表情を見て全てを悟った。
今すぐ目の前でその小瓶の中身を飲み干すか、さもなければ二度と顔を見せるなと迫る魔女を、魔術師はジッと見つめる。
小瓶の水液が何かは分からない。
ただこれを飲まなければ、魔女は二度と魔術師の前に姿を現す事はないということだけは分かった。
魔術師は少し躊躇った後、覚悟を決めて一気に小瓶の中身を呷った。
◇ ◇ ◇
しばし逡巡した後、覚悟を決めたシヴァが虹色に輝くどどめ色の液体を一気に飲み干した。
「…………どう?」
遠慮がちなミーナの声にシヴァが吐き気を堪えながら答える。
「何というか、苦味と渋味とえぐ味が絶妙なバランスで不協和音を奏でながら鼻から抜けていく感じ」
「誰が味の感想を求めたのよ!」
ミーナが思わずツッコミをいれる。
「そうじゃなくて、私を見て何か思うことはない?」
「相変わらず、今日も可愛い」
「ごめん。聞き方が悪かったわ。――私のこと好き?」
「好き」
「私のこと愛してる?」
「愛してる」
「今でも私と結婚したい?」
「やっとその気に!? それじゃ、気が変わらないうちに、この誓約書にサインを」
「しないわよ! っていうか、どこから出したのよ? まさか、いつも持ち歩いてるんじゃないでしょうね!?」
凄い勢いで食い付いて来たシヴァをミーナが速攻であしらう。
ミーナから即却下されたシヴァは、しぶしぶ誓約書を片付けた。
「ハァ。またイチからやり直しか。どうして失敗したのか検証して、レポートをまとめて……今夜は徹夜かも」
ミーナが溜め息を吐いて脱力する。
ミーナの失敗は、今回が初めてではない。
ミーナは物心ついた時から、何とかシヴァの呪いを解こうと、魔女のような黒いマントととんがり帽を身に着け、魔法書を読み漁り、何度も実験を重ねている。
しかし、未だに成果は現れず、呪いを解く薬は完成していない。
無力さに打ちひしがれているミーナの頭をシヴァが優しく撫でる。
「あまり、根を詰め過ぎても良くないよ。今日はゆっくり休んだら?」
その一言は、ミーナを労ると同時に、シヴァ自身の弱さと身勝手さを覆い隠した言葉だった。
◇ ◇ ◇
小瓶の中身を飲み干した魔術師を見て、魔女が信じられないという表情を浮かべる。
酷く狼狽えた魔女が口走った言葉で、魔術師は先程飲んだ小瓶の中身を知った。
しかし、仮にも宮廷魔術師が普段から魔法や魔術に対して何の対策も講じていない筈もなく、またもともと魔女に好意を寄せている魔術師に魅惑の呪いが効く筈もなかった。
だが、魔術師はその事を口にしなかった。
呪いのせいにすれば、故国からの催促に応える必要もなく、何より魔女の傍にいる口実になる。
そう考えた魔術師は、まるで呪いに掛かったように振る舞った。
それから森の小屋での共同生活が始まったが、わずか数日で魔女は魔術師の嘘に気づいたようだった。
しかし、魔女は何も言わなかった。
だから、魔術師も嘘を続けた。
そんな偽りだらけの共同生活は長くは続かず、それは魔女の死によって終わりを迎えることになる。
死の淵にいる魔女はベッドに横たわったまま、傍らで祈る魔術師に語り出した。
長年酷使されてきた肉体はすでにボロボロであること。
己の死期が近い事を悟り出奔したこと。
「最期くらい誰のためでなく、自分のために生きたかったの」と小さく笑った魔女は、最後に魔術師へ感謝の言葉を口にすると、静かに息を引き取った。
最愛の魔女を失った魔術師は狂ったように泣き続けた。
泣いて、喚いて、また泣いて――。
涙が枯れ果てた魔術師は、魔女を丁重に弔うと故国へ帰って行った。
まるで抜け殻のようになった魔術師は、その後ずっと傍で支え続けてくれた幼なじみの女性と結婚した。
結婚後、子宝にも恵まれたが幸せを噛み締めるたびに、魔術師の心には儚く消えた魔女の姿が浮かび上がる。
魔術師の口いっぱいに広がるのは後悔の味。
愛していると。
呪いなんて関係無く愛していると伝えれば良かったと。
そうすれば、違う結末もあったのかもしれないと。
もしやり直す事が出来るのなら今度こそ間違えないと、そう誓った。
◇ ◇ ◇
落ち込むミーナをシヴァが励ます。
しかし、本当はすでに呪いが解けていて、薬なんて必要ないとはどうしても言えなかった。
最初ミーナに惹かれたのは、呪いのせいだったかもしれない。
でも、ミーナの事を知るたびに呪いなんて関係無く好きになっていった。
そして、シヴァが恋心を自覚した瞬間、呪いは消滅した。
本来なら、その時に告げれば良かったのだ。
だが、シヴァは怖くて言えなかった。
「ミーナが呪いを解こうとしているのは、さっさと自分と縁を切りたいからではないのか?」という疑念がいつもつきまとっていたから。
何より、今の関係を壊すのが怖かったから。
だから、今度こそ成功させると意気込むミーナにシヴァはそっと本物の気持ちを伝える。
「ミーナ。愛してるよ」
いつかは真実を告げなければいけない。
そう心に刻みつけながら、未だ弱いままの魔術師は最愛の魔女を失わないようにギュッと抱きしめた。
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