綺麗なお墓を作るから
◇
衝撃の事実から数日が経ったある日。
放課後、僕は汐霧、下校後に合流したクロハを伴ってナツキ本社――お嬢さまの家を訪れていた。
ホテルにも似た巨大な企業ビルを見上げ、クロハが呆然と言う。
「すごく大きいわ……」
「東京で一番大きな企業だからね。就職するならおすすめだよ」
確かクサナギ学院の卒業生も何人か在籍していたはずだ。当然倍率は目を見張るほどだが。
巨大な駐車場を抜け、一階の受付で用件を伝える。話はお嬢さまが通しておいてくれたらしく、すぐにゲストコードを発行して貰えた。
認証機を抜け、エレベーターに乗り込む。四階を選択。
すぐに開いた扉から出ると、少し入ったところにお嬢さまが立っていた。
なおこのビルの最上階はお嬢さま達那月家の邸宅となっている。そこから直接降りてきたからか、いつもの制服姿ではなく私服である。激レアだ。
格好は大きいサイズの橙色のパーカーに黒レギンス。意外とラフな格好が好きだったりするのだろうか。
「遥」
「お待たせ。今日はよろしくね」
「ここで扱っているもののカタログ。気になるものがあったらこの階の3Dプリンタからサンプルを作れるから」
「ん、了解。……おお、いろいろあるなぁ……」
渡された端末を適当にスワイプするが、ここにないものは東京コロニーに存在しない――そう思えるほど質も量も揃っている。ある程度のオーダーメイドも出来るらしい。
今日ここに来た目的は汐霧とクロハの武装を整えるためだ。流石に氷室の作るような超兵器は無理だろうが、それでも充分すぎる品揃えだろう。
「ちなみにお嬢さま、お安くなったりとかは……」
「……会社は汐霧憂姫を広報に使いたいそうよ」
「だってさ。やったね汐霧。メディアデビューだ」
「私でよければ構いませんけど……」
新進気鋭の現役Aランク魔導師となれば宣伝効果は抜群だ。個人の装備を用意するくらいタダも同然だろう。
しかしそういうことなら先にサインとか私物とか貰っておこうかな。何の媒体か知らんがコイツならすぐ人気出るだろうし。それから売り捌けばかなりいい感じに錬金できるのでは……?
「ねえ汐霧――み゛っ」
「そういうことだから。お金のことは気にしないで、貴女の好きな武器を選びなさい」
「……ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えますね。クロハちゃん、行きましょう」
「え、ええ……」
そう言って離れていく二人を見送ってしばらく、ようやくお嬢さまは僕の襟首を離してくれた。
げほげほと咳き込んでいると、お嬢さまは「あなたはこっち」とだけ言ってスタスタとエレベーターに乗り込んでしまう。ので、後を追う。
「何か用? お嬢さま」
「着けば分かるわ」
にべもない。仕方なくどんどん流れていく階層の表示をぼんやりと眺める。
地上階から地下階へ。それから更に三つ――B4階でようやく停止した。
フロアマップを見るに、どうやらこの階は新兵器の実験設備が集まっているらしい。上階ととは打って変わって飾り気のない通路を進んで行く。
やがて『実戦型多目的試験運用室』と長ったらしく書かれた大扉を開き、中に入った。
がらんどうな円形の空間。硬質な床、天井、壁全てに細々とした傷が見受けられるが、それでも埃一つ見当たらないほど整備が行き届いている。
クサナギ学院にもアリーナと呼ばれる屋内演習場が幾つかあるが、それよりもずっと広大だ。
しかし、こんなところに連れてきて一体何を……?
疑問に思う僕を他所に、お嬢さまはおもむろに振り向いた。
「……ここならいいでしょう」
「お嬢さま。一体何を――」
言葉を切ってバックステップ。飛来した氷刃を首を捻って避ける。
伸び気味だった後ろ髪が切り裂かれ、辺りに舞った。
瞬間、直上から魔法の気配を察知し、弾かれたように見上げる。そこでは可視化するまで高められた魔力が積乱雲さながらに渦を巻いていた。
降ってくる――雨粒の如く、必殺の魔力弾が!
回避は間に合わない。
防御は可能か判らない。
僕は真上に左腕を突き上げ、魔力を解放する。
「【アーツ】!」
魔力砲が雲を吹き飛ばし、天井に衝突して爆発を起こす。
追撃は――ない。お嬢さまは氷刃を投げた体勢のまま、こちらをじっと見つめている。
突然の暴挙の意味が理解できず、僕は声を上げる。
「お嬢さま! いきなり何!?」
「観測機の類は切ってある。心配は無用よ」
「そうじゃなくてッ……ああもう、僕また何か気に障ることした!?」
「いいえ。これは善意」
「せめて僕にも分かるように言ってくれないかなぁ……!」
「――受け止めてあげる、と。そう言っているのが分からない?」
ひゅ、と。
僕の息を呑む音が、嫌に大きく聞こえた。
普通なら意味分からんと突っぱねるところだ。しかし、他ならない僕自身だけはそれが事実だと知ってしまっている。
……まだ勘違い、早とちりの可能性だって。全く別のことを言っているかもしれない。いや、そうであってくれ。
「……はは。何言ってるのか全然」
「この前の事件で、あなたは使い過ぎた。原因はそれでしょうね。バランスが崩れて、戻れなくなっている」
「…………」
「衝動も日増しに強くなっているんじゃない?」
「……衝動、か」
駄目だ。
勘違いなんかじゃない。
お嬢さまは今の僕の状態に気づいている。僕という存在を知っている。
それがどういうことなのか。どこまでも絶望的な事実に、しかし打ちひしがれている暇はない。
だって、今もお嬢さまの話は続いているのだ。
「……学院、街、家。これだけ人に囲まれながら生活していて、今も耐えられているのは素直に感心するわ。けれど、いずれ限界は訪れる……」
「いずれ、ね」
「ええ、いずれ。遠くない未来、遥は人を殺すわ。それは汐霧憂姫かもしれない。あのクロハと呼ばれた女の子かもしれない。他でもない、あなた自身の殺意と感情で」
「……ねえ、お嬢さま。吐く言葉には気を付けて。それが引き金になるかもしれないって……まさか分からないわけでもないでしょ?」
「そういう言葉は受身な態度で言うものじゃないわ。重みのない脅しに、意味なんてありはしない」
そうか。
そうかよ。
じゃあ、聞いてやる。
そんな意図が顔に出ていたのか。
お嬢さまは溜息を一つ吐いて、言った。
「……その髪と顔。いつになったら元に戻るの」
「…………はは」
僕はへらへらと笑う。
今の言葉の意味するところ。禍力を解放して『彼女』と混じり合った肉体のこと。
あの日から、汐霧や、知らない人にまで性別を間違えられるようになった。
髪が伸びていると指摘されて、けれど切っても再生してしまってキリがないから切らずにいた。
お嬢さまは僕が禍力を身に宿していることを知っていた。
それどころか禍力がもたらす人間への殺意と憎悪まで見抜いている。僕がそれを抑え込んでいることも、また。
ああ。
……ああ、糞。
僕はゆっくりと構えを取る。
その過程で覚悟を完了する。
瞬間、頭の中に誰のものか分からない叫びが響く。嫌だ、やめて、駄目という悲嘆の声の大合唱。頭が割れそうだ。
僕か、『彼女』か、それとももっと別の誰かのものか――関係ない。
そういう声を全て、全て全て掻き集めて殺意の炉にくべる。糧にする。小さな火種を燃え盛る業火に変えるのだ。
一瞬以下の刹那の時間、お嬢さまとの思い出が走馬灯のように去来した。
……後のことなんて知らない。裏工作が間に合うかなど考えない。ナツキを敵に回そうが構わない。せっかく出来た友達だとしても、やるしかない。
さあ。
友達を殺そう。
「ごめんね、お嬢さま。死んでくれ」
「……やる気になったなら、もう一度言うわ。――来なさい。受け止めてあげる」