第1話 俺だけの王国
引いたキャラクターは、限界まで育てたい。
スマートフォンゲームを始めると、俺はいつもそうなる。
目当てのキャラクターを手に入れて終わりではない。レベルを上げ、装備をそろえ、能力を解放し、その性能を最大限に発揮できる編成を組む。
素材が足りなければ周回する。効率のいい入手先を調べ、必要な数を計算し、使える時間をすべてつぎ込む。
そこまでして初めて、手に入れたと言えるのだ。
もちろん、ガチャも好きだった。
何が出るか分からない瞬間の高揚感。画面を覆う派手な演出。低い確率を抜けて目当てを引き当てたときの、あの万能感。
ただし、俺は無計画に回しているわけではない。
確率を確認し、必要な資源を計算し、引くべき場面を見極めている。欲しいものを確実に手に入れるための、極めて合理的な行動だ。
……毎回、予定どおりに終われるかは別として。
だから今も、大学の講義を聞き流しながら、頭の中では開催中の限定ガチャについて考えていた。
「あと20連。いや、交換まで考えるなら……」
俺――白瀬朝斗は、ノートの隅へ必要な石の数を書き出した。
黒板では教授が何かを説明している。
教室には同じ講義を受けている成人学生が何十人もいるが、真面目に聞いている者は半分ほどだ。居眠りしている者もいれば、机の下でスマートフォンを触っている者もいる。
俺も人のことはいえない。
ただし、これは遊びではない。
限られた資源から最大の成果を得るための、とても合理的な計画である。
……講義中に考える必要があるかは別として。
「帰ったら、もう一度だけ――」
そこまで呟いたところで、教室の照明が消えた。
「停電?」
誰かが顔を上げる。
直後、机の下から青白い光があふれ出した。
床に刻まれた無数の線が、巨大な円を描いている。見たことのない文字と複雑な模様が幾重にも重なり、教室全体を包み込んでいた。
「何、これ!」
「撮影か?」
「出口へ! 早く!」
一斉に椅子が鳴った。
学生たちが立ち上がり、出入口へ殺到しようとする。
俺も逃げなければと思った。
だが、身体が動かない。
何が起きている。どうして床が光っている。逃げるならどこへ。そんな考えばかりが頭を駆け巡り、最初の一歩が出なかった。
危険な状況に遭遇した人間は、戦うか逃げるかを選ぶらしい。
俺の場合、硬直するという第三の選択肢が追加されるようだ。
床から噴き上がった光が視界を埋め尽くす。
「ちょ、待っ――」
何を待ってほしかったのか、自分でも分からない。
次の瞬間、教室も、教授も、ノートに書いたガチャ計画も、すべて光の中へ消えた。
◇
「痛っ……」
背中に硬い感触があった。
目を開けると、見知らぬ青空が広がっている。
身体を起こす。
下にあるのは教室の床ではない。小石の混じった地面だ。周囲には背の高い草が生え、その向こうには深い森が広がっている。
見上げるほど巨大な木々。
遠い空を横切る、妙に大きな鳥の影。
どこを見ても、大学の敷地には見えなかった。
「どこだよ、ここ……」
「圏外なんだけど!」
「先生、どうなってるんですか!」
「全員いるのか? まず人数を確認しろ!」
周囲では、同じ教室にいた学生たちが混乱していた。教授の姿もある。
集団で何かの撮影場所へ運ばれた、という可能性はない。そんな時間はなかったし、さっきの光も説明できない。
俺もスマートフォンを取り出した。
電波はない。
時刻表示まで止まっている。
「まさか……異世界転移?」
口にしてから、少し恥ずかしくなる。
発想があまりにもそれらしい。
しかし、光る床。消えた教室。見知らぬ草原と森。
ほかに何と説明すればいい。
そのとき、目の前に半透明の文字が浮かんだ。
『異世界への転移が完了しました』
「うわっ!」
反射的に手で払う。
指は文字をすり抜けた。
周囲からも驚きの声が上がっている。どうやら全員の前に、同じような表示が現れているらしい。
『転移者へ固有スキルを付与します』
固有スキル。
その言葉に、俺の心がわずかに反応した。
異世界。
固有スキル。
自分だけに与えられる特別な力。
正直にいえば、かなり好きな響きだ。
もちろん、こんな状況で喜んでいる場合ではない。ここがどこなのかも、何がいるのかも分からない。
だからこそ、与えられる力の性能は正確に把握する必要がある。
使えるものは、すべて使う。
光の粒が集まり、俺の前で新しい文字を形作った。
『固有スキル《淫獄の王》Lv.1を取得しました』
「…………」
俺は黙って表示を見つめた。
読み間違いかもしれない。
一度目を閉じ、ゆっくり開く。
『固有スキル《淫獄の王》Lv.1』
間違いではなかった。
「淫獄の王……?」
声に出すと、字面のひどさが増した。
王。
そこだけなら格好いい。大勢を率い、自分だけの領域を支配する者。特別な固有スキルとして不足はない。
だが、その前についている二文字がすべてを台無しにしていた。
なぜ淫獄なのか。
魔王でも冥王でも覇王でも、もっと人前で名乗りやすいものがあったはずだ。
「よりによって、これかよ……」
誰かに固有スキルを聞かれたら、どう答えればいい。
《剣聖》です。
《治癒術師》です。
《淫獄の王》です。
最後だけ別の施設へ連れていかれそうな響きがある。
周囲からは「強化」や「鑑定」といった言葉が聞こえてくる。詳しい効果は分からないが、少なくとも俺のものより社会的な信用はありそうだった。
頭を抱えたくなる。
だが、《淫獄の王》という文字へ意識を向けると、説明というより感覚に近い情報が流れ込んできた。
独立異空間――《淫獄》。外界から切り離された、俺だけの領域。
俺はその空間の王であり、内部では強い権限を持つ。
「名前は最悪だけど……能力は当たりなんじゃないか?」
誰にも聞こえないよう、小声で呟く。
独立異空間。
外部から隔離された、自分だけの領域。
避難場所として使える。物資を置けるなら倉庫にもなる。広げられるなら生活拠点になるし、機能を増やせるなら、それ以上の何かにもなる。
どこまで成長するのか。
何をすれば機能が解放されるのか。
そう考えた瞬間、恥ずかしさより興味が勝った。
周囲の学生たちは、これからどうするかを話し合い始めている。
だが、ここが安全なのかどうかすら分からない。危険が迫ってから、能力の使い方が分かりませんでは遅い。
先に試しておくべきだ。
俺は《淫獄》へ入ることを意識した。
次の瞬間、足元の感触が消えた。
◇
「お、おお……」
見知らぬ空間に立っていた。
灰色の床。
灰色の壁。
窓はなく、家具もない。
食料も水も見当たらない。
広さは大学の教室より少し狭い程度だ。王の領域と呼ぶには、かなり物足りなかった。
「城とはいわないけど、もう少し何かあると思ったんだけどな」
返事はない。
声がわずかに響くだけだ。
初期状態なのだから、こんなものかもしれない。
ゲームでも最初からすべての機能が解放されていることは少ない。条件を満たし、素材を集め、少しずつ使えるものを増やしていく。
何もないのなら、これから育てればいい。
そう考えると、灰色の壁さえ可能性の塊に見えてきた。
ここは狭い。
暗い。
生活に必要なものもない。
それでも、不思議と不安はなかった。
この空間に俺を害するものはいない。
どこまでが自分の領域なのか。室内のどこに何があるのか。目で確認しなくても、手足の位置を知るように理解できる。
そして、ここでは俺の意思が何よりも強い。
理屈ではなく確信できた。
「少し明るくできるか?」
そう望むと、空間を満たしていた薄闇が和らいだ。
光源は見当たらない。それでも室内全体が、目に優しい明るさへ変わっている。
「本当に言うことを聞いた……」
胸の奥が熱くなる。
偶然ではない。
俺が望み、《淫獄》が応えた。
この領域は俺の意思で動く。
「やっぱり、俺がコントロールできるんだ」
今は明るさを変えられるだけかもしれない。
だが、レベルはまだ一だ。条件を満たして成長すれば、部屋の拡張や設備の追加もできるようになる可能性がある。
寝床。収納。食料庫。作業場。外敵が入れないのなら、防衛拠点としても申し分ない。
この領域を限界まで成長させれば、異世界でも圧倒的に有利になる。
「ここを育てれば、勝てるんじゃないか?」
本気でそう思った。
わざわざ命懸けで魔物と戦う必要はない。まず自分だけの安全な領域を強くし、使える機能を増やす。
戦う必要が生まれたとしても、それから手段を用意すればいい。
俺は灰色の室内を見回した。
生活空間と倉庫は分けたい。出入口の近くには一時保管場所が必要だ。部屋を増やせるなら、用途ごとに区切ったほうがいい。
できれば趣味の部屋も欲しい。
もちろん、鍵つきで。
夢が広がる。
俺が将来の王国について考えていると、腹が鳴った。
「…………」
そういえば、転移したのは昼食前だった。
ポケットを探る。
スマートフォン。財布。学生証。自宅の鍵。
食べ物は、講義前に買った小さな菓子が一つだけ。
飲み物はない。
改めて室内を見る。
灰色の床。
灰色の壁。
家具なし。
食料なし。
水なし。
「……何もないんだった」
安全なだけでは腹は満たせない。
このまま何もしなければ、敵に襲われる心配はない代わりに、数日後には飢える。
どれほど将来性があっても、初期資源がゼロでは始まらない。
「まずは食料と水だな」
必要最低限の物資を確保する。
そのあとで、この領域の機能と成長条件を調べる。
俺はそう決め、《淫獄》の外へ戻った。
あとがき
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