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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
127/171

あなたの名前を呼びたくて


 少女の過去はそこで終わった。

 僕は意識を取り戻す。


「……っ!」


 ズキズキと頭が、のみならず全身が破滅的に痛みを発している。

 少女の受けた実験、拷問、陵辱。それら全てを実体験として体験したことによる痛みだ。

 過去20年間で蓄積されてきた、少女の人生そのものとも言える痛みが一斉に襲いかかってきている。


 これは……確かに、痛いな。


「……これ、さえもっ……!」


 そんな僕の背後、チェーンソーを振り抜き、駆け抜けた姿勢のまま止まっていた少女から、声が上がった。

 戦慄したような声色。肩で息をして、片膝をつく。


 しばらくの間、荒い息遣いの音だけが場を支配し……そうしてしばらく。先に言葉を発したのは、少女だった。


「あは……まさか、この技でも敵わないなんて、ね」

「……そんなことないよ。少なくとも、単純な痛さだったらお前の方が上だったと思う」

「そうかな……どうだろね」

「お前は年上のお姉さんなんだろ? 自信持てよ」

「持ったことないものを持てって言われてもなぁ……でも、じゃあ、それなら……どうしてこうなってるんだろう?」


 過去受けた痛みの量はほぼ等しく、何なら少女の方が上回っていたかもしれない。

 だというのに、立っているのは僕で膝をついているのは少女だ。勝者と敗者があべこべになってしまっている。


 だが、それはおかしなことでも何でもなかった。


「それ、聞くようなことか? もしかして自覚がないのか」

「やっぱり……ワタシの過去がそんなに苦しくなかったからかな。それともお兄さんが痛みを苦しいと思わない人間だから? ううん、単純に精神力が……」

「違う。馬鹿め。何を言っているんだお前は。もう一度言ってやる。馬鹿め」

「そ……そこまで言う……!?」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い。全部的外れにも程がある……ったく、本当に分かってないんだな。お前の妹達の苦労が偲ばれるよ」


 確かに僕は痛みを苦しいと思わない。

 確かに僕の精神は少女より多少図太いだろう。

 だがそんなこと、この話には何の関係もない。


 僕が平気だった理由なんて、そんなのはどこまでも簡単な話だ。


「――この魔法に欠陥があるからだよ」

「……欠陥?」

「ああ。この魔法は相手の精神を削るのが目的なんだろう? なら、見せる光景はとびきりキツくて苦しいものじゃないといけない」

「だからワタシの過去を……」

「それが間違ってるんだよ。だってそうだろう――僕が見たのは、地獄の底でなお妹のために足掻いてきた女の子の姿だ。ずっとずっと、誰よりも頑張ってきた人間の人生だ。…そんなものを見せられて、どうしてキツいだの苦しいだの思えるんだよ?」


 ずっと彼女は戦ってきた。

 不幸という名の姿も見えない、どうしようもない敵と、それでも諦めず、歯を食いしばって戦い続けてきた。


 それは紛れもない勇姿だ。

 この世の何より素晴らしい聖域だ。

 そんなものを見せられて、力を貰うことこそあれ、心を折られるなんてあり得ない。


「確かに痛かったよ。確かに辛かったよ――だとしても、浮かぶのはお前への敬意だけだけだ」


 自分の全てを懸けて何人もの妹を、命は救えずとも、その心を救い続けてきた一人の少女への。

 何より、同じ道を歩む僕に背中を見せてくれた、その偉大さへの。


「だから、この魔法は精神を刻む醜悪で悪辣な魔法なんかじゃない。見た者がお前を好きになるような、そんな文字通りの魔法に他ならない」

「…………」

「疑ってるか?」

「……うん」

「じゃあ、もう一つ教えてやる。僕がお前に……まだ敵であるお前にずっと背中を向けている理由」

「……?」

「はは。それじゃ答え合わせだ」


 僕は振り返る。少しの気恥ずかしさを覚えながら。

 少女は少しだけ目を見開いて、その答えを口にした。


「……お兄さん、泣いてる……」

「ああ、正解だ」


 僕は泣いていた。

 夢から覚めると、涙を流していた。

 悲哀でも憐れみでも断じてない。

 言葉にするなら、そう。


「あまりに美しく、尊いものを目にした時、ヒトは涙を流す。バケモノだとか人間だとか何も関係なく――なんてね。はは、授業料は代わりに僕が払っといてやるから、ちゃんと覚えておいてくれよ」

「……ありがと、お兄さん。忘れないよ。絶対に忘れない……」


 少女は顔を伏せ、チェーソーを支えに立ち上がる。

 目元を手の甲で拭い、少し腫れた目で僕を見て……ポツポツと語り始めた。


「……お兄さんは二つ教えてくれたから、ワタシからも二つ教えてあげるね」


 なんだろうか。人格否定されなければいいけど。

 頷き、続きを促す。


「ワタシさ、気付いたんだ。お兄さんの精神(こころ)はとても強い。だけど、その感性はとても普通(・・・・・)だ。異常者や逸脱者じゃない。普通の人と全く同じで、痛いものは痛いし、人殺しは嫌いだし、愛とか友情とかをとても尊いものだと思ってる」

「…………」

「痛みを苦しくないって思えるのだって、別に痛くないからじゃない。『痛みの分だけ成長できる』……そう信じてるから。成長と痛みを秤にかけて、迷わず成長を取れるほどに、自分の苦しみに価値を感じていないから」

「…………そうだね」


 そうだ。

 その通りだ。

 僕の内面は凡庸そのもの。


 アリスのように狂気の鎧を纏っているわけでも、シグレのように別の物として変質したわけでもない。

 汐霧のように欠落を抱えて生まれて来たわけでも、少女のように禍力に歪められたわけでもない。


 どこにでもいるただのクズ。先生に出会わなければ野垂れ死んでいた無能。

 生きている価値なんて妹を救う以外になく、必然生きるために鳴る苦痛(アラート)になど意味すら皆無。


 そんなことは当たり前すぎて、教わるまでもない。


「それで? 僕の精神が普通だったら、それがどうした?」

「そう。お兄さんの精神はとても正常で、とても普通。なのに……普通なら気が狂うような痛みを、普通のまま受け入れてる」

「何の話かな」

「嘘だよ。心を武器にするワタシには分かる。――例えるなら巨木。悠久の時を重ねた世界樹のような。特別硬いわけでも鋭いわけでもない、ただ全容が見えないほど大き過ぎるだけ。だから多少枝葉が傷つこうがびくともしない。それがお兄さんの精神(こころ)の秘密……違う?」

「…………そんな大層なものじゃないさ」


 もし本当にそうなのだとしたら、それは先生とトキワの教育が優れていたからだ。

 僕の正気を保ったまま、狂気に堕ちるのを絶対に許さず、鍛え続けた。痛みを与え続けた。

 僕はそれに応え続けただけに過ぎない。


「で、もう一つはなんだよ」

「あれ。照れてる?」

「調子乗んなクソガキ。いいから喋れよ」

「かーわい……はいはい、そんな睨まないの。ん、もう一つはそんなすごいことじゃないよ。でもお兄さんは絶対に知らないこと」

「あ?」


 聞き返すと、少女は花が咲くように笑った。


「ワタシね、なんかお兄さんのこと好きになっちゃったみたいなんだ」


 ……驚きとか、呆れとか。

 そんな感情で、おそらく僕は大層滑稽な顔をしていたのだろう。

 少女がこっちを見てとても楽しそうに笑ってたから、間違いない。


「…………あー、うん。正気?」

「正気だよぉ。人生で初めて告白した女の子にそれは酷くない?」

「いや、まあ……もちろん嬉しいけどさ。僕の頭の中見てそれ言う?」

「えー、お兄さんこそさっきワタシのこと好きとか言ってたじゃんさ。……それともやっぱり嘘だった?」

「嘘じゃない。本当だよ。僕はお前が好きだし、お前に好かれて嬉しいと思っている」


 自分が好きになった人から好かれるのが嬉しくないわけがない。

 普段滅多にないことだから、なおさら。


「よかったぁ。あーはは顔あっつい。あ、ねえ、ねえ、どう? やっぱり知らなかったでしょ?」

「まぁ……そんな素振りなかったし」

「実はワタシもさっき気付いたばっかりなんだよね」

「は? ズルじゃねえか」

「あはははは」


 ケラケラと笑う少女。その楽しそうで嬉しそうな表情に毒気を抜かれてしまう。

 ……全く。妹達に好かれるわけだよ。


「さて、と」

「うん」


 僕と少女は示し合わせたように視線を合わせた。

 少女は、呼吸こそまだ乱れているものの姿勢は正常で、負傷も全て再生している。ほぼ万全といっていい状態だ。


 戦いはまだ終わっていない。

 少女がゆっくり口を開く。


「……お兄さんの人生を見て、分かった。お兄さんはワタシより強い。ワタシじゃお兄さんには勝てない。()任せに戦う今のままじゃ、絶対に」

「かもね。だったら?」

「研ぎ澄ます」


 バキリ、と少女の持つチェーンソーから音が上がった。

 赤色の外装が剥がれ落ちていく。少女の精神の具現化であるチェーンソーがその色を変えていく。


 それはまさしく羽化そのもの。

 醜いアヒルが美しく気高き白鳥へと進化するように。

 原石が研がれ、宝石となるように。

 今までよりもなお、血塗れ女(テスタロッサ)の名に相応しい色へ。


 赤色から――真紅へと。


「ん……多分次が最後だ。行くよ、儚廻遥(・・・)

「来い…………あー、お前名前ないんだっけ?」

「そうだけど……なに。嫌味?」

「違うっつの。せっかくお前が名前呼んでくれたのに、僕から何も返せないんじゃ締まらないだろうが」


 実を言うと、考えていたのだ。

 あの日、デートの終わり。夕闇に染まる路地裏で別れた時に少女が口にした言葉。


『だから……『クロハ』。あの子に名前を付けてくれてありがとう。いい名前だと、心からそう思うよ』


 その声色が、とても優しく、穏やかで……少しだけ羨ましそうだったから。

 だから余計なお世話だろうが、自己満足だろうが、押し付けてやると決めたんだ。


「――『クレハ』。僕が考えたお前の名前だ。僕の知る中で最も鋭く、最も綺麗な魔法の名から取った。……贈らせてはくれないか」

「…………ん、いいよ。断ったらお兄さんが可哀想だし、受け取ってあげる」


 本当は欲しくもなんともないんだけど、やれやれ――と。

 そう言って、心底嫌々とした態度で、肩をすくめて見せる。


「クレハ。クレハかぁ。うーん、正直安直だし、元は魔法の名前だし……そもそもワタシ、名前なんか全く欲しくもなかったし……」

「気に入らなかったなら悪かったよ」

「……まあでも、お兄さんのセンスの悪さは知ってるし。それにしたら、まあ、上出来なんじゃない? クレハ、クレハ……うん、あの子(クロハ)とお揃いだし、どっちかといえばいい名前かな。いい名前だし、しょうがないから、不本意だけど、気に入ってあげる」


 長々とそんなことを言って、少女は――クレハは結局、喜んでいるようだった。

 まぁ……なんだかんだ喜んでくれているなら僕も報われる。良かったよ。


「……お兄さん」

「なんだ」

「ひとつだけお願いがあるの。聞いてくれる?」

「……特別だ。言ってみろ」

「どうか、死なないで」


 そう言い、クレハは限界まで前傾して超加速の体勢を取った。

 どれだけの力を込めているのか、チェーンソーを持つ両手の爪がバキバキと割れ、再生していく。


 狙いは明白。

 心臓への一閃だ。


 死なないでなどと言っておきながら、その姿は凄まじい殺気を放っていた。

 勝てないなどと言っておきながら、本気で僕を殺す気でいる。

 僕は応じるように足を肩幅程度に開き、両手を握り締めた。


「それじゃ、今度こそ……行くよ、儚廻遥」

「……ああ。受け止めてやる。来いよクレハ」


 返歌を詠むように返した、刹那。

 クレハが真紅の光となって、叫び、駆けた。


「ウラァァァァァァァァァァァーーーーー!!!」


 爆発的な速度で間合いが詰まる。

 横一閃の斬撃が最高速度で心臓へと放たれる。


 オーバークロックした思考が目に映るもの全てを停滞させる。

 スーパースローの世界。

 馴染みの感覚。

 生存本能が大音量で警鐘を鳴らしている。

 到達まであとコンマ一秒。


 あのチェーンソーの切断力と、僕の身体能力を『共有』した剛力。

 喰らえば間違いなく死ぬだろう。

 防げはしない。肉や骨の強度では決して。


 そんな死の瀬戸際で、僕は思考を重ねていた。


 ――ずっと考えていたことがある。

 コイツを倒す方法だ。


 記憶を実体験して理解した。彼女は痛みじゃ諦めない。どれだけ殴っても彼女の心は削れない。

 ならばどうする? 痛み以外で、どうすればコイツの精神を折ることが出来る?


 そして、その答えは自然と出ていた。

 必殺の一撃の完全防御。それしかない。


 防げない攻撃を完全無欠に防ぐ方法。

 矛盾する条件だが、心当たりはある。

 想起するのは万が一シグレと――あの絶対切断の使い手と殺し合いになった時のために考案だけしていた技だ。


 試したことはない。机上の空論でしかない。出来るかどうか半信半疑。

 けれどコイツを倒してクロハを救うには、やるしかない。


「――!?」


 クレハが息を呑む。

 正気か、とその目が物語る。

 僕が何かしたから、ではない。


 その逆。

 僕が何もせず、構え一つ取らず、彼女を待ち受けていたからだ。


 ――言っただろう。受け止めてやると。


 斬撃が到達する。

 僕はただ、覚悟だけを決めた。


「―――!」


 驚愕の気配。

 生じた旋風が僕たちの髪をかき乱していく。


 ――それは、あり得ざる光景だった。


 チェーンソーが止まっている。心臓まであと一センチもない場所で、激しく肉を削り飛ばしながら、火花を散らして、拮抗している。

 目と鼻の先で、クレハが目を見開いている。彼女は一切力を緩めていない。手加減もしていない。だというのに、人体程度を両断出来ずにいる。


 そして、気付く。

 その理由に。


「切断より早くっ……再生を……!?」

「……正ェ解ッ……!!」


 そう。

 防げない攻撃を防ぐ方法。

 僕が選んだのは、チェーンソーが切り裂くより早く、肉体を再生することだった。


 単純に、1切り裂かれる間に2再生してしまえば、どんな斬撃でも防ぐことが出来る。これは相対的な話なので、どんなに鋭いは刃物でも関係はない。

 クレハのチェーンソーの攻撃力が100とすれば、僕の再生力は1程度。ならば簡単な話、100倍以上再生力を強化すればいい。

 問題はそんなことが本当に出来るのかどうかだが……こうして第一段階は潜り抜けられた。


 賽は投げられたのだ。

 あとはやり抜く他に道はない。


 ――さぁ、ラストダンスだ。


 クレハがめり、とチェーンソーに力を込める。

 僕はぎり、と歯を食いしばる。


「らァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

「ガアアァァァァァァアアアアアアアアアアッ!!!!!」


 雷鳴のような轟音。

 咆天(ウォークライ)が二つ。

 チェーンソーが僕の体を削る音。

 煉獄じみた激痛。

 綺羅星の如き火花。

 血飛沫と肉片が乱れ飛び、少女の体を改めて染め上げる。


「切ィィり裂けェェェェェェェェェェェェェ!!!」


 クレハの気迫(さつい)がチェーンソーを一ミリ前進させる。

 心臓まで――僕の死まで、あと九ミリ。


 口の中で噛み締めた奥歯が折れる。

 足りない、足りない。まるで足りない。これじゃ死ぬ。このままじゃ殺されるぞ、僕よ。


 僕が折ろうとしているもの。この一撃はクレハの人生そのものだ。その重さを受け止めるには、僕の器はまるで足りない。

 だったら――成長しろ。進化しろ。今ここで、今すぐに!


 器が足りないなら、足らせてしまえばいい。

 足らせてしまえるほどに、強くなればいい。


 大丈夫。僕なら出来る。

 痛みが僕を強くしてくれる。

 だったら、これだけの痛みがあれば――幾らだって強くなれる!


「負、け、る、かァァァァァァァァァァァアッ!!!」


 全身の禍力を再生力にのみ注ぎ込む。

 再生と切断が再び拮抗する。

 否――一ミリ。たった一ミリだけ、押し返した。


 一瞬、一秒、刹那の時間。

 僕の再生が上回った何よりの証だ。


 まだだ――もっともっともっと!

 コイツを救えるくらい、もっと強く!


「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォオッ!!!」

「シイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!!!!」


 少女が踏み出せばチェーンソーが一ミリ進む。

 僕が踏みとどまれば再生が一ミリ刃を押し返す。

 余剰の衝撃が嵐のように吹き荒れ、僕とクレハ以外の邪魔なもの全てを攫っていく。


 台風の目となったその中心で、一進一退の攻防が繰り広げられる。

 鬼や獣のように髪を逆立てた僕らの、地獄のような我慢比べがいつまでも続く。


 ふと、クレハの声が脳裏に響く。


 ――苦しい。痛い。

 ――辛いよ。嫌だよ。

 ――もうやめて。

 ――傷つけたくない。殺したくない。

 ――どうしてそこまでするの。

 ――わたしなんかのために。


 今なおウォークライを謳い続けるクレハが口にしたものではない。

 僕は直感的に理解する。

 これはクレハの心の声だ。彼女の精神を具現化した【血塗れ女(テスタロッサ)】から流れ込んできている。


 泣き叫ぶような感情の濁流。

 こんなものを抱えて戦ってきたのか。

 戦いたくなどなかったのに。

 それしか方法を知らなかったから。

 戦い続けてきた彼女には――それしかなかったから。


「―――ッ!!!」


 お前は凄い。

 凄いよ。

 お前と出会えて良かった。

 なんか、じゃない。

 お前だから(・・・)僕はこうしてるんだよ。


 そう、一心に思う。

 通じろ、と。想いが逆流するように、と。

 僕は心の底からそう願った。


「オオオオオオオァァァァアアアアアアアアアッ!!!!!」


 耐え続ける僕は、何もかもが曖昧だった。

 もうどれだけの血を撒き散らしたか分からない。

 一体何秒、何分、何時間経った?

 ズキズキと頭が痛む。

 脳を灼く激痛に意識が白く白く白く染まる。


 ウォークライに血が混じり、轟音に晒され続けた両耳から血が流れ。

 血管の千切れた眼球の裏側から血涙が溢れ、過剰に再生した血液が肌を突き破って全身の毛穴から噴き出し続けている。


 血塗れで、余裕など一切ない。

 しかし、それは僕だけじゃない。


「イィィィィィィィィァァァァアアアアアアアッ!!!!」


 絶叫しながら渾身の力を振り絞り続ける紅き戦鬼の姿。

 限界まで引き出された身体能力に耐え切れず、骨肉が体内でひしゃげて潰れる音が間断なく聞こえる。

 チェーンソーを持つ手は焼け焦げたようにグチャグチャで、そのチェーンソー自体も動いているのが奇跡と思えるほど。機関部分にヒビが入り、刃は砕け散る寸前だ。


 双方、共に限界寸前。

 全身全霊、全力全開。

 これ以上はどこにもない。


 ここが勝負の分水嶺。


 ――だから、僕は。


「解イィィィッッ……放オオオオオオオオオオ!!!!!」


 絶叫した僕の足が前へ、前へ。

 血塗れの地面を踏み砕き、一歩前へ。

 限界突破、限界突破、限界突破。限界突破。

 自己進化にて足りない力を無理矢理創り出す。


 無論、そんなことをすれば更に深くチェーンソーに切り裂かれる。

 均衡は崩れ去り、一センチ、七ミリ、五ミリ――僕の死への秒読みが始まる。


 クレハが信じられないものを見る目で僕を見る。何故だかその瞳から涙が溢れ出す。

 心臓まであと三ミリ。


 全身の血が沸騰する感覚。チェーンソーの勢いが目に見えて落ちる。

 心臓まであと二ミリ。


 再生が超加速する。チェーンソーが焼け付くほどに回転数を上げる。

 心臓まであと一ミリ。


 もはや密着しているような僕とクレハの最後の拮抗。爆撃じみた衝撃波が巻き起こり、壮麗な宮殿風の玄関広場を見るも無残な姿に変えていく。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」

「うああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!」


 振り抜かん、とクレハの手に最後の力が込められた。

 押し返さん、と僕の体に最後の力が込められた。


 奇しくも同時。

 渾身の力同士がぶつかり合い、そして。


 ――そして、決着の時は訪れた。


 死力を尽くした衝突の果て。


 ――ぱきん、と。


 何かが砕ける澄んだ音が鳴り響いた。


「…………」

「…………」


 チェーンソーを振り抜いた体勢で停止しているクレハ。

 その体から力が抜け、ふらりと体が傾ぐ。


「……………………あは。これだけ……限界超えても……かなわ、ないかぁ……」


 チェーンソーの刃は根元から折れ飛んでいた。

 少し離れた場所に突き立ち、亀裂が走り、粉々に砕け散る。


 僕はクレハの体を抱き留めた。

 とても軽く、とても小さい。よくもこんなちっぽけな体で戦い抜いたものだと感服する。


 僕は一言、あらかじめ用意していた言葉を贈った。


「……お疲れ様。よく頑張ったね」

「…………ん」


 ……結局のところ。僕はこの一言を伝えるために頑張ったのだろう。

 同じ道を歩く者として、誰より頑張ってきたこの少女を労いたかったのだ。


 だから、だからこそ。

 僕が彼女を終わらせなくてはならない。


 破壊想、極大展開。


 クレハを抱き留めた両腕に禍力を纏う。

 彼女はもう抵抗せず、代わりに僕の背に腕を回した。そうして身を委ね、殉教者のように目を閉じる。


 ゆらゆら立ち上る高密度の禍力。

 『破壊』に特化した概念干渉。

 これを放てば、クレハは終わる。


 ……ほんの少しの寂寥感を胸に。

 僕は力を解放した。


「【セツナ】」


 どこまでも深い黒色を、クレハは静かに受け入れた。

血塗れ女(テスタロッサ)】(Aランク)

原理としては結界系統の応用で、クレハの精神を具現化する魔法。

ただそれだけの魔法であり、本来ならせいぜいBランク程度。故にこの魔法がAランク相当なのはクレハの精神が隔絶した強さを誇るため。


その凄まじい切れ味は万物を切り裂く。

概念的な干渉は出来ないものの、実質的な絶対切断にも等しい。

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