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東京パンドラアーツ  作者: 亜武北つづり
だけど死ぬのは私じゃない
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ハカナミ一週間 d



 僕はゆっくりとベッドへ近づいて行く。

 咲良崎は先日会ったときから何も変わらず包帯塗れの姿で、全身至る所からチューブが伸びている様は半死人というより他ない。


 そんな彼女、僕がそんな様に貶めた彼女は、薄眼を開けて僕の姿を認めると、これまたいつかの日のように微笑んだ。


「……っ。儚廻、様。女の子の部屋には、ちゃんとノックして入るものですよ」

「はは、それは失敬。まぁ許してくれ。お前と僕の仲だろ?」


 加害者と被害者。礼儀を払う必要など塵ほどもない、この世で最も目を覆いたくなる関係性。


「……そうですね。いい夜です。月が、星が……とても綺麗」

「同感だ。……ああ、今ので思い出したけど、今度身内で月見でもやろうと思ってたんだ。咲良崎もどう?」

「っ、ふふ……ええ、構いません。この体で、この身の上で、外に出れるものなら、ですが」

「はは。確かに大変だけど、その辺りは僕が何とかしとくから気にしないでいいよ。参加の意思があればそれで十分だ」


 空虚な茶番が病室をころころと転がる。僕の軽い軽い口はそれだけですっかり温まったらしく、気付けばすぐに本題を切り出していた。


「――なぁ、咲良崎。この前言った頼み事を伝えに来た。報酬は考えておいたか?」

「ええ。考えるくらいしか、この体でできることはありませんから」


 先日、クロハと共に訪れた際に伝えた旨。今度お前に頼み事をする、拒否権はない――と、そういう。

 聡明なこの少女のこと、きっと最初から分かっていたのだろう。迷いのない返答に淀みなく言葉が繋がる。


「……儚廻様。私考えました。お父様は、きっと――捨て駒にされたのですよね?」

「……ああ。多分そうだろうね」


 汐霧泰河。以前汐霧に話した通り、彼の背後には彼の禍力を隠蔽していたパンドラがいた。

 恐らくはヒトガタ、Sランクのパンドラ。それもマガツの行使に習熟した、相当に高位の。


 そんなバケモノがバックにいて、しかし行動を起こしたのは汐霧父のみ。あの日彼の他にもう一人でもヒトガタがいれば、それだけで東京コロニーは陥落していただろうに。

 となれば結論は一つ。汐霧父は捨て駒にされたのだ。何かを知るためか、あの事件自体に意味があったのか、はたまた単純な宣戦布告か。どれかは分からないが間違いない。


 ……と、いろいろ知っている僕がここまで推測出来るのは当たり前でしかないが、ほとんど何も知らない彼女がここまで辿り着いたのは驚嘆に値する。

 僕の周り、頭いい奴ばっかだな。嫌だな、自分の愚かしさが強調されているようで。誇らしいし嬉しいけれど。


「私は……咲良崎咲は、旦那様のメイドで、そして……ユウヒの盾です」

「ああ……知っているよ」

「だから、これからも……これからは。そのように生きたいのです。主人を蔑ろにされた忠臣として。守られるだけの弱者ではない、真実あの子の守護者として」


 思い出すのは咲良崎とスカイツリーで対峙したときのこと。

 彼女が言っていた汐霧憂姫への罵りを、パンドラの血という歪みを取っ払って要約すればこうだ。


 ――守られたくなかった。あなたの重荷になりたくない。私のために死ぬあなたが我慢ならない。

 ――守らせて欲しかった。後ろから助かるのではなく、あなたの前に立ちたかった。あなたのために死にたかった。


「…………」


 魔導師としての資質さえあれば、きっと彼女の願いは叶っていただろう。

 しかし咲良崎にはそれがなく、どれだけ血反吐を吐いても所詮は人間。日々バケモノ共と殺し合う魔導師にはどうしたって並び立てない。


「そのためなら……こうして牢獄で、ベッドから起き上がることも出来ないまま、一生を終えることになるなら……悪魔(あなた)に命を捧げます」

「……っはは、ははははは! ああ、なんて斬新かつ魅力的なプロポーズだ。いいぞいいよ、受けてやるとも」


 呵々と笑い、咲良崎の右腕を引いて体を起こしやる。

 痛みに咲良崎の顔が一瞬歪んだが、気にしない。僕のことを悪魔と呼ぶ、皮肉抜きで素敵な感性の持ち主に、そんな気遣いは無用だろうから。


「はは、本当に凄いよお前。思わず好きになっちゃいそうだ」

「ふふ……ええ、それは私もです。そんな顔でも、笑えるのですね」


 そういえば僕の作り笑いを最初に貶したのは彼女だったか。ならば今日こうして汚物を見せずに済んだのは僥倖と言えるだろう。

 様々な部位が欠損しているせいで汐霧よりも軽い体を抱き上げる。


「前にも、同じようなこと……ありましたね」

「そのときはお前も健康的な重さだったんだけどねぇ」

「そのようにした、本人がそれを言いますか?」

「まぁね。なにせクズだから」


 入ってきた穴を見る。俄かに騒がしくなる施設内の様子を聴覚が感知。どうやらセンサーが落ちているのが気付かれ出したようだ。

 想定よりちょっと遅いな。内地勤務が長いせいで鈍っているのだろうか。ラッキーとでも思っておこう。


 とはいえ、流石に行きほど簡単に突破するのは不可能そうだ。正規軍の面目躍如と言ったところか。


「行きはよいよい帰りは怖い……なんだっけなこれ」

「『とおりゃんせ』です……それより、どうするつもりですか?」

「はは。そんなに心配しないでも、何とかするよ」


 時計を見ると、時刻午前二時ちょうど。

 アイツらに伝えた時間ピッタリだ。


 まさにその瞬間、施設のどこかで爆音が轟き、凄まじい衝撃に床が震撼した。

 確認するまでもない。派手に騒げという命令を律儀に守ってくれたアリスの陽動だ。

 彼女ほど派手ではないが、シグレも上手くやってくれていることだろう。


 今なら施設内の異変に注目が集まるため、この小さな穴から抜け出ることはそう難しくない。


 逃走経路は裏庭を突っ切り、病棟対面の病棟一階を走り抜ける。そうすれば正面に侵入対策兼脱走防止用の鉄条網があるため、それを飛び越える。

 どれだけ盤石だろうが人間を想定しての備えである以上、僕には意味を為さない。



 思考を纏め上げてから瞑目。頭が冷えているのをちゃんと自覚して、外壁の穴から飛び降りた。

 せいぜいが数十メートル程度の高さ、落下は一瞬で終わる。着地の衝撃も大したことなく、全て膝で叩き潰して咲良崎まで伝わらないようすることも朝飯前だ。


 疾走を開始する。

 轟、と耳元を過ぎる風の音に、咲良崎は首に回した腕に力を込めた。といっても、怪我のせいで大した力にはなっていないが。


「っ……」

「はは、そんなに必死に掴まってなくても大丈夫だから。ちゃんと僕の方で抱えてる。なんなら寝ててもいいよ」

「遠慮、しておきます……!」

「そ。まぁ好きに、――!」


 聴覚が振動音、次いで軍靴の音を捉える。

 病棟一階の出口、距離にして約百メートル先。数は四つ、いずれも武装済み。アリスたちの方に向かう軍の分隊と運悪くかち合ったか。


 接敵まであと数秒。選択肢はただ一つ!


「突破する。舌噛まないように気をつけてて」

「はい。……ご武運を」


 直後、レーザーサイトの光が点々と僕の体に突き刺さる。

 狭い廊下だ。こうも火線を広げられては上下左右に回避は不可能。身体能力は制限状態、咲良崎を抱えているため使用可能なのは右腕一本のみ。


「さぁ(めぐ)れ」


 殺到する銃弾。それらの軌道を見切り、一閃。右腕を払う。

 対応して閃光と化した鋼糸が廻り、先頭数発の弾丸を撫でた(・・・)


 僅かに軌道を乱された弾丸は僕を避けるように上下左右を擦過していき、のみならず周囲の壁を跳弾して後続の銃弾と衝突。刹那的な連鎖が火花となって乱舞する。


 僕はその銃弾と銃弾がぶつかり合う絶死の危険域に体を投げ込み、全ての弾丸を紙一重躱して即座に突破する。

 銃弾の嵐を引き裂くように飛び出した僕に、軍人四人の行動は様々だった。ライフルの空の弾倉を投げ捨てリロードする者、腰の拳銃を抜く者、後退を選択する者。


 一様に手遅れであるということだけが、それらの共通点だった。


「いい夢を」


 駆け抜けざま、鋼糸で彼らの首筋やこめかみを思い切り打ち据える。神経系の欠陥をごく一瞬、思い切り圧迫したことで気絶し崩れる軍人四人。

 所詮は内地の、それも病人や病み上がりの犯罪者が相手の連中だ。支配区(フロントエリア)という地獄でパンドラと戦うクサナギの最精鋭と比べれば十枚も二十枚も劣る。


 彼らが地に伏す頃には、僕たちは病棟を脱出していた。

 目の前には高い高い鉄条網。とはいえ少し身体能力を解放してやれば簡単に越えることが出来る程度だ。


 ちらりと後ろを振り返る。まだ騒ぎは続いており、つまるところアリスもシグレも未だ陽動をこなしてくれているのだろう。


「……ま、アイツらなら自分で何とかするだろ」

「……?」

「何でもない。それより、ほら。ここを越えたらお前の地獄の始まりだ。覚悟は出来ているか?」


 無駄な問いを投げかける。彼女がどう答えようと結局僕は連れ出すだけなのに。

 けれど、きっと無意味ではなかった。


 だって、ほら。


「――どうぞ、地獄に連れて行ってください……ね、私の悪魔様」


 その言葉を、表情を、彼女を構成するあらゆるものを。

 彼女がどんな結末を迎えようと絶対に忘れない、と。そう強く思うことが出来たから。


 だから、僕たちは……現実、最上級の地獄へと力強く跳んだ。

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