追跡1・一華
翌日。名刺を眺めながら、昨日の明との会話を思い出していた。
身嗜みの清潔感、会話の間合い、社会的地位と能力。
千尋が自分の遺伝子を残し、安定した環境で育てるために選んだ雄としては、まずまずの及第点だろう。
もっとも、これから付き合う過程で、昨日は見えなかったものがいくつも露わになるはずだが、それはこれからの楽しみだ。
今日は何も予定がない。長時間、作品に没頭できる。
シャワーを浴びて頭と体を目覚めさせ、アトリエに向かった。
時間が経つのも忘れて制作を続けていると、ドアがノックされる。ルイが顔を出した。
「一華。警察が来てるけど」
「警察? なんの用かしら」
手を休めずに聞き返す。
「何か話を聞きたいみたいだな。俺には教えてくれなかったけど」
「いいわ。リビングで待っていてもらって。すぐ行くから」
警察が私のところへ来た。おそらく連続失踪事件だろう。
「ちょっと待っててね」
作りかけの作品に声をかけ、リビングへ向かった。
リビングに入ると、ルイがキッチンでコーヒーを淹れていて、スーツ姿の男が二人、ソファに座っていた。
「お待たせしました」
声をかけると、二人は立ち上がって一礼した。
「目白警察の小野寺です」「仲間です」
初老の方が小野寺、若い方が仲間と名乗り、警察手帳を示す。
「小川一華です。こんな格好で失礼します」
タンクトップに作業ズボン、髪は無造作に束ねたまま。二人に座るよう促し、向かいに腰を下ろした。
「いえ、こちらこそお忙しいところすみません。個展の準備中と伺いました」
「はい」
口元に笑みを浮かべながら小野寺を見る。
「こちらへ伺う前に、小川さんの作品を少し拝見しました。素晴らしいご活躍ですね」
「まあ。どちらで?」
「失礼、これで検索しただけですが」
小野寺はスマホを軽く掲げてみせた。
「そうでしたか」
微笑むと、ルイが三人分のコーヒーを運んできた。
「どうぞお構いなく」
小野寺が遠慮しても、ルイはそのまま二人の前にカップを置く。
「お客様に何も出さないわけにはいきませんから。どうぞ」
「では、遠慮なく」
小野寺が一口飲み、それから私の顔をじっと見た。
「なにか?」
「ずいぶんとご立派になられましたね、小川一華さん」
「小野寺さん。やはり、あのときの刑事さんでしたか」
「ええ。あのときは、大してお力になれませんでした」
「自殺でしたから。どうしようもありませんよ」
「はい。正直、ああいう場合はどうしようもありませんでした。ただ、あなたの様子が気になって、引っ越しされたあとも、つてを頼って様子を聞いておりました。パリへ留学されて、大成されたと知ったときは、自分のことのように嬉しかった」
懐かしむように目を細める。
「それがまさか、こうしてまたお話しできるとは」
「今日は昔話をしに来られたんですか?」
「いえ、すみません。あなたの姿を見た途端に、いろいろ思い出してしまって。今日は別件です」
頭を下げると、若い刑事――仲間が口を開いた。
「今日は、失踪された小川さんの元同級生、高橋智花さん、田島紅音さん、小田茉莉さん、小橋愛さん、そして元担任の福山一成さんの件で、お話をうかがいに参りました」
「連続失踪事件として、ニュースになっていますね」
「ご存じだと思いますが、小川さんは長年フランスにおられた。それは把握しています。今日は、とくに福山先生についてお聞きしたくて」
「福山先生の?」
きたきた。
「はい。失踪される前に、何度かお会いになっていますよね」
「はい。頼まれごとをされまして」
「頼まれごと?」
「先生の学校で講演してほしい、と」
「それで?」
「もちろんお引き受けしました。恩師の頼みですから」
「会われた回数は?」
「三回。食事をしながら、講演の内容やスケジュールを話しました。ただ、私が個展を控えているので、日程はそれが終わってから、ということに」
福山と一緒に行った店の名前を告げる。
「最後に会われたのはいつですか? また、最後に連絡を取ったのは」
「少しお待ちくださいね」
スマホでスケジュールを確認する。
「先月の三日ですね。先生のご自宅で会いました。その三日後に、一度電話で打ち合わせを」
「福山さんの自宅というと、お一人で住まわれていたマンションへ?」
「はい。先生のお食事を作りに。そのあと二人で食べながら、打ち合わせと世間話を」
「卒業してからは連絡を取っていなかったと伺っていますが、その割には随分と親しいですね」
ここまで質問してくるのは主に仲間だ。小野寺は終始柔和な表情ながら、目だけはこちらを離さない。
「そうですか? 気が合えば、男女なんてそんなものじゃないですか」
「そうかもしれませんが、一人暮らしの男性宅に女性が一人で行かれるのは、親密な関係とも考えられます」
若くても、刑事はこういう発想になるのだろうか。それとも、彼個人の資質なのか。
「先生が離婚されてお一人だと聞いたので、食事が偏っているといけないと思って作りに行っただけです」
「失礼ですが、本当はどういったご関係なんです?」
「恩師と教え子ですよ」
「そうですか。それで自宅まで行って食事を作ってあげた、と」
なにか「そうあってほしい」形を期待しているのだろうか。答えていて、少し可笑しくなってきた。同時に、これは形式的な聞き取りなのか、それとも当たりをつけて探りに来たのか、二人の仕草から推し量る。
「おかしいですか? 学生の頃、憧れの先生にお弁当やバレンタインのチョコを渡すのと同じですよ」
「あなたは学生時代、福山先生に憧れていたと」
ここで小野寺が口を開いた。
「そうですね……そういう傾向はあったと思います。福山先生はモテてましたから。私以外にも好意を持っている子はいましたし。今回は再会したことで、懐かしさもあったのかも」
「そうですか……。ただ、あなたの中学時代、とくに福山先生と同じ学校にいた頃は、“懐かしむ”という類のものではなかったと思いますが。むしろ酷いことの方が多かった。できれば思い出したくもない過去だったのでは? 言ってみれば、福山さんはあなたの辛い状況の一部を解決できたはずなのに傍観者だった。憧れよりも、否定的な感情の方が大きいのでは?」
「私がいじめられていて、それを福山先生が知りながら黙認していた。だから私は福山先生を憎み、今回の事件に関わっている――と。そう仰りたいのですね? 言われてみれば、他の失踪者も小橋さん以外、私をいじめていた生徒ですし」
「そこまでは言っていません。ただ、憧れの対象には見えなかったもので」
「それは、人それぞれでしょうね」
笑みを浮かべ、小野寺の目を見返す。
「田島さんや小田さんが失踪した時期については、私はフランスにいました。関わりようがありません」
「それは分かっています」
小野寺は頷いた。
「福山先生ですが、何かトラブルを抱えているような話はされましたか?」
仲間が問う。
「特には。そういえば、先生のマンション、防犯カメラは?」
「古い建物で、設置されていませんでした。行かれたとき、気づきませんでしたか?」
「人の家に行ったときに、防犯カメラなんてチェックする方が変でしょう? それとも、私が変なのかしら」
「分かりました。では、高橋智花さんと小橋愛さんにお会いしたことは?」
「同窓会のときに会いました。それ以外では」
「帰国されてから会った、中学時代の関係者は?」




