密談はランチの後で
◇
「そういえば今日は汐霧達と来ていると言ったな」
「ああ、うん。そうだけど」
「さっきはお前が例に出していたが、アイツは元々軍としても引き入れるつもりだった。話は出来るか?」
「んー、僕はいいけど……」
ちらりと紅雛の方を窺う。大事な話とはいえ、せっかくのデートにこれ以上水を差すのは気が引ける。
一方の紅雛は特に機嫌を害した様子もなくほわんほわんと笑った。
「はーい、いいですよ。私憂姫さんとは一回話してみたかったんですよねー」
「そういうことだ。むしろ俺達が邪魔になりそうなものだが」
「聞いてみるよ。駄目そうなら悪いけど後日に回して欲しい」
分かった、と頷くのを尻目に携帯を取り出す。五分前にメッセージの通知。見ると汐霧から終わったから戻って来いという旨が届いていた。
ちょうどいいので汐霧に通話を掛ける。携帯を耳に当てると、そう待つことなく回線の繋がる音が聞こえた。
『もしもし、遥ですか? メッセージは見てくれました?』
「ああ、すぐ戻るよ。ところでさっき梶浦と会ってね。仕事の関係でお前と少し話がしたいらしいんだけど、いいかな」
『通話では駄目な内容ですか?』
「ああ。直接話したいらしい」
『……了解しました。私たちは最初のお店から動いてないので、待ってますね』
「分かったよ。ありがとう」
礼を言って通話を切る。マナーとして聞き耳は立てずにいたのか、梶浦はこちらを窺った。
「どうだった?」
「大丈夫ってさ。流石にあんまり歓迎はしてなかったけどね」
「充分だ。早速向かおう」
そう言って歩き出そうとする梶浦だったが、その袖を紅雛が小さく引いた。
「ねえ謙吾くん。私お腹空きましたよぉ」
「ん……もうそんな時間か。遥、お前達はもう食べたのか?」
「ううん、汐霧達も多分まだだと思うよ。話はご飯を食べながらにしよっか」
「そうだな。支払いは俺が持とう。付き合わせた礼だ」
「ヘイ、カガリ。この辺りで高級な店」
「ふっふー、一件ヒットです。ちょっとお高いけど落ち着いてて美味しいところがあるんですよねえ」
「……少しは遠慮をしてくれるとありがたいんだがな?」
ため息混じりの梶浦の言葉は、多数決の原理に則って民主主義的に黙殺された。合掌!
◇
クレハも咲良崎も梶浦と面識があったおかげか、彼らの参加には好意的だった。
唯一クロハは紅雛に人見知りを発動していたが、事前に買っておいたクソ甘いトマトジュースを渡させたら速攻で懐いた。実はコイツ、年上のお姉さんに滅法弱いのである。
そういうわけで、むしろ僕を一番睨んできたのは梶浦である。
「……おい遥。俺には彼女が咲良崎咲に見えるんだが?」
「似てるよね〜。偶然なことに同姓同名なんだってさ」
「先月何者かに医療刑務所が襲撃されたと聞いたが、お前、まさか……」
「はは、そんなわけないだろ? ここにいる咲良崎だってあの咲良崎とは違うよ。ちゃんと死体も上がったじゃないか」
医療刑務所から脱獄した咲良崎咲。しかしその三日後に彼女らしき死体がE区画で発見されている。
そういうわけでこの咲良崎咲という人物は全くの別人。名前は改名したものがたまたま一致しただけ。汐霧家のメイドとは縁もゆかりもありません。
「そんな言い分が通ると思っているのか?」
「通るさ。なにせ証拠がない」
「こちらで調べ上げてもいいんだぞ」
「どうぞお好きに。でも、ねえ、梶浦。そこまでして彼女の嘘を暴いて、それでどうしようって言うんだ?」
先の事件について、彼女は汐霧泰河に付いて行っただけという結論が出ている。軍がまともに捜索していないのがその証だ。
そんな女の子一人を調べ上げて、捕まえて。けれど得るものは何もない。梶浦ならそんな愚行はしないという確信があった。
「……あのな、そういうことを言ってるんじゃない。今度からは俺にだけでも話を通すようにしろ。いざという時は庇ってやるから」
「はは、ありがとう。お前ならそう言ってくれると思ってたよ」
へらへらと笑うと、呆れ果てた顔でため息を吐かれた。心労が思いやられるなぁ。可哀想に。
そんな会話をしながら学園街を歩き、入り組んだ路地を通って紅雛おすすめという料理屋に入る。入り口には大きな水槽があって、たくさんの魚が悠々と泳いでいた。
店の中は入口からは見通し辛い。入ってみると僕たち以外の客がほとんどおらず、身なりのいい老紳士とそのメイドらしい女性のみが見えた。
そこで僕たちに気付いたらしい店員がやってくる。恰幅がよく、柔和で愛嬌のある印象を受けるが、その脂肪の下の筋肉と表情筋の動かし方でそれが計算されたものだと気付く。
……店の構造。客層。店員の雰囲気。
察した僕は紅雛に囁きかける。
「紅雛、ここ……」
「いいでしょー? このお店、静かで秘密の話をするのにもってこいなんですよね〜」
「……そりゃそうだろうね」
だってここ、ヤクザが密会に使うような店だもの……。
だというのに、店員に案内された大人数用お座敷席に座る面々はみんな非常にリラックスした様子である。
こういう店の方が落ち着けるとか、ちょっと人としてどうなんだろう。人生歪み過ぎじゃないだろうか。
とはいえ料理に罪はない。紅雛の勧めた通り、あるいはこういった店の定番通り、料理の味は非常に良かった……らしい。多分。みんなの反応的に。僕はいつも通り胃液と格闘してたので分からん。
そうして僕が悶絶している間に、梶浦による説明は行われていたようだ。気づくと雑談の類は消沈していた。
汐霧はお行儀よく口元を拭き、口を開いた。
「……なるほど。話は分かりました」
「MB事件、そして先月の事件両方の解決。今や『汐霧憂姫』は名実ともに今代の英雄となりつつある」
「前線の戦意高揚。加えて軍への支援増大のためですね」
「そうだ。そして一個人の戦闘能力としても是非協力して貰いたい」
「正規軍には全ての魔導師に対して徴兵権があるでしょう? 私の意思なんて聞く必要ないと思いますけど」
「それでは意味がない。無理矢理引きずって行けばむしろ逆効果になり得る。何より……正規軍の存在意義は国民の盾となること。どれほど苦しい状況でも、戦意のない者戦わせるのは理念に反する。出来る限り避けたいんだ」
無論、そうも言っていられない状況だ。梶浦とてそこに拘泥する気はないだろう。
だとしてもそれは忘れていいとイコールにはならない。世界を回すのはいつだって建前と努力目標だ。
それはそれとして僕にはそういう話一切振られなかったんだけど。差別は良くないと思います。
「……すみません。お手洗いに。遥、付き合ってください」
「ん……えっ?」
なされるがまま手を引かれてトイレに連れ込まれる。違和感を感じる間もなく。
密談と言えば女子トイレ。個室なら声が漏れることもなく、多目的トイレなので広さもバッチリ。うん、まあ、確かに分かる。納得もでき……
……女子トイレ?
「えっ!?!?」
「うるさいです。とっとと帰らないと咲に誤解されちゃいますよ」
「ぼ、僕を変なプレイに巻き込まないでください……」
「えいっ」
的確に顎を殴られた。肘で。
吐き気を堪えるのに精一杯で強制的に黙らされる僕。食べ物を無駄にしてはいけない。
「さっきの梶浦の話、遥は参加するんですよね?」
「……ヴッ」
「私には参加する理由はありません。お父様をパンドラにした犯人と異界は無関係でしょうから」
「あ゛ァ……」
「確かに今の私の立場上断れません。けれどあくまで戦意高揚、民意獲得のためのカンフル剤です。正規軍も私を直接異界に攻め込ませる気はないと思います」
そこで汐霧は屈み、優しく僕の背中をさすってくれた。うっかり惚れちゃいそうになるが、よく考えたら全部コイツのせいである。
マッチポンプの典型例、というか拷問の常套手段じゃんねこれ。
「遥はどうして今回の遠征に参加するんですか?」
「……はあ、ふぅ。そんなの梶浦に強制されたからに決まって」
「それでもあなたならいくらでも逃げられるでしょう? 無理でももっとじたばたしてるはずです。そうじゃないってことは、何か理由があるんですよね」
「……お前に隠しても今更だから言うけど、妹を救う魔法を作るためにヒトガタの核が必要になってね。だから異界の主を殺しに行くんだ」
「初耳の情報については帰ってから聞くとして。まあ、そんなところだと思いました。それなら私の力は必要ですか?」
「…………」
言われ、考える。
汐霧は強い。藍染との戦闘を経て更に強くなった。概念干渉を持たないとしても、連れて行けば絶対に役に立つだろう。
無論異界では何が起きるか分からない。彼女を失うリスクも等しく存在する。
だが……それを差し引いても、だ。
「ああ、必要だ。僕にお前の力を貸して欲しい」
素直に頭を下げると、汐霧は優しく微笑んだ。
「じゃあ決まりです。私も攻略に直接参加します。梶浦にもそう話しますね」
「ありがとう。ちゃんとお金も払うよ」
「え、いらないです。私の親切を安く買い叩かないでください。そんなことより遥こそいいんですか?」
「え、何が?」
「こんな大きな作戦に参加したら学院の落ちこぼれなんて誰も信じなくなりますよ。たとえ私のついでってことにしても」
「…………アッ」
やべえ。
それは超やべえ。
せっかく学院に通ってる理由、その半分がゴミになる。
「まあ私はその方が嬉しいからいいんですけどね。……だいたいなんで落ちこぼれなんか演じてるんですか? 実力隠すにしてももっと中くらいの方がいいと思いますけど」
「……えっと、話さなきゃダメ?」
「この件について、私の協力が必要ないならどうぞご勝手に」
「……………………優しい人を探したくて」
「は?」
滅茶苦茶怪訝な顔をされる。そうなるから話したくなかったのに……。
「ほら……友達って優しい人の方がいいじゃん? 僕みたいな落ちこぼれ、クズの中のクズに寄ってくるのなんて本当に優しい人か本物のクズのどっちかじゃん? だから……」
「……そう、なります?」
「た、多分……?」
学院で出来た友達が藤城とお嬢さまの二人だけなのでなんとも言えない。圧倒的に母数が足りてねえ。
……いや、その。正直僕もちょっと極端にやり過ぎたとは思っていたりする。
「正直な感想いいですか? すっごく気持ち悪いです」
「いや絶対言われると思ったけどさぁ、無理矢理聞き出しといてそれはないでしょ」
「だってキモいものはキモいですもん。あ、だから友達全然いないんですね。性格悪い上にキモいってみんな近づきたがらないのも納得です。顔面の無駄遣いですね」
「お前急に友達たくさん出来たからってイキリやがって……もしかして人の心をお持ちでない? ああゴリラだもんな。森の言語で言わないと分からないよな。ウホウホ? ウッホホウホホキャ!」
「……え? 吐き気がまだするから水が飲みたい? 仕方ないですね、手伝ってあげます。押さえててあげますから便器の水をたらふくどうぞ」
角突き合わせんばかりにガンを飛ばし合う。頭の中の冷静な部分が、僕どうしてこんなことやってるんだろうと虚しく嘆いて。
次の瞬間、扉の外の通路に生じた気配を察知。僕と汐霧は溜息を吐き、停戦した。
「……クロハかな?」
「ジュースたくさん飲んでましたもんね……」
流石に本来の用途で利用する者が優先されるべきだろう。
念のため手を洗い、扉を開ける。
さて汐霧といたことをなんと説明するべきか、まあ適当でいいだろう――なんて考えていたら。
「……………………えっ」
「「あ」」
扉の前にいたのはクロハ……ではなく。
呆然と僕たち二人を見つめているのは、あの身なりのいい老紳士の付き人らしき女性だった。
西暦2222年7月現在、男性が女子トイレに侵入するのは普通に犯罪である。
金を握らせ――クソ、間に合わない――!
しかし女性は気まずそうな顔ではあるものの、叫ぼうとも店員を呼ぼうともしなかった。
「あ、その……そういうのは然るべき場所でした方が……」
「え?」
「な、何でもありません。失礼しました」
そそくさと隣を通り抜け、トイレに入る付き人の女性。
その間際、扉が閉じる直前の僅かな隙間から、こんな声が聞こえた。
『……まさか女の子同士で……こんなところでやってるなんて……怖』
「「…………」」
結論から言おう。
僕はガチで凹んだし、汐霧は周りがドン引きするレベルでゲラゲラ笑い転げてた。