ハカナミ一週間 b
「断る」
僕は短くそう答え、隠形を解除した。
梶浦の背後、椅子の裏に唐突に出現した僕の気配に対する軍人たちのざわめきが聞こえるが、ああ、本当にどうでもいい。
唯一平静を保つ梶浦が、苦笑を漏らした。
「部外者は立ち入り禁止なんだがな。よくここまで入り込んだ」
「は、お前たちの無能を僕のせいにするなよ。僕はお前たちのいる中でこの部屋に入って、それからずっとここにいた。気付けないお前たちが愚鈍なだけだよ」
「そうか。藍染九曜の気配遮断術か」
……流石。これだけでもう気付くか。
先日の戦いで僕は藍染と正面から対決した。その際彼が使っていた隠形を記憶し、幻想再現――僕に合うようにアレンジしたデッドコピーを使ってこの部屋まで辿り着いた。
デッドコピーとはいえ元が元だ。『優秀な軍人』程度に見破られるはずもない。
そして部屋に入ったところ梶浦の部下が揃っていたので、全員が後ろを向くタイミングを待ってまとめて鋼糸で拘束した。
顔を見られたくなかったし――何より、丁度良かったから。
「そんなわけで。こんにちは、どうも厄介な阿呆です。今からあなた達を人質にするので、上官様が血の通った人間であることを祈っててくださいね」
「っ……、……!!」
「ああ、少し強く締め過ぎたか。ごめんなさい。緩めてあげるので喋っても構いませんよ。個人的には命乞いなんかおすすめです」
体の自由を奪ったまま、喉元の拘束だけ緩めてやる。
いの一番に口を開いたのは、副官の女の子だった。
「謙吾、様……! 何が……!?」
「心配するな紅雛大尉。悪いようにはならない」
「ですが……!」
「俺を信じろ。――菊月准尉、伊駒曹長、神無月軍曹も、いいか、下手に動くな。全てにおいて問題ない。俺の言っていることが分かるな?」
そう言った梶浦の態度に揺らぎはない。
部下同様雁字搦めに縛られているにも関わらず、およそ動揺など感じさせない冷静さ。
言葉からそれが伝播するように、部下四人からも動揺が消えていく。
人望があるようで羨ましい限り、と。
「――だけど残念。僕が欲しいのはホームドラマじゃないんだよ」
鋼糸を手繰る。梶浦の首が締まるように。みっともなく泡を吹き、なんなら糞尿を垂れ流そうと構わないくらいに強く、強く。
初めて梶浦が苦悶の声を漏らし、副官の少女が「謙吾様!?」と悲鳴を上げる。
だから、うるさいと。
そう言っているんだから黙れよ人間。
「……紅雛篝。最強の剣術と名高い紅雛流の本家令嬢にして次期当主。若干16歳で大尉にまで躍進した天才少女。そして、梶浦謙吾の許嫁だ」
「っ!? どうして……!」
べれべらと垂れ流してやったプロフィールに、紅雛篝が驚嘆の声を漏らす。
部外者が知るはずもない個人情報。彼女のようなお堅い人間には恋バナするような女友達もいないのだろう。思ったよりもびっくりしてくれている。
だが生憎、僕の手札はそれだけじゃない。
「菊月誠。昨年度のクサナギ学院を主席で卒業した期待のホープ。伊駒蓮二。梶浦謙吾が最も信頼する観測手。神無月涼河。梶浦に准尉時代から付き従う忠臣」
以上四名、梶浦お抱え第一特務部隊の紹介終わり。
同時に指を軽く握り込んで、紅雛篝の全身を少しだけ切り裂いてやる。軍服の至る所に赤いシミが浮き上がり、血霧が小さく吹き上がった。
その血が降りかかり、平静さを失う軍人たち。
彼らのような強い絆で結ばれた正の人間にはさぞ堪えるだろう。自分の仲間が傷つき苦しんで、しかしどうすることも出来ないというのは。
辛いよな。苦しいよな。相手が憎くて仕方なくなって、でもそれをどうにも出来ない自分に腹が立って。あぁ、分かるよ。
だからそれを味わっていてくれ。
存分に、心ゆくまで、たっぷりと。
「さて、梶浦。いつかみたいな楽しい遊びをしよう。僕はお前に幾つか確認したいことがあるから、お前はそれに答える。黙秘したら腕を落とす。嘘を吐いたら足を落とす。お前だけじゃない、部下全員一緒にだ。どうかな。とても楽しそうだろう?」
「……ハ。そうだな。最高だ」
背中越しに僕を嗤う梶浦。生意気なので耳に切れ込みを入れてやる。
梶浦が痛みに歯を食いしばる音。副官の怒りと悔しさに満ちた絶叫が響く中、僕は一問目の問いを口にする。
「第一問。お前は僕たちを餌に【トリック】と軍内部の裏切り者を誘き寄せ、まとめて処分するつもりだった」
「ああ、正解だ」
「第二問。お前は僕たちへ送った救援部隊の人員を全て裏切り者で構成した。正確には、裏切り者が参加出来るように状況を整えた」
「間違っていない。敵は高い可能性で全戦力を注ぎ込むことが分かっていたからな」
「第三問。【トリック】の連中を雑魚の末端一人すら捕縛しなかったのは出来なかったからじゃない、わざとだ。奴らからその依頼主まで辿り着くために」
「正解だ。あの状況では藍染の捕縛は叶わず、それが出来ないなら配下の暗殺者を幾ら捕らえようが意味がない」
「第四問。お前は【トリック】や裏切り者達ごと僕たちを見殺しにするつもりだった。僕たちが連中に殺されるならそれでいいと、そういう方針で動いていた」
「分かり切ったことを聞くのは趣味か? 簡単に殺されるようならそこまでの存在だったということ、助ける意義などありはしない。事実、お前と汐霧憂姫は生き抜いただろう」
悪びれもせず、堂々と答える我が幼馴染。その在り方は昔から何一つ変わっていない。
人倫道徳を尊び、それらを護るために戦える男。生まれた時から英雄となることを宿命づけられ、それを拒むどころか前進して掴み取りに行く傑物。
必然、その精神性は真っ直ぐに歪んでいる。善行も悪行もありのままを純粋に認識しつつ、それが最終的には最大多数の幸福に繋がると信じているため止まらない。
悪行や罪を大義名分で正当化せず、自罰も罪悪感も抱え込み、それでも前進を続ける生まれながらの英雄だ。
「俺からも聞かせて貰おう。俺に罪を認めさせ、お前は一体何を望む? 謝罪か、断罪か、報復か? 遥、お前はそんなことのためにここまで来たのか?」
徹底的に嗤うような口ぶりの言葉、その真意は徹底して真逆。
自身のことをよく知る僕が、そんな時間の無駄を許すわけがないと確信している。
それは真実その通り。僕がわざわざリスクを冒してまでここに来た、その理由は――
「お前、僕に借りが出来ただろう?」
僕が欲しいのはたった一つ。実利、実利、実利だけ。
だからこの一言が、目的の全てである。
ああ、確かに済んだことを責め立てるのは気持ちがいいさ。大好きだ。許されるなら是非ともやって鬱憤を晴らしたい――だがそれでは状況は好転しない。
その結果が完全なるクロハの喪失ならば、ドブに捨てろよそんなもの。
「今回の作戦、お前は僕を犠牲にすることで多大な利を得た。その借りを返せよ。大嘘をこいたその口から、これからも僕がお前を信じようと思うだけの情報を出してみろ」
「……機密の漏洩が軍規違反であることくらい知っていると思ったのだがな。断られるとは思わなかったのか?」
「はは――分かり切った事を聞くのは、趣味か?」
鋼糸に掛ける指に力を込める。この場の全員の指先を骨まで削るために。
連鎖する苦悶の声、血の垂れるポタポタという音。一切合切笑ってやって、言葉を続ける。
「ここで僕の『お願い』を断るなら、この場の全員ごとお前を殺すよ。当たり前だよな、僕の利にならないどころか障害にすらなるんだから。一人一人苦しめて貶めて、人の尊厳なんてない糞袋として処理してやる」
躊躇う理由なんてない。邪魔になるなら殺す。コイツのおかげで学院に通えているとか知ったことか。好きな相手だとか世話になった相手だとか、そんなのどうだっていい。
人の生死と個人の感情なんてものは、致命的なまでに関係ないのだから。
「さぁ選べよ英雄。命惜しさに軍規の一つも破ってみるか、友情愛情バラバラにされて地獄に落ちるか。世話になった借りだ。好きなようにさせてやる」
「阿呆が、折角の借りにそんな返し方があるかよ。それに、答えるまでもないだろうそんな問いは――全く。デスクの下から二段目を開けてみろ」
言葉の端々に含められた白旗の意を汲めないほど、浅い付き合いではない。
言われた通りに梶浦のデスクを漁る。その中には、たった二枚の書類が寝かせられていた。
これは……
「そこにあるのは二つの施設の情報だ。片や地下の旧地下鉄道区画、片や混成区第四十四区……その場所に敵の拠点がある」
ジオフロントの方は旧地下鉄駅、混成区の方は廃棄された正規軍基地を元にしているらしい。
しかしこれを予め用意していたということは……まんまと手の上で踊らされていたか。
「どうやら混成区の方は研究施設らしい。ああ、敵にアマテラス候補生がいることは知っているか?」
「続けろ」
「詳細は不明だが、敵の目的の要となるのがそのアマテラス候補生。件の襲撃後は研究施設の方に戻ったそうだ。その理由が何であれ、我々はそれを阻止しなければならない……が」
「……あぁ。なるほどな」
アマテラス候補生……あの結界使いの少女は機密中の機密だ。何より正式には死亡処理がされている。
それが生きていて、更には犯罪組織に手を貸している。そんなことが公になれば軍の面子は丸潰れだし、塔管理局だって痛烈なバッシングを喰らうことになる。
要するに、彼女が生きているといろいろな人間が迷惑するのだ。
となると秘密裏に消す必要があるが……
「万一にでも情報が漏れるわけにはいかない。大部隊を動かすのは不可能で、しかし敵を殲滅するには数が必要不可欠。ならば先にアマテラスを消す必要がある」
「軍だけでも出来ないことはない。しかし異界化区画への大規模遠征を控えるこの時期、動かせる精鋭はそう多くない」
そこで白羽の矢が僕に立った。
大規模犯罪組織に潜り込んで標的を暗殺することの出来る戦闘能力。【ムラクモ】時代の経験で、外での活動にも慣れている。
口の堅さもそれなりで、例え喋ったところで表向きは学院の落ちこぼれだ。誰も信じるはずがない。
以上のことを踏まえて、梶浦はこう言っている。
どうだ、一枚噛んでみないか――と。
「当該施設に潜入し、アマテラス候補生を排除しろ。手段、生死共に問わない。ただし二度と表舞台に立たせるな。出来るか?」
「アイ・サー」
◇
中央基地を出た僕は、すぐに氷室に通話を掛けていた。
今の僕に必要なのは戦力。それもただの戦力じゃない。強くて、それでいて失ってもいいような都合のいいものだ。
そのためには、僕も手札を一つ切るべきだろう。
「敵の拠点が分かった。だが現状戦力が足りない。例の計画はどうなっている?」
『パーフェクト。今すぐにだって始められるよ。時間は掛かるけどね』
「……前は少なく見積もって半年はかかると言ってなかったか?」
『言ったろう、まとまった金が入ったと。本当に凄い金額だったんだぜ?』
「金の亡者が」
『あはは。キミにだけは言われたくないなぁ、それ』
「施術にはどれくらい必要だ?」
『二日。試運転と検査、安定化に五日だから……一週間は欲しいね』
「了解。明日の昼には素体を持って行くから準備しておいてくれ」
通話を切り、間を置かず別の相手の情報を呼び出す。
出来るだけ関わりたくない相手だが、仕方ない。僕一人では確実とは言えないし、何よりこのために結んだ約束だ。今使わないで、一体いつ使うと言うのだ。
意を決して通話を掛ける。
「……もしもし」
『お、おお……マジで表示ミスじゃなかった……』
まぁ、その反応は理解出来る。ここ数年間どころか出会ってこの方自分から連絡したことなどなかった相手だから。
僕は無視して用件を切り出した。
「今日の深夜、何があっても空けておけ。相方にもそう伝えろ」
『あん? うん、いいよオッケー。どこのホテル? 払いは割り勘ね』
「違えよ色ボケ。例の約束だ。お前らの力が必要だから貸せって言ってるんだよ」
『あー……アレね。いいよ。どこで何すればいいの?』
「深夜零時に八王子の駅前に。他は追って伝える。尾けられるなよ」
『あいよー。……あっは、たんのしみーィ』
修羅もかくやという声色の独り言を最後に、通話が切れた。
さて、僕も時間まで氷室の研究所で鋼糸を試しておこう。今夜これから行うことは、絶対に失敗出来ないのだから。