17 葛藤
自分の家で女の子が風呂に入っている。そういう状況に陥ったのは随分久しぶりだったので、僕はやけにどぎまぎした。
一色さんの体には、米田から殴られた傷がいくつも刻まれているのだろうか。水音を聞いていると、無意識にそんなことを想像してしまう。
(……何をしてるんだ、僕は。あろうことか、彼女に多少なりとも劣情を感じるなんて。僕は一色さんを助けなくちゃいけないんだぞ)
首を振っても、妄想を簡単に追い払うことはできない。
しかし冷静に考えてみると、一色さんは僕にとってかなり魅力的な女性といえるかもしれなかった。
大学に入ってから、僕はそれなりにたくさんの女の子と出会った。そのうちの何人かとはデートしたし、家に招いた子も一人だけだがいた。
けれども彼女たちの誰も、僕の小説を理解してくれなかった。それどころか、「ごめんね、普段あまり本を読む習慣がないんだ」と口を揃えたように言うのだ。自分が一番熱中していることを分かってもらえないのは、僕にとってある種のストレスだった。
孤独感さえ感じた。僕のことを本当の意味で理解してくれる女性なんて、もしかしたらただの一人もいないんじゃないかとも思った。
でも、一色さんだけは違った。彼女はいつも僕の書いたものを褒めてくれたし、作品を手渡すたびに無邪気に喜んでくれたのだ。おまけに、色男の米田が選んだ、とびきりの美人ときている。
これまで米田の家を訪ねた際には、今のような感情を抱くことはなかった。
友人の彼女を恋愛対象として見るなんて、論外だ。僕の意識の片隅にも、そんな邪念は浮かんでこなかった。
だが、一色さんは今や米田の元を離れようとしている。つまり、あいつにとっての彼女ではなくなる可能性が高い、ということだ。この事実が僕に揺さぶりをかけていた。
(どのみち、一色さんを家に匿って米田と対決姿勢を取るのなら、あいつとの友情は長くは続かないだろう。それなら別に、いいんじゃないか。ちょっとお近づきになるくらいなら)
言い訳じみた考えが頭をよぎる。
自分でも奇妙だと思ったが、米田を完全に敵に回す選択肢が現実味を増すと同時に、彼に肩入れするような気持ちも湧き上がってくるのだった。
(……いや、そんな簡単に割り切れないよ。一色さんへしたことは到底許されないけど、あいつにだって良いところはあるんだ)
同窓会で再会したとき、米田の他に「また一緒に遊ぼう」と声を掛けてくれた奴がいただろうか。僕のことを懐かしがってくれた人はたくさんいたけれど、現在まで関係が継続しているのは多分、あいつだけではないか。
それに普通なら、自分が彼女と同棲しているところに僕を招いたりはしない。人を集めて、楽しく麻雀をやったりもしない。彼は気さくで、親しみやすい人物なのだ。
思い出せ、と僕は自分に言い聞かせた。
(池袋の百貨店に行ったとき、あいつは、安くて美味い寿司屋を教えてくれたじゃないか。カラオケにも誘おうとしてくれた)
しばらく考えた末に、僕は結論を出すのを先延ばしにすることに決めた。
確かに、米田は百パーセントの善人ではないのだろう。けれど、百パーセントの悪人でもないはずだ。あいつに世話になったことは、一度や二度ではない。
一色さんのことについて、冷静に話し合いを重ねていこう。彼らと今後どう向き合っていくかは、今すぐに答えを出さなければならないわけじゃない。
ガタッ、と鈍い音がして、浴室の扉が開かれた。
狭いユニットバスから出てきて、一色さんは吐息を漏らした。お湯を浴びて温まったおかげで、頬が上気している。毛先にはまだ水滴がついていた。
けれども、それ以上に蠱惑的だったのは、彼女がバスタオルを体に巻きつけただけの格好をしていたことだ。僕は狼狽した。
着る服がない、ということはないはずである。濡れた服をもう一度着るわけにはいかないだろうと、ユニットバスの外に着替えを置いておいたからだ。
「……ごめん、サイズ合わなかったかな?」
普段はポニーテールにしている髪を下ろすと、一色さんは妙に大人びて、エロティックに見えた。タオル一枚のみを纏った彼女を前にして、僕は慌てて言った。
「それとも、男物のシャツは着たくなかった? 何か、女性用のものを買ってきた方がいいかな」
丸みを帯びた柔らかい体のラインが、タオル越しに浮かび上がるようだった。なるべく一色さんを直視しないようにしながら、僕は重ねて尋ねた。
「違います。そうじゃないんです」
彼女は恥ずかしそうに首を振った。それから、ちょっぴり甘えた声を出した。
「……浅井さんに、今までのお礼がしたくて」
いかがだったでしょうか。
最後で一色さんが大胆に迫ってきましたが、残念ながらこの作品は、官能小説として終わる予定ではありません。
今回のドキドキを全部消し飛ばすくらいのどんでん返しを、次回に用意してあります。お楽しみに。




