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凍てつくお屋敷と、はじまりの造形

鉛色の空から、白い結晶がひらひらと舞い落ちてくる。


王都の温暖な気候とは打って変わって、ここは国境の最前線、永久凍土に隣接する極寒の辺境領であった。


ガタガタと大きく揺れる馬車の車窓から外の雪景色を眺めながら、リアーナ・フォン・ヴァルツァー――今日からはリアーナ・フォン・クラウゼヴィッツ辺境伯夫人となる彼女は、静かに白い息を吐いた。


「……まさか、本当に『あの日に戻ってきている』なんてね」


リアーナは、豪奢なドレスの膝の上で、ギュッと自分の手を握りしめた。


その手には確かな温もりと、若々しい張りがある。


彼女には、三つの記憶があった。


一つは、現代日本で立体造形物を愛するプロダクトデザイナーとして生きた記憶。


キャラクターの正面、側面、背面を緻密に描いた「三面図」を引き、そこから1/7スケールの精巧なフィギュアを練り上げるのが何よりの情熱だった、クリエイターとしての人生だ。


もう一つは、このファンタジー世界で公爵令嬢「稀代の悪女リアーナ」として我が儘の限りを尽くした記憶。


そして最後の一つは――この辺境伯領に嫁ぎ、夫のクラウスに冷遇され、義理の息子レオンを無視し、家臣たちから憎まれ、最終的に領地が反乱にあって孤独な死を迎えた「1回目の人生」の記憶である。


死の直前、燃え盛るお屋敷の中で彼女は強烈に後悔した。


(どうして、私はあんなに意地を張っていたのだろう。もっと周りを見て、自分の持っている知識や技術を使えば、あんな悲しい結末にはならなかったのに……!)


その強い未練が奇跡を起こしたのか、目を覚ますと、彼女は辺境伯領へ向かう馬車の中にいた。


「回帰」したのだ。全てをやり直せる、結婚初日に。


「今度こそ、絶対に間違えない。冷え切った夫婦関係も、冷たい家臣たちの態度も……全部、私の手腕でひっくり返してやるわ」


リアーナの瞳に、強い決意の光が宿った。


かつては「悪女」というレッテルに縛られ、自分から周囲を拒絶していた。


しかし今の彼女には、過酷なお妃教育で頭に叩き込まれた「高度な領地経営の知識」と、前世で培った「圧倒的なモノづくりの特技」がある。


味方がいないなら、自分の力で居場所を築き上げればいいだけだ。


やがて馬車は、巨大な氷の城壁に囲まれた辺境伯邸に到着した。


出迎えたのは、冷たい吹雪と、それ以上に冷ややかな目をした家臣たちだった。


誰も歓迎の笑顔を浮かべてはいない。それもそのはず、彼女は「素行が悪すぎて王都を追い出された公爵令嬢」として悪名高いのだから。


大広間に通されると、そこには威風堂々とした体躯の男が立っていた。


銀色の髪に、鋭い氷のような青い瞳。北方の守護者たる夫、クラウス・フォン・クラウゼヴィッツ辺境伯である。


「長旅の労をねぎらおう、リアーナ殿」


クラウスの声は、吹雪のように低く冷徹だった。


「だが、君も承知の通り、これは王家の命による政略結婚だ。私に君を愛するつもりはないし、君も私に愛を求めないでほしい。この邸内での生活は保証する。好きに過ごしてくれて構わないが、私の領地運営と、息子のレオンには干渉しないでいただきたい」


1回目の人生では、この冷酷な言葉に激昂し、邸中の調度品を破壊して泣き叫んだものだ。それが家臣たちの決定的な嫌悪を買う原因となった。


しかし、今のリアーナは違う。彼女は優雅にカーテシー(淑女の礼)をして、ふわりと微笑んだ。


「承知いたしました、旦那様。領地の平穏と旦那様の御用務を最優先になさってくださいませ。私はこの邸の隅で、静かに、そして『有意義に』過ごさせていただきますわ」


予想外に素直で礼儀正しい返答に、クラウスの青い瞳が微かに見開かれた。


家臣たちも「あの我儘令嬢が?」とざわめく。しかし、リアーナはそれ以上何も言わず、案内された自分の私室へと向かった。


(さて、干渉するなと言われたけれど……このお屋敷、ツッコミどころが多すぎるのよね)


私室に入るなり、リアーナは呆れたようにため息をついた。


領地防衛に予算を全振りしているためか、屋敷の管理は杜撰そのものだった。


窓の隙間風はひどく、暖炉の薪は湿気ており、廊下のカーペットは擦り切れている。


1回目の人生で確認した帳簿の記憶を辿れば、物資の調達ルートが無駄だらけで、悪徳商人に中抜きされているのは明らかだった。


これでは、住み込みで働くメイドや兵士たちの士気も下がる一方だ。


「まずは環境改善ね。でも、その前に……」


リアーナはふと、窓の外の中庭を見下ろした。


そこには、寒空の下、薄着のまま一人でしゃがみ込んでいる小さな男の子がいた。クラウスの息子、レオンだ。


前妻が亡くなって以来、多忙なクラウスはレオンとどう接していいか分からず距離を置き、使用人たちも腫れ物に触るように扱っている。


1回目の人生では、リアーナも彼を「憎き前妻の子供」として徹底的に無視し、その結果、彼は心を病んでしまった。


(あの子に、二度とあんな思いはさせない)


リアーナはすぐに私室を飛び出し、中庭へと向かった。


雪が積もる中庭の隅で、レオンは小さな手を真っ赤にしながら、何かを必死に組み立てようとしていた。


近づいて見ると、それは木でできた不格好な騎士のオモチャだった。しかし、腕のパーツが根元から折れてしまっている。


「……ああっ、また折れちゃった……」


レオンがポロポロと涙をこぼす。5歳の小さな背中が、震えていた。


「あら、素敵な騎士様だけれど、怪我をしてしまったのね」


リアーナが優しく声をかけると、レオンはビクッと肩を跳ねさせ、怯えた目で彼女を見上げた。新しいお母様は怖い人だと、使用人たちから吹き込まれているのだろう。


「ご、ごめんなさい……邪魔、しませんから……!」


逃げ出そうとするレオンの前に、リアーナは膝をついて視線を合わせた。高価なシルクのドレスが雪で濡れることも一切気にしない。


「謝らなくていいのよ。少し、その騎士様を見せてくれる?」


リアーナはレオンの手からそっと木彫りのオモチャを受け取った。構造は単純な木組みだが、無理な力がかかって接合部が割れてしまっている。


「なるほど、これはボンド……じゃなくて、この世界の膠(にかわ)でくっつけてもすぐ取れてしまうわね。可動域を考えて関節部を作らないと」


「か、かどういき……?」


リアーナの頭の中で、前世のデザイナーとしての血が騒ぎ出した。ただ直すだけではつまらない。この孤独な少年に、世界で一番かっこいい相棒をプレゼントしてあげたい。


「レオン君。私、この騎士様をもっと強くて、絶対に壊れない姿に生まれ変わらせる魔法が使えるの。少しだけ時間をくれるかしら?」


レオンは目を丸くして、こくりと頷いた。


リアーナは即座に行動を開始した。屋敷の工房へ向かい、驚く大工たちを押しのけて上質な木材と彫刻刀、そして羊皮紙を確保した。


部屋に戻るなり、彼女は机に向かって猛烈な勢いでペンを走らせる。


描き出したのは、ただの絵ではない。正面、側面、背面、さらには関節の構造までをミリ単位で緻密に計算し尽くした「三面図」である。1/7スケールの精巧なフィギュアを設計していた前世の感覚が、リアーナの手元に完璧に蘇っていた。


「関節部は球体ジョイントの要領で削り出して、摩耗を防ぐために革の端切れを挟む。重心は下半身に置いて、自立できるように……!」


お妃教育で培った「徹底的な集中力」と、前世の「異常なまでの造形への情熱」。二つの力が合わさった時、リアーナの作業速度は人間の限界を超えていた。


サクサクと木材を削り、ヤスリをかけ、緻密なパーツを組み上げていく。


ドレスの袖が汚れ、指先に小さな傷ができても、彼女は全く気にしなかった。頭の中にある完璧な完成図に向かって、ただひたすらに命を吹き込んでいく。


数時間後。


夕暮れ時になり、おそるおそるリアーナの部屋を訪れたレオンは、机の上に立っている「それ」を見て、息を呑んだ。


「……これ、ぼくの騎士様……?」


そこにあったのは、もはや不格好な木の塊ではなかった。


木の温もりを残しながらも、今にも動き出しそうなほど躍動感に溢れた造形。


重厚な鎧のディテールが彫り込まれ、マントが風になびくような曲線美を描いている。何より驚くべきは、両手両足が滑らかに動き、剣を振り上げるポーズや、膝をついて主君に忠誠を誓うポーズすら取れるようになっていたことだ。


現代日本の可動式フィギュアの技術を、異世界の木工で完全再現した、まさにオーパーツとも言える傑作であった。


「はい、レオン君。新しく生まれ変わったあなたの専属騎士よ。関節が動くから、色々なポーズをとらせて遊べるわ」


リアーナが微笑んで差し出すと、レオンは震える手でそれを受け取った。


動かしてみると、カチリ、カチリと心地よい音を立てて腕が上がる。剣を構えるかっこいい姿に、レオンの大きな瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。


「すごい……すごい! かっこいい! ありがとう、新しいお母様……!」


レオンはオモチャを胸に抱きしめ、リアーナに飛びついてきた。


冷え切っていた邸の中で、初めて触れた小さな体温。リアーナはレオンの背中を優しく撫でながら、心の底から温かい気持ちになるのを感じた。


「ふふ、どういたしまして。何か壊れたり、困ったことがあったりしたら、いつでも私に言ってね。全部、私がなんとかしてあげるから」


その光景を、扉の隙間から唖然として見つめている者がいた。屋敷を取り仕切るメイド長である。


「あの我儘と噂の公爵令嬢が、あのような素晴らしい木工細工を……? しかも、あんなに心を閉ざしていた坊ちゃまが、あのように笑われるなんて……」


メイド長の驚きを皮切りに、この「可動式騎士フィギュア」の噂は、瞬く間に使用人たちの間に広まることになる。


しかし、リアーナの手腕発揮はまだ始まったばかりだ。


「さて、レオン君の笑顔も守れたことだし。次は……このお屋敷の最悪な帳簿と、スッカスカの貯蔵庫をどうにかして差し上げましょうか。氷の辺境伯様には内緒で、勝手に領地を豊かにさせていただきますわ!」


リアーナの瞳には、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。


冷え切った夫婦関係、見てみぬふりの家臣たち。味方不在だったこの場所は、彼女の圧倒的な手腕によって、少しずつ、しかし確実に色づき始めようとしていた。

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