1000対1
◇
――汐霧や氷室と立てた作戦は、こうだ。
まず、こちらは二手に分かれて行動するのが前提となる。
これは一緒に行動する場合、僕が汐霧に合わせて行動速度を落とす必要が生じるからである。時間との戦いでもある今回の作戦においてそれは致命的だ。
新結界の儀式が完遂される前に、または僕たちに気付いたアマテラスが投げる前にクロハを救出しなくてはならない。
これは敵も承知のはずで、ならば迎撃についても予想が出来る。
戦力分散した敵への対応は各個撃破が基本。向こうの最大戦力である藍染はまず汐霧を、その後に僕を潰そうとするだろう。この順番は確定している。
何故ならば、自画自賛するようで反吐が出るが、全力を尽くさなければ排除出来ない僕とほぼ間違いなく完封出来る汐霧。
もし汐霧→僕という順番をひっくり返せば、僕を殺せたとして藍染は少なくない傷を負う。そうなると汐霧を完封することも不可能となってしまう。満身創痍でも圧倒出来るほど、汐霧憂姫という魔導師は甘くない。
さて、そう考えると藍染が汐霧の相手をしている間に僕を抑える役が必要となる。
先ほどの汐霧の話により、一千人以上の信者の存在は確実。かつて軍に潜んでいたスパイから武器の供給も確認されており、最新の装備で武装化されているのは必至。
ここまでの数の暴力は、それだけで時間稼ぎの難易度を大きく下げてしまう。
更にクロハの姉――赤髪の少女。クロハと同じだけの再生能力があるなら、時間稼ぎにこれ以上の存在もいない。
そう、例えば、ちょうど僕がMB事件でクロハを『混ざり者』への壁にしたように。
この守りを突破するには、例え禍力を解放した僕でも時間が掛かる。特にあの少女はクロハとの『殺さず、救う』という約束もあるのだ。妹の名に掛けて誓ってしまった以上、違えることは出来ない。
施設が敵の手中にある以上、戦闘の選択権は常にあちら側にある。拒否は許されず、こちらの選択肢は限られているのだ。
で、あるならば。
僕たちが取るべき行動など、たった一つしかない。
「即ち正面突破――敵の思惑通りに戦って、内側から喰い破る」
例えば、僕が想定よりずっと早く守りを突破するとか。
例えば、汐霧が藍染に打ち勝つとか。
そのために、まずは僕が正門から突入する。戦闘開始から30分ほど経った後、汐霧が反対側の裏門から侵入。攻略を開始する。
だから、僕はゆっくりと。基地までの道のりを、一歩一歩と。敵に思い切り見られるようにと。
歩いて、歩いて、歩いて、そして。
「お邪魔します」
閉じられていた正門をぶん殴ってブチ壊し。
破片がそこらに散乱する中、僕は土煙を掻き分けて、もう少しだけ歩いて。
時刻十五時ジャスト。
基地の正門広場――とても広くて、噴水があって、拓けている、壮麗な宮殿や城の玄関前にあるような場所に辿り着いた。
「こんにちは。儚廻遥といいます。ウチのメイドを助けに来ました」
へらりと一礼。要件を簡潔に伝えて、顔を上げる。
視線の先には……人、人、人。軍の装備を元にしたのだろうお揃いに仕立てた戦闘服の人の集団、いや軍団があった。
水平線がまるごと人に化けたような、そんな圧巻の光景。部隊ではなく大軍とも称するべき人の群れ。
そんな彼らから発せられるのは――強烈な敵意と殺意。百や千ものそれらが、全て僕一人へと照射される。
痛みすら感じるような殺気の暴力にへらへらと笑っていると、大軍の中心から一人、男が出て来た。
軍服に身を包んだ大柄な男。右にも左にも軍服なのは彼だけだ。雰囲気からして軍人……それも修羅場を幾つも潜ってきた歴戦の。
正義感の強そうな精悍な顔立ちの、恐らくは彼ら組織の中の最後の軍人。何となくそれが分かった。
男が口を開く。
「ここは選ばれし者のみ入ることの出来る神域だ。塵屑が、早々に立ち去れ」
「はは。クロハを返して貰えるなら、すぐにでも」
「我らが悲願を阻むと言うなら……いや、どのみち生きて帰すつもりはない。せいぜい楽に死にたければ、その場から一歩でも動かないことだ」
「……そうですね。あなた方を怒らせるつもりはありません。でも一つ、お願いしたいことがあるので動くことは許してくれませんか?」
「却下だ。何だろうと敵対行動と見なす。……貴様が来るのは分かっていた。それを阻むために我らはいるのだから。散って行った同志に報いるためにも貴様は殺す」
先日C区画で殺しに殺した軍人たちのことを言っているのか。
先に仕掛けてきて、何とも甘い言い草だとは思うが……まぁ、感情はそういうものだろう。
もはや戦闘は避けられない。自業自得としか思えないとはいえ、あちらの恨みを、憎しみを、殺意をとうに僕は買ってしまっていたのだから。
そのクソみたいな奴らの思考と、いかにも自分たちは正義だと信じきっている顔に僕だって殺意が湧いてしまう。
緊張と戦意で張り詰めていく空気。それが臨界に達する、
――その寸前で僕は動いた。
この場の全員の虚を突いて。
膝を曲げ。
体幹を一気に落とし。
地面に額と膝を擦り付けて。
土下座した。
「どうかお願いします!! クロハを返してください!!」
『…………………………は?』
誰かが漏らした、心底意味が分からないという声。
数え切れないほどいる敵の誰もが動けない中で、僕は更に言い募る。
「何だってします! お金や、物や、あなた方が望むどんなことだってやってみせます! ですからどうか、どうか! クロハを返してください!」
情けなく、無様に、みっともなく、見苦しく、僕は叫ぶ。
数百人規模の人間に見下されながら、叫び続ける。
「あなた方の手からクロハを返して貰えなくてもいいんです! そこを退いてくれるだけでも! そうしてくれるなら靴を舐めますし裸で踊ったって構わない! クロハじゃないなら儀式の代わりになるような人間だって捧げてもいい!」
そんな見るに耐えない、目を覆うような姿を晒してまで口から出てくるのは、紛れもなく全てが本心だった。
出来るなら戦いたくない。戦わずに済むならそれがいい。邪魔しないでくれるなら、そこを通してくれるなら、何だって。
「このまま戦ったら死人がたくさん出る! そんなの誰も得しません! みんな死にたくなんてないでしょう!? 命あっての物種でしょう!? 誰だって、誰かを殺したくなんてないでしょう!?」
僕は人間が嫌いだ。だけど人を殺すのだって嫌いなのだ。嫌いなことはやりたくない。
だから、それをしないで済むのなら、どんな恥だって呑んでしまえる。誰だってそのはずなんだ。
「だから――だから、お願いです。クロハを返してください。それか、僕を見逃してください……」
ぐりぐりと頭を擦り付け、誠意を込めて頼み込む。
聞いているはずの信者たちは、無言。ささやかなざわめきが聞こえるくらいだ。
そのまま一分、二分と過ぎて、誰かが近づいてくる足音が聞こえる。
歩幅からして先ほどの軍人の男だろう。僕は土下座したまま、言葉を待つ。
「……ふざけるなよ」
マグマのような、怒りの声だった。
彼は僕の襟首を掴み上げ、宙に吊り上げる。
「貴様が我らの同志にしたことを許せと? 誰の死体かも分からなくなるほど残虐に殺しておいて、自分は許せと? その安い、我らにしてみれば何の価値もない頭一つで?」
「っ、ぐぁ……!」
ギラギラと燃える瞳に映るのは、憤怒と憎悪。
心底から怒っていると、一目で分かるほどの激怒だ。
「あまつさえ、我らが悲願を阻む対価が金だと? 死ぬくらいなら諦めた方がマシだと? 一体我らをどこまで侮辱すれば気が済むのだ貴様は……!」
……僕の価値観は、コイツらには全く共感を得られなかったようだ。
ギリギリと絞まっていく首が、それを如実に教えてくれる。
男は僕の瞳を一層睨みつけ、叫ぶ。
「いいかよく聞けッ、我らは悲願のためなら命など惜しくない! この場にいるのは全員が覚悟を完了した人間のみ! 貴様のような吐き気を催す塵の定規で測ること自体最悪の侮辱と知れ!!」
唾を飛ばして言い切った男は、僕の体を地面に投げ落とす。
強かに背中を打ち付け、咳き込む僕を軍人の男は蹴り飛ばし、号令を飛ばした。
「同志諸君! この男は敵だ――殺せ!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』
地鳴りのような雄叫び。殺意が集団を一つの生き物に変えて行く。
その様を倒れたまま見る僕はへらへらと笑っていた。
……あーあ。やっぱりこうなるか。
まぁ、駄目で元々の説得だ。やるだけやって、それで失敗した。たったそれだけの話だろう。
ああ。残念だ。
よし。殺そう。
へらへらと心の中で反復しながら、僕はゆっくりと立ち上がる。
そして右腕を前に突き出し、呟いた。
力ある言葉を。
「解放、パンドラアーツ」
ドグン、ドグンと心臓が熱を持つ。
右目の白目と黒目が反転し、右腕を黒色が塗り潰す。
抑えていた禍力が全身から噴き出し、体に纏わり付く。
へらへら、へらへらと笑みが張り付く。
完全なバケモノと成り果てる。
「……なんと悍ましい。総員、戦闘準備! 奴を神子様たちのところに行かせるわけにはいかん。何としてでもここで止めるぞ! 総員、薬を服用しろ!」
言い、男自らも懐から取り出した結晶のようなモノを飲み込んだ。
――訪れた変化は、およそ最悪のものだった。
見渡す限りの人間が、見る間に灰色へと変わっていく。
人間とパンドラの不完全な融合体である『混ざり者』へと変わっていく。
あの薬はパンドラの血だったらしい。それも氷室が完成させたものではなく、それ以前に出回っていたものだ。
思い出すのは、一週間前の氷室の言葉。
――それが然るルートでボクの作った薬が大量に売れてね。何でだろうか、まとまったお金っていうのはどうにも人を笑顔にさせてくれる――
なるほど。技術的に完成したことで不要になった完成前のパンドラの血を、処分がてらまとめてコイツらの組織に売り払ったのか。
氷室は相手が今から僕たちが戦う相手などと知らなかっただろうから、これは完全な偶然。奇跡とも言える確率の悪戯だ。
……本当、テンション上がった科学者のツケは堪ったもんじゃないな。
そんなことをぼんやり考えていると、あちらの変化も軒並み終わっていた。
先頭の男が、ひび割れた声で言う。
『我ラは死兵……今こコで貴様ヲ屠リ、新たナル東京ノ礎トなラン……』
「知るかよカス」
いい加減耳障りだったので首を刎ねた。
まだ変化してから僅かだったからか、鮮やかな色の血潮が僕に降りかかる。
痙攣しながら頽れた男の死体を踏み躙り、目前の敵共を睥睨する。
その辺りでようやく何が起きたのかを理解したらしい。驚くモノ、怒るモノ、禍力に呑まれて涎を垂らすモノと大軍が反応を見せる。
だが、もうそんなものはどうでも良かった。
ただ一つ。人間だったモノの大軍が、僕の前に立ち塞がっている。それだけが全てである。
「僕はクロハを取り返す。取り返したいから、取り返しに行く」
僕がそうしたいから。誰かのためじゃない。徹頭徹尾自分のために、僕はクロハを助けに行くのだ。
だから、邪魔をするな。
「そこを――どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえッ!!!」
僕は叫び、一千もの『混ざり者』の軍団に向けて、真正面から突撃した。