第十二話
魔王城へ来て一週間が過ぎた。
身の回りの世話は、相変わらずミーナがやっている。思うところは勿論大有りだけど、それでも、次第に慣れていった。何しろ友達のように接してくれる上にほぼ一日一緒なので、腹の内を含めたって距離は確かに縮まっている。
ヘビ、カマキリ、キツネ以外の攻略対象は、今のところ会っていない。魔王みたいな立ち位置の者が私のような魔族と会うことは無いだろうし、他の攻略対象も戦闘系ばかりだ。基本、魔王城にいないか、そうでなくとも用も無いのに会いにくることは無いだろう。機会が無ければ会うことも無いのだ。
それでは、会ったことのある三人はどうかというと。
まず、ヘビはあれ以来姿を見せていない。彼自身本当に気まぐれで、ただ時々、廊下を歩いている時に、どこからともなく楽器の演奏が聞こえてきた。聞いたのはピアノとバイオリンの音だけど、どちらも物凄く綺麗だった。でもその先に行けばヘビがいるのはゲームで身に滲みているので、遠くで聴くばかりだったけど。
カマキリには、どうしてもと言われて鱗をあげた。あげたら、そのまま「眼球も是非」とか言い出したので、ミーナに追い出して貰った。何故か知らないが、今度来るときに私の鱗について色々説明してくれるみたいだった。正直聞きたくもないので、多分また追い出してもらうことになるだろう。
レヴィラトは、一日一度は顔を見せるようにしているらしかった。やっぱり緊張が先立ってまだ自然に喋れないけれど、初めよりもまともに喋れるようになった。今は、魔族について色々教えて貰ったりしている。私が持っていた知識は、村で知った、偏見まみれの物だったから。
どうやら、大抵の混血は、普通人間側の血が優先されるらしい。そもそも人間と子を成せるのが人型の魔物くらいで、その上魔物と人間の混血は滅多に生まれないから、例自体少ないのだけど。それでも、生まれた子が魔力を持つことは有っても、魔族としての特徴を持ったりだとか、見た目がおかしいとかは滅多に無いらしかった。それでも私には確かに人間の血が混じっているらしい。カマキリに、カタレに確認してもらったとかで、それを聞いてアイツちゃんと仕事してるのか、と驚きもしたのだけど。
ちなみに、魔物と魔族に、意味として大した違いはないようだ。ただ否定的な意味合いで使う……例えば人間が使ったりするときは魔物と呼ばれることが多くて、魔族が使う時は魔族と呼ぶ場合が多い、らしかった。だから人型でなくとも魔族だし、逆に人間との混血で、見た目上人と何も変わらずとも、それでも魔物なのだ。けれどそれを言ったら、レヴィラトは少し可笑しそうに笑って、「竜と魔族の混血で、竜の姿でも、魔族ですからね」と言った。竜がいるのにも驚いたし魔物の括りに入っていないのにも驚いたけれど、後になって考えると、アレはひょっとすると人の姿に執着しなくても良いんだ、ということだったのかも知れない。確かに魔王城を歩いていると私みたいに鱗まみれなのでも目立たない。結構色んな姿なのがいるけれど、でもやっぱり攻略対象は攻略対象で、皆おかしなところと言えば髪や目の色くらいだ。それに元々人間だった身としては、例えそう努めたところで気になってしまうのだった。
ミーナとレヴィラトは、おかしな程距離を見せてくれない。レヴィラトが部屋に来るときに、ミーナが壁の傍に控えていることなんか良くあるのに。けれどレヴィラトは本当に侍従を扱うようにミーナを見ていて、だからそれが演技なのか、それとも本当にそうなのかが分からなくて困っている。まさかミーナやレヴィラトに直接聞くわけにもいかないし、だからこそ、期待が日に日に膨らんでいくのだけど。
そして期待が膨らめばこそ、ミーナとの距離も、縮まっていって。
縮まっていくからこそ、胸の内は、あまり穏やかでもなくなっていくのだ。
「すごい、綺麗になってきたねー」
ミーナが、私の髪を梳きながら、そう溢した。一週間でも、髪は劇的に変わっていた。綺麗に、艶やかに、前世の私が憧れるほど、今世の私が誇れるほどに。
けれどミーナにそう褒められると、少し胸が痛い。そしてそれと同時に、少しの優越が心に広がる。
「ありがと、ミーナの髪も綺麗だよね」
どう表したら良いか分からないけれど、だからそう、お伽噺の夜のような、綺麗な紫色。でもやっぱり自分の身は可愛いもので、そう言いながらもミーナの髪より綺麗な自信があるのだけど。それにまだ一週間、このまま頑張れば、もっと綺麗になる筈。
髪を梳き終わったミーナがお茶を淹れてくれて、大人しく飲んだ。一日目はああなってしまったけれど、張り合うと決めたら心が随分楽になる。そう、美味しい物は素直に楽しまなくては損だ。
実際、彼女の淹れてくれるお茶は、レヴィラトのそれよりも随分味が良かった。普通補正が掛かって逆に感じるだろうけれど、だから、初めて飲んだ時は複雑な気分だった。まぁ、ひょっとすると、味の好みの問題かもしれないし。
お茶を飲み終わって、今日の午前をどう過ごそうか考える。何しろ魔王城にいるだけで仕事も与えられず、そして世界が世界だけにすることも無く、私は暇を持て余していた。ミーナは基本的に傍にいるけれど、そもそもミーナ自体は誰かの専属メイドなわけでもなく、だから三日前には慌ただしく駆け回るメイド達の中にミーナの姿もあったりして、まぁつまり、四六時中一緒にいるわけではないのだ。カタレの計らいのおかげで私の世話をして、それで仕事が減っていると喜んでいる彼女は、午後になってしばらくすると一度下がって、それから夕食の時間でまた姿を見せ、就寝が近付くと姿を消す。朝は起きた時には既にいるので、ともすれば、彼女がレヴィラトと恋愛をする時間なんか無いのかも知れない。
いや、そんな話じゃなくて。ミーナは私が部屋から出掛けると、結構な確率で同僚に掴まるのだ。魔王城はイメージと違って慌ただしいのか、懇願する同僚に申し訳なさそうにするミーナに、私がゴーサインを出さないわけがない。例えミーナがそちらの手伝いをするよりこっちが楽だと考えていたとしても、まぁ、誘拐する側の目は次第に私の憐れみを誘おうとしてくるので、押し負けてしまうというわけ。
ミーナが仕事をしている間、広い上に複雑な作りの魔王城の中を一人で探険できるわけもなく、結局知ってる場所に落ち着く。つまり自室である。図書館も有ってワクワクしたりしたけれど、そもそも喋る言葉すら日本語じゃないのに、書かれた文字が日本語なわけなかった。勿論、あの村で文字を教えてもらえたわけもない。あるいは、ミーナが捕まった場所に留まるという選択肢もあるのだけど、その場合はしばらくすると自室にいるのと変わらない、つまり暇になるので、それならより落ち着けるここに戻ってくるわけで。
豪華なベッドを眺めて、たった一週間でこの上でも落ち着いて寝れるようになるんだから、慣れって怖いと思った。ちなみに自室自室言っているけど、勿論この部屋はただの来客用の部屋なので、ホテルに泊まっているような感覚である。何もすることがない状態で、ホテルに缶詰め。例え豪華な内装だったとしても、絶対に三日で音を上げる。
「今日はどうする?」
丁度ミーナが午前の予定を尋ねてきたので、私は取り合えず浮かんだ考えを言ってみた。
「ん、何か暇潰しできる物が欲しいかな」
「暇潰し?」
首を傾げるミーナに、部屋を指し示す。ここにはゲームも、漫画も、パソコンも無い。
「部屋にいても暇だし、外に行ってもやっぱり暇になるから、ん……本とか、読めたら良かったんだけど」
「あぁ、なるほど……んー、暇潰しかぁ……」
何でも良いのだ。碌に趣味も持ってこなかった私だから、やりたいことも特に浮かばないし、だからこそ贅沢は言ってられない。
「んー、そうだなー、…………あ、楽器とかは?」
ぽん、と手を打つミーナ。ぱぁっと顔が輝いているけれど、私は反対にうへぇと顔を顰めた。
「楽器って言ったら、あいつが出てくるじゃん……」
「あはは……まぁ、教えてもらうならセルルア様が一番だと思うけど」
ユリはホントにセルルア様が嫌いなんだね、とミーナに苦笑された。そりゃそうだ、第一印象が最悪なのだから。
「別にあいつが関わらないなら楽しそうだなって思うけど、私の部屋から楽器の音がしたら絶対来るから」
「絶対……」
これについては確証がある。自惚れとかではなく、単にゲーム内でもセルルアにそういう性質が有るからだ。例え演奏が下手でも、どんなに心が籠ってなくても、楽器の音が聞こえたらそこへ行ってじっくり聴くのだ。そして気が向いたら教え出し、或いは気に入ったら合奏しようと持ちかける。セルルアが楽器を弾いている姿は凄く良い、かっこいいし洗練されててファンじゃなくてもやられるのだけど、けれど教える方は多分ファンでも勘弁願う筈だ。ヒロインが楽器を教えてもらうイベントも勿論あるのだけど、教師セルルアは普段に比べて沸点が随分と低くなり、その上毒舌も三割増しだから、ヒロインもどんどんとモチベーションが下がっていた。そのクセ教えるの自体はとても上手で癪に障るし、更に納得するレベルになるまで絶対に止めてくれないから、ゲーム内で「三か月後」とかいきなり出た時にはセルルアに突っ込もうか制作サイドに突っ込もうか迷ったものだ。しかもヒロインも格段に上手くなってるし。
ともかくも、そういった理由から楽器は止めときたい。
「あはは……うん、確かに厳しいしメンドクサイけど、でも暇は絶対に無くなるし、それに楽器弾くのも、楽しくなるし上手くなるよ。これは私が請け負ってあげる」
「ミーナもセルルアに教えてもらったの?」
教わるのはセルルアのルートに入ってからの筈だし、それに一週間前にルート確定イベントが有ったばかりだ。例えセルルアルートに入ってなくても習えるのだとしても、それでは時間が足りなさすぎる。
驚いて尋ねると、ミーナはちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「うん。セルルア様が作ったルラっていう楽器が有るんだけどね、えっと……ユリ、ピアノは知ってる?」
失礼な、もちろん知っている。まぁこの世界では見たことないけど。でも面倒なのは嫌なので、取り合えず頷いておいた。ミーナもそれに頷きを返して言葉を続ける。
「ルラって、ピアノみたいな鍵盤の楽器でね、でもそれぞれの鍵の大きさも違うし、綺麗に一列になってないし、後ろの響板も物凄く高いし、だから気になっちゃって……仕事中、こっそり触ってみたら、ものすごく大きな音が出て」
「うわぁ……」
罠かよ。
っていうかルラって何だろう、ゲームにも出て来なかった。ゲームのセルルアは、設定上はどんな楽器も上手ってことだったけど、実際ピアノとバイオリンくらいしか弾いてる姿を見たことがない。自作の楽器とか、それはミーナでなくとも物凄く気になるだろう。全然想像できないし、ちょっと見てみたい。
「あはは、もうびっくりして固まっちゃってたら、セルルア様が飛んできて、それで、何でか知らないけどそのままセルルア様の演奏会になっちゃってね」
物凄く想像できる。多分、呆然と立ち尽くすミーナの目の前でルラを完璧に弾きこなしたのだろうな。あぁムカつく。
「セルルア様が弾いたら音も丁度良いし綺麗だし、それで気になって弾き方を聞いちゃって……それで、そのまま丸々三年、ルラを弾きこなす為にこの仕事も休まされたってわけ」
「それは災難だったね。 ………………って三年!?」
そんなさらりと言える期間じゃないでしょ!?
一拍遅れて驚いた私に、ミーナは苦笑いを浮かべるだけ。え、いや、ホントなの? ゲームでの三ヵ月って、あれでも少ない方なの!?
い、や……ピアノとかメジャーな楽器じゃない分手間取ったのかな? けれどそれにしたって、いや、三年間も習うって……そんな時間をルラの習得に費やせるって、暇潰しってレベルじゃない。
「よく我慢できたね……」
「ううん、最初の一週間でもう止めるって逃げ出そうとしたけど、セルルア様が全然諦めてくれなくて」
脅されて仕方なく、とミーナは苦笑した。いや、脅されるとかダメだから。そんなものを私に勧めたのかアンタは。
「でも、確かに楽しくなったよ? まぁ、最後の一カ月くらいからだったけど」
「……え、じゃあ三年間ほとんど全部、辛いままだったってこと?」
「そりゃ……だって、凄く厳しいし、関係無い悪口言われるし、食事してても寝ててもルラの音が頭の中で鳴ってるし………」
「そんなの私に勧めないでよ……」
ドン引きで言うと、けれどミーナは一転晴れやかに笑って、「でもやっぱり、楽しくなると違うよ」と言う。
「もう三十年も前の話だけど、未だに弾かせてもらってるし」
「そんなもんなのかな……」
私には拷問にしか聞こえない。そして楽しくなったというのも、最早洗脳の一種にしか思えないので、楽器に魅力を感じることは無かった。けれどまぁ、その趣味が三十年も続いているのなら、合う人にはきっと合うの……ん?
「ごめんミーナ、今なんて言った? 三年前だっけ?」
「いや、だから三十年前だよ」
「………………」
「…………あ、もしかして私の年? あれ、レヴィラト様から魔族は長寿って教わらなかった?」
魔族は長寿……知識としては、そりゃもう前世から持っている。何しろ父親からの代替わりを終えたばかりの魔王でさえ、百を越えていた筈だから。ただ知っていたところで実感することなど出来はしない。だって私、今16歳で前世と同い年だけど、特に時間をゆっくりに感じることも無かったし、ましてや年をゆっくり取っていた何てこともない。混血だから見た目はともかく、寿命は人間と同じなのか……或いは、私がまだ小さいのは、魔族としての年齢がこれからだからだろうか? そうだとこれからが楽しみだけど。
いやともかく、知識として持っていたからと言って、ミーナが、つまりヒロインが三十歳以上だと誰が考えるだろうか。口調だって私と似たような物だし。
「んー、セルルア様はもう500年越えてる筈だし、私だって70歳の誕生日迎えたからね。 ……そういえば、ユリはまだ16年しか生きてないんだっけ」
16年、物凄く長かったけどね。それとミーナ、大きくサバ読むな。あんた魔王よりも年上って設定だっただろ。少なくとも百より上だろ。
ってか、そうじゃなくて。
「もう、年とか良いから、暇潰し考えようよ」
「あぁ、そう言えば」
ミーナは一度考え込もうとしてから、すぐに顔を上げる。
「あ、芸術繋がりで絵とかは?」
「絵か……」
絵も良いかも知れない。前世は壊滅的な腕だったけれど、でも物凄く暇なのだし、継続は力なりとも言うし。
「良いかも」
「分かった、じゃあ準備するね」
取り合えず描いてみよう。向いてようが向いてなかろうが、暇潰しにはなるのだから。
「…………っあぁもう! これもダメ!!」
ぐしゃぐしゃと紙を丸める。
ミーナは苦笑しながらも、新しい紙を机の上に置いてくれた。
もう一度頭の中で何を描こうか考え始める。風景とか私には無理だった。あんなごちゃごちゃしてる物、描けるはずがない。初めは部屋の中の物を描こうとしたのだけど、これがびっくりする程つまらない上に、碌に描けやしなくて、諦めて外の景色を描こうとした結果がこれだった。勿論人物画には手を出す気は無い。
「うう……」
やっぱり向いてない。生まれ変わったからと言って、下手な絵の腕前が上がってくれるわけではないみたいだ。
早くも諦めムードの私の横で、ミーナがソファに腰を下ろしてさらさらと描き始める。どうやらミーナには絵心が有るようで、絵を描き始める時にもお手本のようにさらさらと描いてくれたものだから、案外簡単そうだと勘違いしてしまったのだ。全く、ソファに座ってないで、働けメイド。
あっという間に不貞腐れる私の横顔を描いたミーナは、別の紙にまたさらさらと描き始めた。
迷いなく線を滑らせていく物だから、思わず見惚れてしまう。描かれる私は気恥ずかしいほど可愛くて、今度はどうにも笑っているよう。
やがて描き終えた絵は、さっきと同じような構図で、今度は楽しそうに絵を描く私が描かれていた。
あっという間に描かれた二枚の絵を、ミーナははにかみながらそっと手で触れる。
「続けてたら、その内上手く、楽しくなるよ」
………………。
……あぁ。
「…………ん、もう良い」
「え?」
口から出たのは、ありがとうとか、そういう言葉じゃなかった。
何となく。
何となく、もう、絵を描くのは良いと思えた。私の領域じゃないような気がする。もやもやしている胸の奥だったけど、それでも、そのもやもやから「もう良い」と聞こえるのだから。
「絵は、もう良い」
ミーナは目を丸くして、「でも」と続けようとする。
「っ良いの、片付けてよ」
口調も荒く、そう言ってしまう。そうじゃない、こんなこと言いたいんじゃないのに。
動きを止めてしまっていたミーナは、小さく眉を下げる。申し訳無さそうな表情。
「あ、いや……ごめん」
自分が身勝手すぎて、力無く謝った。とてもバツの悪い思いがする。
けれどミーナの方も「すみません」と謝ってきてしまって、すぐに片付けに入ってしまう物だから。
胸の奥のもやもやが良心を刺激して、気分が滅入ってしまった。
画材を持ってミーナが出て行って、私はテーブルを離れ、ベッドに背中から倒れ込んだ。
「……はぁ」
溜め息を吐いて、天蓋を見つめる。
何してるんだろう、私。
まぁ、何となく分かるけど。大方、ミーナに劣等感を抱いたのだろう。いつものように。
片付けに向かったミーナを思って、ドアを見つめる。
正直、この一週間彼女と過ごしていて、彼女の粗探しばかりしている自分がいた。
悪いところ、妙なところばかり探している自分が。
けれど、見つからないのだ。
年ばかりは私の方が勝っているけれど。
それでも、その年だって、ミーナの方がレヴィラトに釣り合っていると言えばそう。
……自分で自分の考えに溜め息を吐く。諦めないでどうにかなる物でもないけど、諦めて未来が有るものでは決してないだろう。
それでも、ここまで劣等を感じてばかりだと、やっぱり気分は下がる一方だ。比べる度、欠点を探す度、自分の出来の悪さを思い知らされるのだから。
どうして、私があの子じゃないんだろう。
私があの子だったら。
「……馬鹿みたい」
自分の考えに嫌気が差して、そう呟いたけれど。
どちらが本心かなんて、明白だった。




