少し眠ってもらった
銀座八丁目。
ワンボックスカーの後部ドアが開いたまま、本部担当者の男は相変わらず軽い調子で繰り返していた。
「降りてくださーい。あ、ヘルメットかぶってね」
ソウシは俯いたまま動かなかった。
――降りるな。
誰も動かなければいい。
このまま五人全員が車内に残れば、まだ止められる。
「三分しかないからねー。遅れたらどうなっても知らないよー」
「ああああああっ!!」
突然、後ろから叫び声が上がった。
「えっ!?」
ソウシが振り返る。
実家を知られていると言っていた青年が、震える手でフルフェイスヘルメットを被っていた。金属バットを掴み、息を荒らしている。
「無理だ……俺、無理だよ……家に行かれるのは……!」
「待てよ!」
青年はソウシを押し退けるようにして車外へ飛び出した。
「行っちゃダメだって!」
ソウシは咄嗟に手を伸ばした。
だが次の瞬間、襟首を後ろから掴まれ、身体がぶるんと揺さぶられた。
「うるせぇぞテメェコラ。テメェの実家も割れてんだからな。」
それまでとはまるで違う声だった。
軽薄な調子は消え、地の底から這うような低い声で本部担当者が吐き捨てる。
直後、頬に衝撃が走った。
「っ……!」
ソウシの顔が横を向く。
口の中に鉄の味が広がった。
だが男がもう一度ソウシへ手を伸ばすより早く、その腕をレンが掴んだ。
「………」
レンは何も言わず、男の顔を見つめたまま指に力を込める。
ギリギリギリギリ……。
「いっ…いっててて」
「…その手を離せ」
「レンくーん、冗談、冗談すよ。」
男はあっさりとソウシから手を離した。
また先ほどまでの軽い声音へ戻る。
「でも、みんなの家も実家も割れてるのはホントっすよ。ほら、早く行かないと実家があぶないよー」
「………」
残っていた二人が顔を見合わせた。
「……俺も、行くわ…」
「えっ、待ってくださいよ……」
「じゃあどうすんだよ! 家に行かれたら……!」
「…………俺も行きます」
「ちょっと待って! まだ間に合うから! 何か方法考えましょう!」
ソウシの声は届かなかった。
二人もフルフェイスヘルメットを被る。
一人は鉄製の工具を持ち、もう一人はバッグを手に取った。
そして、先に飛び出した青年を追うように宝石店へ向かっていく。
ガシャーーーン!!!
大きな破砕音が銀座の夜へ響き渡った。
最初の青年が、宝石店入口のガラスを叩き割ったのだ。
けたたましい警報音が鳴り始める。
通行人が足を止め、悲鳴を上げる者もいた。
レンとソウシは、まだ車から降りずに残っていた。
二人は顔を見合わせる。
「ソウシ」
「何」
レンはソウシの口元を見ていた。
「唇が切れてしまったな、後で治療する」
「そんなことより、レン、どうするつもりなんだよ」
レンは少し視線を下げる。
「それを使う」
指し示したのは、ソウシが押しつけられたまま持っていたロープだった。
ガラスの割れる音。
鳴り響く警報。
騒ぎを聞きつけた人々が、すでに周囲へ集まり始めていた。
「さあ、行こうか」
レンは車を降り、道路へ立った。
「おっ♪ ついに行きますか! レンくんには期待してるんすよ? あ、ヘルメット忘れないでね!」
本部担当者は相変わらずの調子で笑っている。
レンはその男へ歩み寄ると、肩へぽんと手を置いた。
「……?」
「貴様には少々苦しい思いをしてもらおうか」
「え――」
言い終わるより早かった。
レンの拳が男の鳩尾へ深く食い込む。
「ぐっ……!」
男の身体が一瞬、宙へ浮いたように見えた。
そのまま海老のように身体を丸め、地面へ叩きつけられる。
「……!? ちょ、何してんだよ!」
「ソウシ、此奴はしばらく動けない。この鉄の柱に腕を通して、手首を縛ってくれ」
「わ、わかった…!」
レンはそれだけ言い残し、宝石店へ向かって歩き始めた。
ソウシは倒れた本部担当者を引きずるようにして街灯のところまで運び、言われた通り腕を回して拘束する。
その間にも警報は鳴り続けていた。
宝石店の前では、三人の若者がまだガラスを叩いている。
レンはゆっくりと近づいた。
三人の動きを見る。
戦意はない。
恐怖に駆られ、止まれなくなっているだけだ。
ならば、傷つける必要もない。
一人がレンに気づき、振り返った。
「お前、何を――」
言葉を発するより先に、レンの手が男の首筋へ触れた。
二人目が振り返るより早く。
三人目が声を上げるより早く。
レンがその後ろを歩いて通り抜ける。
次の瞬間には、三人の身体がばらばらと地面へ崩れ落ちていた。
少なくとも、ソウシの目にはそうとしか見えなかった。
「まじかよ………」
「ソウシ」
「……何したの?」
「ああ、少し眠ってもらった」
「少し眠ってもらった、じゃないよ!」
「問題ない。それより、彼らも同じように後ろ手で縛ってくれ」
「はいはい……」
ソウシは白目をむいて倒れている三人のところへ向かった。
一人ずつ腕を後ろへ回し、ロープで拘束していく。
その途中。
「………」
ふと周囲へ視線を向けたソウシの手が止まった。
いつの間にか、人だかりがかなり大きくなっている。
そして、その中にはスマートフォンをこちらへ向けている者が何人もいた。
「……レン」
「どうした?」
「…撮られてる」
「……?」
レンは意味が分からないという顔をする。
「これはやばいぞ…」
遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
どんどん近づいている。
「何故だ?」
ソウシは、宝石店の前を見回した。
割れたガラス。
倒れて後ろ手に縛られたヘルメット姿の三人。
街灯に縛られた本部担当者。
その横に立つ自分とレン。
「これ、俺たちのほうが強盗犯に見えない?」
◇
ソウシが三人を縛り終えたのを確認すると、レンは倒れた若者たちの側へひざまずいた。
「……起きろ」
一人ずつ肩を揺する。
やがて三人が呻きながら目を開けた。
「落ち着いて聞け。間もなくケイサツが来るそうだ」
「警察!?」
一番若い男が跳ねるように身体を起こそうとした。
だが両手を後ろで縛られているためバランスを崩し、そのまま転倒する。
「待って、落ち着いて!」
「やばい! 逃げないと!」
「おい、これ解いてくれ! 早く!!」
三人が一斉に騒ぎ始める。
「逃げれば本部の思う壺だ」
「何言ってんだよ! 俺らもう店のガラス割ってんだぞ!」
「こっちは捕まんだよ!」
「……犯したことまで無かったことにはできない」
レンは静かに言った。
三人が一瞬黙る。
「だが、貴殿らは初めからこうしたいと望んでいたのか?」
「………」
「強盗だと知っていて、この車に乗ったのか?」
「……違う! 仕方なかったんだ…」
「俺は荷物運びだって…」
「俺だって…内容は知らなくて…」
「ならば、その通り話せばいい」
三人がレンを見る。
「家族を盾に脅されたと、嘘に騙されて来たと、何も知らされず来たと」
「………」
ソウシもその横へしゃがみ込んだ。
「俺もどうなるかわかんないよ。もうガラス割っちゃってるし」
無責任に大丈夫だとは言えなかった。
自分たちだって、このあとどう扱われるのか分からない。
「でも逃げたら、最初から強盗するつもりだった奴らと同じになっちゃうだろ」
三人は黙ったままだ。
「俺たちも一緒に話すから。あのアプリのことも、車の中で何があったかも、本部に脅されたことも……全部話そう」
しばらくして、車内で実家を知られていると言っていた青年が口を開いた。
「でも……話したら家族が」
「先程言ったはずだ。貴殿の家族は俺が守ろう」
「でも……どうやって」
レンは少し考えた。
「しばらく周辺に張り込んでもいい」
「………」
「二言はない」
青年はレンを見つめた。
車の中で同じ言葉を聞いたときとは違う。
たった今、この男が三人を一瞬で倒すところを自分たちは身をもって知った。
その力を見たあとでは、「守る」という言葉にも現実味があった。
「………」
やがて青年が小さく息を吐く。
「わかった、話すよ……」
「俺も……」
「俺も話します」
「ふざけんな!!」
突然、少し離れたところから怒鳴り声が飛んだ。
見ると、街灯へ縛りつけられた本部担当者が身体を激しく揺らしている。
「お前ら余計なことしゃべんじゃねーぞ! 実家がどうなっても良いのか?」
レンの目が細くなった。
「……まだ言うか」
「お前もだよ! こんなことしてタダで済むと思ってんのか! 本部に逆らったら――」
「まだ痛い目を見たいようだな」
「ヒィッ!」
本部担当者の身体が強張った。
「俺になんかあったら本部が黙ってねーぞ!」
その声へ重なるように、サイレンが一段と大きくなった。
交差点の向こうから警察車両が曲がってくる。
「……来た」
ソウシが呟く。
「ケイサツか」
「レン」
「ああ。覚えている」
ソウシは眼鏡の奥から、じっとレンを見る。
「……ほんとに頼むぞ」
◇
宝石店のガラスは無残に割れ、警報が鳴り続けていた。
周囲には騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり、その数はさらに増えている後ろ手に縛られた、フルフェイスヘルメット姿の若者三人。
街灯に縛りつけられた本部担当者。
その横には、普段着のままのレンとソウシが立っていた。
数名の警察官が現場へ駆け込んでくる。
「全員その場から動くな!」
「手を上げてその場から動かないで!」
「はい!」
ソウシは即座に両手を上げた。
隣のレンが、その姿をちらりと見る。
ソウシは眼鏡の奥から、ものすごい形相でレンを睨んだ。
――わかってるよな。
「………」
レンもソウシに倣い、両手を上げる。
ソウシは心の底から安堵した。
……良かった。
巻き込まれても来た甲斐があった。
少なくとも、警察が来た瞬間にレンが何かを持ち上げたり、誰かを投げ飛ばしたりする事態だけは避けられた。
警察はさらに応援を呼び、人員を増やしていく。
周囲には非常線が張られ、野次馬たちはその外側から現場を覗き込んでいた。
少し離れたところでは、若者三人が口々に訴えている。
「騙されたんです!」
「脅されて……!」
「こんな仕事だなんて知らなかったんです!」
「わかった、わかった。一人ずつ聞くから。今は動かないで!」
警察官が三人を落ち着かせる。
一方、黒いワンボックスカーの側では、本部担当者が甲高い声で喚いていた。
「俺は被害者すよ! アイツに殴られて縛られたっす!」
「貴様は黙っていろ」
「お前も静かにしとけって!」
ソウシは慌ててレンの腕を引いた。
「………」
レンは不満そうではあったが、それ以上は何も言わなかった。
しばらくすると、一人の警察官が二人のところへやってきた。
「君たち」
「はい」
「動画撮ってた人がいてね。確認したところ、君らはあの三人を止めてくれたみたいなんだけど」
「はい……」
ソウシは少しだけ肩の力を抜いた。
周囲で撮影していた人たちの映像が、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「ただ、一緒の車でここまで来たんだよね?」
「……はい」
「じゃあ悪いけど、ちょっと詳しく話聞かせてもらえる?」
「……わかりました」
「承知した」
当然だった。
自分たちが三人を止めたことは映像で確認できても、同じワンボックスカーで現場へ来ている以上、無関係な通行人というわけにはいかない。
「じゃあちょっと車に乗ってもらうからね。危ないものだけないか確認させてね」
二人は警察官の指示に従い、ボディチェックを受けた。
レンもソウシも抵抗しない。
そのまま案内された警察車両へ乗り込む。
ドアが閉まった。
「………」
銀座の騒がしい音が少し遠くなる。
「ソウシ」
「何」
「先程から気になっていたのだが」
「なに?」
「俺たちは、どこへ連れて行かれるのだ?」
ソウシはレンを見る。
「…………警察署」
「ケイサツショとは?」
「…………」
ソウシは黙り込んだ。
強盗。
本部。
黒いアプリ。
脅迫。
説明しなければならないことはいくらでもある。
そして、その先にはおそらくレン自身の身元確認も待っている。
氏名。
住所。
生年月日。
職業。
身分証。
出身地。
――ここからが本番かもしれない。




