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第五話(二)

 会話の話題は次々と移り変わる。

 学校内での出来事、休日の過ごし方、好きな画材道具などなど。

 モップ掛けも終わり、いつものようにレジカウンターに座った時、香宮さんが質問をしてきた。


「高瀬くんって、憧れてる人っている?」


 憧れている人……。それってあれか?好きな人っていう意味だろうか……。え、もしかしてこれって恋愛相談?え、僕、香宮さんに恋愛相談されそうになってる?

 そんな僕に脳内のもう一人の僕が「落ち着け!」と叱咤してくる。


 ……ごめん、落ち着けそうにないわ!


 だって、気になっている女の子の憧れの人がわかるかもしれないんだぞ?知りたいような、知りたくないような……。

 内心で慌てまくっている僕のことなど露知らず。香宮さんがのんびりと言う。


「こんな絵が描けるなんて凄いなぁって思う絵描きさんがいたら、是非とも教えてほしいな!」

「……え、あ、そっち?」

「そっちって?」

「いや、何でもないよ」


 小首を傾げた香宮さんに僕はぶんぶんと手を振った。


 ……なんだ、そういうことか。


 僕はほっと胸を撫で下ろした。

 香宮さんは、僕の推しの絵描きさんについて知りたいだけだった。恋愛相談?そんなものはなかったよ、もう一人の僕。

 平静を取り戻した僕はスマホを取り出してイラストの投稿サイトを開く。

 どうやら香宮さんもこのサイトをよく見ているらしく、


「あ、この人知ってる!上手いよね。羨ましい……」


 と僕に同感したり、


「何でこんな素晴らしい絵を描く人を知らなかったんだ自分は!」


 と叫んだりして忙しなかった。

 ころころと表情を変える香宮さんを見て、僕は苦笑してしまった。

 そんな僕に対して、膨れっ面をした香宮さんはいつにも増して子どもっぽかった。


「それじゃあ、今度はわたしの憧れの人を紹介しましょう!」


 今度は自分の番だと言わんばかりに、香宮さんがスマホの画面を見せてきた。

 向けられたそれを覗き込む。

 次の瞬間、僕は仰天した。


 ……いやいやいやちょっと待て。まさか、こんなことがあり得るのか?


 落ち着け。落ち着くんだ自分。

 一度目を閉じて、一つ深呼吸をする。そして、もう一度画面を見つめた。

 だが、現実は何も変わっていなかった。


「わたし、この絵描きさんが好きなんだー」


 香宮さんが何やら言っているが頭に入って来ない。いや、頭に入って来てはいるけど、ごめん、ちょっと時間が欲しい。

 僕の願い虚しく、追撃するかのように香宮さんが訊いてくる。


「高瀬くんはこの絵描きさん知ってる?」

「……うん、知ってるよ」


 ああ、よぉーく知っていますとも。

 画面に映し出されていたのは、お世話になっている投稿サイトのページ。

 そこには見慣れた絵が並んでいる。


 表示されているユーザー名は『鳴』――それは、僕のプロフィールページだった。


 ……おいおいおい、嘘だろ!


 叫ばなかった僕を誰か褒めて欲しい。

 いやだって、数多ある中からピンポイントで自分のプロフィールページを見せられたんだぞ!動揺するに決まっているだろっ!


「この色使いが大好きなんだよー」


 内心冷や汗だらけの僕のことなど露知らず。香宮さんは止まらない。

 頰を紅潮させて、瞳を輝かせて。鳴の絵の何処が好きなのかを僕に一生懸命伝えてくる。

 こうやって自分の好きなことに夢中になっている姿は可愛らしいと思う。可愛らしいのだけど……。

 うんうんそうだねと棒読みで相槌を打っていたら、不意に香宮さんが黙り込んだ。

 そうかと思えば、僕の顔をじいっと覗き込んでくる。


「高瀬くんって、もしかして……」


 こちらを見透かすような瞳を向けられ、視線が動かせない。


 ……バレたか?


 ごくり、と僕は息を呑んだ。

 香宮さんが口を開く。ぷっくりとした唇が動くその様がやけにゆっくりに感じて――


「……もしかして、鳴さんのファンだったり?」

「……はい?」

「やっぱり!」


 いや、今のは肯定の意味の「はい」ではなくてだね。

 そう突っ込みたかったものの、香宮さんが興奮したように喋り出したためそれは不発に終わった。


「高瀬くんと鳴さんの絵って、何処となく似ているような気がして!もしかしたら、高瀬くんも鳴さんのこと知っていて、影響受けていたりするのかなって思いまして。あっ、パクりとかそういうことを言っているんじゃなくてですね!」


 慌てて香宮さんが手を振る。

 まあ、誰々さんに似ていると言われて憤慨する人も多いからなぁ……でも、似ているも何も、本人だし。

 なんて、言えるはずもなく。

 ああもうそういうことにしておいてください。

 半ば投げやりになりながら、「うんそうだよ」と答える。これまた棒読みになってしまったが致し方ない。


「やっぱりね!」


 ぱあっと笑みを深くした香宮さんに罪悪感が湧く。

 ごめん、騙すつもりはないんだ。でも、自分から「僕が鳴だよ」なんて打ち明けるのは恥ずかしいんだ。どうかその気持ちはわかってほしい。いや、言わないけど!絶対に言わないけど!身バレ、ダメ、絶対!

 香宮さんは緩みきった表情でうっとりとした様子で鳴の絵を眺めている。

 それに何故だか嫉妬してしまった。変な話だ。鳴は僕なのに。

 僕の絵はアナログ。鳴の絵はデジタル。違いはあるけど、所詮は同一人物が描いた絵だ。

 気づけよ、と心の中で悪態を吐く。

 身バレを恐れているのに、気づいて欲しいなんて矛盾もいいところだ。

 僕の声は香宮さんには届かない。当たり前だ。心の中で叫んだだけなのだから。


「わたしも鳴さんみたいな絵が描きたいって思って真似して描いてみたんだけど、わたしの画力じゃ全然無理でした」


 香宮さんが苦笑いを浮かべる。

 だが、画力云々の問題じゃないと僕は思う。そもそも、僕と香宮さんは画風自体が全然違うのだ。


「別に、真似しなくてもいいんじゃないかな」

「え?」

「好きな絵を見つけて、憧れて、こんな風に描けたらいいのにって思うことは僕にもあるよ。色々と真似して描いてみるんだけど、どうしてもその通りにはならない」


 でも、と僕は続ける。


「でもさ、それは当たり前のことだよね」


 だって、そうじゃないと面白くない。僕たちはコピー機ではないのだから。同じものを描いたとしても、人それぞれ癖はあるもので。

 それを個性というのだと僕は思うのだ。

 十人十色。みんな違ってみんないい。

 よく言われる言葉だけど、まさしくその通りだと思う。


「だからさ、僕はそのままでいいと思うんだ」


 力強くそう言えば、香宮さんが目を見開いた。真っ直ぐにこちらを見つめる視線を僕は受け止める。


「香宮さんは香宮さんにしか描けない絵を描けばいいと思うよ」


 勿論、上達しなくてもいいなんていうことではなくて。誰だってもっと上手くなりたいという気持ちはあるし、憧れが目標になることだってある。

 こういう絵が描けるようになりたい。そう思って、画風を模索することだってある。向上心を持つことは良いことだ。

 でも、ただ真似て、似たような絵を描いたとしても、それは果たして自分の絵だと言えるのだろうか。自分にしか描けない絵だと胸を張って言えるのだろうか。


「僕は、その人にしか描けない絵が見たい。香宮さんにしか描けない絵を見たいんだ」


 その言葉に嘘偽りはない。

 自分はこんな風には描けない。ああ、自分には無理なんだってがっかりして諦めて。

 でも、それなら自分にしか描けない絵を描けばいいじゃないか。そうやって、開き直ればいいじゃないか。

 僕はこれからもきっと、それを何度も繰り返して生きて行く。

 僕は所詮僕でしかないのだから。

 と、ここまで話して僕は我に返った。


「……何か、偉そうなこと言ってごめんね」


 今更ながら恥ずかしくなった。誤魔化すようにぽりぽりと頬を掻く。

 香宮さんからの反応はない。

 うっわ、これ絶対引かれてるわー。

 香宮さんが何も喋らないのがいい証拠である。

 喋らず、動かず、香宮さんはぼうっとしていた。

 どうしたものかな、と困っていると、徐に香宮さんが口を開いた。


「高瀬くんって凄いね」

「え、何で?」

「そんな考えが出来るなんて凄いよ。そうだよね、開き直りって大事だよね」

「……あの、褒めてる?」

「褒めてる。すっごく褒めてる」


 香宮さんが力強く頷いた。

 でも、何度も言われると本当にそう思っているのかなぁと疑わしく思えてしまうもので。

 何だかなぁと僕は頭を掻いた。


「そのままでいい、かぁ……。そんなこと言われたことなかったな」

「いや、これはあくまで僕の考えだからね。寧ろ忘れて。お願いだから忘れてください」

「いいえ、忘れません。高瀬くんの格言はしっかりとわたしの心の中に刻まれました」

「そう言いつつ紙に文字書くのやめてください!」


 香宮さんからさっとスケッチブックを奪う。文字が書かれた紙を切り離して、それをぐしゃぐしゃに丸めてエプロンのポケットの中に突っ込んだ。

 慌てて香宮さんが椅子から立ち上がる。


「ちょっと何するの!」

「黒歴史は消すに限る」

「いやいや、それわたしのだから!」

「代わりに、何か絵を描いてあげよう」

「お願いします」


 すとん、と大人しく香宮さんが椅子に座った。

 うん、チョロい。

 思えずふふっと鼻で笑ってしまい、憤慨した香宮さんに僕は追加で絵を描かされたのだった。

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