第九話 交換
ゆっくりと席を立つ僕に、友人が言葉を投げかけてきた。
「響ー、今日も図書館行くのか?」
「うん」
「真面目なこった。あ、後でいいからさっきの数学の授業のノート見せてくんない?」
「了解」
軽く受け答えしつつ、鞄を持って僕は教室を出た。
友人には昼休みは図書館で勉強すると言ってある。「昼休みに図書館で勉強する真面目な奴」のレッテルが貼られた気がしなくもないが特に気にしない。
……まあ、図書館に行くなんて嘘だけど。
嘘を吐くことに若干罪悪感はあるが、「女子と昼食を食べている」なんてことが友人に知られてみろ。絶対に後をつけられるだろう。うん、あり得そうで怖い。
だから、僕は嘘を吐く。友人が嫌いな『勉強』というワードを使って。
現に『勉強』という単語を聞いて友人は「うへぇー」と顔を顰めていた。だから、彼が図書館を訪れることは多分ないだろう。
勿論、それを踏んだ上での発言なんだけど、ね。
*
目指す先は図書館ではなく社会科室。毎日という訳ではないが、僕は昼休みにそこで過ごすようになった。
「やあ、来たね高瀬くん」
扉を開ければ、既に先輩がいた。
あれ、と思い、僕はきょろきょろと辺りを見回す。
「日咲ちゃんなら図書館に行ってるよ。返却期限間近の本を返しに」
「そうですか」
まさか香宮さんの方が図書館に行っているとは。嘘ではなく本当に図書館に行っていたら香宮さんに会えたかなぁと少しばかり残念に思ってしまった。
「先に食べてていいってさ」
「いえ、待ちますよ」
「真面目だねぇ」
そう呟いて先輩がトマトジュースを飲んだ。
トマトジュースって……女子高生の飲み物としてそれはどうなんだ?
「高瀬くんは七夕祭りに行かないのかい?」
何とも言えない顔をしていると、先輩がストローから口を離して唐突にそんな質問をしてきた。
ああもうそんな時期か、と僕はぼんやりと考える。
日差しが強くなり、気づけば春は終わっていて今や夏休み目前。夏休みに入ったら、何処に行くか予定を立てている生徒が多い。
まず話題になるのは、直近のイベントである七夕祭りだ。
この地域は、かつては織物の町として知られていた。七夕祭りはおりもの感謝祭とも呼ばれ、日本三大七夕祭りの一つと称されることもある。
最近では有名なアーティストや芸人なども呼んでいて、力を入れているなぁと思う。この町で一番のイベントとも言えよう。
いつもは大都会ほど人がいるとは言えない駅周辺もその数日間だけは実に多くの人が訪れる。
町が活気溢れるのは良いことだと思うが、駅周辺に住む身としては素直に喜べない。出掛けたら最後、人の多さに窒息してしまうことだろう。
まあ、虹文堂こと僕の家は裏路地にあるため多少はマシなのだが。ただ、涼むために彷徨っている輩がちらほらいるため、七夕祭りの日は店を開けないことにしている。
うんざりする程の人混みの多さを思い出し、僕は顔を顰めた。
「行かないです」
「行く友達がいないんだね。可哀想に」
「勝手に決めつけないでください。一応誘われはしましたよ」
「え、女子に?ひゅーひゅー、やるじゃないか」
「男子にです」
「なーんだ、つまらないの」
ちぇっと先輩が舌打ちする。いやいや、面白がるなよ。
「誘われたのに行かないのかい?」
「補習受けた後にまた出掛けるのって面倒くさいじゃないですか」
そう、町が祭りで賑わっている最中、高校生の僕たちには補習があるのだ。補習と部活が終わった後に祭りに行くなんてどう考えても疲れる。
まあ、僕は帰宅部だから部活の疲れとかは全くないんだけど。
「おいおい仮にも高校生だろー。もっと青春を謳歌したまえよ」
「父にも同じこと言われましたよ。先輩は行くんですか?」
「クラスの子たちとね」
「香宮さんは?」
「あの子は行かないよ。人混みが苦手だから」
ああ、確かにそんな感じがする。体育の授業で見ている限り、運動神経は下の上といった感じだし、あの華奢な体躯を見る限りとても体力があるとは思えない。
「香宮さん体力なさそうですもんね」
「まあ、それもあるんだけどね」
先輩が紙パックを机の上に置く。そして、紅い眼鏡を押し上げた。
そうか、香宮さんは行かないのか……。
ふと思い浮かべたのは、香宮さんの浴衣姿だ。
赤系統の色だと子どもっぽくなり過ぎてしまうから、そうだなぁ……うん、白地に青の模様が入った浴衣がいいかな。
髪は是非とも結ってもらいたいところだ。女性のうなじは男のロマンだ……って、いやいや何を考えているんだ僕は。
密かに想像していたら、僕の思考を察したらしい先輩が面白そうに口の端を吊り上げた。
「今、日咲ちゃんの浴衣姿を想像したね?」
「……何のことですか」
「おや、惚けるのかい?口に出ていたよ」
「えっ!」
「嘘だよ」
慌てて口元を押さえたら、けらけらと笑われた。ほんと意地悪いなこの人……。
「意地悪いなんて酷いなぁ」
「口に出ていましたか」
「出てないけど表情でわかるよ。あーあー、折角日咲ちゃんの浴衣姿の写真撮って送ってあげようと思ったのになー」
「えっ!」
先輩の発言に僕は瞠目した。驚きのあまり立ち上がったことにより、椅子がガタッと大きな音を立てた。
「七夕祭りには行かないけど、家近くの神社でやってる盆祭りには毎年一緒に行っているんだよ。その時、決まって浴衣着るから撮れると思うんだけどなー」
ちらちらと先輩が横目で見てくる。ニヤニヤ笑いを隠そうともしていない。
そんなに人をからかって楽しいのだろうか……楽しいんだろうな。
「……送って、ください」
「おーけー、いいよ」
手のひらの上で転がされているのを承知で、僕は頭を下げた。これといって弄られることなく直ぐに了承してもらえたので、ちょっと拍子抜けである。
「でもね、送ろうにも私は君の連絡先を知らないから」
「ああ、そうですね。それじゃあ交換しましょうか」
ポケットからスマホを取り出した途端、ばんっと先輩が机を叩いた。机の上の紙パックが揺れ、びっくりした僕は持っていたスマホを落としそうになった。
「な、何ですか?」
「それはこっちの台詞だよ」
先輩がジト目で睨んでくる。
……さっぱりわからないのだが。
「そんな簡単に人に連絡先を教えるくせに、何で日咲ちゃんとは交換してないのさ!」
先輩に指摘されて、「うっ」と言葉に詰まった。
何故、それを知ってるんだ!いや、香宮さん経由なんだろうけど。
「チキンかよ。いや、チキンだね」
腕を組んで、先輩が見下ろすように僕に言い放つ。
うう、事実故に言い返せないのが情けない……。
僕が机に頭を突っ伏したちょうどその時、がらがらと扉が開いた。
「遅くなってごめんね!」
入って来たのは言わずもがな香宮さんだった。
項垂れる僕と腕を組んで立つ先輩を見て、香宮さんが首を傾げる。
「二人ともどうしたの?」
「いやなに、何かあった時のために連絡先を交換しておこうって話をしていてね。あ、そうだ!日咲ちゃんもついでに高瀬くんと交換しなよ」
「えっ!」
香宮さんは目を丸くさせて声を上げた。そして、窺うように僕を見てきた。
「いいの?」
「う、うん」
頷けば香宮さんの顔がぱあっと華やいだ。
そして、あれよあれよと言う間に連絡先の交換が終わった。それは僅か数分の出来事で。
登録された香宮さんの名前にちょっとだけニヤけそうになったが、本人がいる手前我慢する。
「あのあの、メールとかしてもいい?」
「どうぞ」
「好きな絵とか本の話してもいい?」
「どうぞ」
「いいの?本当にいいの?熱く語っちゃうかもだよ?」
「どうぞ」
少し興奮した様子の香宮さんがぐいぐいと訊いてくる。
それに対して僕は傍から見たら淡々と返しているように見えるだろう。だが、内心では連絡先を交換できて「よっしゃあー!」と叫んでいる。さらに言えば小躍りもしている。
そう、完全に浮かれている。それなのに外面では平静を保とうしているものだから、その反動でこんなにも素っ気なくなってしまっているのだ。
いろいろと耐えている、というのに!
「家でも高瀬くんとお喋りできるなんて嬉しいなぁ」
お願いだからそんなに喜ばないで香宮さん!
いや、香宮さんは何も悪くはない。悪くはないんだけど!香宮さんが追い打ちを掛けまくって来ていろんな意味で辛いです……。
ぷるぷると震える僕を横目に先輩が香宮さんに話し掛ける。
「よかったね、日咲ちゃん」
「えへへ」
「高瀬くんと連絡先交換できなくてショボくれてたもんねぇ」
「ちょ、明実ちゃん!」
香宮さんが「しぃー!」と口元に人差し指を当てて先輩を咎めた。え、何その仕草可愛い。というか、そんなこと言っていたのか……ふむ、可愛い。
追い打ちを掛けられ過ぎてついには真顔になってしまう僕だった。
「ごめんね。つい口が滑っちゃった」
それはもう良い笑顔で先輩が言った。
いやいや、絶対わざとだろ!
と、僕は心の中で突っ込んだ。
香宮さんの頭を撫でながら先輩は「ごめんごめん」と謝る。「もうっ」と頬を膨らませる香宮さんはいつもよりも子どもっぽく見えた。
従姉妹同士のやり取りを無言で見ていたら、先輩が僕に顔を向けてきた。
「羨ましいかい?」
「……別に」
素っ気なく返したけれど、嘘です。無茶苦茶羨ましいです。




