悪役令嬢の完成された居場所と、永遠の春
「クラウゼヴィッツ大公国」の建国記念日。
かつて一年中雪と氷に閉ざされていた辺境の地は、今や大陸全土から人が押し寄せる、世界で最も豊かで美しい夢の都市へと進化していた。
建国を祝うパレードを目前に控え、大公邸のバルコニーからは、熱狂に包まれたメインストリートの様子が一望できた。
「お母様、見て! すごい人だよ! みんな笑ってる!」
六歳のアリアが、バルコニーの手すりから身を乗り出してはしゃいでいる。
「アリア、落ちないように気をつけるんだぞ」
十八歳の若将軍となったレオンが、アリアの小さな身体を後ろからしっかりと支えながら、優しく微笑んだ。
パレードの開始を待つ街並みは、リアーナが持ち込んだ「現代の都市計画」の集大成であった。
清潔で美しい石畳。魔導ガス灯には色とりどりの花が飾られ、沿道には『フロンティア・モール』で売られている美味しい屋台飯の匂いが漂っている。
かつては飢えと寒さに震えていた領民たちが、今は誰もが綺麗な服を着て、心からの笑顔でパレードの始まりを待ちわびていた。
「……本当に、信じられない光景ですわね」
バルコニーの奥から、三十代の瑞々しい美貌に大公妃としての圧倒的な威厳を纏ったリアーナが歩み出た。
彼女の隣には、四十代を迎え、大人の男の渋みと絶対的な王者の風格を漂わせるクラウスがピタリと寄り添っている。
「君がこの地にやってきたあの日から、すべてが始まったのだ。……リアーナ。君が作ったこの国は、世界一美しい」
クラウスの深い青い瞳が、愛おしそうに街と、そしてリアーナを見つめている。
「さあ、お母様。パレードの開始時刻です。僕たちの『最高のショー』をお見せしましょう」
レオンが誇らしげに胸を張り、バルコニーの下で待機しているヴァンス団長に合図を送った。
その瞬間。
『ファンファーレ・スタート!!』
街角に設置されたスピーカー(魔導放送設備)から、高らかで華やかな音楽が鳴り響いた。
「うおおおおっ!! 始まったぞ!!」
「大公殿下、大公妃殿下、万歳!!」
大歓声の中、メインストリートに現れたのは、ただの軍隊の行進ではなかった。
「わぁっ! お花のお船が走ってる!!」
アリアが目を輝かせて歓声を上げた。
それは、ガストン親方とレオンが共同で作り上げた「魔導エンジン駆動のパレードカー(フロート)」であった。
美しい装飾が施された何台ものフロートが、音楽に合わせてゆっくりと街を練り歩く。
フロートの上からは、領地の特産品である美しい花びらや、色とりどりの紙吹雪が舞い散り、沿道の子供たちには甘いキャンディが配られている。
前世の現代における「テーマパークのパレード」の概念を取り入れた、誰もが笑顔になるエンターテインメント行軍である。
「すげえ……! 剣を振るだけが騎士じゃないんだな!」
「俺たち、この国に生まれて本当に良かった……!」
感極まって涙を流す領民たちの姿を見て、リアーナの胸の奥に、言葉では言い表せないほど熱いものが込み上げてきた。
(……ああ。私、ついに作り上げたのね)
1回目の人生の記憶が、ふと脳裏を過る。
あの夜。王都の冷たい牢獄のような部屋で、誰にも愛されず、領地が燃え落ちる絶望の中で孤独に死んでいった「公爵令嬢リアーナ」。
彼女は最期の瞬間、ただ一つだけを願った。「誰かに必要とされる、温かい居場所が欲しい」と。
そして今。
彼女の目の前には、彼女の知識と努力で豊かになった領地があり、彼女を心から敬愛する何万という領民たちの笑顔がある。
「お母様」
ふいに、レオンがリアーナの前に歩みみ寄り、騎士の最敬礼である片膝をつく姿勢をとった。
「レオン君?」
「今日という日に、どうしても伝えたかったんです。……僕を、本当の息子として愛し、育ててくれて、ありがとうございました」
十八歳の精悍な青年となったレオンが、真っ直ぐにリアーナを見上げて告げた。
「お母様は、僕に知識だけでなく『守るべき者のために戦う誇り』を教えてくれました。……これからの大公国は、僕が必ず守り抜きます。お父様とお母様が安心して、いつまでも仲良く暮らせるように」
次世代への完璧な継承。
かつて血の繋がりがないことで泣いていた少年は、今やリアーナの最強の理解者であり、この国を背負う立派な若大公へと見事に成長を遂げたのだ。
「……レオン。お前は私の誇りだ。お前に任せておけば、この国は永遠に安泰だな」
クラウスが、涙を堪えるように微笑んでレオンの肩を叩く。
リアーナの瞳から、ポロリと幸せの涙がこぼれ落ちた。
「……ありがとう、レオン君。あなたという素晴らしい息子に出会えたことが、私の人生の一番の幸運ですわ」
リアーナがレオンの手を取って立ち上がらせると、アリアも「お兄様、かっこいいー!」とレオンの足に抱きついた。
悲劇のループは完全に断ち切られた。
悪役令嬢が手に入れたのは、血の繋がりを超えた、世界一温かくて強固な「家族の絆」だった。
* * *
その日の夜。
パレードと祝賀会が終わり、領民たちも深い眠りについた深夜。
大公邸のプライベート・バルコニーで、リアーナは夜風に当たりながら、煌びやかな魔導ガス灯の光を見下ろしていた。
背後から、コツ、コツと静かな足音が近づき、ふわりと温かい特注のファーマントが彼女の肩に掛けられた。
「……こんな夜更けに、体を冷やすぞ、リアーナ」
大人の色香と深い渋みを増したクラウスが、後ろからリアーナの腰をすっぽりと抱きしめ、彼女の首筋にそっと顔を埋めた。
「旦那様。……今日は、本当に素晴らしい一日でしたわね」
「ああ。君が笑っている顔を、一日中見ていられたのだから、私にとっては最高の日だ」
四十代になっても、いや、歳を重ねたからこそ、クラウスの愛情表現はより深く、重く、そして甘く蕩けるような響きを持つようになっていた。
「レオンの言葉、嬉しかったな」
「ええ……本当に。あの子が立派に育ってくれて、私は胸がいっぱいですわ」
「これで、君も少しは肩の荷が下りるだろう? これからは、あの立派な息子に少し政治を任せて、君はもっと私に甘える時間を作ってほしい」
クラウスが、リアーナの身体をクルリと振り向かせ、その青い瞳で真っ直ぐに見つめ下ろした。
そこにあるのは、出会った頃の冷たい『氷』ではない。
リアーナというたった一人の女性を愛し抜き、何があっても守り抜くと決めた男の、揺るぎない熱情だった。
「……私は、欲深い男だ。君が私にくれた二度目の命も、この豊かな国も、可愛い子供たちも……すべてが奇跡だと分かっている。だが、どれだけ満たされても、君への愛おしさだけは、毎日更新されていくんだ」
クラウスの大きな手が、リアーナの頬を優しく包み込む。
「一回目の人生で、君を孤独にした分……いや、それ以上の永遠をかけて、君を愛し抜く。……愛しているよ、私のただ一人の女神」
「旦那様……」
リアーナの胸が、甘い熱でキュッと締め付けられた。
三十代になり、酸いも甘いも噛み分けたはずの大人の女性である自分が、この男のたった一言で、まるで十代の少女のようにときめいてしまう。
それほどまでに、クラウスの愛は深く、完璧だった。
「……私も、愛しておりますわ。クラウス様」
リアーナは、そっと背伸びをして、自分の腕をクラウスの広い肩に回した。
「私が悪役令嬢として、どんなに強がって、どんなに無茶な改革を進めても……あなたがいつも、一番近くで私を信じて、守ってくださったから。今の私があるのです。
……私の『本当の居場所』は、この美しい街でも、大公妃という座でもありません。……あなたの、この温かい腕の中ですわ」
「リアーナ……っ」
クラウスの喉が微かに鳴り、彼はリアーナの細い身体を、壊れ物を抱くように、けれど絶対に逃がさないという強い力で抱きしめた。
星降る夜空の下。
二人の唇が、ゆっくりと、そして永遠を誓うように甘く深く重なり合った。
雪と氷に閉ざされていた辺境の地は、現代の知識と、決して諦めない一人の「悪役令嬢」の執念によって、世界一豊かで温かい国へと生まれ変わった。
過去の後悔をすべて上書きし、最強の家族と、極上の愛を手に入れた彼女の物語は、ここでひとつの結末を迎える。
しかし、クラウゼヴィッツ大公国の「永遠の春」は、まだ始まったばかりである。
愛する夫の過保護な溺愛と、頼もしい子供たちの笑顔に囲まれながら、稀代の悪女・リアーナの幸せに満ちた日々は、これからもずっと、ずっと続いていくのだった。
(完)




