1 私が婚約者候補? そんなの聞いていません
石は、人の想いを忘れない。
サファイアは真実を映す石だという。
『石は嘘をつかない』
先生はよくそう話してくれていた。
あの頃のリリアーナは、その言葉の意味がよく分かっていなかった。
けれど今なら分かる。
真実は、人を傷つけることもある。
それでも、未来を変えるためには、目を背けてはいけないのだと。
そして、その真実が、自分の運命を大きく変えることになるとは、この時のリリアーナはまだ知らなかった。
◇◇◇
ある春の朝――
窓を開けると、庭いっぱいに咲いた花々が風に揺れている。
淡い光が差し込む窓辺に置かれた石たちは、それぞれ違う色を放ち、小さくきらめいていた。
リリアーナは直感で石を一つ選ぶ。
「今日もよろしくね」
石にそう話しかけると、不思議と少しだけ光が強くなった気がした。
そして、自室の椅子に座り、紙と絵の具、筆を取り出した。
次の瞬間、リリアーナは呼吸をするかのように、自然な手つきで花文字を描き始めた。
幼い頃から夢中になって描き続けてきた花文字。紙の上を筆がさらさらと滑り、意味を持つ鮮やかなモチーフが描かれていく。
モチーフには様々な意味がある。例えば、ハートなら「愛情」、鳥なら「幸せを運ぶ」、クローバーなら「幸運」、波なら「チャンスに乗る」など……
それらを組み合わせることで、少しずつ文字の形が浮かび上がっていく。
公爵家令嬢のリリアーナは、今日も自分の花文字の出来栄えを確認し、静かに微笑む。
「うん! 今日もいい花文字ができたわ。石にも転写しやすそう。やっぱり、熟睡した日の朝は調子がいい! 調子がいいからエネルギーの強い花文字も書けるのね」
「幸」や「治癒」など、幸せを願ったものや病気がよくなるようにと思いを込めながら、毎日花文字を描いている。リリアーナは今まで何百、何千とそんな花文字を書いてきた。
花文字はただ文字を描くだけではない。
人の想いを、届けるものだ。
だからリリアーナは、今日も願いを込める。
誰かの幸せを願って。
今日はすこぶる調子がいいので、リリアーナはいつも以上に集中していた。
花文字を描いている時のリリアーナの集中力はとにかくすごい。
侍女が声をかけても、全く気づかないほどである。
だから、家族や侍女たちはそんな時のリリアーナに声をかけることは滅多にない。
花文字を書き終えると、今度はその花文字に合う石を探す。
リリアーナがこの花文字に合う石はどれかと考えていると、なぜか決まって石の方が勝手に輝きだす。
まるで「私を見つけて」と訴えるように。
花文字は、花や動物、自然のモチーフを組み合わせ、願いや想いを文字に込めるもの。そして、その文字に込めたエネルギーを石へ転写することで、石の力を最大限に引き出せるのだ。さらに、そのエネルギーは人にも影響を与えるとされている。
もちろん、花文字そのものにもエネルギーがあるため、花文字は贈り物としても人々に喜ばれている。
「今日は、誰のために花文字を書きましょうか……」
誰かのために花文字を書くのが、リリアーナの日課だ。
そんな風に、いつも通り花文字を描いて石と戯れていると、騒々しい足音がリリアーナのいる部屋にどんどん近づいてくる。
――バンッ!
部屋の扉が大きく開く。
「――お嬢様、大変です!」
侍女のクララが、慌てた様子で部屋へ飛び込んできた。
いつもなら集中しすぎて呼ばれても気づかないリリアーナだが、いつも以上に大声を出すクララに、リリアーナはハッと驚き顔を上げる。
「あら、どうしたの? クララ。あなたがそんなに慌てるなんて珍しいじゃない。声をかけられたことに気づく私も珍しいのだけれど」
「お嬢様、落ち着いて聞いてくださいませ。実は……招待状が届いているんです」
「何の招待状? 私、舞踏会などに行く時間があるのなら、石の研究と花文字の練習をしていたいわ」
「それが! レオンハルト王太子殿下主催のパーティーに、婚約者候補として出席せよとの王家からの招待状が届いています。お嬢様、これには拒否権はありません。どうか出席くださるようお願いします」
「えぇ!?」
リリアーナも目を丸くして、思わず声をあげる。
「お嬢様、まずは招待状を最後までお読みください!」
「い、嫌だわ……読みたくない」
「そんなことは言わずに、しっかりとお読みください!」
一通り押し問答があった後、リリアーナも直接手紙を目にする。
やはり、クララが話していた通り、我が国ルミナリア王国の国王からの正式な書状である。
「私がレオンハルト王太子殿下の婚約者候補!? なぜなの? 私は花文字と石に集中できる環境があれば、それだけでいいのに」
突然のことに驚くリリアーナ。クララも突然のことで動揺を隠しきれない。
「お嬢様。パーティーまでの日にちがありません。急いで支度をしましょう。衣装や宝飾品の組み合わせは私にお任せください! お嬢様の魅力を最大限に引き立てるものをご準備いたします。お嬢様はパーティー当日までは、ダンスのレッスンや礼儀作法など、やることが山積みだと思うので」
「えぇ、そんなぁ!?」
ますます落ち込むリリアーナ。
大好きな花文字を描く時間が本当になくなってしまう。
無謀だとは思いながらも、父のアレクシスにお伺いを立てる。
パーティーの日、石の研究発表を聞きに行く予定があるため、そちらに出席したいと父に伝えた。
しかし、アレクシスは首を横に振る。
「これは仕方がない、婚約者候補が集まるパーティーは外交面でもとても重要だとされている」
そんな風に逆に諭されてしまった。
「私は王太子妃になるつもりなんてない。正直、婚約者候補のパーティーなんて憂鬱すぎる……」
しばらく落ち込んでいたリリアーナ。
だが、決まってしまったものは仕方がない。
残り少ない日数でダンスのレッスン、礼儀作法、パーティーで失礼のない程度のマナーを復習した。
元々は公爵令嬢として基本的なマナーを身につけてはいる、だからそんなに心配することはないと、クララはリリアーナを励ます。
「だって、婚約者候補になるなんて思ってもいなかったから、王族のマナーなんてきちんとやってこなかったもの。どうしてこんなことに……」
心の中でリリアーナは呟いた。
◇◇◇
そしてついに、パーティー当日――
リリアーナは、侍女のクララが本気で選んだドレスに身を包んだ。
リリアーナの瞳の色と同じ、エメラルドグリーンのシンプルながら繊細で素敵なドレスだ。
所々に金色のレースとキラキラと輝くビーズが縫い付けられており、リリアーナの素朴さと純粋さを引き立てている。
アクセサリーは小ぶりのダイヤモンドのイヤリングで、髪はアップにまとめている。鏡を見て、普段の自分とは思えないほど、何とも可愛らしい姿に自分で驚く。
「私って意外と整えれば見れるものね。いつも研究しかしていないから、メイクやファッションに無頓着すぎたわ」
リリアーナは着飾った自分を見て、冷静に評価する。
リリアーナはどちらかというと、綺麗よりも可愛らしい部類のようだ。
リリアーナの清楚さと可愛らしさを、ドレスがうまく引き立ててくれている。
小さい頃から一緒のクララは、やはりリリアーナのことがよくわかっている。
そんな自分の着飾った姿に気を良くしたリリアーナ。
「いいわ。噂でしか聞いたことがないけれど、レオンハルト王太子殿下は、冷徹で女性にも笑顔を見せないことで有名だわ。石と花文字にしか興味がない公爵令嬢の私になんて、全く興味がないはず。適当に美味しいものを食べて飲んで、楽しんで帰りましょう」
王宮へ向かう道中、リリアーナは憂鬱な気分から少しずつ解放され、いつしかルンルンとした気持ちになっていた。
途中、リリアーナが描いた花文字が飾られている花屋を目にした。
額縁入りの花文字の看板も、王都では密かに人気である。
リリアーナは最年少で王立花文字師の資格を得た実力者だが、そのことは世間ではもちろん、王宮内でもあまり知られていない。
リリアーナは、石の学会や花文字の研究発表会への出席を優先しており、社交の場にほとんど出ていなかったためだ。
花文字は、幸運を呼ぶアイテムと言われている。
「ふふっ……とても大切に飾ってくれているのね」
嬉しい気持ちで、花屋の横を馬車で通り過ぎた。
王宮に近づくにつれ、さらに街は賑わいを見せる。
舗装された道、外装もきちんとされた様々な店。石細工の店もたくさんある。
リリアーナは日頃王都近くまで来ないため、様々なものに興味を惹かれた。
馬車に揺られて二十分ほどで、王宮の外門前に到着した。
馬車から降りて、外門を抜け、さらに奥にある王宮内門に向かって歩いていく。
途中で、丁寧に手入れされた庭園が見えた。
色とりどりの花が咲いていて、鮮やかな世界に目を奪われる。
花の香りを乗せた風が吹き抜け、目にも鼻にもとても心地よい空間だった。
「あ〜なんて素敵な庭園なの。バラも見事に咲いているわ。
バラも花文字のモチーフに取り入れたいわ。色も、赤だけでなく青なども入れるといいかも。これだけで今日、ここに来て良かったと思えるわ」
この場にはそぐわないことを一人で呟きながら、笑顔で進んでいく。
「お嬢様、顔がにやけています。今は花文字ではなくパーティー、ひいてはレオンハルト王太子殿下のことに集中してください」
途中で、クララにそう言われてリリアーナは苦笑した。
「そうだった、今日はレオンハルト王太子殿下の婚約者候補が集まるパーティー!」
リリアーナは気を引き締め直す。
王宮内門に辿り着くと、そこにはたくさんの衛兵が整列し、警備につとめていた。
今日がいかに重要なパーティーかをリリアーナは肌で感じさせられたのである。
クララとはそこで別れ、リリアーナは一人で王宮内に入っていく。
そして、ゆっくりと王宮内を見渡す。
フカフカの椅子やヒンヤリと感じる大理石のテーブルなど、それはもう豪華な調度品が並んでいる。
キラキラと輝くシャンデリア、繊細な絵やラインが描かれている壁紙、どれをとっても一流品のもので溢れている。
リリアーナが前へ進むたびに、大理石の床に靴音が静かに響く。
まるで自分が、この王宮の主のような感覚に陥ってしまいそうだ。
そんなまばゆい光に包まれた豪華な王宮内を、少し見上げる。
素敵な空間に包まれて、今まで浮かれていたリリアーナだったが、突然我にかえり小さく息を吐いた。
「……早く帰りたい。帰ったら花文字を描いて石にエネルギーを転写したい」
その時のリリアーナは、まだ知らなかった。
この場所でレオンハルトと出会うことが、自分の人生だけでなく、この国の未来をも大きく変えることになるとは。




