戻ってこいよ
数日後。
西日の差し込む池袋人材サービスに、ようやくヒロナリの姿があった。
銀座の強盗事件以降、逮捕こそされなかったものの、連日のように警察署へ呼び出され、事情を聞かれていたらしい。前日には事務所へ捜索も入った。
もともとレンが荒らしたままだった室内は、以前にも増して酷い有様だった。
倒れたままの家具。
開け放たれた引き出し。
床に積み上げられた書類。
その中で、くたびれたスーツ姿のヒロナリが煙草をふかしながら、段ボール箱へ自分の私物を放り込んでいる。
あの強盗事件を境に、本部とは完全に連絡が取れなくなった。
レンやソウシのものと同じように、黒いアイコンのアプリも何の反応もしない。
末端だった自分は切られた。
そのくらいのことは、ヒロナリにも分かっていた。
◇
コンコン。
入口からノックの音がする。
ドアが開き、ソウシが顔を覗かせた。
「……あぁ、やっと居た」
その後ろにはレンもいる。
「チッ、オメェらか」
「どうしてんのかと思って何日か来てたんだけど、居なかったからさ」
「まったくよ……オメェらのせいで散々だよ」
「……やっぱり、警察に呼ばれてたのか?」
「おう。あの日からミッチリよ」
「その……大丈夫なの?」
「あ? とりあえずすぐにぶち込まれるようなことにはなってねぇよ」
ヒロナリはそこで少し言葉を切った。
「でも、タダじゃすまねぇだろうな」
それだけ言うと、また箱の中へ私物を放り込む。
「ここは……どうなるの?」
「俺にもわからねぇ。あの強盗事件の直後から、本部と一切連絡が取れなくなっちまった」
「あのアプリが……開かなくなっていたな」
「こっちも同じだ。それに、あいつとも連絡つかねぇ」
「舎弟の人?」
「おう。電話もメッセージも全部シカトだ」
ヒロナリは煙草を灰皿へ押しつけた。
「まあ、解散だろうな」
しばらく誰も何も言わなかった。
夕方の光だけが、散らかった事務所の中へ斜めに差し込んでいる。
「……なあ、ヒロナリ」
「あ?」
ソウシは少しだけ視線を落とした。
脳裏に、数日前ミキちゃんから言われた言葉が蘇る。
『知らなかったなら仕方ないよ。でもパイセン、途中で何度も気づいてたよね?』
『怖かったのはわかる。でもそれで、なんでもしていいことにはなんなくない?』
「この前話した時、そんなにお綺麗に生きてるつもりはねぇよって言ってたけどさ」
「……」
「ここまでのことになる前に、お前だっておかしいと思ったことあったよな?」
「なんだよ急に。説教かよ」
何かが込み上げてくるような気がして、ソウシは眼鏡の奥を擦った。
「そこで踏みとどまらなきゃダメだったんだよ」
声が少し震える。
「俺だってそうだ」
「……」
「何回も、お前に断らなきゃって思ってた。怪しいってわかってた」
ヒロナリは黙ったままだ。
「それでもズルズル断れなくて……多分、レンがいなきゃ戻れなかった」
「………」
「お前は俺とは違う、そんな奴じゃなかったじゃんか」
ヒロナリの表情が、ほんのわずかに動いた。
「戻ってこいよ、ヒロナリ……」
それだけ言うと、ソウシは俯いた。
ずっと黙って二人を見ていたレンが、そこで口を開いた。
「……俺は未だに、貴殿が全くの悪人だったとは思えないのだ。ギルド長殿」
「……」
「あの日受けた一宿一飯の恩は、間違いなく貴殿の本心だったはずだ」
レンは真っ直ぐヒロナリを見る。
「知らなかったことで、すべての責任がなくなるとは思わない」
ヒロナリは何も言わない。
「だが、過ちを犯したからといって、それまでの善意まですべて偽りになるとも思わない」
「ふん……」
ヒロナリは新しい煙草を一本取り出し、火をつけた。
でかい口から吐き出された煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。
しばらくその煙を目で追ったあと、ヒロナリは箱の中へ視線を落とした。
「そーだなー……」
煙草を咥えたまま、少しだけ考える。
「落ち着いたら、またやっか」
「……」
「今度はマトモな人材派遣会社をよ」
ソウシは少しだけ顔を上げた。
「……今度があればな」
「うるせぇよ」
「まあ、見た目だけは社長っぽいし」
「見た目だけってなんだコラ」
ソウシが小さく笑う。
ヒロナリも、口元だけでわずかに笑った。
レンはそんな二人を見て、ほんの少し表情を緩める。
一見すれば親子と見間違えそうなほど、見た目の違う二人。
それでも二人は同じ年齢で、同じ時代を過ごしてきた。
今のやり取りを見ていると、二人がまだ少年だった頃の姿まで、なんとなく想像できるような気がした。
「今度は良いギルドになるはずだ。ギルド長殿ならば」
「……」
ヒロナリは煙草を指に挟んだまま、レンを見る。
「……最後に一ついいか」
「何だ?」
少しだけ間が空く。
「………ギルド長じゃねぇんだけどな」
◇
数日後。
南池袋公園前のコンビニ。
「らしゃせー」
ミキちゃんの気の抜けた声が店内へ響く。
いつもの日常が戻ってきた。
銀座の強盗事件も、築地警察署での長い事情聴取も、池袋人材サービスの解散も。
慌ただしかった日々は、ひとまず過ぎ去った。
ソウシは品出しを終え、レジカウンターの中へ戻ってくる。
隣では、客が途切れた隙にミキちゃんがスマートフォンを眺めていた。
ふと、画面を見たまま口を開く。
「あ、今日あーにゃん池袋来てるじゃん」
「えっ!? あーにゃん?」
ソウシは思わず前のめりになった。
その食いつき方に、ミキちゃんが少しだけ引いた顔をする。
「……え。秋山パイセン、あーにゃんとか好きなんすか?」
「めっちゃ好きだけど」
間髪入れずに答えた。
「え、即答キモw」
「なんでだよ!」
ミキちゃんは笑いながら、再びスマートフォンへ目を落とした。
けれど。
その直前まで彼女が見ていたのは、いつものSNSではなかった。
メッセージアプリ。
そこには友人から届いた、数件のメッセージが並んでいる。
『まりなー、前言ってたやつなんだけどさ』
『あーにゃんの紹介だからマジ安心だよ?』
『ごはん食べるだけで2だって! やばくない?』
「……へー」
ミキちゃんは、それ以上特に興味を示さなかった。
メッセージアプリを閉じ、そのままスマートフォンをしまう。
「あっ、パイセン! ウチ洗い物しちゃうんでレジ見ててくださーい!」
「はいはい」
ミキちゃんはいつもの調子でバックヤードへ向かった。
ソウシはレジに立つ。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
いつものコンビニ。
いつものバイト。
いつもの池袋。
何も変わっていないように見えた。
けれど、
ソウシも
ミキちゃんも
まだ知らない。
そのスマートフォンへ届いていた何気ないメッセージが、次の事件の入口になっていることを。
――第一部「闇バイト編」完――
第二部
『Sランク冒険者が推し活したらパパ活だった』
へ続く。




