魔法のある世界Ⅰ
ツバメと村長が固い握手を交わしてから数時間後。
ツバメとハルは畑の手伝いを切り上げて家へと戻ってきた。
昼までの農作業を終えた二人は少し遅めの昼食を取っていた。
「その魔法、すごく便利ですね」
ハルの右手には、先ほどツバメがスキルによって生成したスプーンが握られていた。
「なんて言う魔法なんですか?」
「うーん……説明するのが難しいんだけど」
「真名とか決まっていないんですか?」
「まな?」
真名――魔法の名前みたいなものだろうか?
「ごめん、そもそもこの世界の魔法についてよくわかっていないんだ。そもそも、この世界の魔法ってどういったものなんだ?」
この世界に"魔法"と呼ばれる概念が存在するのはもうわかりきっていた。
だが、その形態や用途について詳しいことはまだわかっていない。
ここはしっかりと聞いておくべきだろう。
「――魔法については、説明するより実際に見てもらった方が早いかもしれません」
「見てもらう……ハルは魔法が使えるのか?」
「簡単なものでしたら」
少しだけ照れたようにハルは言う。
確かに言葉で説明してもらうよりも、実際に見てみたいという欲求の方が強いかもしれない。
「お昼ご飯を食べたらお見せします。少しだけ時間頂いてもいいですか?」
「もちろんだよ」
そう返してツバメはやや急ぎ気味で昼食を食べ進めた。
――ツバメとハルは昼食を食べ終わると家の外にある小さな川沿いの広場に出た。
よく洗濯のためにハルが出向く場所だ。
「ここなら魔法を使っても危なくないですから」
ハルは右手をツバメに差し出し、手を開く。
「どんな魔法を使うんだ?」
「――炎の魔法です」
ハルは目を瞑り、軽く呼吸を繰り返す。
するとハルの右手に焔色の淡い光が集い出す。
「――炎球」
そう唱えた刹那、集まっていた光が突然閃光のような煌きを発し、瞬く間に小さな炎へと姿を変えた。
「うおっ!!」
本当に突然だった。
まるで手品のように手のひらから炎の球が躍り出たのだ。
パチパチと音を立てる炎の球を数秒維持した後にハルは右手を閉じる。
すると炎の球も役目を果たしたかのように消えた。
「これが、私の使える魔法です」
「凄い――本当に魔法みたいだ」
「魔法、ですから」
ツバメに言葉にハルはくすくすと笑う。
そりゃそうだ。これは異世界では当たり前の"魔法"なのだから。
「――今の魔法は?」
「炎球という真名を持つ火属性のコモン級魔法です。火種がない場所とかでよく使いますね」
真名。火属性。コモン級。
わからない単語がいくつか出てきたところで、ツバメは一つ一つ聞いてみた。
「真名っていうのは?」
「その魔法を発現させるときに唱える言霊、のようなものでしょうか? 魔法本来の姿をありのままに捉えた言の葉だったり、魔力を現世に映し出すための変換機だったり、色んな風に言われたりしてますが」
真名――つまり正真正銘その魔法の名前のことだろう。
一般的に魔法を発現させるために必要とされる呪文の詠唱だったり、魔方陣だったりするものを全部ひっくるめたものが真名、なのかもしれない。
「真名っていうのを唱えれば、誰でも魔法が使えたりするのか?」
「それは少し難しいかもしれませんね。真名を知っただけで魔法が使えちゃったりしたら、今頃この世は魔法使いだらけになってしまいます」
それはそうか。とツバメは納得する。
ということはこの世界に魔法を使うことのできる人――いわゆる魔法使いと呼ばれる存在は希少であることが伺える。
「魔法を使うのに必要なのは三つだと言われています。一つは魔力。一つは知識。もう一つは、想像力です」
魔力、知識、想像力。
ハルが言うには、それらを使いこなして始めて魔法への戸を叩くことができるということらしい。
ハルはその一つ一つを掻い摘んでわかりやすく説明してくれた。
まず、魔力。
これは魔法という概念には付き物であるかのようによく聞く言葉だ。
自らの身に眠る、魔法を使うために必要な燃料。
この魔力を真名を通して変換し、魔法をこの世に作り出す。
魔力も魔法を使うことで枯渇したり、休むことによって回復したりする代物らしい。
その辺は体力と同じようなものだろう。
そして、その魔力の総量は生まれつき決まっているものらしい。
つまり体力と違って、後から鍛えようと思っても鍛えることができない。
生まれた時から魔力の総量が0であれば、その者は一生魔法を行使することができない。
この辺が生まれ持った才能に直結する部分だろう。努力ではどうにもならない部分だ。
ちなみに、ツバメの魔力の総量をハルに聞いたところ、わからないと返ってきた。
人の持つ魔力量を調べるには、それなりに魔法の設備の整った場所で調べてもらう必要があるらしい。
「このあたりで調べるなら、マリアーナに行くのが早いでしょうか?」
「マリアーナ?」
ハルによると、そこは魔法都市と呼ばれる場所らしい。
魔法についての研究が盛んに行われ、数多くの研究者がいるとのことだ。
(この村が田舎ってだけで、それなりに栄えている場所もあるようだな)
まあその辺はおいおい聞いていくとしよう。
――次に、知識。
その魔法がどのような効果をもたらすか。どのような理を持って魔力から変換されるか。
そういった魔法が発現に至るためのロジックを如何に知っているか。これが知識だ。
つまり、ある問題に対して"答え"を知っているだけじゃ、その問題について理解したことにはならない。
その答えに至る"過程"をしっかり理解し、説明できるレベルになってこそ、それは自らの知識として蓄えられるといった感じだろう。
とはいえ、魔法の魔の字も知らないツバメにとって、魔法についてのロジックなど理解するのは相当努力が必要だろう。
――最後に想像力。
これが曲者だ。とハルは語った。
魔法における想像力について説明しようとしても上手い言葉が見つからないらしい。
だが経験者からすると、想像力とはつまり「イメージした世界をどれだけ現実に近づけられるか」とのこと。
――なるほど。わからん。
わからないけれど、なんとなく思ったのが想像力とは"センス"であるということだ。
ハルの説明を聞き終えて、ツバメの魔法に対する見方がかなり変わった。
(これは、僕が魔法を使えるようになるにはだいぶ時間がかかりそうだ――)
魔力の問題もさながら、この知識が厄介だ。
どうやってこの知識を得るか。これに尽きる。
ハルの使う炎球については本人から聞けそうなものだが、まずツバメに理解できるかどうかが怪しい。
その上で"想像力"という掴みどころのない要素まで絡んでくるとなると。
「――魔法って凄いんだね」
素直にそう思えてくる。
「ハルの魔法は誰かに教えてもらったの?」
「――私の魔法は、母に習ったんです。見よう見まねでやってたら、いつの間にかできるようになってて」
「お母さん、か」
ほんの少しだけ。母を語るハルの表情に陰りが差したのをツバメは見逃さなかった。
「――魔法について学びたいのであれば、良い本がありますよ」
「本?」
「私の母が書いた本です。魔法について調べたことや研究した内容が書いてあるんですよ。私も読んだんですけど、とってもわかりやすい本でした。よかったら読んでみてはどうですか?」
「い、いいの? それ、大事なものなんじゃ」
「構いませんよ。母も書いた本が棚の肥やしにされるより読んでもらった方が嬉しいと思いますから」
そう言ってハルは踵を返して家の方へ戻っていった。
――お母さん、か。
そう言えばハルはこの村で一人で暮らしていると言った。
では家族は、今はどうしているんだろうか?
そんな疑問がふと沸いたが、すぐに頭から振り払った。
直接ハルに聞くということもできるだろうが、流石に踏み込みすぎかもしれない。
異世界で唯一世話になってる人の地雷をいきなり踏み抜くわけにもいかない。
ツバメはそう思い、開きかけた口を噤んだ。