期末試験3/5 b
赤熱した刀身が、ミオの首を切り裂いた。
「ガ……ぷッ……!」
ミオはその場に膝をつき、喉に両手を当てる。指の隙間から夥しい血液が溢れて地面に滴り落ちていく。
そんな彼女にトドメを刺そうと、僕はその頭を膝蹴りで打ち抜こうとして、
「【チク、タク】」
空振った。
ミオの姿が消えている。
見るとミオは後方十メートル……30秒ほど前までいた場所に立っていた。それもここに姿を現した時と変わらず、傷一つない体で。
空間復元。
過去の自分を復元したのだ。
……クソ。あれだけ斬れば喉が血で詰まって発声出来なくなると踏んだんだけどな。
アリス譲りの人体の限界に唾吐くようなタフネス。当たり前だが【ムラクモ】の戦技を会得しているのは僕だけじゃない。
「……なんですか。その速さは……」
「紅雛流刀術弍|式【二心】」
「ッ!」
だからと言って休ませてやる気はない。
刀を振るう、刀を振るう、刀を振るう。横、袈裟、縦の三段斬り。ミオは大鎌を用いて全て防ぐ――が、剣戟を重ねるたびに足、背中、腕と全く関係ない部位に傷が出来ていく。
弍式・二心は内部斬撃の技。防御越しに斬衝撃を貫徹させ、敵を内側から切り裂き崩す。
「【チクタク】!」
再びミオの時が巻き戻る。
いい加減動揺からは醒めたらしい。軍刀を正確極まる鎌捌きで上から撃ち落とし、二心を発動させない。
「【ドクドク】!」
そして、ミオの身体能力が更に増す。身体強化魔法は人体への理解が物を言う。トキワがそうだったように、ミオのそれは見たことがないほどの強化率だ。今の僕に勝るとも劣らない。
結果として僕たちは拮抗し、互角の勝負が展開される。
「来いよミオ。久しぶりに遊んでやる」
「舐めないでください、先輩……!」
互いの殺意が実像を伴い、嵐のように吹き荒れる――。
◇◆◇◆◇
ミオの支配下にいる生徒達は、その実自我を奪われているわけではない。
彼女の魔法は感情を誘導するものであり、例えるならば昆虫がフェロモンで集団を動かすのと酷似している。
だから彼らは思考能力を有していたし、誘導されている自覚がないことを除けば、ほとんど正常な状態と言って良かった。
――だからこそ、彼らは黒崎や伊庭と全く同じ有り様で、ただ見入っていた。
彼らの前では、二人の魔導師が熾烈な戦いを繰り広げている。
大鎌を携えた深海色の女王と、赤熱した軍刀を振るう学院きっての落ちこぼれ。
悪夢のような激闘。
互いに譲らず、一歩も引かない。
その光景に誰もが言葉を失っていた。
なにせ全員がライセンスを取得して三ヶ月の学生だ。訓練以外にロクな戦闘経験もない。
第一線で活躍している魔導師とはこれほど格が違うのかと驚嘆するのも当然。
だが、それ以上に。
誰もが見下していたあの儚廻遥が、そんな格の違う魔導師を相手に互角の勝負を演じている。
その現実が――どうしても信じられなかったから。
だからミオの支配下の生徒たちも、伊庭も、黒崎も、誰も彼も。
踊り狂う二人の主演に取り残された彼らには、呆然と立ち尽くす以外に出来ることは何もなかった。
◇◆◇◆◇
やはり一筋縄ではいかないか。
もはや何合とも知れない打ち合いの中で、僕はそう結論を下した。
限定解放――魔力分のみの身体能力だけじゃミオを倒すには足りない。身体能力が大差ないのでは、戦闘技術が多少上回ろうが『復元』を突破するのは不可能だ。
従って方針を変更。
思考を切り替え、状況を単純に見極める。
そうしてみれば、ほら。
この状況は紛れもなくチャンスじゃないか。
「ふッ――!」
僕は手に持っていた刀を全力で投擲する。
実のところ、僕が【ムラクモ】でシグレから教わったのは刀術ではない。あれは単に目で見たり体で食らったりして盗んだだけだ。
僕がアイツに習ったのは刀擲術というもの。刃物の投擲を戦闘術に組み込んだ紅雛の中でも異端の術技だ。
無論【ムラクモ】時代から何度も使っている技なのでミオは驚かない。弾けば不利になることも理解されており、ステップ一つで難なく躱される。刀は近くの木の幹に深々と突き立った。
その隙にミオは距離を詰め、鎌による範囲斬撃を放つ。
のみならず、魔法名の唱句。
「【バラバラ】」
瞬間、十二もの斬撃が同時に出現した。
空間復元による飽和斬撃。予兆なく現れるそれらは見てから対応したのでは到底間に合わず、一発一発が重い。
故に、分かっていても完璧には防ぎ切れなかった。
薄皮を裂かれた全身から小量の血液が舞う。
ミオが目を見開く。
「ッ、たったそれだけ……!?」
「読んでたからね」
近未来戦闘予測。斬撃の放たれた場所は戦闘開始時から全て覚えている。ならば次は発動の瞬間を読むだけだ。痛手など食らってやるはずがない。
驚いた隙を逃さず、低くした姿勢から飛び上がるようなアッパー。交差した腕を下から打ち抜き、力任せに防御を崩す。
「しまっ……」
「吹っ飛べ!!」
流れるように放った追撃の回し蹴りが、ミオの綺麗な顔面をブチ抜いた。
血と涎が飛散し……しかし顎骨の砕ける鈍い音は鳴らない。衝突の瞬間、咄嗟に跳んでダメージを軽減させたのが見えた。
お互いに同速である以上、いつものような一撃必殺は望めない。
……大丈夫。よく分かっているとも。
「【チクタク】!」
中空にあったミオの体が消え、15秒前にいた場所に復元される。
――その場所すら読み切って、僕は出現と同時に拳を打ち下ろした。
「ッぁ……!?」
ミオは僕の予測を超える反応速度で鎌の柄を合わせたが、今度ばかりは体勢が悪い。膝が折れ、がくっと身体が沈んだ。
「なんでっ……!」
「覚えてたからさ」
焦った時のミオは復元の時間設定を五秒単位で決める。ただの昔の癖による人読みだが、それだけ絞れればもう簡単だ。
ミオの位置を現在から逆算して、彼女が選びそうな復元場所を狙えばいい。
記憶力勝負なんだ。コイツとの戦闘は。
「さぁ、派手にいこうかっ!」
「っ!」
腕を振り抜き、右足を蹴り上げる。ミオは膝立ちのまま器用に弾き、敢えて踏ん張らないことで後転して距離を取った。
やはり防御が固い。これに限れば彼女はほぼ最善手を選び続けている。復元があるからと無理な突撃をしてくるような輩ならもっと簡単に済んでいるのにな。
だが、ここからはしばらく僕のターンだ。
追撃。
真正面から殴り抜く。
「【チクタク】!」
追撃。
跳躍して踵落としを叩き込む。
「【チクタク】……!」
追撃。
空気を引っ掴んで唸らせ、砲弾のように撃ち放つ。
「【チクタク】……」
追撃。
左腕に集約した魔力を極大の【ショット】に換えて解放した。
「…………」
ミオは動かない。
どんな表情かはゆらりと垂れた髪のせいで分からないが、僕には確信があった。
諦めたわけじゃない。
避けられないわけじゃない。
何故なら彼女はムラクモの魔導師。この程度で終わるような弱者は、新人を除いているはずもなく。
「……スゥッ――」
開眼。
斬閃が走る。
魔力弾が真っ二つに断たれ、霧散した。
蒼色の瞳が燃えている。
聖母めいた悪魔の微笑みが口元に宿る。
スイッチを入れたのだと一目で分かった。
「――先輩、もしかして弱くなりました?」
第六感が警鐘を鳴らす。
斬撃襲来。総数七十二。空隙ゼロ。
僕はありったけの力で地面に拳を叩き込んだ。
莫大なエネルギーが全方位に拡散。
同時に【バラバラ】で復元された斬撃が全方位から襲来する。
当然負けるのは僕だ。相手は一撃一撃が全力の七十二撃なのに対して、僕のはたった一撃。勝てるわけがない。
それでもいくつかの斬撃の軌道は歪み、ギリギリ抜けられるだけの隙間が生じる。今この瞬間に死なないためにも、僕はそこに飛び込むしかない。
その先にはミオが待ち構えている。
これはただの仕切り直し。
正面から押し潰す、とその目が告げていた。
是非もない。
僕は右腕を腰だめに構えて突撃する。
ミオが鎌を繰り出すのに先制して殴りかかった。
空を打ち抜く。
「その程度ですか?」
躱される。全て、全て、全て。
【チクタク】ではない。最小限の動きで僕の連撃を全て避けている。
見切られている――。
最後の掌底を鎌の柄で弾き、満を辞してミオのターン。
お返しのような激しい回転斬舞の連撃を、僕は躱し切れない。
「ねえ、その程度ですか!?」
反撃に放った蹴りは首を傾けるだけで透かされた。ガラ空きの胴体へと鎌の刃が迫る。
ギリギリで回避が間に合うも、浅く裂かれた胸元から血が舞う。
僕は【ショット】を地面に向かって撃ち、地面を炸裂させて無理矢理距離を取った。
……不味いな。マジレスされ始めたか。
結構びっくりさせたからもうちょっと保つと思ってたんだが、せっかちな奴め。
「大振りで単調な攻撃。弱い魔法。早々に刀を手放す判断ミス。その身体能力をどうやって手に入れたかは知りませんが、先輩、弱くなってます。力に振り回されているだけ。そんなのは先輩じゃない、先輩じゃない、先輩じゃない……」
「ブツブツうるせえんだよ。キッメェな」
「……先輩じゃない先輩に価値なんてない。だから連れ帰らなきゃ。ミオがやらなきゃ。ミオが、私が、ミオ、私……私、ミオ、わた、わた、あ、あ、……あァああああああああああ……ッ!!」
いかん、自分の世界に没入し始めた。
本気を出せば出すほど自分の精神世界に入り込む。高位魔導師あるあるだったりする。
傍目にはキチのガイにしか見えない行動だが、要するに自意識で現実を塗り替えようとしているわけだ。当然ながら魔法の出力は強くなる。
これ以上強くなると抑えるのはとってもしんどい。というかたぶん無理だろう。ま、まだ時間掛かりますかね……?
「……あ?」
「来たか!」
狙撃。僕たちは鏡合わせのように避ける。
どちらにも撃って来たことから分かるようように最初からこの場にいた人間によるものではない。第三勢力の介入だ。
ついつい忘れそうになるが、この場は勝者総取り形式の試験の場。しかも日数的に折り返しを過ぎて、そろそろみんながポイントを狙って動き出す頃合いだった。
そしてこの明らかにイレギュラーな状況。ミオの勢力以外はまともに戦えたものではない。
ならばこうして派手に音を立て続けてやれば、絶対に漁夫の利を狙う輩を釣ることが出来る。
僕の目的であった、ミオの魔法に侵されていない人間――汐霧が魔法を掛けた連中をこの場に集めることが出来るのだ。
再び銃弾と魔法が降り注ぐ。その程度に当たるような僕たちではないが、こうなればまともな戦闘など望むべくもない。
いくらミオといえど、僕の相手をしながらこの密度の弾幕を捌き続けるのは無理だろうからな。
ミオの方もそれを理解しているようで「あァ」と吐き捨てるように首を振った。
「……なるほど。水入りみたいですね」
「心配するなよ。僕だって勝たなきゃいけない理由があるんだ。焦らなくても最終日には殺してやるから楽しみにしてろ」
「…………はぁ。ええ、ええ、そうしましょう。首を洗って待っていてください」
総員撤収、とミオが呟くと同時、支配下の連中も一様に撤退を始めた。
その異様な光景に困惑しているのか、それとも何かしら考えているのか。第三勢力も大人しくしている。
「儚廻」「い、今の……」
「説明は後でするよ。でもごめん、今は任せて欲しい」
黒崎と伊庭を手で制して、他の連中が隠れている方に向き直る。
そうだ、休んでいる暇はない。僕にはまだ仕事が残っている。
ここに集まって来た連中を取り込むという仕事が。
「……今のがお前たちの晒された苦境の元凶だ。個人個人で立ち向かったところで決して勝ち目はない。対抗するにはこちらも数を揃える必要がある」
――お前の援護射撃を受け取るぞ、汐霧。
「だから、力を貸せ。この儚廻遥がアイツを倒す手伝いをしろ。さっきの戦いを見て、まだ僕の実力を疑う奴がいるのなら……それはもう、仕方がない」
僕はおもむろに木に刺さっていた刀を引き抜き、真っ直ぐに振りかざした。
「この場で相手をしてやる。全員まとめて掛かって来い」