第68話 獣王グラヴ
王都を出て二日。
ハヤトたちは再び北方の荒野へ足を踏み入れていた。
目的地はかつてグラヴと戦った北の断崖。
あの時と同じ乾いた風が吹いている。
ハヤト:「懐かしいな。」
ガルデ:「俺はあんまり懐かしくねぇ。」
ハヤト:「そう?」
ガルデ:「ボコボコにされた場所だぞ。」
ハヤト:「それ言ったら俺もだよ。」
ヴェルミナ:「あなた、ボコボコにされた場所多くない?」
ハヤト:「仕方ないだろ。」
ハヤト:「強い奴ばっかりだったんだから。」
フローネ:「今だから笑って言えることですね。」
ハヤト:「あの頃は必死だった。」
ヴェルミナ:「今もでしょう。」
ハヤト:「今は多少余裕ある。」
フローネ:「本当でしょうか。」
ハヤト:「信用ないなぁ。」
ガルデはそんな三人の会話を聞きながら黙って歩いていた。
ハヤトはガルデを見る。
ハヤト:「緊張してる?」
ガルデ:「してねぇ。」
ハヤト:「そう?」
ガルデ:「してねぇ。」
ヴェルミナ:「してるわね。」
ガルデ:「お前は黙ってろ。」
ヴェルミナ:「分かりやすいのよ。」
ガルデ:「うるせぇ。」
フローネ:「仕方ありません。」
フローネ:「実の兄と再び会うのですから。」
ガルデ:「……。」
ハヤト:「別に。」
ハヤト:「何言うか決まってなくてもいいんじゃない?」
ガルデ:「昨日も聞いた。」
ハヤト:「じゃあ忘れるな。」
ガルデ:「お前。」
ガルデ:「たまに腹立つな。」
ハヤト:「たまに?」
ヴェルミナ:「いつもじゃない?」
ハヤト:「お前はどっちの味方なの?」
ヴェルミナ:「ハヤトの味方よ♡」
ハヤト:「……。」
ヴェルミナ:「あら?」
ハヤト:「急にそういうこと言うな!」
ヴェルミナ:「どういうこと?」
ハヤト:「分かってるだろ!」
ガルデ:「お前ら緊張感ねぇな。」
だがガルデの表情からほんの少しだけ力が抜けていた。
◆◇◆
北の断崖。
そこにはすでに一人の男が立っていた。
巨大な身体、獣人特有の鋭い爪。
背中には巨大な戦斧。
獣王グラヴ。
ガルデの足が止まる。
グラヴもこちらを見る。
グラヴ:「来たか。」
ハヤト:「久しぶり。」
グラヴ:「勇者。」
そしてグラヴの視線がガルデへ向く。
グラヴ:「ガルデ。」
ガルデ:「兄貴。」
短い言葉だった。
それだけで空気が変わった。
ヴェルミナ:「久しぶりね。」
グラヴ:「ヴェルミナ。」
ヴェルミナ:「元気そうじゃない。」
グラヴ:「お前もな。」
グラヴはヴェルミナとハヤトを交互に見る。
そして少しだけ口元を上げた。
グラヴ:「随分。」
グラヴ:「勇者と仲良くなったらしいな。」
ヴェルミナ:「……。」
ハヤト:「そう?」
ヴェルミナ:「あなたは黙ってなさい。」
ハヤト:「なんで!?」
グラヴ:「ははははは!」
大声で笑う。
グラヴ:「お前がそんな顔をするとはな。」
ヴェルミナ:「何よ。」
グラヴ:「昔なら。」
グラヴ:「男など面倒なだけだと言っていた。」
ハヤト:「そうなの?」
ヴェルミナ:「だから黙ってなさい!」
ハヤト:「気になるじゃん!」
フローネ:「……。」
ハヤト:「フローネ?」
フローネ:「何でもありません。」
ハヤト:「また?」
ヴェルミナ:「気にしない方がいいわよ。」
フローネ:「あなたに言われたくありません。」
グラヴ:「変わったな。」
ヴェルミナ:「お互い様でしょう。」
グラヴ:「俺は何も変わっていない。」
ヴェルミナの表情が変わる。
ヴェルミナ:「そう。」
ヴェルミナ:「それが問題なのよ。」
笑いが消えた。
◆◇◆
ハヤトはグラヴの前へ出た。
ハヤト:「単刀直入に言う。」
グラヴ:「言ってみろ。」
ハヤト:「魔王と話したい。」
グラヴ:「知っている。」
ハヤト:「バルガスから?」
グラヴ:「あいつが連絡などすると思うか?」
ハヤト:「思わない。」
グラヴ:「魔王軍にも情報網くらいある。」
ハヤト:「よかった。」
グラヴ:「何がだ。」
ハヤト:「ちゃんと組織だったんだなって。」
グラヴ:「お前は魔王軍を何だと思っている。」
ヴェルミナ:「私も前に同じこと聞いた気がするわ。」
ハヤト:「みんな言うな。」
グラヴは腕を組む。
グラヴ:「和平を求めているらしいな。」
ハヤト:「うん。」
グラヴ:「無駄だ。」
ハヤト:「早いな。」
グラヴ:「何が変わった?」
ハヤト:「何が?」
グラヴ:「世界樹を救った。」
グラヴ:「黒きものを消した。」
グラヴ:「人間と魔族の結界も消えた。」
グラヴ:「それで?」
ハヤトは黙る。
グラヴ:「戦争は終わったか?」
ハヤト:「まだ。」
グラヴ:「人間は魔族を憎まなくなったか?」
ハヤト:「なってない。」
グラヴ:「魔族は人間を信用したか?」
ハヤト:「してないと思う。」
グラヴ:「なら。」
グラヴ:「何も変わっていない。」
誰もすぐには言い返せなかった。
グラヴ:「俺が魔王軍へ入った理由。」
グラヴ:「覚えているか。」
ハヤト:「世界が腐ってるから。」
グラヴ:「そうだ。」
グラヴ:「弱い者が上に立つ。」
グラヴ:「力ある者を恐れ。」
グラヴ:「正しい者を潰す。」
グラヴ:「人間も。」
グラヴ:「獣人も。」
グラヴ:「魔族も。」
グラヴ:「何も変わらん。」
ガルデ:「兄貴。」
グラヴ:「世界樹の真実を知った程度で。」
グラヴ:「千年の憎しみが消えると思ったか?」
ハヤト:「思ってない。」
グラヴの目が僅かに動く。
グラヴ:「ほう。」
ハヤト:「俺も最初は。」
ハヤト:「世界樹直したら。」
ハヤト:「なんか全部うまくいくのかなって思ってた。」
セレナがいればきっと馬鹿と言われただろう。
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「全然だった。」
ハヤト:「王都に戻ったら。」
ハヤト:「魔族が攻めてくる前に攻めようって奴もいた。」
グラヴ:「当然だ。」
ハヤト:「国境でも揉めてた。」
グラヴ:「それが現実だ。」
ハヤト:「うん。」
グラヴ:「ならば。」
グラヴ:「なぜ和平を望む?」
ハヤトは少し考える。
ハヤト:「一緒に飯食えたから。」
グラヴ:「……何?」
ガルデ:「おい。」
フローネ:「勇者様。」
ヴェルミナ:「その話するの?」
ハヤト:「だって本当だろ。」
ハヤトは続ける。
ハヤト:「最初は。」
ハヤト:「人間も魔族も。」
ハヤト:「武器持って睨み合ってた。」
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「飯食って。」
ハヤト:「話して。」
ハヤト:「最後まで誰も斬らなかった。」
グラヴ:「たった一つの村の話だ。」
ハヤト:「そう。」
グラヴ:「世界では。」
グラヴ:「今も殺し合っている。」
ハヤト:「そうだな。」
グラヴ:「なら。」
ハヤト:「でも。」
ハヤトはグラヴを見る。
ハヤト:「一つできた。」
グラヴ:「……。」
ハヤト:「一個できたなら。」
ハヤト:「二個目もできるかもしれない。」
ハヤト:「三個目も。」
ハヤト:「十個目も。」
グラヴ:「随分簡単に言う。」
ハヤト:「簡単じゃないよ。」
グラヴ:「ならば何年かかる?」
ハヤト:「知らん。」
グラヴ:「何人死ぬ?」
ハヤト:「分からん。」
グラヴ:「失敗したら?」
ハヤト:「またやる。」
グラヴ:「また?」
ハヤト:「失敗したところ直して。」
ハヤト:「もう一回。」
グラヴは黙った。
ハヤト:「導師も。」
ハヤト:「お前と似たようなこと考えてた。」
グラヴの表情が変わる。
グラヴ:「あの男と一緒にするな。」
ハヤト:「一緒じゃない。」
ハヤト:「でも。」
ハヤト:「今の世界が駄目だから。」
ハヤト:「壊して作り直そうってところは似てる。」
グラヴ:「……。」
ハヤト:「導師も間違えた。」
ハヤト:「全部やり直すんじゃなくて。」
ハヤト:「今ある世界を。」
ハヤト:「面倒でも直した方がいい。」
グラヴ:「理想論だ。」
ハヤト:「そうかも。」
グラヴ:「そんな言葉で世界は変わらん。」
ハヤト:「じゃあ。」
ハヤト:「行動する。」
グラヴ:「何?」
ハヤト:「今やってる。」
ハヤト:「バルガスと話した。」
ハヤト:「今。」
ハヤト:「お前と話してる。」
ハヤト:「次はゼルド。」
ハヤト:「それから魔王。」
グラヴ:「……。」
ハヤト:「一個ずつ。」
ハヤト:「やれるところから。」
ハヤト:「それじゃ駄目?」
グラヴは答えなかった。
◆◇◆
代わりにグラヴは戦斧を地面へ突き立てた。
ドォン!!
岩盤に大きな亀裂が走る。
ハヤト:「うおっ。」
グラヴ:「言葉は分かった。」
ハヤト:「じゃあ。」
グラヴ:「だが。」
グラヴの視線がガルデへ向く。
グラヴ:「お前はどうだ。」
ガルデ:「俺?」
グラヴ:「勇者の後ろで。」
グラヴ:「黙っているだけか。」
ガルデの眉が動く。
グラヴ:「昔から。」
グラヴ:「お前はそうだった。」
グラヴ:「誰かの後ろを追う。」
グラヴ:「俺の背中。」
グラヴ:「獣王の背中。」
グラヴ:「今度は勇者か。」
ガルデ:「……。」
ハヤト:「グラヴ。」
ガルデ:「ハヤト。」
ハヤト:「ん?」
ガルデ:「黙ってろ。」
ハヤトはガルデを見る。
ガルデ:「これは。」
ガルデ:「俺と兄貴の話だ。」
ハヤト:「……。」
ハヤトは一歩下がった。
ハヤト:「分かった。」
ガルデはゆっくりと戦斧を背中から下ろす。
ガルデ:「兄貴。」
グラヴ:「何だ。」
ガルデ:「ずっと聞きたかった。」
グラヴ:「聞け。」
ガルデ:「俺たちじゃ。」
ガルデ:「足りなかったのか?」
グラヴ:「何?」
ガルデ:「獣王国。」
ガルデ:「仲間。」
ガルデ:「家族。」
ガルデ:「俺。」
ガルデ:「全部捨てて。」
ガルデ:「世界を壊す方が。」
ガルデ:「大事だったのか?」
グラヴは何も言わなかった。
ガルデ:「答えろよ。」
グラヴ:「……。」
ガルデ:「兄貴!」
グラヴ:「違う。」
それは小さな声だった。
ガルデ:「何が。」
グラヴ:「大事ではなかったから捨てたのではない。」
ガルデ:「じゃあ。」
グラヴ:「大事だったからだ。」
ガルデの表情が止まる。
グラヴ:「だから。」
グラヴ:「嫌になった。」
ガルデ:「……。」
グラヴ:「正しい奴が潰される。」
グラヴ:「優しい奴が死ぬ。」
グラヴ:「何かを守ろうとする奴ほど。」
グラヴ:「最後には損をする。」
グラヴ:「そんな世界で。」
グラヴ:「お前たちが生きるのを見たくなかった。」
ガルデ:「だから壊す?」
グラヴ:「そうだ。」
ガルデ:「勝手だな。」
グラヴ:「ああ。」
ガルデ:「一人で全部決めて。」
グラヴ:「ああ。」
ガルデ:「俺たちが。」
ガルデ:「何を望んでるかも聞かないで。」
グラヴ:「……。」
ガルデ:「兄貴。」
ガルデは戦斧を構える。
ガルデ:「俺は。」
ガルデ:「そんな世界でも。」
ガルデ:「生きたい。」
グラヴ:「……。」
ガルデ:「嫌なこともある。」
ガルデ:「腐った奴もいる。」
ガルデ:「腹立つこともある。」
ガルデ:「でも。」
ガルデ:「勝手に壊すな。」
グラヴの目が僅かに見開かれた。
ガルデ:「俺の生きる世界を。」
ガルデ:「兄貴が勝手に諦めんな!」
風が吹く。
グラヴはしばらくガルデを見つめていた。
やがてゆっくりと地面へ突き立てた戦斧を引き抜く。
グラヴ:「なら。」
グラヴ:「証明しろ。」
ガルデ:「何を?」
グラヴ:「昔と同じだ。」
グラヴ:「言葉だけでは。」
グラヴ:「俺には届かん。」
ガルデ:「……。」
グラヴは戦斧を構える。
だがその視線はハヤトではない。
ガルデだけを見ていた。
グラヴ:「来い。」
ガルデ:「……。」
ガルデは笑った。
ガルデ:「結局。」
ガルデ:「こうなるのかよ。」
グラヴ:「俺たちは獣人だ。」
ガルデ:「関係ねぇだろ。」
グラヴ:「俺とお前にはある。」
ガルデ:「馬鹿兄貴。」
グラヴ:「来い。」
ガルデ:「言われなくても!」
兄と妹。
二人の戦斧が同時に持ち上がる。
今度の戦いは敵を倒すためではない。
何年も言えなかった言葉を、最後まで互いへ届けるための戦いだった。




