鍛冶屋のオヤジと冒険者 下
「さすがにタダの鍛冶屋には辛いぞ……。」
大鎚の先に付いた、魔物の血と脂を拭いながら、サムズはボヤいた。
もう既に人喰鬼の領域は過ぎて、牛角鬼や一目鬼だけではなく、見たこともないような、蛇や蜥蜴の大型化した魔物すら遭遇していた。
前から来る敵は、ほぼサムズの大槌によって息の根を止められていた。
後ろにいるジョディの剣はいつまで保つか解らない。だから、攻撃は自分が受け持つとサムズは決めていた。
「あともうちょっとだから。」
昔に作られたと言う、坑道の地図は、なんとかまだ使い物になるらしく、ジョディは、地図で分岐を確認しながら先へと進む。
「あともうちょっとがどんだけ続くんだよ! 」
「……ねぇ! 見てよあれ! 」
ジョディが前方を指差す。
「これ、全部ミスリル鉱か……? 」
そこは、巨大なドーム状の空間になっており、中央にぽつんと残った大岩の向こうの壁面には、斜め右上に伸びる巨大なミスリル鉱脈の姿が、魔導灯の光に浮かび上がっていた。
大気と大地の魔素を受けて、魔法陣のような、淡い緑の光を放っている。
「これ……すごくない!? 」
「すげえなんてモンじゃないぞ……これは。」
ここは廃坑になってから百年以上は経っている。
地下に溜まりやすい魔素と瘴気のせいで、今は魔物の天国になっており、毎日のように冒険者たちが自分たちの強化と素材集めに潜っている。
だから、こんなミスリルの鉱床など、残っていないはずだった。
「これ……誰も見つけてなかったってことだよね……? 」
「こんなんが見つかってたら、大騒ぎになるだろ? 」
二人がミスリルに間違いがないかどうかを調べようと、ドームに立ち入った時、目の前にあった大岩が、のっそりと動き出した。
「石喰亀……。うそ……どうして……? 」
ただならぬ雰囲気に気がついたジョディが、震える声で呟く。
大岩が、ゆっくりと目の前で回って行く。
大人の胴体ほどの足が、ゆっくりと地面を引っ掻くようにして動いたからだ。
「…………なんだ……こりゃ……? 」
急に立ち込める土煙と、ゴリゴリと岩を削る音に驚いていたサムズの目に、やっとその姿が見えてきた。
鰐を思い出させる鋭い顔を、大岩の中から出し、岩にしか見えない足を器用に操って、その大亀は身体をこちらへと向けようとしていた。
「危ない! 逃げなきゃ! 」
ジョディの叫び声に、固まっていたサムズの身体がやっと動き出した。
石喰亀の意識が、そんな動き出した二人に注がれる。
「ダメだ! そっちは! 」
サムズは、あわてて入り口に駆け寄ろうとしたジョディの腕を、すんでのところで掴む事が出来た。
魔力の渦が巻き始める感覚を、一瞬先に掴めたからだった。
ドームに入って来た時に使った入り口の前に、魔法陣が浮かぶ。
一瞬魔法陣が赤く光ったと思った次の瞬間には、周りの岩が割れて、入り口がふさがった。
轟音と爆風が、広いドームに響き渡る。
「くそっ! 入り口を鬱がれた! 」
「どうするの!? 」
「どうするのって……戦うしかねぇだろ! 」
「無理だよ! あいつは銀等級でも討伐に成功した人が居ないんだよ!? 」
「……お前はそこに隠れてろ! ジョディ! 」
石喰亀の、そんな二人の姿をじっと見ていた目が歪にゆがむ。
入り口も塞いでしまったから、あとはじっくりといたぶるだけだと言っているようにも見えた。
「この亀野郎! くたばりやがれ! 」
魔力を漲らせた大槌が、亀の頭を狙う。
しかし、その大槌は、甲の中に引っ込められた頭を見失い、空を切って岩石でできたてドームの床を叩く。
ドンと言う衝撃のあと、弾けた岩石が当たりに散らばり、細かに砕けた岩が煙となって広がる。
「危ない! 」
ジョディの声に、伏せたサムズの頭の上を、岩石の塊で出来た前足が薙ぐ。
「くそったれが! 」
サムズはそのまま身体ごと横に転がった。
次の瞬間には、煙の中から石喰亀が大口を開けて現れて、サムズのいた辺りの空間を岩ごと噛み千切った。
「はぁっ! 」
転がったサムズを追撃した石喰亀の頭を、ジョディの剣が切り裂く。
石のような模様に見える皮膚から血が吹き出すのが見えた。
「お前は隠れてろって! 」
「サムズ一人で戦わせられないよ! 」
カタカタと震えながらも、ジョディはまっすぐ前の石喰亀を睨んでいる。
「おい! 足に気をつけろ! 」
今度はジョディを狙った一撃は、サムズの大槌に弾かれた。
金属同士が打ち合わさるような音が、洞窟の壁に響き、火花が洞窟の壁を照らした。
「わかった! 」
ジョディが叫んでまた間合いを取る。サムズは、段々とジョディとの息が合ってきたのを感じていた。
「クソッ! 奴め! 全部引っ込めやがった! 」
二人相手では、不利だと悟ったのか、石喰亀は、その硬い甲羅の中に、再び身を隠した。
だが、その甲羅の奥からは、隙なくサムズとジョディを見ているのが解る。
二人が隙を見せれば、一気に飛びかかってくるつもりだと見えた。
「ごめんね。サムズ……。大変なことに巻き込んじゃった……。」
前を向いたまま、頬に涙を伝わせながら、ジョディが謝る。
こうして集中力が続いている間ならばまだ良いが、切れた瞬間に必ず訪れる死を意識したからだ。
「謝るんじゃねえ。まだ終わった訳じゃねえからな。」
サムズは、身震いを隠しながら答える。そして、今までに何度も経験していた、絶対絶命の危機を思い出していた。
「…………うん。」
ジョディの言葉に、少しだけ覇気が戻る。
こんな瞬間は、そうそう経験するものではないし、彼女に多くを求めるのは酷だなとサムズは思う。
「……ジョディ、お前……あいつの注意を少しだけ引けるか? 」
「……注意は引けると思うけど……攻撃するのは無理かも……。」
「大丈夫だ。ほんの少しだけ時間を作ってくれりゃいい。俺が奴の甲羅にとりつくまでにな。」
「……そんなの無理だよ……。サムズは知らないかもしれないけど、あいつの甲羅は鋼並みに硬いんだよ? 」
またジョディの弱気の虫が顔を出し始めていた。
だから、サムズは自信を声の響きに乗せて、彼女に答えることにした。
どうせ、活路は目の前にいる巨大な魔物を倒すことにしか無いのだから。
「任せとけ。俺の傭兵時代の二つ名はな、伊達じゃねえってところを見せてやる。」
「…………わかった。指示は任せるよ。サムズ。」
その言葉を聞いて、サムズはチラリとジョディを見た。
同じように、サムズを見たジョディの目に、信頼が浮かんでいるのを確認する。
「よし! 行け! 間合いを間違うなよ! 」
ジョディが駆け出して、石喰亀の間合いギリギリへと向かう。
サムズには、その瞬間が永遠にも感じられていた。
「止まれ!! あとは左に走れ!! 」
石喰亀の目が、甲羅の中からジョディだけを追っていた。
間合いギリギリを掠めるようにして走る彼女に、その首が一気に伸びる。
「躱わせ!! 」
ジョディが一気に間合いを広げ、亀の大きな口が、再び空気だけを噛んだ。
サムズは、ジョディが攻撃を躱しきったことを見届けてから走り出した。
魔力を漲らせた肉体が、緑色に光るのがわかる。
彼は一気に脇腹のあたりにとりつくと、その甲羅を登りはじめた。
何をするつもりだと、石喰亀は首を伸ばして甲羅の上のサムズを見ようとした。
「はぁっ! 」
その瞬間を見逃さずに、ジョディが赤色に染まる魔力を剣に籠めて、首へと斬りかかる。
再びその首に大きなキズが入り、血が吹き出した。
これはマズいと、斬られた傷を隠すように、亀はまた甲羅の中に隠れた。
ガキーンと、大きな音と振動が、甲羅の中に伝わる。
ただ、石喰亀は全然焦ってはいなかった。
どうせ、甲羅にどんな攻撃を受けても通じない事を知っていたからだった。
ただ、音と振動に苛立ちを覚えるだけだった。
「危ない! サムズ! うしろ!! 」
先ほど、入り口を崩したものと同じ魔法陣がサムズの背後に広がり、赤く染まった瞬間に破裂した。
「ぐっ! 」
大槌を振り下ろした瞬間の攻撃に、サムズの顔が痛みに歪む。
だが、彼は、それを気にした様子も無く、再び大槌を振り上げる。
「サムズ! 逃げて! 」
再び大槌が振り下ろされ、大きな火花がまた洞窟の壁を照らした。
そんな光景を見て石喰亀は、甲羅の中でさらにニヤリと顔を歪ませた。
こうして男が魔力の無駄遣いを続ければ、そう待たずして喰い殺す事が出来る。そう思ったからだ。
「もう止めてよ……!! 」
ジョディの泣き声のような叫びが響く。
どうやら上で甲羅を叩いている男も、もう限界が近いようだと亀は思った。岩を割るための爆発魔法を自分の真上で掛けるだけで、もう男はだいぶ弱っているようだ。
先ほどから、大槌を振り下ろしては同じところばかりを叩いている。
…………同じところ?
そう石喰亀が疑問に思った次の瞬間、今までとは違う音が響いた。
バキン!
何かが割れた音とともに、石喰亀の背中に、感じたことのない感覚が広がる。
それは、むき出しの身体が傷つけられた痛みだった。
「これで終わりだ! クソ亀野郎! 」
石喰亀は、自分の中に、知っている魔法陣が広がって行くのを感じた。
これは……爆発魔法……。
そう亀が理解した次の瞬間、甲羅の中すべてを破壊するような爆発が起こり、一瞬にしてその意識は吹き飛んだ。
*
「サムズ! サムズ!! 」
サムズは、自分を呼ぶ声と、肩を揺する感覚に目を覚ました。
いつの間にか人を呼び捨てにしやがってと思いながら、彼は首もとを擦りながら身体を起こした。
どうやらジョディの膝枕の上に寝ていたらしいと知って、もう少しだけ感覚を楽しんでおけば良かったと後悔する。
「よう。ジョディ。どうした? そん…… 」
「どうした? じゃないよ! あんな無茶苦茶するなんて! 」
出来るだけ困らせないようにと軽口っぽく言った言葉は、ジョディの怒りに満ちた声に遮られた。
「仕方ないだろ……。俺が奴を倒すにはああするしか無かった……。」
彼は、身体の至近距離で爆発魔法を浴びながら、ひたすら甲羅の同じ箇所を叩き、そして遂に割れた甲羅に、特大の爆発魔法を打ち込んだのだ。
これは、城壁や鋼鉄製の門扉を破壊する時に、サムズが好んで使った方法だった。
城壁の中にいる敵も、そんなサムズを呆然と見ているだけではなく、必死に抵抗する。
剣や矢だけでなく、煮えた油を頭から掛けられたり、大石を落とされたりしたこともあった。
ただ、彼は持ち前の頑丈さと、防御魔法によって全てを耐えた。
「起きましたか? 彼は。」
「…………? 」
シルバーの冒険者章を下げた男が、いつの間にかサムズの側に来ていた。
見覚えのないその顔に、サムズは誰かと訝しむ。
「ありがとうございます。ポーションまで分けてもらって……。」
「こうした時はお互いさまですから。」
ジョディが礼をしているところを見れば、サムズもどうも自分たちを助けに来てくれた奴らしいと理解出来た。
「ししょー。もうバラし始めていいよな。」
「丁寧にやれよ。ローガン。」
礼を言おうとしたところで、骸となった石喰亀の上から少年の声が響き、目の前の男が答えた。
どうやら、解体を始めるらしい。
「あ、あたしもやります! 」
ジョディも早速手伝いに向かう。
「あんたは……? 」
「こいつの目撃報告が上がっていて、討伐に来た冒険者ですよ。あなたと同じね。噂はかねがね聞いてましたよ。親鍵さん。いや、破壊鎚のサムズさん……でしたか? 」
久しぶりにその名前で呼ばれた気がするとサムズは思う。
傭兵時代に、開けられなかった門や城壁は無かった事から、親鍵のサムズ、破壊鎚のサムズと彼は呼ばれていた。
「その名前は、もうおしまいだよ。俺は、ただの鍛冶屋のサムズだ。」
もう血なまぐさい思いをするのは、サムズは嫌だった。
最後の一撃で割れてしまった、傭兵時代からの愛用の大槌を見ながら言うサムズに、その銀等級の男は優しく微笑んだ。
*
「ち……ちょっと! サムズ! たいへん! たいへんなの! 」
「だから工場に勝手に入ってくるなって……今度はどうした? 」
ミスリルの鉱石を持てるだけ持ち帰り、早速精練をはじめようかと炉に火を入れようとしていたサムズは、慌てて飛び込んできたジョディに呼ばれた。
「い……いいから! いますぐ冒険者組合に行くよ! 」
「おい、ちょっと待て、引っ張んな! おい!」
そうして冒険者組合の奥の部屋に通されたサムズも、開いた口が塞がらなかった。
「素材の買取額の、金貨二百枚になります。」
テーブルの上に並べられた、金色の貨幣を見て、二人は顔を見合わせた。
てっきり解体をしてくれた冒険者たちが、自分のものにしているのだろうと思っていたからだ。
しかも、こんな金額になるとは思ってもいなかった。
「あの……これを運んで来てくれた方は……?」
「あ、今はギルド長と打ち合わせ中です。お待ちになりますか? 」
「はい……。」
「ただ……残念です。魔石がバラバラになっていなければ、あと二百枚はお出し出来たんですけど……。これでは買取が出来なくて……。」
ギルド職員は、袋に詰められた緑色の欠片を取り出す。
まるでエメラルドのような輝きを放っている欠片は、あの石喰亀から取れた魔石らしい。
「あの、これもらっていいか? 」
サムズは小さな欠片の中から、二つだけ取り出して聞いた。
「ええ。構いませんよ。あと、ミスリル鉱の新鉱床の発見で、国王陛下からも感謝状と報償金が届く予定ですので、そちらもお受け取りくださいね。」
「国王……陛下……」
そして、とうとうジョディが気を失った。
*
それからサムズは、目を覚ましたジョディと、まずギルド長との打ち合わせが終わった銀等級の冒険者に礼を言った。
配当についてどうするかを決めたいと提案はしたのだが、解体と輸送の僅かの手間賃を受け取っただけで、それ以上は固辞した。
倒した者が配当は受け取るべきで、俺たちは解体を手伝っただけだからとその男は笑った。
そして、彼の飲み仲間である商人を紹介され、懸案だった救護院の借金の返済を仲介してもらうことになった。
「こうした返済の場合は、ちゃんと立会人が居た方がいいんです。」
そうして紹介された紳士は、王都で有数の奴隷商だった。
表向きは、真っ当な商人だが、裏社会の顔役であることは、子供でも知っているような、そんな人物だ。
なぜあの銀等級の男がこんな人物をと、サムズは不思議には思ったが、彼の言うことならと、一切を任せることにした。
彼も僅かな仲介料だけで、救護院の返済の全てを代行してくれた。
あとからサムズがジョディに聞いた話では、シードストーン商会の頭取が、奴隷商に付き添われて救護院まで来て、借用書の返還を行った。
その際に、奴隷商から、俺の顔を潰すなよと言われた頭取の真っ青な顔は、サムズにも見せてあげたかったとジョディは笑う。
そして、恩返しだと言って、ジョディはサムズの店の店番に立つようになった。
彼女も結局冒険者稼業からは足を洗い、そのあとはずっとサムズの店に居るようになった。
*
「なあ。父ちゃん。」
「なんだ。」
サムズは、鞘に入った剣を置いて、その少年に答えた。
「今日、学校で破壊鎚のサムズって話を聞いたんだけど、父ちゃんと同じ名前なんだな。」
「ああ……そうだな。俺も名前は聞いた事がある。それがどうかしたのか? 」
「同じ鎚を振るんでも、お前の父ちゃんとは全然違うなってバカにされたんだ。」
「……それで、お前はどう思った? 」
「俺の父ちゃんだって、鎚で俺たちを養ってくれてんだって言い返してやったよ。」
「……そっか。ありがとよ。」
「……? ま、でも母ちゃんによわいって言われたのには、なんも言えなかった……。もうちょっと威厳? を示してくれよ……。」
「それは仕方ない。お前にも惚れた女が出来れば解るさ。さ、先に手を洗ってくるんだ。母さんに叱られるぞ。」
そうして、八歳になる息子を、手洗い場に送り出す。
一昨年に鍛冶屋街の一等地に移転したサムズの店は、美人の店員とその腕の確かさで急成長した。
特に、せめてもの礼と、あの銀等級の冒険者に作ったミスリルの剣を、彼が愛用してくれたことも大きい。
先日行われた、彼の送別会の時にも、その剣が腰に下がっていたのはサムズにとっての誇りだ。
そして、去年には弟子の青年からも注文が入り、サムズは精魂籠めて彼への一本を打ち上げた。
サムズは、机の上に置いてある、一本の剣を取り、鞘から抜く。
剣の根元には、亀の甲を貫く鍵の刻印が入っている。
あの銀等級の冒険者にプレゼントするために、屋号をどうしようか悩んでいたとき、ジョディが書いたイタズラ書きを気に入って、サムズは以降、自分が打った全ての剣に、その刻印を入れていた。
そして、この剣は月末に成婚式が行われる、王太子殿下に献上されるものだ。
サムズは、指に嵌まった結婚指輪を見る。ミスリルの台座に緑色に光るエメラルドのような石が嵌まっている。
式を前に、サムズが自ら作ったものだ。
「お父さん! いつまでやってるの! 」
「今行くよ。ジョディ。」
そして、剣を鞘に納めると、サムズは自分を呼ぶ妻に答えた。