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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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血塗れ女の崩壊と破滅


 精神が崩壊していた。

 あれからどれだけ経ったか、どうなったのか、まるで分からず、そもそも考える知性がない。


 多分、殴られて、犯されて、ありったけの拷問と陵辱を受けたのだろう。

 ……どうでもよかった。何をされてもどうせ私は死なないし、私がどんなに苦しもうがあの子達への償いにはならないのだから。


 研究者共は最初こそ躍起になって嬲ったが、反応どころか反射一つ見せない私にとうとう飽きたらしい。

 次第に私は放置されるようになり……暗い部屋の隅っこで、ぶつぶつとうわ言を呟きながら窓の外を見つめるだけの時間が続く。


 不要と判断されたか、ホログラムが消されてただの無機質な広い空間でしかなくなった景色。

 乾いた五つの血痕。いなくなった妹達。……私のせいで、私のせいで、私のせいで。


 そうだ。

 私のせいなのに。

 だけど死ぬのは私じゃない。


「……あぁ……」


 言葉にならない呻き声を漏らす私は、やはり何も考えられない。

 考えなきゃいけないことがあるはずなのに、途端思考はぱちんと弾けてしまう。


 理性の残骸とも呼べる意思と、どうしようもなく壊れた精神がせめぎ合い……どっちつかずで幕を閉じる。

 そんないつも通りを何度か繰り返すと、限界を迎えた肉体が意識を手放してしまう。


 そうすると、夢を見る。

 内容は決まっていつも同じ、妹達が出てくる夢だ。


 夢の中の彼女達は何もしない。

 ただ、立っているだけ。

 平手の一発も恨み言の一つもない。

 ただ、悲しげにこちらを見つめるだけ……。


 やがて脈絡なく終わり、地下ゆえに夜と変わらない真っ暗な部屋で目を覚ます。

 しぶとく生にしがみついている感情が、安堵して、次に嫌悪する。


 妹達に責められなかったことを。

 そして、そのことに安堵した私自身を……。


 明晰夢、とでもいうのか。夢のことは起きても全部覚えている。

 どうして……彼女達は私を責めないんだろう。悲しげな目を向けるだけなのだろう。


 考えても、考えても、答えは出ない。


 ……いや、もしかしたら答えは出ていたのかもしれない。

 けれど、そのあったかもしれない答えごと思考はすぐに霧散する。何も残らず、私は思い出せず、無限に思考を重ね続ける。


 まるで賽の河原。

 あるいはそれそのものか。

 何故なら、私はとっくに壊れて死んでいて……ここは間違いようもなく地獄なのだから。



◇◆◇◆◇



 首から上を水中に沈められている感覚。

 電気ショックが全身を貫く感覚。

 腹を真上に蹴り抜かれる感覚。


「…………カハッ」


 重ねて訪れたそれら三つの感覚(いたみ)を経て、ようやく私の意識は現実に引き戻された。

 久方ぶりにまともな像を結ぶ視界。私はぼんやりと顔を上げ、ついで周りを見回した。


 暗い密室、たくさんの研究者共。護衛の雇われ魔導師が何人か。なんてことないいつも通りの実験の風景。

 コイツらは私への興味を失ったと思っていたが……今更、何かやり残したことでもあったのか。


 ……どうでもいい、と結論を下して私は目を閉じる。

 嬲るなら嬲れ。殺すなら殺せ――。


『おい、踏み潰せ』


 そうして私が夢へと逃れる寸前で、魔導師のブーツが私の喉に振り下ろされた。


「……げェっ!!」

『喜びたまえよ。お前に贖罪のチャンスを与えてやろう』


 泡を吹く私のことなどお構いなしに研究者はそう宣う。

 聞いたことのある女の声――あの日、種明かしをしたあの研究者の声。察するに下衆共の頭か。


 そう知覚した瞬間、感じたことがないほどの熱が体を灼いた。


「こ……ロす……! ブッ殺してやるッ……!」

『おや? なんだ、意外と元気じゃないか。結構結構――もう一度踏み潰せ』


 言葉と共に蹴り込まれる靴底。首の骨がビキリと異音を発し、眼球がぐるんと上を向く。


『さて、生意気な口も塞いだところで話を戻そうか。実は先日タイプツー・ファーストが完成してね。お前には彼女たちの情操教育……要するに、ほら。お得意の『お姉ちゃん』をやって貰いたいんだよ。簡単だろ?』

「お前が……その名で、呼ぶなあッ!!」


 私は叫んだ。

 不意をついて魔導師の足を払い、獣のように女研究者に飛びかかる。


 飲まず食わずとは思えない私の速さに魔導師の反応が遅れる。

 どうせ禍力の恩恵だろうが、この際構やしない。


 喉笛喰い千切る。


『やれやれ。学習しないな』


 乾坤一擲の突撃は、女研究者の体を貫通した。

 しかし血は出ず、肉を破る感触もない。

 ホログラム――そう理解した瞬間、私は受け身も取れずに墜落した。


 即座に魔導師二人が動き、魔法の鎖を生成して私を縛り上げる。

 雁字搦めで転がされた私の前に、女研究者が屈み込む。


『話を続けよう。研究の結果だがね、学習プログラムは幼児期の素体には負担が大き過ぎることが分かった。だが神子は我らと使徒(パンドラ)様を結ぶための存在だ。知性がなければ話にならない』

「だれが……お前らなんかに……!」

『その反応は予想出来ている。ちゃんと飴を用意してあるとも。喜びたまえよ』


 ケタケタと笑う女研究者。私はもはや話など聞く気はなく、【カミカゼ】発動のための魔力を練り上げる。

 しかし魔法名を唱えようとしたその時、女研究者の一言が先んじた。


『タイプワン・ファーストからフィフスまでの五人。彼女達の安全と廃棄処分撤回を約束しようじゃないか』

「……………………え?」


 思考(さつい)が止まる。

 せっかく発動寸前だった魔法がゼロに還るが、気付いていたかすら怪しかった。


「あの子達が……生きてる?」

『考えてもみるといい知恵遅れ。夥しい犠牲(コスト)を払って作り上げた貴重な完成品をタダで捨てるとでも? お前がまだ生かされているのがいい証拠だろうに』

「それ、は…………だって、あの子達は私と違って……!」

『劣っていると? 確かに事実だけど、そんなものは私達から見れば誤差の範疇だ。お前如き無才が自分を特別な存在とでも思っているなら、それは才覚への冒涜だ。改めたまえよ』


 嘘だ、と理性が叫ぶ。

 否定は出来ない、と感情が喚く。

 せめぎ合い、拮抗して、どっちつかずの言葉が漏れる。


「…………証拠は……あるのか」

『つくづく予想通りのことしか言わないな。いいとも、見せてあげよう――ほら、ちょうど着いたみたいだ』


 パチンと指を鳴らすと同時、扉が開いて新たな研究者が五人ほど入ってくる。

 彼らはそれぞれ私の前に小包を置き、その結び目を解いた。

 ふわり、と全ての布が同時に地に落ち、その奥からある物が姿を露わにする。


 それは――何本もの子どもの腕。


「……ッ!!」

『しっかり理解してくれたようでなによりだ。そう、あれはお前の妹達の右腕だよ。一人につきちょうど10本ずつ。ついさっき切り落としてきたものだから、新鮮さも保証しよう。クク、これ以上の証拠はないだろう?』


 最後の台詞は二つの意味を孕んでいた。

 一つ目は妹達が生きていること。

 目の前の腕はどれも間違いなく妹達のものだし、10本全てが血が滴るほどに生々しい。少なくとも三時間は遡らないだろう。


 そして二つ目は、妹達が今も地獄の只中にいることだ。

 私に見せる、ただそれだけのために10回も腕を切り落とされるような扱いが苦しくないはずがない。ずっと続けば、遠からずあの子達は壊れてしまう。


『言うまでもないだろうが、お前が協力を拒むなら彼女達は廃棄処分になる。彼女達は逃げ出そうとした失敗作なんだ。そこに価値があるとすれば、お前の鎖となり得るという一点だけだよ』

「…………っ」

『ああ、でも……資産家の変態に売り飛ばすというのはアリだな。金になるし共犯関係を作るのにちょうどよさそうだ。お前たちは乱暴に使ってもいつまでも使えるし……ねえ?』


 それはこれまでの実験と称した虐待で、私がその身で何度も味わってきた地獄。

 ……私に選択肢はなかった。


「……………………従う」

『聞こえないな。誰が、誰に、どうすると?』

「……あなたに、……タイプゼロ・ファーストは、従います……」


 自分のことを製造番号で呼ぶ屈辱。

 それに震える惨めな私の懇願に、女研究者は満足げにうなずいた。


『――いいとも。それがお前のあるべき判断だよ、人形』



◇◆◇◆◇



 そうして、下衆共の言いつけ通りに生きる日々が始まった。

 それは客観的に見れば今まで通りだったが、以前と全く違うことがあった。


 私が、自ら望んで、奴らに協力していることだった。


 妹達を人質にされているとか、脅迫された結果とか、そんなのは何の言い訳にもならない。

 今までと違い、心の中で反抗することもない。『妹達のため』という大義名分で少女たちを地獄に堕とす手助けをしている――そんな下衆の一員が何を思おうと、ひたすら空々しいだけだ。


 タイプツーから先の素体たちは、妹達と違ってどこかしらから誘拐されてきた普通の少女たちばかりだった。

 なんでも私や妹達の研究で、完成への道筋がある程度判明したらしい。よって一人一人のクオリティより、とにかく大量のデータが欲しかったからだとか。


 そういう事情もあって、私は親元から引き離されて怯える少女達の拠り所となれるように振る舞った。

 頼れる存在が誰もいない環境で、優しく振る舞い、年齢が近く、その上寝食を共にしていれば自然と懐かれる。


 辛いことがあれば抱きしめて。

 分からないことがあれば教えて。

 眠れない夜は物語や子守唄を聞かせて。

 いいことがあった日は頭を撫でて。


 私のせいで生まれた少女(バケモノ)達は、そうとは知らずに私に笑顔を向けてくれる。

 そのたびに泣きそうになるのを堪えて、中途半端に彼女達を守って、……結局堪えきれず、みんなが寝静まった後に独り泣いて……。


 そうして、そうして、そうして。


 そうして、タイプツーシリーズを導いた。

 能力値の不足とかで一年で廃棄になった。


 そうして、タイプスリーシリーズを導いた。

 精神の不定とかで半年で廃棄になった。


 そうして、タイプフォーシリーズを導いた。

 金が必要になったとかで、施設を訪れるお偉方の『おもてなし』をさせられて、二年目でみんな壊れた。


 消えて行った少女たちは、誰も私を恨まなかった。

 研究者共に連れ出され、泣き叫び、それを止められない無力な私を、けれど誰も(なじ)らなかった。


 どうして……。

 あなた達が死ぬのは私のせいなのに……。

 死ぬべきなのは、誰より、私なのに……。


 ――だけど死ぬのは私じゃない。


「お姉ちゃん?」

「……!」


 おぞましい思考の沼から意識を引き戻す。

 私を心配そうに見つめる、黒い髪に赤い瞳の少女と目が合う。


 彼女の製造番号はタイプファイブ・ファースト。たった一人のタイプファイブシリーズにして、完成した『神子』。

 私やタイプワンの妹達と同じく培養槽で造られた、私達の完全な上位互換だ。


「頭、痛い?」

「ううん。なんでもないよ。心配してくれてありがとうね」


 混じり気ない綺麗な黒髪を撫でると、少女は気持ちよさそうに目を細める。

 ……今や残っているプロジェクトピクシスは、私とつい一ヶ月ほど前に来たこの娘だけだった。


 いや、タイプワンの妹達も施設のどこかにいるのだろう。あの女研究者が約束を守っていれば、の話だが。

 以前一度確認してみたら、返事の代わりに帰ってきたのは指や眼球、歯や髪のような彼女達の断片だった。


 それは生存の証明であると同時に、奴らからの『聞くな』というメッセージでもあった。

 ……だから、私は本当に彼女達が生きているとは思っていない。


 きっと、どこかで殺された。そうでなくともそのうち殺される。

 一度教団を裏切った彼女達が生かされていたのは、私への人質となるからだった。


 その私が生かされてきたのは、妹達、ひいては完成品であるこの子への教育係を果たすためだ。

 それが終わってしまえば、もう私は用済みだ。消えて行った妹達と何も変わらない。


「やっぱり、お姉ちゃん、悲しそうな顔ばかりしてる。今だけじゃなくて、最近はずっと。どうして?」


 次は私の番だから。


「……あはは。妹の成長がとっても早くて、もうお姉ちゃんいらないなーって思ったら、ちょっとね」

「ふうん。私、そんなこと思ったことないのに。変なお姉ちゃん」

「だねえ。変なお姉ちゃんだよ、私は」


 空々しく笑いながら、思う。

 死ぬのは怖くない。悲しくもない。ありがたいとさえ感じる。私はもう、疲れた。


 ただ、もう他に姉も妹もいないこの子を独り残して逝くのだけは……少し、心残りだ。


「お姉ちゃん。なにかお話聞かせて」

「いいよ。なんのお話がいい?」

「あの神様が悪い人を殺すやつ。たくさん」

「『神様と黒猫』ね。えー、こほん。昔々、ある緑豊かなところに、二匹の猫が仲良く暮らしていました……」


 悲しいわけでも苦しいわけでもないのに、何故だか泣き出しそうになる日々。

 そんな日々が一年ほど続いた。


 そして、春。

 私が製造されてからちょうど14年が経った日のこと。


 私の廃棄処分が決定した。

次次回で過去編終わりです。

更新は多分それほど時間かからないと思います。

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