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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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血塗れ女の生い立ち


◇◆◇◆◇


 チェーンソーの唸り声が、意識を引き上げた。

 薄く、薄く目を見開く。


 目に入るのは、手術台の上で、厳重な拘束を受けている体。

 そしてチェーンソーを片手にこちらに近づいてくる、防護服を纏った男の姿。


 ――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。


 リコイルスターターの紐が引っ張り上げられ、エンジンがけたたましく咆哮する。

 重低音が微かな衝撃となって、体の芯を響いていく。


「…………」


 動かない。動けない。

 動けないから動かないし、動こうとしないから動けない。


 自分に出来るのは、回転する刃がゆっくりと近づいて来るのをぼんやりと眺めることだけ。

 これが自分の運命なんだと、諦めたように受け入れることだけ。


 そして、その時が訪れる。


 ――ガリガリガリガリガリガリガリガリッッ!!


「ん……ぎ、ィいッ!」


 自身の肉と骨が削られていく感覚。無意識のうちに体がビクッ、ビクッと跳ねる。

 身体中から様々な、色とりどりの体液が噴き出し、目の前の防護服をビチャビチャと汚していく、


『…………』


 そんな中、防護服の男はどこまでも無感情だった。

 降りかかる体液も漏れ出る悲鳴もまるで意に介さず、ひたすらにチェーンソーの刃を動かす。


「ぁ、ア゛ぁ……ァッぁあ、アっあァッ!!?」


 密閉された部屋に絶叫が木霊する。


 ――痛い、痛い、痛い、痛い!


 無視したいのに、逃げ出したいのに、生まれた激痛は否応なしに意識をその部位へと集約させてしまう。


 最初に刃を押し当てられた、中指と薬指の別れ目。いつの間にか、指の股から手首へ。手首から肘へ。肘から肩口へ。次々と移ろう。

 その間に存在する筋繊維、血管、骨を滅茶苦茶にしながら、チェーンソーがグズグズと進んでいく。


 しかし、何事にも限界というものは存在する。

 一瞬何か鋭いものが全身を駆け抜けたかと思えば、次の瞬間には、ゆっくりと意識を失い――


 ――バヂンッッッ!!


「う゛う!?」

『…………』


 拘束具から流れ込む高圧電流。閉じようとしていた意識を強制的に切り拓き、現実へと引きずり戻す。

 一瞬意識がトんだ時、痛みへの覚悟も一緒になくなってしまった。先ほどよりも激しい痛みが体を蹂躙する。


 ――それから、何時間が経っただろうか。

 ――はたまた、何秒も経っていなかったのか。


 チェーンソーの動きが止まる。ずっぷりと挿入されていた肩から引き抜かれ、その駆動を停止する。

 同時、左腕が異質な感覚に包まれていることに気付いた。


「…………ぁ」


 見えるのは、裂かれた場所から二つに分かれて揺れる、もともと腕だった肉の塊。

 チェーンソーを安置した防護服の男はその中に指を突っ込み、もぞもぞと弄り回した後に引き抜いた。


 激痛と激痛の狭間に残る、確かな異物感。この“実験”の性質上、計器の類いでも突っ込んだのだろう。

 そしてそれが目的だとするならば、左腕なんて微妙な部位だけで済むはずもなく。


 ――ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。


『…………』


 再び駆動を始めるチェーンソー。構える防護服。

 そしてその刃先は、ゆっくりと左足の先へと伝っていき。


 そして。


 そして――


「ギャアアアアアアアアアアアアッ!!!」



 ――プロジェクトピクシス・タイプゼロ。


 それが()の個体名、らしい。曖昧なのはこれまでの人生でその名を自分のものだと一度だって思わなかったからだ。

 研究者というとびきりのクズ共が付けた称号などが、自分を定義するものであってたまるものか。


 私はピクシス教団という、狂信的な宗教団体によって生み出された。

 その教団の教義はパンドラを崇拝するというもので、架け橋となる『神子』――生まれつき禍力を持った人間を彼らは造り出そうとしていた。


 教団の総力を挙げて推し進められたプロジェクト。数え切れない失敗、数え切れない犠牲、数える気にもなれない間違い。

 それらを経て完成したプロトタイプ。気味の悪い赤髪赤目、おぞましい禍力を生まれ持った子ども――それが私だった。


 とはいえ、そんな醜い存在でも彼らにしてみれば初めての成功例。

 誕生した時は相応に歓待されたし、扱いは実験動物だったものの、私の言葉に耳を傾ける研究者もいた。

 行われる実験も採血や各種運動がほとんどで、辛いものや苦しいものは何もなかった。私には人権や尊厳というものがあった。


 幸福でも不幸でもない毎日。

 それが三年ほど続いて、唐突に終わった。


 その日の実験内容はパンドラと対話することだった。

 実験室で引き合わされたドス黒いナメクジのようなD級パンドラ。成功を信じて疑わないガラス越しの研究者達。


 今日もいつも通り平均点で終わるのだろう、と私は何も考えずパンドラに近づいて。


 ――そして、殺されかけた。


 微動だにしなかった巨体が波打ち、大量の粘液を散らしながら私を呑み込む。

 腐臭を放つ軟体にのしかかられ、身体中の穴という穴にどぷりとした粘液が流し込まれる。禍力に覆われた体がジュージューと焼けて行く。


 息が出来ない。

 感じたことのない激痛。

 臭い。

 苦しい。

 眼球がぐるんと上を剥く感覚。


 次に目が覚めたとき、私はベッドに包帯塗れで転がされていた。

 意識を取り戻した私に降り注ぐ研究者達の失望の視線。私は彼らの期待を、信頼を、理想を完膚なきまで裏切ったのだと悟った。


 私に『失敗作』の烙印が押された瞬間だった。


 研究者達の態度が変わったのはその直後だった。

 彼らは新たな『神子』の創造に着手する傍ら、私を実験や研究という名目で虐待するようになった。


 手始めに、私はチェーンソーでバラバラに切り刻まれ、四肢の断面や心臓の表面に機械を埋め込まれた。

 経過観察、脱出防止――本当に必要なら生まれてすぐにやるべきで、他にいくらでもやりようのある作業。

 その日から私は彼らの鬱憤を晴らすための肉人形と変わり果てた。


 研究者達は徹底的に私を嬲った。新しいプラジェクトが上手くいかないのを全て私のせいにして、物理的、性的、手段を問わず凌辱した。

 骨が砕けても、内臓が潰れても、膜が破れても――一晩かければ再生する私は、彼らにとってちょうどいい玩具だったらしい。


 私に抵抗は許されなかった。泣けば殴られたし、叫べば蹴られた。嫌がれば得体の知れない薬を打ち込まれ、正気を吹っ飛ばされた。

 普通の少女なら死んでもおかしくないような暴虐の嵐が続く。肉体こそ研究者達の厳重な管理によって生きてはいたが、心はとうに死を望んでいた。


 ある夜、いつも通り実験を終えて部屋に放り込まれた私は、泥のように眠りにつく代わりに行動を開始した。

 研究者達の実験をこの時ばかりは役に立て、自分の腹を捌いて肋骨をへし折る。痛みに声が出そうになるが何とか堪えて、肋骨を思い切り喉に突き立てた。


 太い血管が骨ごと抉れる感覚。体から力と温かさが凄まじい速さで抜けていき、しかし近くに研究者はいない。

 最初の三年間で知り得た私のスペック。それから考えれば、このレベルの致命傷は治しきれないはずだ――と。

 私は生まれて初めて感じる安らぎとともに、眠りについた。


 死ねなかった。


 翌日、起きると私の傷は治っていた。致命傷だったはずの首は元どおりで、泡を食った研究者が部屋に飛び込んできたから夢でもない。

 あまりのことに思考停止する私を余所に、分析を終えた研究者が冷や汗混じりの下卑た笑顔を浮かべて言った。


「我らが実験が、君の再生力を伸ばしていたのだよ。私たちのおかげで君は死なずに済んだのだ!」


 その時抱いた感情は、幼いながらに絶望そのものだったと思う。

 研究者達は私の頭に変な機械を被せて、自殺防止の暗示を掛けた。肉体的にも精神的にも私は死ねなくなってしまった。


 『お仕置き』などと称したこれまでよりも更に激しい凌辱を受けながら、私はせめて夢に逃げようと意識を手放した。

 もっとも、その十秒後には高圧電流を流し込まれて現実に引き戻されたけど。



 タイプワン・ファースト――私の後継が完成したという話を耳にしたのは、それから二年後のことだった。

 その二年の間も、実験は片時も休まず続けられていた。だから私はほとんど壊れていたし、その話を聞いたところで表情一つ動かなかった。


 だが、肉人形の私に研究者達が世間話を振ることなどない。私に関係があるからこそ彼らは話したのだ。

 私はそれまで自室にしていた部屋から連れ出され、真っ白で広い部屋に入れられた。窓があり、子供用の遊具もある。私の血と汗が染み付いたあの薄暗い部屋とは似ても似つかない。


 私が部屋に入ると、研究者達はすぐに立ち去って行った。何故部屋を移されたのか私は理解、どころか思考すらせず、ぼんやりと倒れ伏していた。

 どれだけの時間が経ったか、私は不意に窓の外から光が入ってきていることを認識した。


 ……そういえば、外の世界ってどうなっているんだろう。

 怒りと憎悪、執念だけで辛うじて保っていた自我が、二年ぶりに能動的な行動を体に命じた。私はよろよろと光に引き寄せられる蛾のように窓へと近づく。


「……ぅぁ……」


 声が漏れた。

 それは初めての感嘆だった。


 青空。丘の向こうまで続く草原。花畑。森林。遠くの方に見える青色の小さな点は……湖だろうか?

 美しい景色だった。光に包まれた、人間の存在を感じさせない、私にとっての理想郷だった。


 こんな場所がある。

 人のいない、美しい世界が。


 壊れかけの心に少しだけ、本当に少しだけだけど、体温が戻った気がした。


「……!」


 ドアの開く音。研究者達の足音。私の目から即座に光が消え、諦観の吐息を嚥下する。

 さて、今日の実験は何だろう――振り返った私の目に入ったのは、意外にもいつもの研究者達の姿ではなかった。いや、研究者達ではあったのだが、様子があまりにも違ったのだ。


 そう、それはちょうど、二年前までのような……私が彼らの期待を裏切る前のような、希望と歓喜に満ちた表情。

 ふと、彼らが誰かの手を引いていることに気付く。


 その先にいたのは、小さな、私よりも小さな女の子。私のものよりほんの少し薄い優しげな赤髪と赤目。顔立ちも昔の私に少しだけ似ている。

 研究者達が言う。この子は新しい『神子』だ。君の使命はこの子を教え導くことだ。さすれば我らを裏切った罪は雪がれる――と、傲慢で勝手な言い分を。


「分かり、ました」


 憤怒で歪んだ顔を見られないように、私は深々と頭を下げた。

 今度こそ研究者達が部屋を出て行き、残されたのは私と女の子――タイプワン・ファーストのみとなった。


 女の子は、幾分か身長の高い私を見上げるようにして、小首を傾げた。


「あなたは、誰ですか?」


 私は返答に詰まった。

 どう答えるべきか――繰り返すが、タイプゼロなどという呼称を自分のものだと思ったことは一度もない。

 それを認めて仕舞えば、もう終わりだ。心の底で屈服してしまえばいずれ憎しみさえ抱けなくなる。


 正真正銘、ただの人形に成り下がる――。


「……そう、だね」


 だったら……私は一体誰なのだろう?

 ぼんやりと考える私を、女の子は不安そうに窺っている。


 綺麗な体を、目をしていると思った。

 無垢で、純粋。澄んだ輝きがひどく眩しい。

 私にもこんな時があったのだろうか――恐らくはあったのだろう。ただ、もう思い出せないくらい失ってしまっただけで。


 ……あんな思いをするのは、私一人でいい。

 こんな地獄より薄汚れた場所で、これ以上光を喪うのは駄目だ。


 その思いを自覚した時、固く引き結ばれていた口元が緩む。

 そうして、まるで何年も前から決めていたかのように、その答えは自然と産み落とされた。


「私は、きみのお姉ちゃんだよ」


 だから――私という存在が形を得たのは、きっとこの瞬間だったのだと。

 そう、思う。

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